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ターミナルの神様/epilogue
[8] -25 -50 

1:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:15:39 ID:aLkl3hdfUg
・この作品は「ターミナルの神様」の番外短編集です。

・ものすごく多大なネタバレを含んでいますので、本編を読まれていない方はご注意ください。

・本編同様作者はsage進行ですが、レスの上げ下げはご自由にどうぞ。

・蛇足です。ていうか補足です。無理して読む必要はありませんから、閲覧は自己責任でお願いします。

・蛇足です。


2:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:16:20 ID:aLkl3hdfUg



ひとつの命と引き換えに、僕の妻はこの世を去った。

忘れ形見の赤ん坊は、日を追うごとに成長していく。






番外編1:二度目の秋の回顧録
3:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:17:10 ID:aLkl3hdfUg
終業時間まで、あと三十分。

時計に目をやりながら、忙しなくキィを叩く。

僕は急いでいた。

子供は親に預けてある。

普段も意識こそするけれど、必要なら残って処理をするだろう。

でも今日だけは、どうしても早く帰りたい理由があった。

「先輩気合い入ってますね」

「定時に帰りたいからね」

後輩の長峰が僕の手元を覗き込む。

僕は休むことなくペンを走らせながら答えた。

「子供の誕生日なんだよ」

「ああ、」

一歳の、と僕は少し笑う。

つまり今日は結の一周忌でもあった。
4:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:18:00 ID:aLkl3hdfUg
「もうそんなに経つんですね」

「そう、早いだろう」

長峰が懐かしそうに目を細める。

彼もまた結を大切に思っていたことを、僕は知っていた。

「倉田さん似の、可愛い息子さんでしたよね」

「そうだよ、うちの息子本当に天使。目元の感じとかますます結に似てきてさあ。あ、写真見る?」

「遠慮しときます」

すげなく断られて、僕は渋々定期入れを仕舞い直した。

全くつれない後輩である。
5:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:18:36 ID:aLkl3hdfUg
「ていうか長峰、結は中谷だからね。な、か、た、に」

「彰先輩のモノとは思ってませんよ?」

未だに結を旧姓で呼ぶ長峰に溜め息が漏れる。

結婚以来ずっと、長峰に呼び方を変える気配はない。

「僕の嫁なんだから、いい加減諦めてくれないかなあ」

「諦めましたよ、不倫という願望まで打ち砕かれた今では」

「そんなこと企んでたの!?」

物騒なことを言う長峰に思わず突っ込みを入れると、彰先輩それ終わらせなくていいんですかと冷静に指摘された。
6:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:19:11 ID:aLkl3hdfUg
「……も、いい。これ家でやってくるよ、今日は早引けさせて貰う」

息子が気がかりで集中なんてできない。

僕は書類を纏めると、さっさと帰り支度を始めた。

「諦めましたよこの人」

「悪いかい」

いーえ別に、と長峰がにやつく。

僕はあえて無視すると黙ってコートを羽織った。

「先輩の不良ー」

「君に言われたくない」

軽い言動の多い後輩を小突いて鞄を取る。

比較的自由な職場で良かったと思うのはこんなときだ。
7:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:21:32 ID:2ho66zkJlw
「煙草なんて吸ってるから結に振られるんだよ、禁煙しなよ?」

去り際にびしり、長峰に指を突きつける。

長峰は気に障ったようにつんと横を向いた。

「余計なお世話です」

「ていうか今度憩の前で吸ったらシメるから」

「あれはごめんなさいってば……」

ようやくきまり悪そうに縮こまった長峰に、僕は満足して踵を返す。

早く、早く会いに行かなくちゃいけない。

逸る気持ちを抑えるのが精一杯だった。
8:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:22:03 ID:2ho66zkJlw
冷たい空気が肌を刺す中、足早に家路を急ぐ。

おもちゃ屋の袋をしっかりと腕に抱えて、我が子のもとへ。

親に預けっ放しで父親らしいことも多くはしてやれない自分を、もどかしく思うこともある。

もう一年が経ってしまった。

そろそろ、これからのことを考えなくてはいけない。

「って言ってもねえ……」

僕は溜め息をついた。

歩き慣れた住宅地は人もまばらで、遠くから子供たちの遊ぶ声がする。
9:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:23:12 ID:V5t1TG2Qic
数日前に、子供には母親が必要なのだと人に諭された。

僕も大方そう思う。

母親がいなければまともな人間に育たないとは考えないけれど、いないよりはいる方がいいだろう。

これから先、親に頼りきりではいつかきっと無理が出る。

世話の問題もあるし、子供がいじめに遭うかもしれない。

「でもね、結」

僕は彼女に語りかける。

頭で分かっていても、上手くいかないものだね。

「僕はまだ、君が傍にいるような気がするんだ」
10:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:23:56 ID:V5t1TG2Qic
突然強い風が吹いて、落ち葉が舞い上がる。

「っ、うわ……」

僕は思わず腕で顔を庇った。

細めた瞳で、何事かと懸命に目をこらす。

視線の向こう、落ち葉の隙間から夕陽の逆光に照らされて、人の影。

あの頃と変わらない彼女の姿が見えたような気がした。

「――……っ」

声を、上げようとしたときにはもう、彼女の姿は掻き消えていて。

僕は暫く立ち竦んでいたけれど、やがて静かに目を閉じた。
11:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:24:41 ID:V5t1TG2Qic
君は今も、そこにいますか。

そこで変わらず、笑ってくれてますか。

僕は歩き出す。

おもちゃ屋の袋を握り締めて、光の差すほうへ。

もうすぐ家に着く。

扉を開けたらいちばんに、憩の顔を見に行こう。

結、僕はきちんと笑えています。

君の残してくれた命のお陰で、僕は今、幸せなんです。



番外編1:二度目の秋の回顧録 おわり。
12:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:29:06 ID:99nh8st8DU
皆様数日ぶりです、こんにちは。エピローグってスペル可愛いですよね。

考えていた後日談や設定をお蔵入りにするのは嫌だという、もったいない精神が暴走してスレを立ててしまいました。
長々とやるのも未練がましいので、短期でさくっと終わらせる予定です。
ターミナルを読んでくださった方で、余計なことを書かれたくない方以外は、暇潰しに覗いてくださると有難いです。

それと、書きたい話はあとふたつですが、他に何か読みたい話があれば書きますので何でもどうぞ。
なかったらなかったで普通にやりますが、あまりに短いと、何となくスレが勿体ないので……

では、もう暫くの間、よろしくお願いします(*゚ω゚)ノシ
13:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 16:37:56 ID:0Xtugb9Fpc
ひととせさん、乙です。昨日、本編読ませて頂いたところでした。余韻の残っている今、番外編をリアルタイムで見られるなんて…!これからも、ガンバって下さい。CCC
14:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 16:55:02 ID:6aJeFT4DVQ
番外編きたあああっ(´;ω;`)
ひととせさん、おつおつです!
テスト勉強なんてポイして見させていただきますっ
つCCCCCC
15:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 18:23:01 ID:8l/Duq4nXw
支援支援!!!
16:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 18:34:43 ID:dfHWUS6auQ
支援!!
これから書くつもりだったら
ごめんなさい。
尾上を殺してしまった男の子の心境、男の子側のストーリーが読みたいです。
17:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 20:04:25 ID:Fob/PLgz0E
全力支援!!
ついさっき本編読み終わった者です。
小説を食らいついたように貪り読んだのは久しぶりでした。
最近はめっきり本も読まなくなり、ネットで偶然こんな神様みたいな作品に出会えるとは!
エピローグ本当に楽しみにしてます!!!!
18:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 21:21:19 ID:o4SekG.7js
まだ……まだレス数が789も残ってただろぉぉぉぉぉぉぉがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
19:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 21:36:52 ID:wKwNii9EEI
>>13
読んでくださったんですか!(*゚∀゚)
支援ありがとうございます。こちらもリアルタイムで書きながら頑張りますw

>>14
ちょwwテスト勉強頑張ってwww
支援ありがとうございます!

>>15
支援ありがとうございます!頑張ります(´∀`*)

>>16
支援とリクエストありがとうございます!
正直すごく嬉しいです……あの話は、自分でももどかしいくらいに曖昧にしてしまったので……
全力で書かせて頂きますね(*´ω`*)

>>17
そんな風に読んで頂けたとは感激です!
これでまた、たくさん本を読んで貰えたら嬉しいなーとか(*・ω・`)
期待に応えられるよう頑張ります!支援ありがとうございました。

>>18
実はこういう訳なのです(´・ω・`)
http://llike-2ch.sakura.ne.jp/bbs/test/mread.cgi/ryu/1327088489/31
何にせよもう立ててしまったので、暫くはこのままやらせて頂きますね。
20:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 21:51:54 ID:c.gYySYfy6
番外編なのにたくさんレスを頂けて、正直驚いております((;゚Д゚)))
これは物語が埋まらないようたくさん投下しろというお告げですね!

現在>>16さんのリクエストを書き始めています。
明日の投下までの進み具合で、葵ちゃんを殺した男の子の話を先にやるか、ある程度書き溜めのある結さんの話を始めるか決める予定です。
できれば男の子の方を先に書きたいけど……どうなるでしょうか、まだ分かりません。

リクエストはまだまだ言って頂ければ書きますので、よろしければどうぞ。
21:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 23:37:12 ID:tY/rtAmTLk
きのう本編読んだ所です!
ラストで画面が見えなくなりました(´;ω;)
まさかこんなにいいタイミングで番外編がくるとは!

リクエストなんですが、加奈ちゃんと憩くんのその後が知りたいです…特に加奈ちゃんは立ち直れたのか心配なので(;_;)
22:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 05:26:41 ID:JrgEVdGhFo
支援っ(*´∀`*)っC
23:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 10:45:24 ID:rGeVyfef4c
本編をずっとROMって見てました。

番外編という事で、楽しみにしてます

つC
24:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 14:06:09 ID:v0sJxCq82Y

きゃあああああ!!
番外編きたああああああ!!!
待ってたよーヽ(*´∀`)ノ!!
一回見たらだだハマりしちゃって、大変だったんだから!!

もう毎日楽しみにしてる<●><●>

そのうちリクエストしたいなーなんて(・w・)ww
25:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:09:42 ID:o7726pFAMk
>>21
ありがとうございます(´∀`*)
加奈ちゃんと憩くん了解しました!
憩はあまり詳しく書きたくないので、加奈中心で行きますね。
実はこの番外編のラストはこれで締め括りたい、というのがあって、ちょうどそれに重なっているので、最後に書かせて頂きます。
どうか気長にお待ちください(*゚ω゚)ノシ

>>22
ありがとうございますっ(*´ω`*)っC

>>23
支援ありがとうございます。
ということは初書き込みでしょうか、有難いです、頑張ります!

>>24
支援ありがとうございます!(*゚∀゚)
だだハマりとは嬉しいことを……w
リクエストお待ちしていますね!



さて今日は、>>16さんリクエスト、葵を殺した男の子の話です。
鬱展開、流血表現注意です。殺すまでのエピソードですから全く救われません。後味悪いです。
苦手な方は気をつけてください。
26:🎏 ※鬱展開・流血表現 ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:12:51 ID:ogjb0kC5Sw
憧れたのはすっと背筋がのびた、姿勢の良い人だった。

「光くん、良く頑張ったね」

光と書いて、みつる。

記憶の中のあの人は、いつでも澄みきった声で小学生の僕を呼ぶ。

暖かい陽射しの中に座る午後、まだ幼い僕の部屋で算数を教わった思い出。

綺麗に整った文字を、眠たい目で眺めるのが好きで。

「光くん、君は」

別れの日にあの人が、最後に言ったこと。

「君だけは、正直でいてね」






番外編2:雨、満つる
27:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:15:21 ID:99nh8st8DU
僕の初恋は、家庭教師のお姉さんだった。

小学校の五年生、外で遊ぶのが好きで勉強をしなかった僕を見かねて、母さんが家庭教師をつけたのが始まりだ。

初めて見た葵さんは、居間で母さんと立ち話をしていた。

まっすぐで綺麗な立ち姿をしていると思った。

僕に気付くと、葵さんがすぐに向き直る。

「君が、光くん?」

「っ、うん」

「よろしく」

緊張で声が上擦る僕に、子供扱いするでもなく対等に挨拶をしてくれたことが嬉しかった。
28:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:16:16 ID:99nh8st8DU
二年ほどで辞めてしまったけれど、大切な人だったと僕は昔を回想する。

あれから僕の成績は上がり、家庭教師は必要がなくなった。

葵さんと別れてからも成績が落ちることはなく、やがて入った高校でも、僕の位置は変わらないまま。

優等生の高瀬君。

それが僕の肩書きだ。

誰にでも親切で、物静かで頼りになる自分。

それは確かに嘘ではないけれど、それ以外の自分も存在する訳で。

肩書きに相応しくない僕を押し込んで、表面ばかり嘘で塗り固めて過ごす。

そろそろ息が、詰まりそうだった。
29:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:17:14 ID:YMPC7wApis
そんなことを思いながら、僕は写真に目を落とす。

久々に大掃除をした押し入れの中に、紛れ込んでいたものだ。

葵さんが教えに来てくれた最後の日に、記念にと母さんが撮った写真。

きちんとした姿勢で座る葵さんの隣、僕は、満面の笑みでピースサインをしていた。

「……暢気、だな」

僕は机に写真を置いた。

いつか、葵さんの身長を追い越したら、また会いに行こう。

そう決めていた昔の自分が、ただ、眩しかった。
30:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:18:16 ID:SclZQjm4pU
成長するにつれ、正直に生きることは難しくなる。

押し込みすぎて心が軋む音、その不快さに耳を塞ぎたくなるときもある。

そんな時はいつも、あの綺麗にのびた背筋を思い出す。

記憶の中の葵さんを、頼りにして生きていた。

「光、ごみ袋は必要?」

母さんが部屋のドアを開ける。

僕は怠けていたのがばれてはいないかと、慌てて机から離れた。

「一枚くれる?」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」
31:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:19:05 ID:SclZQjm4pU
母さんもどこかを片付けているらしい、エプロン姿ではたきを片手に、ごみ袋を僕に手渡した。

「捗ってる?」

「ぼちぼち」

「同じようなものね」

母さんが苦笑しながら、散らかった押し入れを眺めた。

そのまま視線を滑らして、ふいに机の上に目を止める。

「……その写真」

「ああ、」

僕は少し気まずい思いをした。

何となく深くは触れられたくなくて、言い訳めいたものを言う。
32:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:21:13 ID:VMnJaffQ7E
「偶然見つけてさ、さっき」

「懐かしい」

母さんがにこにこ笑いながら写真を手に取る。

僕は落ち着かない気分で、そうかな、と曖昧に応じた。

「そうよ、すごく良く教えて貰ったじゃない」

分かっている、だって忘れたことなんて一度も。

僕は何も言わなかった。

それをどう捉えたのか、はたまた気にしていなかったのか、ともかく母さんは思い出したように続けた。

「そういえば葵ちゃんね」

そして僕は硬直することになる。

「教員免許、取ったらしいわよ」
33:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:22:02 ID:VMnJaffQ7E
がたん、ごとん。

電車の音がいつもより、大きく響くような気がした。

学校帰りのいつもの電車とは、違う路線を今日は使う。

ふいに、会いたくなった。

葵さんが教員免許を取ったと聞いたら、何故か急に、どうしても。

年賀状の住所を頼りに、最寄り駅へ。

まだ人もまばらな電車の中で、吊り革につかまった腕に顔を隠した。

葵さんが僕だけの先生だなんて思っていないし、思ったこともない。

でも、葵さんが他の誰かに教えるなんて、想像したこともなかったから。
34:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:22:46 ID:VMnJaffQ7E
電車の窓に映る景色は灰色で、降り始めた雨がガラスを叩いていた。

僕は雨粒越しに流れる街並みを眺める。

連絡はしていない。

すぐに帰るつもりだった。

少し姿を見られたら、それで良い。

そう決めたのは、今の自分を見られたくなかったからかもしれない。

『……――駅、ご乗車、ありがとうございました、……』

到着を告げるアナウンスに、突然現実に引き戻される。

乗り過ごすところだった。

気を取り直して僕は、学生鞄を肩に掛け直しす。

しかしホームに降り立った途端、僕は不意打ちの衝撃を受けた。
35:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:24:07 ID:99nh8st8DU
葵さんがいた。

背中合わせに隣接したベンチの、その片方に座っている。

僕は動けなかった。

葵さんの隣には、知らない男が座っていた。

「……疲れてるな」

男が言う。

「まあ、ね」

葵さんは気だるそうに軽く頷くと、男の肩に凭れた。

やつれた顔、姿勢の良い家庭教師のお姉さんの面影は、ない。

線路に降りしきる雨の音は、ふたりの声を掻き消してくれなかった。
36:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:24:47 ID:99nh8st8DU
「無理とか、すんなよ」

震える足を動かして、恐る恐るふたりに近付く。

葵さんは体を預けたまま、弱々しい笑みを浮かべた。

「だってねえ、多少の無理はしなきゃ」

「そのうち死ぬぞ」

反対側のベンチに腰掛けると、すぐ近くで声が聞こえるようになった。

葵さんは疲れているらしい、それも結構深刻に。

聞いたところで僕に何ができると言うのだ、でも僕は、ふたりの会話に耳を澄ます。

「私、死んでもいいわ」
37:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:25:33 ID:99nh8st8DU
愛してる。

葵さんは多分、その意味を知っていたんだろう。

その意味を知っているのかどうか、一方で男は機嫌が悪そうな声を上げた。

「冗談に聞こえねえぞ」

「いいの、別に」

疲れているくせに、葵さんの口振りは楽しんでいるようだった。

顔を見られた、もう十分だ。

葵さんは疲れていて、でも傍には支えてくれる恋人がいる。

僕がここにいる必要はない。

でも、体が動かないのは何故だろう。
38:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:26:15 ID:99nh8st8DU
「しっかりするのはもう疲れた」

葵さんがぽつり、静かに零す。

「それなのに無意識に、何でもやろうとしちゃうの」

きびきびと動いて、何でもてきぱきこなしていた葵さんが思い出される。

母さんがお茶の用意を始めると、いつも自分から手伝っていた。

「一度頼られたら、もう弱音なんて言えないし、無理するためにいつも、我慢して」

泣きそうな声だった。

その声が自分に向けられないことが、酷く悔しかった。

知らない場所でずっと葵さんが苦しんでいたのに、僕はのうのうと、記憶の中の葵さんに縋ってばかりで。
39:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:28:21 ID:VMnJaffQ7E
「正直に生きていたことなんてない」

男は黙っていた。

葵さんが続ける。

「でも、まだ生きなきゃいけないの」

震える声、本当は死にたいと思っているようで。

電車の到着を知らせるアナウンスが、雨のホームに響いた。

僕は立ち上がる。

酷く惨めな気分だった。

会いに来たところで何かが変わるなんて、最初から思っていなかったけれど、落胆するしかない。

葵さんに対してか、自分へのものか、それは分からなくとも。
40:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:29:02 ID:VMnJaffQ7E
電車が滑り込むのと同時に、僕は乗車口に向かう。

気付かれないように、こっそりと。

しかし僕は、ベンチの背凭れに鞄を引っ掛けてしまった。

「あっ、」

がくんと体が引っ張られて、定期が地面に落ちる。

慌てて拾い上げると、そこで僕は葵さんと目が合ってしまった。

久々の再会、まともに見つめあうのは、何年振りだろう。

葵さんは隈のできた目を、猫みたいに大きく見開いていた。
41:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:29:39 ID:VMnJaffQ7E
ずっと焦がれていた、憧れた人。

会いたくて、会うのが怖くて、何もしないまま帰ろうとしていたのに。

僕は耐えきれずに口を開いた。

「……、葵さん、」

喉の奥から声を絞り出すと、葵さんはゆっくりと口を開く。

待ち望んだ声が、ようやく僕に向けられた。

「誰……?」
42:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:30:17 ID:VMnJaffQ7E
電車がやがて止まり、扉が一斉に開く。

僕は顔が熱くなるのが分かった。

定期を握りしめて身を翻す。

慌ててそこから逃げ出すと、僕は電車に駆け込んだ。

「待っ――、……」

扉が閉まる。

何か言いかけた葵さんの言葉が、そこで途切れた。

羞恥と屈辱で死にそうだ。

僕は自分の情けなさに、乱暴に目を拭った。
43:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:30:53 ID:VMnJaffQ7E
逃げたんだ、僕は。

葵さんは僕のことなんて覚えてなかった。

何度も思い出しては大切にしていた僕とは違って、葵さんにとって僕は、些細な存在だった。

「光くんは正直者だね」

くすくすと可笑しそうに笑う葵さんが、頭の中をちらちらとよぎる。

「君のそういう所、好きよ」

思い出すのは昔の記憶。

最後に会った日に、葵さんが言ったこと。

「どうか君だけは、正直でいてね」
44:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:32:40 ID:2ho66zkJlw
次にその駅へ行った日も、雨だった。

着古した黒いパーカーを羽織って、あの人を探す。

すらりと伸びた、綺麗な後ろ姿。

それが虚勢を張っているように見えたのは、話を聞いた後だからだろうか。

葵さんが歩く後を、僕はそっとついて行く。

人気のない場所まで、家にあったいちばん鋭い包丁を携えて。

葵さんは死にたそうだった。

もうあの人を、解放してあげなくちゃ。
45:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:33:07 ID:2ho66zkJlw
違う、と誰かが言う。

葵さんの後ろを歩く、僕の中で誰かがもがく。

そんなんじゃない。

僕は悔しかったんだ。

叫ぶ、叫ぶ、やめろって、僕の中の僕が言う。

体は言うことを聞かない。

知らない男といたのが、許せなかっただけなんだ。

葵さんが忘れていたのが、許せなかっただけなんだ。

あの人の中に僕を、刻み付けたいだけなんだ。

そんな我が儘を綺麗な理由に変えて、葵さんのためだって言い張りたいんだ。
46:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:33:32 ID:wKwNii9EEI
アパートの最後の階段を上る葵さんを、踊り場から見上げる。

鞄の中の鍵を探る立ち姿は綺麗だ。

葵さんの姿勢が崩れたのは、あの男の前だけだった。

頭がぼうっとする。

息が苦しくなって、心臓の音はうるさい。

包丁を握った指だけが、冷たいような熱いような、感覚が、遠くなって。

頭の中の声が、泣いているようにやめろと言う。

思い出したように足が震え始めて、僕は唐突に恐怖を覚えた。
47:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:34:13 ID:wKwNii9EEI
その瞬間、僕は見てしまった。

鍵を取り出した葵さんの指に、光るものがあるのを。

辺りは静寂になった。

雨音も心臓の音も、頭の中の声も、全てが断絶される。

僕はもう迷わなかった。

そっと彼女に歩み寄り、深々と包丁を突き立てる。

「――……っ、かは、」

もがく体、思っていたよりずっと細い腕が空を掴む。

柄がつくまで刺すと、じんわりと指が温かく濡れた。
48:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:34:44 ID:wKwNii9EEI
「葵さん、」

僕は呼び掛ける。

葵さんは答えずに、ただ扉に縋りついた。

最後までこの人は僕を見てくれない、なんて。

葵さんの体から力が抜ける。

包丁から手を離すと、葵さんはその場に崩れ落ちた。

生温い血溜まりがアパートの床に広がる。

気付けばパーカーの腹も、僕の手も、ぐっしょりと濡れそぼっていた。

むっとするような鉄の匂いの中で、僕は立ち竦んだ。
49:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:35:25 ID:wKwNii9EEI
葵さん、僕は正直になりました。

脳が聴覚を取り戻し、雨音が辺りを包む。

倒れ伏した葵さんはそれでも、綺麗なままで。

僕はそっと耳を傾ける。

やっと正直になれた僕は、何故か僕の中ですすり泣いていた。






番外編2:雨、満つる おわり。
50:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 18:43:32 ID:LDvZZ1bmmI
おぉう…(´;ω;`)
支援
51:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 23:42:52 ID:zmyX7GDdrI
加奈ちゃんと憩くんリクエストした者です!
もちろん、ダメと言われても最後まで読みます(* ´艸`)

そして前回忘れた分もCCCCCCCCCCCCCC
52:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 01:33:08 ID:y3sNj.M.C2
そういや旦那さんは奥さんも息子も死んでしまったんだよな…カワイソス…
53:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 01:44:14 ID:5KnGeuT2aU
つC
宜しければ宮田さんが現世に帰った時の話、
あれから葵ちゃんは前に進むことができたのか、を読みたいです…!
54:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 08:07:07 ID:puCzZCQDF6
>>16です!
ありがとうございました。
期待通りのお話で楽しかったです!
引き続きwktkしながら、話の続き待ってます(*´∀`*)
55:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:13:27 ID:SclZQjm4pU
>>50
支援ありがとうございます。
正直ドン引きされてないか戦々恐々だったので、あなたの書き込みに少し救われました(´∀`*)

>>51
たくさんの支援ありがとうございますw
お待たせして申し訳ないです……
では最後まで、しっかり書いていくことにしますね!(*゚∀゚)

>>52
多分彰さんは、この作品中ダントツで不幸な人だと思います……
しかも妻と息子だけじゃ終わらなうわ何するやめ(ry

>>53
支援とリクエストありがとうございます!
宮田さんと葵ちゃん了解しました。葵の方は明日以降書きますので、しばしお待ちくださいね(´ω`*)

>>54
期待通りですか!Σ(・ω・`ノ)ノ
暗すぎてしまったかと思いましたが、すごく安心しました……良かったです。
こちらこそリクエストありがとうございました!



今日の更新は>>53さんリクエストの、宮田のその後です。
仏教的な習わしなんかは調べ損ねたので、うっすい記憶を頼りに書いてます。
何かおかしい箇所があっても、優しい気持ちで胸に秘めて頂けると有難いです、すみません。
ちなみに我が家はカトリックなのに仏壇があります。不思議。
56:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:16:40 ID:o7726pFAMk
娘が手のひらを返したように辛辣になったのは、いつ頃だったろうか。

近付けば逃げられて、触れれば振り払われた。

思春期の娘なんてそんなものだろう。

そう分かっていても、腹立たしいことには変わらないのだ。

激務を終えてたまの休みに帰っても、汚らわしいものを見るような目に迎えられる。

手を上げようとすれば、必ず妻に止められる。

何もできず見下され続ける屈辱が、果たして分かるだろうか。

俺が死んだのは、そんな日のさなかだった。






番外編3:君の未来に祝福を
57:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:17:25 ID:o7726pFAMk
訳の分からない駅のような場所に飛ばされて、訳の分からない二人組に追い返されて。

それでも、結局は良かったかもしれない。

暫くは会社に滞在していたから、俺が自宅の前に立ったのは数日が経ってからだった。

社内は慌ただしかったが、そこまで混乱しているようでもなかった。

別の科から同じくらいの地位の人が入って、俺のするはずだったものを片付けていた。

玄関先で、表札を見上げる。

かれこれ何時間そうしていただろう。

宮田と書かれた下に、家族三人分の名前が並ぶ。

いつもと同じ佇まいの我が家のその表札から、俺の名前はもうすぐ消えるのだろうか。
58:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:18:17 ID:o7726pFAMk
急に玄関の扉が開いて俺はのけぞる。

妻が新聞を取りに、家から出てきたところだった。

「あっ、ぶな……」

危ないだろう、と怒鳴ろうとして気付く。

思わず上げた声に気付くこともなく、妻は新聞や葉書を眺めていた。

本当に死んでいるのか。

分かってはいたが、改めて突き付けられるとどうにも複雑だ。

気を取り直して開いた玄関から家の中に滑り込む。

ものに触れられないと分かってからも、どうしても壁を通り抜ける気分にはなれないのだ。

俺は幾日か振りの自宅に、足を踏み入れることになった。
59:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:18:53 ID:o7726pFAMk
埃っぽいことを除けば、部屋は綺麗に片付いていた。

妻は郵便物を持ったまま、居間の一角、遺影の置かれた棚の方に向かう。

遺影にはいつかの社内新聞で、広報に撮られた写真が使われていた。

急なことだったから、用意もしていなかった。

俺は妻の後について自分の遺影の前に座り込んだ。

「あなた、今日の新聞ですよ」

妻が遺影の前に新聞を置く。

口振りからして、毎日置いているようだった。
60:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:20:01 ID:SclZQjm4pU
「あなたってば、情報に遅れるって、うるさいんですもの」

俺は隣の妻を見つめる。

ふふ、と笑う妻の横顔はやつれていた。

最近では仕事ばかりで、ろくに家に戻ることもしなかった。

ずっと一人で、家を守っていたのだろうか。

少しの罪悪感が込み上げる。

俺は喉の奥から、何とか掠れた声を絞り出した。

「そんな所に置いても、俺が読めないだろう」

俺の声は妻に届くことなく、ただその場に落ちて、消えた。
61:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:20:38 ID:SclZQjm4pU
鍵の開く音が静寂を破る。

あら、と腰を浮かす妻の横で俺は身を硬くした。

娘が学校から帰ってきた。

玄関に向かうべきか迷う俺の横を、妻がぱたぱたと駆けてゆく。

「お帰りなさい、絵理」

「……ただいま」

絵理の声は不機嫌そうだった。

どうするべきか迷う俺をよそに、二人分の足音が近付いてくる。

「絵理、自分の部屋に行く前に」

「分かってるよ」
62:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:21:49 ID:wKwNii9EEI
顔をしかめた絵理が居間に入ってくる。

俺が身動きする暇もなく、絵理はまっすぐに遺影の前に座ると線香を取った。

意外だった。

流石に拒否することはないだろうと思ったけれど、普段は仏壇にも手を合わせない子だったから、余計に。

澄んだ鉦の音が、長く尾を引いて残る。

絵理は静かに目を閉じて合掌した。

「――……、」

絵理の唇が僅かに動いて、何かを言う。

俺がそれに気付いたときには、絵理はもう蝋燭を扇ぎ消して立ち上がってしまっていた。
63:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:23:53 ID:aLkl3hdfUg
「じゃあお母さん、私もう、部屋に行ってるから」

「ええ」

絵理が鞄を持って部屋を出る。

俺は少し迷って、絵理について行くことにした。

階段を上りながら思う。

娘の部屋に入るのは、一体何年振りだろうか。

少しませてきた頃にはもう、追い出されるようになっていた。

皮肉なことだ。

一度死なないと、娘の部屋に入ることすらできないのだから。
64:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:24:47 ID:aLkl3hdfUg
絵理は机の上に鞄を置くと、そのままベッドに沈み込んだ。

制服が皺になるだろう。

そう叱りたくても、この声が届くことはない。

絵理は動かない。

俺はぐるりと辺りを見回した。

まともに入ったのは絵理が小学生の頃以来だが、その頃よりも断然本が増えた。

分厚い参考書が立ち並び、壁には地図や暗記事項のメモが、机には書き込みの細かいプリントが無造作に置いてあった。

ちゃらちゃらしているだけだと思ったら、どうやら違うらしい。

手提げ鞄の口からは、付箋がびっしりと貼られた単語帳が覗いていた。
65:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:25:36 ID:aLkl3hdfUg
携帯のバイブが鈍い音を立てる。

絵理は気だるそうにポケットからそれを取り出すと、ろくに確認することもなく電源を切った。

「何で突然死ぬのよ……」

絵理が布団に顔を埋める。

俺はその様子を、黙って見下ろしていた。

「……金に困って、迷惑だったか」

静かに問いかける。

絵理に聞こえるはずもないが、それでも俺は続けた。

「お前を大学に行かせる金くらい、積み立ててある」

妻の妊娠が分かってから、毎月五千円。

普通の貯蓄とは別の絵理だけの口座に、どんなに厳しい月も、絶対に欠かさず振り込んでいた。
66:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:26:15 ID:aLkl3hdfUg
必死に勉強する理由も、勉強していたこと自体も知らなかった。

俺は娘の夢さえ知ろうとしなかった。

そんな奴に父親として威張る資格なんて、最初からなかったんだろう。

絵理が反発するのも当然だった。

「ずっと、苦しかったのか」

電源を切られた携帯電話を、眺めながら呟く。

会社での俺と同じように、学校で重なるストレスもあったのだろう。

親に当たらずにはいられなかったのかもしれない。

ただ、受け止めてやれば良かったのだ。
67:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:26:55 ID:aLkl3hdfUg
我慢できずに、俺は絵理の頭を撫でた。

案の定手のひらは透き通って、絵理に触れることはない。

そう、思ったのだが。

「お父さん……?」

絵理が弾かれたように顔を上げる。

信じられない、というような表情をしていた。

「お父さん?いるの、お父さんでしょ、出てきてよ」

俺は動けなかった。

起き上がって見回すも、絵理の視線は俺を素通りする。
68:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:27:37 ID:aLkl3hdfUg
いるだろう、ここに。

そう呼び掛けても、決して絵理の耳に届くことはない。

「出てきて、お願い」

ベッドを降りて部屋を見渡しても、絵理の目に姿が映るはずもなくて。

絵理の声が、次第に泣きそうに歪む。

立ち尽くす俺の目の前で、絵理は床に崩れ落ちた。

「おとうさん……っ」
69:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:28:12 ID:aLkl3hdfUg
自分が変われば、もう少しましな親子になれていたのかもしれない。

もう少し、互いを大切にできたのかもしれない。

もしそうだったら、将来、そんな時期もあったなと、笑い合える関係になれたのだろうか。

「絵理」

そんなことを考えるには、もう遅いけれど。

俺はもう一度絵理の頭を撫でた。

触れられなくても、この思いが少しでも伝わればいい。

「十分だ」
70:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:32:53 ID:tbpDYj2bNQ
俺は立ち上がる。

この再会に、俺は満足していた。

望むことがあるとすれば、ひとつだけ。

俺は部屋を出る。

去り際に、すすり泣く絵理の姿が焼き付いた。

父さんにはもう何も、してやれることはないから。

幸せになれ、たったひとりの愛娘よ。






番外編3:君の未来に祝福を おわり。
71:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 21:58:11 ID:f4YQ0hqzzA
だめだ画面がみえん…

これからは父に優しくしたいな…ぐすん

素敵な作品をありがとう…!

つC
72:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 22:28:16 ID:oxe0cJ6A4M
目から汗が…(´;ω;`)
また他のエピローグがあればお願いします。

つC
73:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 22:47:04 ID:XB8fowyCj2
画面が見えない(´;ω;`)
ナイスな終わり方です!

つCCCCC
74:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 01:42:07 ID:5NcIsSSwMw
やばい涙が…(´;ω;`)

ほんとにひととせさんの書く文章大好きです(´;ω;`)(´;ω;`)
番外編が嬉しすぎる…(;_;)
感動しまくりです(T_T)
75:🎏 74:2012/1/28(土) 01:42:49 ID:4bhoiYs27A

忘れてたあわわ

つCCCCC

76:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 03:29:37 ID:LzDSOngupQ
あぁもう画面がにじむ…(´;ω;`)
ターミナルを読むと、絶対に自殺とかいけないなって、自分が死んだら悲しむ人っているんだなって、思ってしまいます。
大事な人を悲しませないように、毎日を過ごそうという気になれる物語…。

ガチ感想文すみません。
そして(´;ω;)つC
77:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 10:56:43 ID:Le4E195ks2
涙が止まりません(´;ω;`)

人を引き込ませる文章、さらに飽きさせない内容、もう脱帽です

支援!!
78:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 12:29:40 ID:LdNAY8/3oM
うおーん(´;ω;`)
ターミナル大好きだ…支援
79:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 17:59:24 ID:Mn/3Knfxbg
SSで泣いたの初めてだ
80:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 18:41:59 ID:NX2Wz2rkgY
初支援
つC

自分の師に似た書き方で鳥肌たちました。違いますよね………?

本編、番外共に好きです。
蛇足だなんて思いませんよ?
むしろ、もっとやれ。状態ですwww


81:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:24:30 ID:YMPC7wApis
皆さん支援ありがとうございます!

>>71
どうかお父様に優しくしてあげてくださいw
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました(´∀`*)

>>72
心の汗ですねw
実は本編の後日談とか背景的なものは、メインふたりの分しか考えてないんです。
リクエスト頂いてから妄想を膨らませて即興で書くので、他のエピローグは基本的にないんですよね。応えられず申し訳ない……
指定さえ頂ければ書きますので、何でもどうぞ!

>>73
ナイスでしたら光栄です(*´ω`*)
なんか今回皆さんうるっと来てくださってて喜ばしいですね……w

>>74-75
文章好いてくださるんですか!なんかすごく嬉しいですありがとうございます(*ノωノ)
そういう風に言ってもらうと、ほんとに番外編やって良かったなって思います。

>>76
ガチ感想文本当に嬉しいです……!ありがとうございます!
悲しませたくない人がいるから生きる、すごく素敵なことだと思います。
本当はそんな消極的な理由じゃない方がいいんですけど、でも、本当に死にたくなったときに歯止めになるのは、悲しませたくない人だと思うのです。
82:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:25:37 ID:wKwNii9EEI
>>77
そんな言って頂くと照れちゃいます(*・ω・`)
でもすごく嬉しいです、このまま頑張りますね!

>>78
私はターミナル好いてくださってる>>78さんが大好きですよ……(´ω`*)

>>79
泣いてくださって、ありがとうございます。
こんなに作品を読んで色々感じて貰えるなんて、私は本当に幸せ者です。

>>80
もっとやれ頂きました(*・∀・)もっとやります!
部活で後輩の批評ならしてましたが、師なんて大層なものではありませんでしたよwww
もし気になられるようなら、雑談で呼び出して頂ければ確認に向かいますので、またそちらでお話ししましょう(*´ω`*)



本日は>>53さんリクエストの、葵ちゃんの後日談……をやろうと思ってましたが、生憎完成が間に合いませんでした(´・ω・`)悔しい
ですから、以前から考えていた結さんの話を代わりに投下しようと思います。
何せとことん長いので2日に分けて更新しようか迷いましたが、短期集中更新の勢いを落とす訳にもいかないので、最後まで一気にいきます。
では、今日の更新に参りましょう。
83:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:28:57 ID:c.gYySYfy6
あの子と過ごした数ヶ月は、私にとってかけがえのないものだった。

諦めていた夢は呆気ないほど簡単に実現して、当然のように同じ時間を共有した。

既に自分より体は大きく、母親だと告げることさえできなかったけれど、紛れもなくあの人の面影が残る、私の子供で。

幸せだった。

幸せだなんて、一瞬でも思って良いはずがなかったのに。

長いこと留まりすぎて、何かが歪んでしまったのかもしれない。

あまつさえあの子まで引き込みかけたのだ。

結局のところ、私はエゴの塊だった。






番外編4:檻の中
84:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:29:28 ID:c.gYySYfy6
「……倉田さん?」

突然名前を呼ばれて、私は顔を上げた。

しかも旧姓、こちらでは最初から中谷と名乗っていたから、久しく離れていた響きが新鮮だ。

窓口の前に立っていたのは見知らぬ中年の男性で、驚いたようにこちらを見ていた。

「やっぱり倉田さんじゃないですか、変わってない……」

「えっ」

「あ、俺のこと分かりますか?」

低めの聞きやすい声で話を進められて戸惑う。

急にそんなことを言われても。
85:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:30:00 ID:c.gYySYfy6
気を取り直して、相手の顔をまじまじと眺める。

私が現世を離れてからもう、二十年以上が経っていた。

ということはつまり。

「……あー、もしかして、長峰君?」

「正解です」

そう言って笑った男性には、確かに知り合いの男の子の面影が残っていた。

「驚いたわ。私より年下だったのに、すっかり立派になっちゃったんだもの」

「倉田さんは全く変わりませんね」

「そりゃまあ、死んでるからね」

そんな会話をしながら、私はささやかな懐かしさに浸る。
86:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:30:30 ID:c.gYySYfy6
長峰聖司君は彰さんの、つまり旦那の後輩だった。

年下だった彼に大きく年齢を追い越されるほどに月日は経ってしまったのだと、少し感慨深い。

「倉田さんが亡くなってから、二十……二年くらいですか。俺にも色々あったんですよ」

「分かるわ」

私は深く同意した。

「たくさんのことが、あったんでしょうね」

顔つきが随分と柔らかくなった気がする。

私の時間が止まっている間に、彼も成長したのだろう。

年齢を重ねて落ち着いた長峰君を眺めながら、自然と笑みが零れた。
87:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:32:03 ID:tbpDYj2bNQ
「倉田さんは、ずっとここに?」

長峰君が尋ねる。

私はええ、と短く肯定した。

「ここで案内事務所の仕事をしているの。利用者さんの手続きとか、細々としたことを」

基本的に仕事内容はずっと変わっていない。

訪れる人の案内をしたり、書類を処理したり、時には相談事に乗る。

私はこの仕事を気に入っていた。

自分も一度世話になったから、その恩返しの意味も込めて引き受けたものだ。

とはいえ。

「……大変そうな仕事ですね」

「やっぱり?」
88:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:32:46 ID:tbpDYj2bNQ
長峰君が指したのは、どっさりと机を占領した書類の山。

いつかに比べれば可愛いものだけれど、それでもかなりの存在感を放つそれは、最近では奥の棚にまで侵食していた。

「それ全部処理するんですか?」

「いや、処理したのよ。保管するにも場所がなくて置きっ放しなだけ」

「まさか全部紙媒体で……」

「あっはっは」

笑って誤魔化すと、長峰君が呆れたような目で私を見た。

さぞかし現世では、私には考えられないほどデジタル化が進んでいるのだろう。

いとも簡単にパソコンを操っていた子供の姿が、頭をよぎって、消えた。
89:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:33:25 ID:tbpDYj2bNQ
「流石にずっとこれじゃないわよ。二年くらい前にね、人に手伝って貰って全部データ化したわ」

ほら、と辛うじて覗くパソコンの画面を指差す。

埃を被ったそれは、触れるのがためらわれてずっと動かしていない。

「私、機械オンチなのよね。情けない」

やれやれと溜め息をついて首を振ると、長峰君は何でもないことのように自然に口を開いた。

「じゃあ、俺も手伝いましょうか」

「えっ」

私は思わず固まった。

それを一体どう解釈したのか、長峰君が続けて畳み掛ける。
90:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:34:05 ID:tbpDYj2bNQ
「タイプ速いですよ、俺。この年になるとそういう仕事も減りましたけど、これでもなかなか」

「ちょっ待って待って長峰君、ええー」

手のひらで長峰君を制しながら、私は慌てて言うべきことを考えていた。

思い出すのは、二年前のこと。

日ごとに、共に過ごすごとに手放すのが惜しくなって、別れることが難しくなった。

あのときに言い聞かせた相手は、他でもない私自身だ。

でも。

「……これが終わるまでの間、なら」

長峰君は、憩とは違う。
91:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:34:34 ID:tbpDYj2bNQ
せっかくの厚意だ、断る理由もない。

繰り返さなければ良いだけの話だ。

「お願いしても、いいかしら」

「勿論ですとも」

長峰君は少し皺の寄った顔で、柔らかく笑ってみせた。

確認する意味もあった。

繰り返さない程度には、きっと私もしっかりしているはずだから。

私は窓口を離れると、長峰君を招き入れるために事務所の扉に向かったのだった。
92:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:36:30 ID:SclZQjm4pU
長峰君が旧姓で呼ぶのを止めるタイミングを、私は結局見失ってしまった。

こちらに来る前から中谷姓に慣れていたはずなのに、倉田の名前が懐かしい。

思うに私は、妻になるにも母になるにも、生きている時間があまりに短すぎたのだ。

そんなことを考えたのは、一体何年振りだろう。

未練なんてものは、ずっと前に断ち切ったはずなのに。

「倉田さん、これはどこに?」

長峰君が打ち終わった書類束を抱えて立ち上がる。

私は椅子を回してそれを確認すると、棚の方を指差した。
93:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:37:48 ID:SclZQjm4pU
「とりあえず向こうに。ある程度溜まったら紐で括って廃棄だけど」

「了解です」

見た目は立派なおじさんの長峰君に指示するのは、何だか不思議な気分だ。

長峰君は比較的片付いた棚の一角に、素直に書類束を置いた。

「やっぱり多いんですね、ご老人」

憩の定位置だったパソコンの前に、座りながら長峰君が投げ掛ける。

私は記入されたばかりの用紙を順番に並べながら、ええ、と相槌を打った。

「これが地方だったら、もっと多いでしょうね」

「ああ、そうか」
94:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:38:25 ID:SclZQjm4pU
東京ターミナル駅と名が付くだけあって、そもそもの人口の関係だろうか、比較的色々な年齢の人がここには訪れる。

それにしたって、できれば若い人は、まだ来ない方が良いのだけれど。

「それにしても、長峰君も早死にしたわよね……」

「倉田さんほどじゃないですよ」

むっとしたように言い返す長峰君に、少しだけ安心する。

すっかり大人になってしまったようだけれど、変わらないところもある。

私は顔をにやつかせて長峰君に絡むことにした。

「なに、事故とか?」

「違いますよ、ただの病気」

長峰君は特に面白い反応もせずに、ごく自然に書類を取り上げながら言った。
95:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:39:31 ID:SclZQjm4pU
「肺がんになっちゃって、そのままポックリ」

「肺がん……、って、」

私は思わず立ち上がった。

すかさず長峰君が耳を塞ぐ。

「君まだ煙草やめてなかったの!?」

窓口の前を通った老婦人が、びくっと肩を震わせた。

「相変わらず声大きいですね倉田さん」

「誰が怒鳴らせたと」

老婦人にへこへこと頭を下げてから長峰君を睨み付ける。

長峰君はまあまあと両手を上げて私を制した。
96:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:40:16 ID:SclZQjm4pU
「流石に奥さんの妊娠中とかは控えてましたよ」

「控えるのどうのじゃなくて禁煙でしょ」

へらりと笑った長峰君に反省の色は見られない。

今さら言っても仕方ない。

私は肩の力を抜くと、細く長く息を吐き出した。

「全く……だからこんな早くに、こんな場所に来ちゃうのよ。家族が不憫だわ」

その言葉に長峰君が笑う。

柔らかくて落ち着いた、私にはできない顔だった。

「奥さんや子供には悪いと思ったけど、幸い準備する時間は残っていたのでね」
97:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:42:47 ID:SclZQjm4pU
「怖くは、なかったの」

「はい。倉田さんのいる場所に行くだけだと、思いましたから」

自分から問いかけた答えに、私は困惑する。

長峰君はまるで何でもないことのように、自然に紡ぎながらキィを押した。

「俺は貴女が大切なんですよ」

かさり、紙が擦れて音を立てる。

「長い時間をかけて、その種類は変わってしまっても、昔からずっと、今も、無条件にね」

時間は進んでいた。

きっと、自分が思う以上に。

私は取り残されたような気分で、パソコンに向かう後ろ姿を重ね合わせていた。
98:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:44:52 ID:o7726pFAMk
長峰君が来てから、どのくらい経つだろうか。

彼はすっかり事務所の景色に溶け込んで、てきぱきと働いてくれていた。

書類の整理だけではなく、利用者の案内や手続きもそつなくこなすので有難い。

憩のときは危なっかしくて見ていられなかったけれど、年齢の違いだろうか、長峰君には安心して任せられる気がする。

でも、と私は戒める。

彼を長いこと留まらせる訳にはいかない。

ここは本来境界で、決して留まるための場所ではない。

進むことも戻ることもできなくて、がんじがらめになるのが落ちだ。

そのことは、誰よりもよく、私が知っていた。
99:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:01 ID:YMPC7wApis
「……長峰君は、現世に行かないの?」

暫く経った頃、ふいに気になって尋ねると、長峰君は珍しく興味深そうに視線を上げた。

「随分と今更ですね」

「だって、すぐに手伝わせちゃったから」

忘れてたのよ、と私は口ごもった。

私にだって忘れることくらいあるのだ。

「良いんですよ、遺書とか完璧だし未練もないし」

むしろ行ったら、何故戻ってきたのか怒られそうだと笑う長峰君は、本当に構わないらしい。
100:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:38 ID:YMPC7wApis
本人が言うなら良いのだろうけれど、どこか腑に落ちない。

そんな私を見透かしたように、長峰君がギシと椅子を軋ませた。

「倉田さんは、行ったんですか」

現世に。と付け足して振り返る長峰君に、不意を突かれて思わず目をみはる。

長峰君は私と目が合うと、前よりも幾分か柔らかくなった目で、人懐こそうに笑った。

「……そうね、一年後くらいに。事務所の前任の人に勧められて戻ったわ」

利用者は来ない。

たまには昔を回想するのも良いだろう。

私はお茶でも淹れようと、長峰君に断って席を立った。
101:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:47:05 ID:YMPC7wApis
前任者は穏やかな老紳士だった。

ターミナルの神様について、教えてくれたのもその人だった。

「私が死んでからはね、成り行きでしばらく手伝いをしていたのだけれど」

給湯室から少し声を張って、長峰君に説明をする。

向こうは向こうで、かたかたとキィを打つ音が再び聞こえ始めていた。

「手伝い、ですか」

「ええ。お茶汲みや雑用、暇潰しの話し相手に」
102:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:48:20 ID:c.gYySYfy6
途中からちゃんとした仕事も教わったけれど、現世に行くまでは、ほとんど置いて貰っているに過ぎなかった。

思うに察してくれたのだろう。

絶対に死んだりしない、子供と生きるのだと、決めて頑張った結果がこれで、半ば自棄になっていた頃の私を。

「楽しかったわ。色んな話を聞けるし、良い経験ができた」

だから今もやってるのかもね、と私は茶葉を入れながら続ける。

こんな風に、人に自分のことを話すのはいつ以来だろう。

人の話はよく聞くけれど、その逆は、ほとんどなかったから。
103:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:49:04 ID:c.gYySYfy6
「それにしても倉田さんが来てたなんて……あ、俺に会いました?」

ファイルやら何やらを片付け始めて、長峰君が問いかける。

お茶がてらに、しっかり休憩を取るつもりらしい。

私は湯を注ぎながら、現世に降りた頃に見たやり取りで、小さく思い出し笑いをした。

「相変わらずだったわね、彰さんとも仲良さそうで」

「あー、やっぱり」

うわ恥ずかしい、と長峰君が頭を掻く。

私は懐かしさに目を細めて、温かいポットの縁を指で撫でた。
104:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:49:45 ID:c.gYySYfy6
「彰先輩とは長いことやってますよ、最近も見舞いに来てくれたし」

立ち直った長峰君は、楽しそうに数ヶ月前のことを話す。

私の知らない、あの頃よりもずっと未来の話だった。

「……彰さん、どうしてる?」

私はためらって、ポットを見つめたままで問いかけた。

正直に言うと、長峰君が来たときからずっと気になっていたことだ。

私ではない誰かと幸せになっていればいい、そう思うけれど、純粋に願えるかと尋ねられたら即答はできない。

怖くて聞けなかった質問。

それに長峰君は、あっさりと答えてしまった。
105:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:52:07 ID:VMnJaffQ7E
「相変わらず独身ですよ、ずっと」

「まだ?」

「まだ」

私は思わず給湯室から顔を出す。

長峰君は私と目が合うと、本当ですよと言ってペンを回してみせた。

「上司が縁談持ってきたりとか色々ありましたけど、全部やんわり断っていて」

愛されてますね、と長峰君が口端を吊り上げる。

私は複雑な気持ちでマグカップに紅茶を注いだ。

「息子さんが亡くなってから、すっかり小さくなっちゃいましたけど」

長峰君の話はまだ続く。

私は口を引き結んでカップ両手に歩み寄ると、静かに片付いた机の端に置いた。
106:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:52:59 ID:VMnJaffQ7E
「妻と息子を亡くして。つくづく不幸な人ですよね」

ありがとうございます、と長峰君がマグカップを取る。

椅子を引き寄せて向かいに座ると、長峰君は何を思ったか、ちらりと視線を上げた。

「そう言えば倉田さん、息子さん亡くなったのは……」

「知ってるわ。直接会ったもの」

そうですか、と長峰君が嘆息する。

私は言ってしまったことに困惑しながら、紅茶に口をつけた。

紅茶を淹れたのは失敗だったかもしれない。

いつもは人の話を聞く側なのに、逆の位置に置かれてしまったような気がして。
107:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:54:12 ID:VMnJaffQ7E
「たくさん、語ることがあったんでしょうね」

「……あまり」

にこり、目を細めた長峰君を、私は控え目に否定する。

聞かれたくない。

踏み込まれたくない。

あれだけ人の話を聞いておいて、自分は話したくないなんて、何て滑稽なんだろう。

「どうして」

「だって送り出さなきゃいけなかったの。語ったりしたら、情が湧いてそれどころじゃないわ」

私は冗談のように笑って、感情を奥に押し込めた。

無様な姿を見られる訳にはいかなかった。
108:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:54:55 ID:VMnJaffQ7E
「そこまでしなくては、いけなかったんですか」

でも長峰君は流してはくれなかった。

何故か強くなった口調に、視線を手元へ落とす。

優しいいつものミルクティ色が、たぷんと波打った。

「倉田さん、」

「……留まるべき場所じゃないの、そもそも。前任の人だって二年くらいで先に行ったわ」

私は観念して口を開いた。

「人生の終着点、境界、次へのはじまり。何処かと何処かの中間地点。長いこと留まって、良いことがあるはずない」

身動きが取れなくなって、きっと何処にも行けなくなる。

あの子をそんな状態にする訳にはいかなかった。
109:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:55:38 ID:VMnJaffQ7E
「じゃあ何で倉田さんはずっと、二十年以上もここにいるんですか」

長峰君が語気を荒げる。

私は核心を突かれて一瞬怯んだ。

「それは……だって今更、どうにも」

歯切れが悪いのを自覚しながら、せめてもの言い訳をする。

長峰君は気が抜けたように椅子にもたれ掛かった。

「……何か悩んでると思ったら、そういうことですか」

呆れたように深く溜め息をつく長峰君に、私は眉をひそめた。

一体何を言っているんだろう。

長峰君はマグカップの紅茶に口を付けると、ひとつ呼吸を置いて口を開いた。
110:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:56:13 ID:VMnJaffQ7E
「倉田さんが苦しんでることくらい、見てれば分かります」

「苦しんでなんか、」

反射的に否定するも、すかさず視線で遮られる。

これが生きていた時間の違いなのだろうか、言葉が上手く出てこない。

「長いこといるとどうなるか、俺は知りません。ましてそれが本当に悪いかどうかも」

長峰君が続ける。

私は黙って聞くことしかできなかった。

「でも、倉田さんは苦しそうだ」

長峰君はぽつりと呟くと、まっすぐに私を目で射抜いた。

「……先に進みたいんでしょう?」
111:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:58:15 ID:VMnJaffQ7E
私は先に、進みたかったんだろうか。

正面から見つめられることが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。

「俺に任せて進んでください」

重ねて長峰君が訴える。

それでも私は、まだ迷っていた。

「でも長峰君にとっても、ここは留まるべき場所じゃ」

「俺なんかより倉田さんでしょう」

あっさりと言い負かされて言葉に詰まる。

長峰君はマグカップを置いて、また口を開いた。

小さい子供をあやすように、穏やかな声だった。

「俺は要領いいから、ちゃんと二、三年でやめますよ」
112:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:59:57 ID:VMnJaffQ7E
だから心配要りません、と長峰君は言う。

私はどうにも居心地が悪くなって、皮肉を言うことにした。

「私は要領が悪かったんでしょうね」

「はは、そうなりますね」

動じない長峰君に、切ない気持ちになったのは何故だろう。

彼はからりと笑い飛ばすと、そのままの笑顔で告げた。

「多分俺は、貴女を助けに来たんです」

私は黙り込む。

長峰君は私よりも、ずっと大人になっていた。

「もう、楽になってもいいんですよ」
113:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:00:38 ID:VMnJaffQ7E
色んな人を、見送って。

私の番が来ることなんて、とうの昔に諦めていた。

前に進む人たちの背中を眺めながら、何度息苦しさに目を伏せたことだろう。

進むことも戻ることもできずに、いつの間にか身動きがとれなくなっていた。

でも、もし、まだ許されるならば。

いいんだろうか、歪んでしまった私でも。

「……頼もしくなったわね」

肩の力を抜いてそう評価すると、長峰君はさも当然と言う風に胸を張った。

「二十二年経ちましたから」

「ふふ」
114:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:02:06 ID:2ho66zkJlw
赤ん坊が成人するまでの時間よりも、もっと長く。

私はきっと、檻の中に閉じ籠っていたんだろう。

「長峰君、テルミヌスって知ってる?」

私は最後の準備をすべく、長峰君に問いかけた。

「何ですか、それ」

「ターミナルの神様」

「は?」

長峰君の頭上に疑問符が浮かぶ。

私はそれが可笑しくて、にやつく顔で説明を始めた。

「古代ローマの神様で、国境や港町にいて、新しい場所に向かう旅人を見守ってるの」

「へえ、それは」
115:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:02:45 ID:2ho66zkJlw
長峰君が、興味深そうに相槌を打った。

「もしかしたらこの辺にも、いるかもしれませんね」

「いるもの。ここに」

「えっ」

さらりと電波発言をかますと、長峰君が分かりやすく困惑するのが面白い。

すっかり変わってしまったと思ったけれど、案外変わらないところもあるのかもしれない。

案内事務所の後任になる彼に、伝えるべきことは伝えた。

決意を固めなくてはいけない。

あの子がいつか言ったことを胸に抱いて、私は前を見据える。

「だからね、私は行くわ」
116:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:03:32 ID:2ho66zkJlw
「結さん」

ふいに長峰君が、私の名前を呼ぶ。

いきなりのことに振り向くと長峰君は、そんなに驚きましたか、と言って笑った。

「最後だから呼んでみたかっただけです」

年に似つかわしくなく、少しはにかんで長峰君がそんなことを言う。

しばらく経ってから次第にそれが面白くなって、時間差で私も吹き出した。

「記念に?」

「はい、記念に」

半ば開き直ったように宣言する長峰君が可笑しくて笑顔が零れる。

「……ありがとう、聖司君」
117:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:05:53 ID:YMPC7wApis
切符の手続きは、長峰君がしてくれた。

小さな紙切れをそっと握り締めて、私は慣れ親しんだ空間に別れを告げる。

愛おしい檻の中から、解放される気持ち。

あの子も同じ気持ちだったのだろうか。

離れたくなくて、悲しくて、悲しくて、でも行かなきゃいけなくて、行く先はしらじらと、眩しいほどの希望に満ち溢れていて。

「さようなら」

「……うん」

最後の別れを惜しんで、長峰君に手を振る。

さようなら優しい人、助けてくれてありがとう。

そして私は総合案内事務所を去った。
118:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:06:33 ID:YMPC7wApis
駅の雑踏を抜けながら、思う。

最後にあの子に言ったことは、紛れもなく私の真実だった。

終着点、境界、はじまりの場所。

私はこのターミナルを、守ることができただろうか。

一抹の不安に震える足を、叱りつけるように歩みを進める。

ずっと遠くにまっすぐに、いちばん奥のホームへと、白い通路を進んでゆく。

新しい場所へ、進むべきところへ。

たったひとつの道しるべを携えて。
119:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:07:06 ID:YMPC7wApis



この場所は終わらない。

恐れないで、大丈夫。

だって私は、ターミナルの神様なのだから。






番外編4:檻の中 おわり。
120:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 23:46:48 ID:Y8nUCKBzqA
長峰くんまで亡くなってたのか…。
何だかこうなると彰さんの現在が気になります。
長峰くんの話には出てきたけど、絶望しないで強く生きてくれてるんでしょうか…(´;ω;)

つC
121:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 23:58:23 ID:MILAMRGoUk
フオオオオオォォォォオオオ゚。・゚(´□`)゚・。゚
私も彰さん気になる…
122:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:17:02 ID:tbpDYj2bNQ
>>120
どうしても結さんを先に行かせてあげたかったので……(´・ω・`)
ターミナルには可哀想な人ばかり出さなきゃいけないので、書いててたまに辛いです。
彰さん了解しました!支援ありがとうございました。

>>121
ちょwww涙wwww
気になってくださってありがとうございます。彰さんは明日書きますね!



今日の更新は>>53さんリクエストの、葵ちゃんのその後です。
昨日リクエストを休憩させて貰った分、今日は昼間のうちに投下しますね。
ではいきます。
123:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:19:28 ID:V5t1TG2Qic
小学校の教師になりたい。

叶った夢は、予想以上に辛かった。

心も体もぼろぼろで、それでも生きなきゃいけなかった。

叶えた夢と彼を頼りに生きてきたのに、私の生涯は理不尽に終わらされて。

殺されてからは、復讐だけを支えに、心のバランスを保っていた。

しっかりしなくちゃいけない、身に染み付いた習慣が憎い。

長年の作り笑顔、表面ばかりが強くなり、中身は脆く朽ち果てた。

そんな私が支えを失ったら、一体どうなると言うのだろう。

限界なんて、とっくに超えていた。






番外編5:光の差すほうへ
124:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:00 ID:V5t1TG2Qic
握られた手は温かだった。

案内事務所を出てから、どれくらい経つだろう。

東京ターミナル駅の中央ホールを少し外れた、改札前の待ち合いスペースで、ぼんやりと自分の手首を見つめる。

現世に行ったときのことを説明しながら、つい思い出して握り締めた拳。

それを止めてくれたのは、受付の女性だった。

「痛かった、だろうな」

振りかざした腕を掴まえて、固く握り込んだ手のひらを開いてくれた。

少し伸びた爪が皮膚に食い込む感触を、私はまだ覚えている。
125:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:33 ID:V5t1TG2Qic
ぼんやりと、中央ホールを行き交う人達を眺める。

悲しみに暮れたり困惑している人ばかりかと思ったら、案外そうでもない。

中には和やかな笑顔で会話するお婆さんまでいた。

死というのは、本来静かに穏やかに受け入れるべきものかもしれない。

少しずつ、その日に向けて準備して、大切な人に別れを告げて。

私は違う。

本来ならもっと生きて、今は辛くても生き抜いて、そして最後の日には、穏やかにここへ来るはずだったのに。

それを奪ったあの子に、憎しみが湧いた。
126:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:59 ID:V5t1TG2Qic
なんて不公平な世界だろう。

私を殺したくせに、あの子は生きている。

一生罪を抱えるなんて綺麗事で、生きてゆくことができる。

妬ましい、なのに、会いに行ったときの光くんがよぎる。

何で君が傷ついたような顔をするの。

死ぬべきなのは、君だったんじゃないの。

「おねーさん、泣いてる?」

思考を遮ったのは、声変わりをする前の少年の声。

驚いて顔を上げると、目の前で首を傾げていたのは小学生ほどの男の子だった。

「隣いい?」

「……どうぞ」
127:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:21:30 ID:V5t1TG2Qic
否定するタイミングを失ってしまった。

珍しい、と思いながらも隣の席を勧める。

男の子は年齢にしては大人びた様子で、ありがとう、と言ってそこに座った。

他にも席は空いているのに、何故。

悶々と考えていると、それを察したのか、男の子は黒目がちなまあるい目で私を見上げてきた。

「おねーさん、お母さんに似てる」

その言葉に私は、思わず目をぱちくりとさせた。

「……お母さんに?」

「うん」
128:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:22:06 ID:V5t1TG2Qic
男の子はマイペースなようで、ぼんやりとした笑顔で辺りをゆっくりと見回していた。

のんびりとした空気に、こちらも少し気分が和らぐ。

本来子供は好きなのだ。

だからこそ、小学校の先生になったのに。

「お母さんはね、ぼくのこと嫌いなの」

「そうなの?」

「うん」

突然告げられた事実に、少し戸惑う。

当の本人は悲しむ様子もなく、ごく普通に、当たり前のように足をぶらぶらと揺らしていた。

「おねーさんは似てるのに、あんまり怖くないね」
129:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:22:43 ID:V5t1TG2Qic
Tシャツの袖から覗く腕に、痣。

虐待を受けた子供は、どこか浮世離れした子供が多い。

現実感をなくすことで、痛みから自分を守るのだと言う。

私はそんなことを思い出しながら、男の子の話を聞いていた。

「ぼくね、お母さんを喜ばせたかった」

男の子は、ふわふわとした笑顔のままで言う。

「ぼくがいなくなったら、お母さんは嬉しいかなって思ったの」

長椅子に深く座ると、床に足がつかないほどの小さな子供が。

「なのに、嬉しそうじゃないんだ」
130:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:24:22 ID:VMnJaffQ7E
「……なんでだろうね」

男の子が、不思議そうにこてんと首を傾げる。

満たされる訳がない。

虚しいだけで、誰も幸せにならないだろう。

それは自分にも言えることだと、心の奥底では、私も気付いていた。

「君のお母さんは、君のこと、きっと嫌いじゃなかったよ」

知らず、口を突いた言葉に、驚いたのは私だった。
131:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:24:56 ID:VMnJaffQ7E
再会した光くんは雰囲気や、顔つきも変わっていて、すぐには分からなかった。

俯いた表情はすさんでいて、曖昧な言葉の奥には痛みが滲んでいた。

家庭教師をしていた頃は、きらきらとした笑顔が眩しくて、そのまっすぐさが羨ましかった。

だから望みを、託して、別れたのに。

「じゃあぼく、もういいやあ」

男の子が満足したように笑う。

そして彼は長椅子から飛び降りると、ばいばいと手を振ってどこかに走り去った。
132:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:25:31 ID:VMnJaffQ7E
辛かった、苦しかった。

でも復讐できなかったのは、多分まだ、あの子を見限っていなかったから。

どれだけ甘いんだろう。

どれだけ損をしているんだろう。

それでも私は、きっと間違っていない。

「……あ、」

視界を横切った人に、思わず声を上げる。

呼び掛けに気付いて振り向いたのは、案内事務所にいた彼だった。

「尾上さん」

「こんにちは、ええと、」

「中谷です。中谷憩」
133:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:26:00 ID:VMnJaffQ7E
「……中谷君。この前は、どうも」

自分から声をかけたものの、年甲斐もなく大泣きしてしまった手前少し恥ずかしい。

何となくきまり悪くて小声で言うと、中谷君はいいえと優しく首を振った。

「今日は事務所じゃないの」

「はい。俺、クビにされちゃいました」

「えっ」

そんな軽いノリでと驚くと、中谷君が面白がっているように笑う。

「進むことに、決めたんです」

背中を押して貰った。

そう語る中谷君は少し寂しそうで、でも明るい顔をしていた。
134:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:26:31 ID:VMnJaffQ7E
「尾上さんは、どうされるんですか」

中谷君が尋ねる。

私は一瞬だけ言葉に詰まった。

理不尽に殺されて荒んだ気持ちで、成仏なんてできるはずがないと思っていた。

だけど、もしかしたら、今なら。

「……私も、前に行かなきゃならない」

思いを口に出してみると、中谷君は安堵したように、はい、と言った。

「結さんなら事務所にいますよ。切符を貰って、いちばん奥のホームに行くんです」
135:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:27:03 ID:VMnJaffQ7E
中谷君が事務所を指差す。

あの場所で私は泣いた。

あんなに感情を表に出したのは、久し振りだったかもしれない。

「ありがとう」

礼を言って、静かに微笑む。

あんな子供のような癇癪ではなくて、もっと穏やかな感謝を、今度は正直に表すことができるだろうか。

中谷君は満足したように頷くと、じゃあ、と言って軽く頭を下げた。

「さようなら」

「さよなら、……」
136:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:27:41 ID:VMnJaffQ7E
改札へ遠ざかる中谷君の姿を見送って、今後のことを考える。

まずはあの人に、謝りに行こう。

とても良くしてくれたのに、終始失礼な態度ではね除けてしまった。

そうしたら、さっきの男の子のことを話すんだ。

思ったことも全て、きっとあのときと同じ視線で聞いてくれるだろうから。

そして最後に、切符を貰おう。

今なら先に、行けるような気がした。

分かりきっていた、もう戻れないなら、私がすべきことはひとつだけ。

顔を上げて、もう一度前に進むんだ。






番外編5:光の差すほうへ おわり。
137:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/29(日) 15:50:34 ID:sI.hF1SVaE
ここ読んでるとミルクティーが飲みたくなる

ひととせさんのペースで無理せず書いてください

支援
138:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/29(日) 16:46:02 ID:0KNXJgXIeE
電車の中で読むんじゃなかった…(´;ω;`)

つCCCCC
139:🎏 53:2012/1/29(日) 20:09:30 ID:mTdLBohn9A
53ですが宮田さんと葵ちゃんのお話を書いてくださってありがとうございました!
とても気になっていたので切なくなりながらも読ませていただきました。
お二人だけでなく、全ての人の行く先が輝きで満たされていますように。
140:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:49:39 ID:VMnJaffQ7E
>>137
っ【ミルクティ】ソッ
支援ありがとうございます(´ω`*)ゆっくりやらせて頂きますね。

>>138
電車の中って落ち着きますよね。好きです。
支援ありがとうございました!

>>139
こちらこそ、リクエストありがとうございました。
読んで頂けてすごく嬉しいです。
それぞれに報われる未来が待っていますよう、作者としても願っています。



皆さん、たくさんのリクエストをありがとうございました。
番外編のリクエストはこれにて締め切らせて頂きます。
明日の更新が「ターミナルの神様」番外編の最後になります。

今日は>>120さん、>>121さんのご希望で彰さんのその後です。
ひとつの物語というより、明日の更新分への布石のような感じです。
では今日の更新に参ります。
141:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:51:39 ID:SclZQjm4pU
じりじりと照りつける太陽が肌を焼く。

見上げた空は鮮やかな青色をしていて、灰色の視界とのコントラストが眩しい。

蝉の声がけたたましく響く中、立ち上る線香の香りが鼻についた。

汗ばむ手のひらを合わせると、僕は静かに目を閉じる。

「長峰」

目の前に語りかけてもあるのは墓石だけで、誰も何も、答えてくれない。

「君まで先に、行ってしまうんだね」

責めても何にもならないことは、二十年以上前から知っていた。






番外編6:ピリオド
142:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:52:18 ID:SclZQjm4pU
献花の包装紙やライターをまとめて袋に入れると、僕は立ち上がる。

袋を片手に、桶をもう片方の手に持って、僕は長峰の墓を離れた。

毎年恒例の盆の墓参りに、彼の墓が加わったのは今年からだった。

皆、僕を置いて行ってしまう。

取り残された悲しみに嘆くことはあれど、生憎と至って僕は健康体。

こんなことなら誰かと再婚しておけば良かった、なんて冗談混じりに苦笑する。

結、君は妬いてくれるかい。

もう他の人と生きることなんて、できないのだろうけれど。
143:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:52:47 ID:SclZQjm4pU
山の斜面に作られた墓地は、坂道と段差が多い。

鬱蒼と茂る木陰を抜けて、墓石に溶け込む石造りの階段を上る。

この年になると、体力が落ちて長い上りはきつくなってくる。

荒くなる息を吐き出して見上げた道の先は、空に続いて、天国のように見えた。

同じ場所に、早く。

そう焦がれ始めたのは、憩が死んだ後くらいだろうか。

「おじさん」

墓地を出たところで会ったのは、息子の昔の恋人だった。
144:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:53:18 ID:SclZQjm4pU
墓所前のバス停に降り立った加奈ちゃんは、礼儀正しくぺこりと頭を下げた。

「加奈ちゃんか。墓参りに?」

「はい。うちのじいちゃんと、憩の」

彼女とまともに話したのは、憩が死んだ後だった。

皮肉なものだと思う、それまでも話は聞いていたけれど、肝心の息子がいなくなってから知り合うなんて。

「おじさんは、今帰りですか」

「うん、そう」

走り去るバスを気にしながら、ごく普通の会話を交わす加奈ちゃんの、精神が未だ不安定なのを僕は知っている。

とはいえ事故の後は、僕もなかなか酷いものだったけれど。
145:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:53:43 ID:SclZQjm4pU
「寂しくなるものだね、周りの人間が次々に亡くなってしまうと」

ふいにその頃の気持ちが蘇って口を開く。

先立たれた者同士、こんなに若い女の子だけれど、仲間意識があったのかもしれない。

加奈ちゃんは少し表情を曇らせて、そうですね、と呟いた。

「加奈ちゃんが娘になってくれたら良かったのにな」

馬鹿なことを言ってしまったと、僕は代わりに冗談を言う。

「養子縁組でもしますか」

「あ、それいいね。うちの子になるかい」

「あはは」
146:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:55:04 ID:wKwNii9EEI
ひとしきり笑った後で、加奈ちゃんの表情がふっと陰る。

「三年、経つんですね」

やはり話題を引きずっていたらしい。

「寂しいかい」

「少し」

控え目に肯定する彼女は、痛いほどに純粋だ。

悲しみは悲しみのままに、綺麗な思い出に昇華させることにも躊躇って。

でも僕よりも、ずっと若い。

「加奈ちゃん、君には未来がある」
147:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:55:35 ID:wKwNii9EEI
僕は彼女を見据えた。

ハンカチで汗を拭う加奈ちゃんが、僕に視線を戻す。

せめてこの子には、僕のようになってほしくないから。

「きちんと違う人と、幸せになりなさい」

彼女の叔父夫婦から聞いていた。

まだ気持ちが不安定で、荒れることがあるのだと。

今は笑顔でいても、人を近付けずに、心を閉ざしてしまっているのだと。

加奈ちゃんは、静かに僕を見上げていた。

「できません」
148:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:01 ID:wKwNii9EEI
加奈ちゃんはきっぱりと言い切ると、おじさんも同じでしょう、と続ける。

「じゃあ何で、おじさんはまだひとりなんですか」

責めているような口調だった。

僕は弁解するように、袋を持ったまま両手を上げてみせる。

「機会がなかったんだよ。この年で今更、というのもね」

立ち直るタイミングを逃してそのまま、ずるずると。

おかしな形に癒着した心を、今更切り離すのは苦痛を伴う。

もしちょうど良い人が現れて、僕の隣で生きると言ってくれたとして、果たして僕は満たされるだろうか。
149:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:26 ID:wKwNii9EEI
「僕はもう、いいんだよ」

生きている君が幸せになってくれたら、それで。

僕が笑うと、加奈ちゃんはまだ何か言いたげにしていた。

分かっていた。

だからこそ僕は言わせなかった。

「……行かなくていいのかい」

僕はわざとらしく加奈ちゃんを促す。

加奈ちゃんは恨めしそうに僕を睨むと、それでも素直にじゃあ、と会釈をして墓に向かって行った。

一方的にエゴを押し付ける僕を許してほしい。

バスが来るのを待ちながら、僕は小さく自嘲混じりの懺悔をした。
150:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:52 ID:wKwNii9EEI
今更変わることは、僕にはもう難しい。

過去を懐かしんで振り返ることしか、僕はできそうにない。

だからこそ、君に望みを託したんだ。

君がいつか救われたら、そのときが僕の終止符になるだろう。






番外編6:ピリオド
151:🎏 80:2012/1/30(月) 20:30:45 ID:6aJeFT4DVQ
亀レスすみません。
あ、と…部活等でしたら違うかもですね。
自分の師とは小説サイトで知り合いましたし。
すみません。

謝罪の意を込めて
つC
つ午後〇紅茶(ミルクティー)
152:🎏 120:2012/1/31(火) 01:51:02 ID:LzDSOngupQ
>>120です。
何気なく彰さんの現在が知りたいと言っただけだったのですが、まさかこんな理想的な形で番外編にしていただけるとは…ありがとうございます(*^-^*)

お礼にこれを…
つC
153:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 05:47:36 ID:LDvZZ1bmmI
彰さんリクエスト答えて頂きありがとうございます!
彰さん…ウオオン(´;ω;`)
ひととせさんのこね書き方好きですわ

加奈ちゃんは結局どうしたんだろう…
154:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 10:16:49 ID:rGeVyfef4c
なんというか、人が死ぬってのは
やっぱり寂しいものがありますね。

色々考えさせて貰いましたよ。

お礼に
つC
つリプ○ン(ミルクティー)
155:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:36:40 ID:99nh8st8DU
>>151
文章で特定されたらどうしようかと思っていましたw
ご丁寧にありがとうございます、どうかお気になさらないでくださいね。
支援と午後ティーご馳走様でした(´∀`*)

>>152
気に入って頂けたならよかったです(*´ω`*)
支援ありがとうございました!

>>153
書き方好いてくださってありがとうございます(*・∀・)誉めて頂くとすごく嬉しいものですね。
加奈については、今日の更新分で今から投下していきますね。

>>154
寂しいけれど、当たり前の普通のことだと思っています。
読んで、考えて頂けることはとても有難いです。ありがとうございます。
皆さんの差し入れでほかほかなんですが、結さん宛てだったら申し訳ないなあと今気付きました……wど、どうしよう



今日の話で、番外編は終了とさせて頂きます。
大変お待たせしました、>>21さんリクエストの、加奈と憩のその後です。
本編の数年後、加奈中心の物語になります。
では、参りましょう。
156:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:38:43 ID:o7726pFAMk
つむじがふたつある人は、頑固者なのだと言う。

私がそのことを教えると、彼はそんなことがある訳ないと拗ねていた。

それを見て、やっぱり頑固者だ、なんて。

記憶の中で永遠になった彼は、今も優しい匂いをさせて笑う。

どうなっても良いなんて嘘だ。

約束なんて守らなくて良かった。

ただ、傍に居てくれたら、それだけで良かった。

それなのに彼を、縛って縋って繋ぎ留めて、傷つけていたのは私の方だ。

ごめんね、憩。

もうその言葉が、届くことはないけれど。






番外編7:ターミナルの向こう
157:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:39:14 ID:o7726pFAMk
そんなことを思い出したのは、壮絶な痛みに耐えた後だからだろうか。

分娩室の中を慌ただしく人が行き来して、その騒音に頭がぼうっとする。

途切れがちの思考で、思い出すのは憩のこと。

彼との子供を残すことはできなかった。

あれから何年も経つというのに、まだ精神は不安定のままで。

私はこんなにも脆くて頼りない。

それでも私は、今日、母親になった。
158:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:39:43 ID:o7726pFAMk
「お疲れ様」

彼が濡れタオルを持った手を持ち上げて歩み寄る。

労るように額を拭われて、汗が滲んだままの肌にようやく気付いた。

「赤ちゃん、は」

「もうすぐ会わせてくれるって」

「そう……」

それを聞いて私は、少しだけ頬を緩める。

結婚したのは優しい人だった。

憩を忘れられずに癇癪を起こす私を、受け入れてくれた人だった。

彼に抱くのは、執着のない穏やかな感情。

この人となら生きて行けると思ったのは、事実で。
159:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:40:16 ID:o7726pFAMk
「これからは君のこと、ママ、って呼ぶべきなのかな」

からかうように笑う彼に、私もつられて笑いながら答える。

「いらないよ、まだ」

「いや、呼んでれば喋るかもよ」

「じゃああなたは、パパ?」

「うん」

くすくすと笑い合う幸せは、けれど純粋なものではなくて。

喜びから醒める度、思うのだ。

私が幸せになっていいのか、と。

執着して独占して全て奪っておいて、憩が死んだら捨てて自分だけ前に進むなんて。

死んだら終わり、どんなに嫌がっていたとしても、結局私だってその通りじゃないか。
160:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:40:47 ID:o7726pFAMk
寂しさを彼が埋め、一時的に満たされる。

我に返れば罪悪感と自己嫌悪、また癇癪を起こしてしまう。

そんな私を抱き締める彼に、安堵してしまう自分が嫌で、嫌で。

断ち切れない無限ループ。

いつになったら終わるんだろう、先が、見えないままにここまで来てしまって。

「……加奈、見てごらん」

飲み込まれそうになった私を、彼の声が引き戻す。

はっとして見上げると、彼がそっと指を差した。

「男の子ですよ」

助産師さんが告げる。

その手には、真白の布に包まれた赤ん坊が抱かれていた。
161:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:42:16 ID:ogjb0kC5Sw
慎重に、助産師さんから包みを受け取る。

生まれたばかりの命は、本当に小さい。

小さくて、でも、きちんと相応の重みがあった。

「可愛いね、こいつ」

パパだよ、なんて言いながら彼がおどけてみせる。

赤ん坊はまだ赤いくしゃくしゃの顔で、目を閉じたまま、何かを掴もうと手をのばした。

人間なんだ、こんなに小さくても。

私はただ赤ん坊を見つめる。

こんなに情けなくて駄目な自分にも、人の母親になることができたんだ。
162:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:42:41 ID:2ho66zkJlw
「この子、もう髪の毛生えてる」

彼が楽しそうに赤ん坊に手をのばした。

壊れないようにそっと指先で、その柔らかそうな顔に触れる。

「そういう子いますよ、ほら、後ろの方も」

失礼しますね、と言って助産師さんが布を少しだけずらす。

恐る恐る角度を変えて抱え直すと、見えなかった赤ん坊の頭頂部が見えた。

「――……、っ」

私は思わず息を呑んだ。

まだほわほわとして少ない髪の毛が、ぐるりと渦巻いた中に、つむじがふたつ。
163:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:43:19 ID:2ho66zkJlw
ここにいたんだ。

「……加奈?」

彼が不審そうに顔を覗き込む。

私は俯いたまま何かを言おうとして、けれど言葉の代わりに零れ落ちたのは涙だった。

「ここに、いたの」

震える声で、やっとのことでそれだけを言う。

記憶の中の面影も、声も、薄れていつか消えてしまうと思っていた。

でも、信じて良いのだろうか。

愛しい人の名残は、確かにこの腕の中に。

彼が私ごと赤ん坊を抱き締める。

柔らかな温もりに、ようやく家族になれるような気がした。
164:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:43:51 ID:2ho66zkJlw
「約束、守ってくれたね」

頬に伝うものはそのままに、精一杯の笑顔をつくる。

宙に彷徨う小さな手に、指先で触れると熱かった。

彼の力が、ふいに強くなる。

私は泣き笑いのままで、彼に頭を預ける。

触れた小さな手のひらは、しっかりと私の指先を握っていた。






番外編7:ターミナルの向こう おわり。
165:🎏 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 21:16:27 ID:UsgMXmcxGk
巡り巡って、また出会う。憩くんの魂の欠片は、加奈ちゃんが宿した小さな命に受け継がれたんですね。最後の最後に、それを願っていた私の心も救われました。

素敵な物語をありがとうございました(´;ω;`)
166:🎏 21:2012/1/31(火) 22:57:31 ID:AwAldihhsU
>>21です。
いやもう何と言っていいのか…ありがとうございます!!
感無量です!

憩くん、今度はどうか長生きして、お母さんのそばにいてあげてください…。

素晴らしい物語をありがとうございました。
167:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/2/1(水) 17:03:28 ID:VwxIAK9LCQ
>>165
こちらこそ、素敵な感想をありがとうございました。
納得がいく終わりになっていたら、幸いです。

>>166
大変遅くなってしまってごめんなさい。
赤ちゃんが完全に憩じゃないことは、多分加奈も分かっているだろうけど、きっと今度はよぼよぼのお爺ちゃんになるまで生きてくれると思います。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました(´∀`*)



ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!
これで本当の本当に終わりです。
蛇足だし、正直最初は削除依頼にしようと思ってたんですが、やっぱり保管庫でも良いでしょうか。
意外と色んな人が見てくださって、消すのが惜しくなってしまって……w
168:🎏 名無しさん@読者の声:2012/2/1(水) 19:10:37 ID:abfFXIg/oE
加奈ちゃんと同じ名前の物体ですこんにちは

今日やっと全て読ませていただきました

胸が締め付けられるってこういうことを言うんですね

体の水分が亡くなりましたどうしてくれるんですか
なんでこんなに切ないんですか
なんでこんなに愛おしいんですか
なんでこんなに、素敵な話を書いちゃうんですか

私の記憶に一生張り付けてやります
ずっとずっと
死んで誰かの魂の一部に溶け込んだってこの話に巡り会いにくるんだから


消すだなんて勿体無い恐れ多い



書いてくれてありがとう
169:🎏 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 00:54:53 ID:Kkh511QEhI
ターミナルの神様読めてよかったです
大好きだこの作品
お疲れ様でした (*´ω`)っ旦
170:🎏 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 09:53:14 ID:fUOS.dk1OY
泣けるな、コレ
CCCC
171:🎏 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 15:44:40 ID:bchkG597sg
素晴らしい作品でした。
本当にありがとうございました
読むたび涙が滲みます(´;∩;`)
ひととせさんの文章を読んでいたら自分も久しぶりに創作意欲を掻き立てられました!!(笑)
この作品に会えて良かったです。
172:🎏 ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/2/2(木) 19:22:13 ID:wPFCMzneoQ
>>168
本当に読みに来てくださったんですね(´ω`*)
あなたの言葉に、私もとても幸せな気持ちになりました。
伝えてくれて、ありがとうございます。

>>169
私も読んで頂けてよかったです。
ありがとうございました。

>>170
支援ありがとうございました(*゚ω゚)
泣いて貰えたならよかったです。

>>171
ありがとうございました。
そんな風に思って頂けて、すごく嬉しいです。
お互い良い作品を作っていきましょうね(´∀`*)



では、このスレは保管庫に入れて貰えるようお願いに行ってきますね。
素敵な読者さん方に恵まれて、すごく幸せな作品になったと思います。
読んでくださって、ありがとうございました。
173:🎏 真・スレッドストッパー:停止
停止しますた。ニヤリ・・・( ̄ー ̄)
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sage:


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