・この作品は「ターミナルの神様」の番外短編集です。
・ものすごく多大なネタバレを含んでいますので、本編を読まれていない方はご注意ください。
・本編同様作者はsage進行ですが、レスの上げ下げはご自由にどうぞ。
・蛇足です。ていうか補足です。無理して読む必要はありませんから、閲覧は自己責任でお願いします。
・蛇足です。
99: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:01 ID:YMPC7wApis
「……長峰君は、現世に行かないの?」
暫く経った頃、ふいに気になって尋ねると、長峰君は珍しく興味深そうに視線を上げた。
「随分と今更ですね」
「だって、すぐに手伝わせちゃったから」
忘れてたのよ、と私は口ごもった。
私にだって忘れることくらいあるのだ。
「良いんですよ、遺書とか完璧だし未練もないし」
むしろ行ったら、何故戻ってきたのか怒られそうだと笑う長峰君は、本当に構わないらしい。
100: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:38 ID:YMPC7wApis
本人が言うなら良いのだろうけれど、どこか腑に落ちない。
そんな私を見透かしたように、長峰君がギシと椅子を軋ませた。
「倉田さんは、行ったんですか」
現世に。と付け足して振り返る長峰君に、不意を突かれて思わず目をみはる。
長峰君は私と目が合うと、前よりも幾分か柔らかくなった目で、人懐こそうに笑った。
「……そうね、一年後くらいに。事務所の前任の人に勧められて戻ったわ」
利用者は来ない。
たまには昔を回想するのも良いだろう。
私はお茶でも淹れようと、長峰君に断って席を立った。
101: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:47:05 ID:YMPC7wApis
前任者は穏やかな老紳士だった。
ターミナルの神様について、教えてくれたのもその人だった。
「私が死んでからはね、成り行きでしばらく手伝いをしていたのだけれど」
給湯室から少し声を張って、長峰君に説明をする。
向こうは向こうで、かたかたとキィを打つ音が再び聞こえ始めていた。
「手伝い、ですか」
「ええ。お茶汲みや雑用、暇潰しの話し相手に」
102: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:48:20 ID:c.gYySYfy6
途中からちゃんとした仕事も教わったけれど、現世に行くまでは、ほとんど置いて貰っているに過ぎなかった。
思うに察してくれたのだろう。
絶対に死んだりしない、子供と生きるのだと、決めて頑張った結果がこれで、半ば自棄になっていた頃の私を。
「楽しかったわ。色んな話を聞けるし、良い経験ができた」
だから今もやってるのかもね、と私は茶葉を入れながら続ける。
こんな風に、人に自分のことを話すのはいつ以来だろう。
人の話はよく聞くけれど、その逆は、ほとんどなかったから。
103: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:49:04 ID:c.gYySYfy6
「それにしても倉田さんが来てたなんて……あ、俺に会いました?」
ファイルやら何やらを片付け始めて、長峰君が問いかける。
お茶がてらに、しっかり休憩を取るつもりらしい。
私は湯を注ぎながら、現世に降りた頃に見たやり取りで、小さく思い出し笑いをした。
「相変わらずだったわね、彰さんとも仲良さそうで」
「あー、やっぱり」
うわ恥ずかしい、と長峰君が頭を掻く。
私は懐かしさに目を細めて、温かいポットの縁を指で撫でた。
104: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:49:45 ID:c.gYySYfy6
「彰先輩とは長いことやってますよ、最近も見舞いに来てくれたし」
立ち直った長峰君は、楽しそうに数ヶ月前のことを話す。
私の知らない、あの頃よりもずっと未来の話だった。
「……彰さん、どうしてる?」
私はためらって、ポットを見つめたままで問いかけた。
正直に言うと、長峰君が来たときからずっと気になっていたことだ。
私ではない誰かと幸せになっていればいい、そう思うけれど、純粋に願えるかと尋ねられたら即答はできない。
怖くて聞けなかった質問。
それに長峰君は、あっさりと答えてしまった。
105: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:52:07 ID:VMnJaffQ7E
「相変わらず独身ですよ、ずっと」
「まだ?」
「まだ」
私は思わず給湯室から顔を出す。
長峰君は私と目が合うと、本当ですよと言ってペンを回してみせた。
「上司が縁談持ってきたりとか色々ありましたけど、全部やんわり断っていて」
愛されてますね、と長峰君が口端を吊り上げる。
私は複雑な気持ちでマグカップに紅茶を注いだ。
「息子さんが亡くなってから、すっかり小さくなっちゃいましたけど」
長峰君の話はまだ続く。
私は口を引き結んでカップ両手に歩み寄ると、静かに片付いた机の端に置いた。
106: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:52:59 ID:VMnJaffQ7E
「妻と息子を亡くして。つくづく不幸な人ですよね」
ありがとうございます、と長峰君がマグカップを取る。
椅子を引き寄せて向かいに座ると、長峰君は何を思ったか、ちらりと視線を上げた。
「そう言えば倉田さん、息子さん亡くなったのは……」
「知ってるわ。直接会ったもの」
そうですか、と長峰君が嘆息する。
私は言ってしまったことに困惑しながら、紅茶に口をつけた。
紅茶を淹れたのは失敗だったかもしれない。
いつもは人の話を聞く側なのに、逆の位置に置かれてしまったような気がして。
107: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:54:12 ID:VMnJaffQ7E
「たくさん、語ることがあったんでしょうね」
「……あまり」
にこり、目を細めた長峰君を、私は控え目に否定する。
聞かれたくない。
踏み込まれたくない。
あれだけ人の話を聞いておいて、自分は話したくないなんて、何て滑稽なんだろう。
「どうして」
「だって送り出さなきゃいけなかったの。語ったりしたら、情が湧いてそれどころじゃないわ」
私は冗談のように笑って、感情を奥に押し込めた。
無様な姿を見られる訳にはいかなかった。
108: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:54:55 ID:VMnJaffQ7E
「そこまでしなくては、いけなかったんですか」
でも長峰君は流してはくれなかった。
何故か強くなった口調に、視線を手元へ落とす。
優しいいつものミルクティ色が、たぷんと波打った。
「倉田さん、」
「……留まるべき場所じゃないの、そもそも。前任の人だって二年くらいで先に行ったわ」
私は観念して口を開いた。
「人生の終着点、境界、次へのはじまり。何処かと何処かの中間地点。長いこと留まって、良いことがあるはずない」
身動きが取れなくなって、きっと何処にも行けなくなる。
あの子をそんな状態にする訳にはいかなかった。
109: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:55:38 ID:VMnJaffQ7E
「じゃあ何で倉田さんはずっと、二十年以上もここにいるんですか」
長峰君が語気を荒げる。
私は核心を突かれて一瞬怯んだ。
「それは……だって今更、どうにも」
歯切れが悪いのを自覚しながら、せめてもの言い訳をする。
長峰君は気が抜けたように椅子にもたれ掛かった。
「……何か悩んでると思ったら、そういうことですか」
呆れたように深く溜め息をつく長峰君に、私は眉をひそめた。
一体何を言っているんだろう。
長峰君はマグカップの紅茶に口を付けると、ひとつ呼吸を置いて口を開いた。
110: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:56:13 ID:VMnJaffQ7E
「倉田さんが苦しんでることくらい、見てれば分かります」
「苦しんでなんか、」
反射的に否定するも、すかさず視線で遮られる。
これが生きていた時間の違いなのだろうか、言葉が上手く出てこない。
「長いこといるとどうなるか、俺は知りません。ましてそれが本当に悪いかどうかも」
長峰君が続ける。
私は黙って聞くことしかできなかった。
「でも、倉田さんは苦しそうだ」
長峰君はぽつりと呟くと、まっすぐに私を目で射抜いた。
「……先に進みたいんでしょう?」
111: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:58:15 ID:VMnJaffQ7E
私は先に、進みたかったんだろうか。
正面から見つめられることが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。
「俺に任せて進んでください」
重ねて長峰君が訴える。
それでも私は、まだ迷っていた。
「でも長峰君にとっても、ここは留まるべき場所じゃ」
「俺なんかより倉田さんでしょう」
あっさりと言い負かされて言葉に詰まる。
長峰君はマグカップを置いて、また口を開いた。
小さい子供をあやすように、穏やかな声だった。
「俺は要領いいから、ちゃんと二、三年でやめますよ」
112: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:59:57 ID:VMnJaffQ7E
だから心配要りません、と長峰君は言う。
私はどうにも居心地が悪くなって、皮肉を言うことにした。
「私は要領が悪かったんでしょうね」
「はは、そうなりますね」
動じない長峰君に、切ない気持ちになったのは何故だろう。
彼はからりと笑い飛ばすと、そのままの笑顔で告げた。
「多分俺は、貴女を助けに来たんです」
私は黙り込む。
長峰君は私よりも、ずっと大人になっていた。
「もう、楽になってもいいんですよ」
113: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:00:38 ID:VMnJaffQ7E
色んな人を、見送って。
私の番が来ることなんて、とうの昔に諦めていた。
前に進む人たちの背中を眺めながら、何度息苦しさに目を伏せたことだろう。
進むことも戻ることもできずに、いつの間にか身動きがとれなくなっていた。
でも、もし、まだ許されるならば。
いいんだろうか、歪んでしまった私でも。
「……頼もしくなったわね」
肩の力を抜いてそう評価すると、長峰君はさも当然と言う風に胸を張った。
「二十二年経ちましたから」
「ふふ」
114: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:02:06 ID:2ho66zkJlw
赤ん坊が成人するまでの時間よりも、もっと長く。
私はきっと、檻の中に閉じ籠っていたんだろう。
「長峰君、テルミヌスって知ってる?」
私は最後の準備をすべく、長峰君に問いかけた。
「何ですか、それ」
「ターミナルの神様」
「は?」
長峰君の頭上に疑問符が浮かぶ。
私はそれが可笑しくて、にやつく顔で説明を始めた。
「古代ローマの神様で、国境や港町にいて、新しい場所に向かう旅人を見守ってるの」
「へえ、それは」
115: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:02:45 ID:2ho66zkJlw
長峰君が、興味深そうに相槌を打った。
「もしかしたらこの辺にも、いるかもしれませんね」
「いるもの。ここに」
「えっ」
さらりと電波発言をかますと、長峰君が分かりやすく困惑するのが面白い。
すっかり変わってしまったと思ったけれど、案外変わらないところもあるのかもしれない。
案内事務所の後任になる彼に、伝えるべきことは伝えた。
決意を固めなくてはいけない。
あの子がいつか言ったことを胸に抱いて、私は前を見据える。
「だからね、私は行くわ」
116: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:03:32 ID:2ho66zkJlw
「結さん」
ふいに長峰君が、私の名前を呼ぶ。
いきなりのことに振り向くと長峰君は、そんなに驚きましたか、と言って笑った。
「最後だから呼んでみたかっただけです」
年に似つかわしくなく、少しはにかんで長峰君がそんなことを言う。
しばらく経ってから次第にそれが面白くなって、時間差で私も吹き出した。
「記念に?」
「はい、記念に」
半ば開き直ったように宣言する長峰君が可笑しくて笑顔が零れる。
「……ありがとう、聖司君」
117: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:05:53 ID:YMPC7wApis
切符の手続きは、長峰君がしてくれた。
小さな紙切れをそっと握り締めて、私は慣れ親しんだ空間に別れを告げる。
愛おしい檻の中から、解放される気持ち。
あの子も同じ気持ちだったのだろうか。
離れたくなくて、悲しくて、悲しくて、でも行かなきゃいけなくて、行く先はしらじらと、眩しいほどの希望に満ち溢れていて。
「さようなら」
「……うん」
最後の別れを惜しんで、長峰君に手を振る。
さようなら優しい人、助けてくれてありがとう。
そして私は総合案内事務所を去った。
118: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:06:33 ID:YMPC7wApis
駅の雑踏を抜けながら、思う。
最後にあの子に言ったことは、紛れもなく私の真実だった。
終着点、境界、はじまりの場所。
私はこのターミナルを、守ることができただろうか。
一抹の不安に震える足を、叱りつけるように歩みを進める。
ずっと遠くにまっすぐに、いちばん奥のホームへと、白い通路を進んでゆく。
新しい場所へ、進むべきところへ。
たったひとつの道しるべを携えて。
119: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 23:07:06 ID:YMPC7wApis
この場所は終わらない。
恐れないで、大丈夫。
だって私は、ターミナルの神様なのだから。
番外編4:檻の中 おわり。
120: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 23:46:48 ID:Y8nUCKBzqA
長峰くんまで亡くなってたのか…。
何だかこうなると彰さんの現在が気になります。
長峰くんの話には出てきたけど、絶望しないで強く生きてくれてるんでしょうか…(´;ω;)
つC
121: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 23:58:23 ID:MILAMRGoUk
フオオオオオォォォォオオオ゚。・゚(´□`)゚・。゚
私も彰さん気になる…
122: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:17:02 ID:tbpDYj2bNQ
>>120
どうしても結さんを先に行かせてあげたかったので……(´・ω・`)
ターミナルには可哀想な人ばかり出さなきゃいけないので、書いててたまに辛いです。
彰さん了解しました!支援ありがとうございました。
>>121
ちょwww涙wwww
気になってくださってありがとうございます。彰さんは明日書きますね!
今日の更新は>>53さんリクエストの、葵ちゃんのその後です。
昨日リクエストを休憩させて貰った分、今日は昼間のうちに投下しますね。
ではいきます。
123: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:19:28 ID:V5t1TG2Qic
小学校の教師になりたい。
叶った夢は、予想以上に辛かった。
心も体もぼろぼろで、それでも生きなきゃいけなかった。
叶えた夢と彼を頼りに生きてきたのに、私の生涯は理不尽に終わらされて。
殺されてからは、復讐だけを支えに、心のバランスを保っていた。
しっかりしなくちゃいけない、身に染み付いた習慣が憎い。
長年の作り笑顔、表面ばかりが強くなり、中身は脆く朽ち果てた。
そんな私が支えを失ったら、一体どうなると言うのだろう。
限界なんて、とっくに超えていた。
番外編5:光の差すほうへ
124: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:00 ID:V5t1TG2Qic
握られた手は温かだった。
案内事務所を出てから、どれくらい経つだろう。
東京ターミナル駅の中央ホールを少し外れた、改札前の待ち合いスペースで、ぼんやりと自分の手首を見つめる。
現世に行ったときのことを説明しながら、つい思い出して握り締めた拳。
それを止めてくれたのは、受付の女性だった。
「痛かった、だろうな」
振りかざした腕を掴まえて、固く握り込んだ手のひらを開いてくれた。
少し伸びた爪が皮膚に食い込む感触を、私はまだ覚えている。
125: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:33 ID:V5t1TG2Qic
ぼんやりと、中央ホールを行き交う人達を眺める。
悲しみに暮れたり困惑している人ばかりかと思ったら、案外そうでもない。
中には和やかな笑顔で会話するお婆さんまでいた。
死というのは、本来静かに穏やかに受け入れるべきものかもしれない。
少しずつ、その日に向けて準備して、大切な人に別れを告げて。
私は違う。
本来ならもっと生きて、今は辛くても生き抜いて、そして最後の日には、穏やかにここへ来るはずだったのに。
それを奪ったあの子に、憎しみが湧いた。
126: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:20:59 ID:V5t1TG2Qic
なんて不公平な世界だろう。
私を殺したくせに、あの子は生きている。
一生罪を抱えるなんて綺麗事で、生きてゆくことができる。
妬ましい、なのに、会いに行ったときの光くんがよぎる。
何で君が傷ついたような顔をするの。
死ぬべきなのは、君だったんじゃないの。
「おねーさん、泣いてる?」
思考を遮ったのは、声変わりをする前の少年の声。
驚いて顔を上げると、目の前で首を傾げていたのは小学生ほどの男の子だった。
「隣いい?」
「……どうぞ」
127: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:21:30 ID:V5t1TG2Qic
否定するタイミングを失ってしまった。
珍しい、と思いながらも隣の席を勧める。
男の子は年齢にしては大人びた様子で、ありがとう、と言ってそこに座った。
他にも席は空いているのに、何故。
悶々と考えていると、それを察したのか、男の子は黒目がちなまあるい目で私を見上げてきた。
「おねーさん、お母さんに似てる」
その言葉に私は、思わず目をぱちくりとさせた。
「……お母さんに?」
「うん」
128: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:22:06 ID:V5t1TG2Qic
男の子はマイペースなようで、ぼんやりとした笑顔で辺りをゆっくりと見回していた。
のんびりとした空気に、こちらも少し気分が和らぐ。
本来子供は好きなのだ。
だからこそ、小学校の先生になったのに。
「お母さんはね、ぼくのこと嫌いなの」
「そうなの?」
「うん」
突然告げられた事実に、少し戸惑う。
当の本人は悲しむ様子もなく、ごく普通に、当たり前のように足をぶらぶらと揺らしていた。
「おねーさんは似てるのに、あんまり怖くないね」
129: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:22:43 ID:V5t1TG2Qic
Tシャツの袖から覗く腕に、痣。
虐待を受けた子供は、どこか浮世離れした子供が多い。
現実感をなくすことで、痛みから自分を守るのだと言う。
私はそんなことを思い出しながら、男の子の話を聞いていた。
「ぼくね、お母さんを喜ばせたかった」
男の子は、ふわふわとした笑顔のままで言う。
「ぼくがいなくなったら、お母さんは嬉しいかなって思ったの」
長椅子に深く座ると、床に足がつかないほどの小さな子供が。
「なのに、嬉しそうじゃないんだ」
130: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:24:22 ID:VMnJaffQ7E
「……なんでだろうね」
男の子が、不思議そうにこてんと首を傾げる。
満たされる訳がない。
虚しいだけで、誰も幸せにならないだろう。
それは自分にも言えることだと、心の奥底では、私も気付いていた。
「君のお母さんは、君のこと、きっと嫌いじゃなかったよ」
知らず、口を突いた言葉に、驚いたのは私だった。
131: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:24:56 ID:VMnJaffQ7E
再会した光くんは雰囲気や、顔つきも変わっていて、すぐには分からなかった。
俯いた表情はすさんでいて、曖昧な言葉の奥には痛みが滲んでいた。
家庭教師をしていた頃は、きらきらとした笑顔が眩しくて、そのまっすぐさが羨ましかった。
だから望みを、託して、別れたのに。
「じゃあぼく、もういいやあ」
男の子が満足したように笑う。
そして彼は長椅子から飛び降りると、ばいばいと手を振ってどこかに走り去った。
132: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:25:31 ID:VMnJaffQ7E
辛かった、苦しかった。
でも復讐できなかったのは、多分まだ、あの子を見限っていなかったから。
どれだけ甘いんだろう。
どれだけ損をしているんだろう。
それでも私は、きっと間違っていない。
「……あ、」
視界を横切った人に、思わず声を上げる。
呼び掛けに気付いて振り向いたのは、案内事務所にいた彼だった。
「尾上さん」
「こんにちは、ええと、」
「中谷です。中谷憩」
133: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:26:00 ID:VMnJaffQ7E
「……中谷君。この前は、どうも」
自分から声をかけたものの、年甲斐もなく大泣きしてしまった手前少し恥ずかしい。
何となくきまり悪くて小声で言うと、中谷君はいいえと優しく首を振った。
「今日は事務所じゃないの」
「はい。俺、クビにされちゃいました」
「えっ」
そんな軽いノリでと驚くと、中谷君が面白がっているように笑う。
「進むことに、決めたんです」
背中を押して貰った。
そう語る中谷君は少し寂しそうで、でも明るい顔をしていた。
134: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:26:31 ID:VMnJaffQ7E
「尾上さんは、どうされるんですか」
中谷君が尋ねる。
私は一瞬だけ言葉に詰まった。
理不尽に殺されて荒んだ気持ちで、成仏なんてできるはずがないと思っていた。
だけど、もしかしたら、今なら。
「……私も、前に行かなきゃならない」
思いを口に出してみると、中谷君は安堵したように、はい、と言った。
「結さんなら事務所にいますよ。切符を貰って、いちばん奥のホームに行くんです」
135: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:27:03 ID:VMnJaffQ7E
中谷君が事務所を指差す。
あの場所で私は泣いた。
あんなに感情を表に出したのは、久し振りだったかもしれない。
「ありがとう」
礼を言って、静かに微笑む。
あんな子供のような癇癪ではなくて、もっと穏やかな感謝を、今度は正直に表すことができるだろうか。
中谷君は満足したように頷くと、じゃあ、と言って軽く頭を下げた。
「さようなら」
「さよなら、……」
136: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/29(日) 15:27:41 ID:VMnJaffQ7E
改札へ遠ざかる中谷君の姿を見送って、今後のことを考える。
まずはあの人に、謝りに行こう。
とても良くしてくれたのに、終始失礼な態度ではね除けてしまった。
そうしたら、さっきの男の子のことを話すんだ。
思ったことも全て、きっとあのときと同じ視線で聞いてくれるだろうから。
そして最後に、切符を貰おう。
今なら先に、行けるような気がした。
分かりきっていた、もう戻れないなら、私がすべきことはひとつだけ。
顔を上げて、もう一度前に進むんだ。
番外編5:光の差すほうへ おわり。
137: 名無しさん@読者の声:2012/1/29(日) 15:50:34 ID:sI.hF1SVaE
ここ読んでるとミルクティーが飲みたくなる
ひととせさんのペースで無理せず書いてください
支援
138: 名無しさん@読者の声:2012/1/29(日) 16:46:02 ID:0KNXJgXIeE
電車の中で読むんじゃなかった…(´;ω;`)
つCCCCC
139: 53:2012/1/29(日) 20:09:30 ID:mTdLBohn9A
53ですが宮田さんと葵ちゃんのお話を書いてくださってありがとうございました!
とても気になっていたので切なくなりながらも読ませていただきました。
お二人だけでなく、全ての人の行く先が輝きで満たされていますように。
140: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:49:39 ID:VMnJaffQ7E
>>137
っ【ミルクティ】ソッ
支援ありがとうございます(´ω`*)ゆっくりやらせて頂きますね。
>>138
電車の中って落ち着きますよね。好きです。
支援ありがとうございました!
>>139
こちらこそ、リクエストありがとうございました。
読んで頂けてすごく嬉しいです。
それぞれに報われる未来が待っていますよう、作者としても願っています。
皆さん、たくさんのリクエストをありがとうございました。
番外編のリクエストはこれにて締め切らせて頂きます。
明日の更新が「ターミナルの神様」番外編の最後になります。
今日は>>120さん、>>121さんのご希望で彰さんのその後です。
ひとつの物語というより、明日の更新分への布石のような感じです。
では今日の更新に参ります。
141: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:51:39 ID:SclZQjm4pU
じりじりと照りつける太陽が肌を焼く。
見上げた空は鮮やかな青色をしていて、灰色の視界とのコントラストが眩しい。
蝉の声がけたたましく響く中、立ち上る線香の香りが鼻についた。
汗ばむ手のひらを合わせると、僕は静かに目を閉じる。
「長峰」
目の前に語りかけてもあるのは墓石だけで、誰も何も、答えてくれない。
「君まで先に、行ってしまうんだね」
責めても何にもならないことは、二十年以上前から知っていた。
番外編6:ピリオド
142: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:52:18 ID:SclZQjm4pU
献花の包装紙やライターをまとめて袋に入れると、僕は立ち上がる。
袋を片手に、桶をもう片方の手に持って、僕は長峰の墓を離れた。
毎年恒例の盆の墓参りに、彼の墓が加わったのは今年からだった。
皆、僕を置いて行ってしまう。
取り残された悲しみに嘆くことはあれど、生憎と至って僕は健康体。
こんなことなら誰かと再婚しておけば良かった、なんて冗談混じりに苦笑する。
結、君は妬いてくれるかい。
もう他の人と生きることなんて、できないのだろうけれど。
143: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:52:47 ID:SclZQjm4pU
山の斜面に作られた墓地は、坂道と段差が多い。
鬱蒼と茂る木陰を抜けて、墓石に溶け込む石造りの階段を上る。
この年になると、体力が落ちて長い上りはきつくなってくる。
荒くなる息を吐き出して見上げた道の先は、空に続いて、天国のように見えた。
同じ場所に、早く。
そう焦がれ始めたのは、憩が死んだ後くらいだろうか。
「おじさん」
墓地を出たところで会ったのは、息子の昔の恋人だった。
144: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:53:18 ID:SclZQjm4pU
墓所前のバス停に降り立った加奈ちゃんは、礼儀正しくぺこりと頭を下げた。
「加奈ちゃんか。墓参りに?」
「はい。うちのじいちゃんと、憩の」
彼女とまともに話したのは、憩が死んだ後だった。
皮肉なものだと思う、それまでも話は聞いていたけれど、肝心の息子がいなくなってから知り合うなんて。
「おじさんは、今帰りですか」
「うん、そう」
走り去るバスを気にしながら、ごく普通の会話を交わす加奈ちゃんの、精神が未だ不安定なのを僕は知っている。
とはいえ事故の後は、僕もなかなか酷いものだったけれど。
145: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:53:43 ID:SclZQjm4pU
「寂しくなるものだね、周りの人間が次々に亡くなってしまうと」
ふいにその頃の気持ちが蘇って口を開く。
先立たれた者同士、こんなに若い女の子だけれど、仲間意識があったのかもしれない。
加奈ちゃんは少し表情を曇らせて、そうですね、と呟いた。
「加奈ちゃんが娘になってくれたら良かったのにな」
馬鹿なことを言ってしまったと、僕は代わりに冗談を言う。
「養子縁組でもしますか」
「あ、それいいね。うちの子になるかい」
「あはは」
146: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:55:04 ID:wKwNii9EEI
ひとしきり笑った後で、加奈ちゃんの表情がふっと陰る。
「三年、経つんですね」
やはり話題を引きずっていたらしい。
「寂しいかい」
「少し」
控え目に肯定する彼女は、痛いほどに純粋だ。
悲しみは悲しみのままに、綺麗な思い出に昇華させることにも躊躇って。
でも僕よりも、ずっと若い。
「加奈ちゃん、君には未来がある」
147: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:55:35 ID:wKwNii9EEI
僕は彼女を見据えた。
ハンカチで汗を拭う加奈ちゃんが、僕に視線を戻す。
せめてこの子には、僕のようになってほしくないから。
「きちんと違う人と、幸せになりなさい」
彼女の叔父夫婦から聞いていた。
まだ気持ちが不安定で、荒れることがあるのだと。
今は笑顔でいても、人を近付けずに、心を閉ざしてしまっているのだと。
加奈ちゃんは、静かに僕を見上げていた。
「できません」
148: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:01 ID:wKwNii9EEI
加奈ちゃんはきっぱりと言い切ると、おじさんも同じでしょう、と続ける。
「じゃあ何で、おじさんはまだひとりなんですか」
責めているような口調だった。
僕は弁解するように、袋を持ったまま両手を上げてみせる。
「機会がなかったんだよ。この年で今更、というのもね」
立ち直るタイミングを逃してそのまま、ずるずると。
おかしな形に癒着した心を、今更切り離すのは苦痛を伴う。
もしちょうど良い人が現れて、僕の隣で生きると言ってくれたとして、果たして僕は満たされるだろうか。
149: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:26 ID:wKwNii9EEI
「僕はもう、いいんだよ」
生きている君が幸せになってくれたら、それで。
僕が笑うと、加奈ちゃんはまだ何か言いたげにしていた。
分かっていた。
だからこそ僕は言わせなかった。
「……行かなくていいのかい」
僕はわざとらしく加奈ちゃんを促す。
加奈ちゃんは恨めしそうに僕を睨むと、それでも素直にじゃあ、と会釈をして墓に向かって行った。
一方的にエゴを押し付ける僕を許してほしい。
バスが来るのを待ちながら、僕は小さく自嘲混じりの懺悔をした。
150: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/30(月) 19:56:52 ID:wKwNii9EEI
今更変わることは、僕にはもう難しい。
過去を懐かしんで振り返ることしか、僕はできそうにない。
だからこそ、君に望みを託したんだ。
君がいつか救われたら、そのときが僕の終止符になるだろう。
番外編6:ピリオド
151: 80:2012/1/30(月) 20:30:45 ID:6aJeFT4DVQ
亀レスすみません。
あ、と…部活等でしたら違うかもですね。
自分の師とは小説サイトで知り合いましたし。
すみません。
謝罪の意を込めて
つC
つ午後〇紅茶(ミルクティー)
152: 120:2012/1/31(火) 01:51:02 ID:LzDSOngupQ
>>120です。
何気なく彰さんの現在が知りたいと言っただけだったのですが、まさかこんな理想的な形で番外編にしていただけるとは…ありがとうございます(*^-^*)
お礼にこれを…
つC
153: 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 05:47:36 ID:LDvZZ1bmmI
彰さんリクエスト答えて頂きありがとうございます!
彰さん…ウオオン(´;ω;`)
ひととせさんのこね書き方好きですわ
加奈ちゃんは結局どうしたんだろう…
154: 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 10:16:49 ID:rGeVyfef4c
なんというか、人が死ぬってのは
やっぱり寂しいものがありますね。
色々考えさせて貰いましたよ。
お礼に
つC
つリプ○ン(ミルクティー)
155: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:36:40 ID:99nh8st8DU
>>151
文章で特定されたらどうしようかと思っていましたw
ご丁寧にありがとうございます、どうかお気になさらないでくださいね。
支援と午後ティーご馳走様でした(´∀`*)
>>152
気に入って頂けたならよかったです(*´ω`*)
支援ありがとうございました!
>>153
書き方好いてくださってありがとうございます(*・∀・)誉めて頂くとすごく嬉しいものですね。
加奈については、今日の更新分で今から投下していきますね。
>>154
寂しいけれど、当たり前の普通のことだと思っています。
読んで、考えて頂けることはとても有難いです。ありがとうございます。
皆さんの差し入れでほかほかなんですが、結さん宛てだったら申し訳ないなあと今気付きました……wど、どうしよう
今日の話で、番外編は終了とさせて頂きます。
大変お待たせしました、>>21さんリクエストの、加奈と憩のその後です。
本編の数年後、加奈中心の物語になります。
では、参りましょう。
156: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:38:43 ID:o7726pFAMk
つむじがふたつある人は、頑固者なのだと言う。
私がそのことを教えると、彼はそんなことがある訳ないと拗ねていた。
それを見て、やっぱり頑固者だ、なんて。
記憶の中で永遠になった彼は、今も優しい匂いをさせて笑う。
どうなっても良いなんて嘘だ。
約束なんて守らなくて良かった。
ただ、傍に居てくれたら、それだけで良かった。
それなのに彼を、縛って縋って繋ぎ留めて、傷つけていたのは私の方だ。
ごめんね、憩。
もうその言葉が、届くことはないけれど。
番外編7:ターミナルの向こう
157: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:39:14 ID:o7726pFAMk
そんなことを思い出したのは、壮絶な痛みに耐えた後だからだろうか。
分娩室の中を慌ただしく人が行き来して、その騒音に頭がぼうっとする。
途切れがちの思考で、思い出すのは憩のこと。
彼との子供を残すことはできなかった。
あれから何年も経つというのに、まだ精神は不安定のままで。
私はこんなにも脆くて頼りない。
それでも私は、今日、母親になった。
158: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:39:43 ID:o7726pFAMk
「お疲れ様」
彼が濡れタオルを持った手を持ち上げて歩み寄る。
労るように額を拭われて、汗が滲んだままの肌にようやく気付いた。
「赤ちゃん、は」
「もうすぐ会わせてくれるって」
「そう……」
それを聞いて私は、少しだけ頬を緩める。
結婚したのは優しい人だった。
憩を忘れられずに癇癪を起こす私を、受け入れてくれた人だった。
彼に抱くのは、執着のない穏やかな感情。
この人となら生きて行けると思ったのは、事実で。
159: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:40:16 ID:o7726pFAMk
「これからは君のこと、ママ、って呼ぶべきなのかな」
からかうように笑う彼に、私もつられて笑いながら答える。
「いらないよ、まだ」
「いや、呼んでれば喋るかもよ」
「じゃああなたは、パパ?」
「うん」
くすくすと笑い合う幸せは、けれど純粋なものではなくて。
喜びから醒める度、思うのだ。
私が幸せになっていいのか、と。
執着して独占して全て奪っておいて、憩が死んだら捨てて自分だけ前に進むなんて。
死んだら終わり、どんなに嫌がっていたとしても、結局私だってその通りじゃないか。
160: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:40:47 ID:o7726pFAMk
寂しさを彼が埋め、一時的に満たされる。
我に返れば罪悪感と自己嫌悪、また癇癪を起こしてしまう。
そんな私を抱き締める彼に、安堵してしまう自分が嫌で、嫌で。
断ち切れない無限ループ。
いつになったら終わるんだろう、先が、見えないままにここまで来てしまって。
「……加奈、見てごらん」
飲み込まれそうになった私を、彼の声が引き戻す。
はっとして見上げると、彼がそっと指を差した。
「男の子ですよ」
助産師さんが告げる。
その手には、真白の布に包まれた赤ん坊が抱かれていた。
161: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:42:16 ID:ogjb0kC5Sw
慎重に、助産師さんから包みを受け取る。
生まれたばかりの命は、本当に小さい。
小さくて、でも、きちんと相応の重みがあった。
「可愛いね、こいつ」
パパだよ、なんて言いながら彼がおどけてみせる。
赤ん坊はまだ赤いくしゃくしゃの顔で、目を閉じたまま、何かを掴もうと手をのばした。
人間なんだ、こんなに小さくても。
私はただ赤ん坊を見つめる。
こんなに情けなくて駄目な自分にも、人の母親になることができたんだ。
162: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:42:41 ID:2ho66zkJlw
「この子、もう髪の毛生えてる」
彼が楽しそうに赤ん坊に手をのばした。
壊れないようにそっと指先で、その柔らかそうな顔に触れる。
「そういう子いますよ、ほら、後ろの方も」
失礼しますね、と言って助産師さんが布を少しだけずらす。
恐る恐る角度を変えて抱え直すと、見えなかった赤ん坊の頭頂部が見えた。
「――……、っ」
私は思わず息を呑んだ。
まだほわほわとして少ない髪の毛が、ぐるりと渦巻いた中に、つむじがふたつ。
163: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:43:19 ID:2ho66zkJlw
ここにいたんだ。
「……加奈?」
彼が不審そうに顔を覗き込む。
私は俯いたまま何かを言おうとして、けれど言葉の代わりに零れ落ちたのは涙だった。
「ここに、いたの」
震える声で、やっとのことでそれだけを言う。
記憶の中の面影も、声も、薄れていつか消えてしまうと思っていた。
でも、信じて良いのだろうか。
愛しい人の名残は、確かにこの腕の中に。
彼が私ごと赤ん坊を抱き締める。
柔らかな温もりに、ようやく家族になれるような気がした。
164: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/31(火) 16:43:51 ID:2ho66zkJlw
「約束、守ってくれたね」
頬に伝うものはそのままに、精一杯の笑顔をつくる。
宙に彷徨う小さな手に、指先で触れると熱かった。
彼の力が、ふいに強くなる。
私は泣き笑いのままで、彼に頭を預ける。
触れた小さな手のひらは、しっかりと私の指先を握っていた。
番外編7:ターミナルの向こう おわり。
165: 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 21:16:27 ID:UsgMXmcxGk
巡り巡って、また出会う。憩くんの魂の欠片は、加奈ちゃんが宿した小さな命に受け継がれたんですね。最後の最後に、それを願っていた私の心も救われました。
素敵な物語をありがとうございました(´;ω;`)
166: 21:2012/1/31(火) 22:57:31 ID:AwAldihhsU
>>21です。
いやもう何と言っていいのか…ありがとうございます!!
感無量です!
憩くん、今度はどうか長生きして、お母さんのそばにいてあげてください…。
素晴らしい物語をありがとうございました。
167: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/2/1(水) 17:03:28 ID:VwxIAK9LCQ
>>165
こちらこそ、素敵な感想をありがとうございました。
納得がいく終わりになっていたら、幸いです。
>>166
大変遅くなってしまってごめんなさい。
赤ちゃんが完全に憩じゃないことは、多分加奈も分かっているだろうけど、きっと今度はよぼよぼのお爺ちゃんになるまで生きてくれると思います。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました(´∀`*)
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!
これで本当の本当に終わりです。
蛇足だし、正直最初は削除依頼にしようと思ってたんですが、やっぱり保管庫でも良いでしょうか。
意外と色んな人が見てくださって、消すのが惜しくなってしまって……w
168: 名無しさん@読者の声:2012/2/1(水) 19:10:37 ID:abfFXIg/oE
加奈ちゃんと同じ名前の物体ですこんにちは
今日やっと全て読ませていただきました
胸が締め付けられるってこういうことを言うんですね
体の水分が亡くなりましたどうしてくれるんですか
なんでこんなに切ないんですか
なんでこんなに愛おしいんですか
なんでこんなに、素敵な話を書いちゃうんですか
私の記憶に一生張り付けてやります
ずっとずっと
死んで誰かの魂の一部に溶け込んだってこの話に巡り会いにくるんだから
消すだなんて勿体無い恐れ多い
書いてくれてありがとう
169: 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 00:54:53 ID:Kkh511QEhI
ターミナルの神様読めてよかったです
大好きだこの作品
お疲れ様でした (*´ω`)っ旦
170: 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 09:53:14 ID:fUOS.dk1OY
泣けるな、コレ
CCCC
171: 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 15:44:40 ID:bchkG597sg
素晴らしい作品でした。
本当にありがとうございました
読むたび涙が滲みます(´;∩;`)
ひととせさんの文章を読んでいたら自分も久しぶりに創作意欲を掻き立てられました!!(笑)
この作品に会えて良かったです。
172: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/2/2(木) 19:22:13 ID:wPFCMzneoQ
>>168
本当に読みに来てくださったんですね(´ω`*)
あなたの言葉に、私もとても幸せな気持ちになりました。
伝えてくれて、ありがとうございます。
>>169
私も読んで頂けてよかったです。
ありがとうございました。
>>170
支援ありがとうございました(*゚ω゚)
泣いて貰えたならよかったです。
>>171
ありがとうございました。
そんな風に思って頂けて、すごく嬉しいです。
お互い良い作品を作っていきましょうね(´∀`*)
では、このスレは保管庫に入れて貰えるようお願いに行ってきますね。
素敵な読者さん方に恵まれて、すごく幸せな作品になったと思います。
読んでくださって、ありがとうございました。
173: 真・スレッドストッパー:停止
停止しますた。ニヤリ・・・( ̄ー ̄)
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