・この作品は「ターミナルの神様」の番外短編集です。
・ものすごく多大なネタバレを含んでいますので、本編を読まれていない方はご注意ください。
・本編同様作者はsage進行ですが、レスの上げ下げはご自由にどうぞ。
・蛇足です。ていうか補足です。無理して読む必要はありませんから、閲覧は自己責任でお願いします。
・蛇足です。
2: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:16:20 ID:aLkl3hdfUg
ひとつの命と引き換えに、僕の妻はこの世を去った。
忘れ形見の赤ん坊は、日を追うごとに成長していく。
番外編1:二度目の秋の回顧録
3: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:17:10 ID:aLkl3hdfUg
終業時間まで、あと三十分。
時計に目をやりながら、忙しなくキィを叩く。
僕は急いでいた。
子供は親に預けてある。
普段も意識こそするけれど、必要なら残って処理をするだろう。
でも今日だけは、どうしても早く帰りたい理由があった。
「先輩気合い入ってますね」
「定時に帰りたいからね」
後輩の長峰が僕の手元を覗き込む。
僕は休むことなくペンを走らせながら答えた。
「子供の誕生日なんだよ」
「ああ、」
一歳の、と僕は少し笑う。
つまり今日は結の一周忌でもあった。
4: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:18:00 ID:aLkl3hdfUg
「もうそんなに経つんですね」
「そう、早いだろう」
長峰が懐かしそうに目を細める。
彼もまた結を大切に思っていたことを、僕は知っていた。
「倉田さん似の、可愛い息子さんでしたよね」
「そうだよ、うちの息子本当に天使。目元の感じとかますます結に似てきてさあ。あ、写真見る?」
「遠慮しときます」
すげなく断られて、僕は渋々定期入れを仕舞い直した。
全くつれない後輩である。
5: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:18:36 ID:aLkl3hdfUg
「ていうか長峰、結は中谷だからね。な、か、た、に」
「彰先輩のモノとは思ってませんよ?」
未だに結を旧姓で呼ぶ長峰に溜め息が漏れる。
結婚以来ずっと、長峰に呼び方を変える気配はない。
「僕の嫁なんだから、いい加減諦めてくれないかなあ」
「諦めましたよ、不倫という願望まで打ち砕かれた今では」
「そんなこと企んでたの!?」
物騒なことを言う長峰に思わず突っ込みを入れると、彰先輩それ終わらせなくていいんですかと冷静に指摘された。
6: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:19:11 ID:aLkl3hdfUg
「……も、いい。これ家でやってくるよ、今日は早引けさせて貰う」
息子が気がかりで集中なんてできない。
僕は書類を纏めると、さっさと帰り支度を始めた。
「諦めましたよこの人」
「悪いかい」
いーえ別に、と長峰がにやつく。
僕はあえて無視すると黙ってコートを羽織った。
「先輩の不良ー」
「君に言われたくない」
軽い言動の多い後輩を小突いて鞄を取る。
比較的自由な職場で良かったと思うのはこんなときだ。
7: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:21:32 ID:2ho66zkJlw
「煙草なんて吸ってるから結に振られるんだよ、禁煙しなよ?」
去り際にびしり、長峰に指を突きつける。
長峰は気に障ったようにつんと横を向いた。
「余計なお世話です」
「ていうか今度憩の前で吸ったらシメるから」
「あれはごめんなさいってば……」
ようやくきまり悪そうに縮こまった長峰に、僕は満足して踵を返す。
早く、早く会いに行かなくちゃいけない。
逸る気持ちを抑えるのが精一杯だった。
8: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:22:03 ID:2ho66zkJlw
冷たい空気が肌を刺す中、足早に家路を急ぐ。
おもちゃ屋の袋をしっかりと腕に抱えて、我が子のもとへ。
親に預けっ放しで父親らしいことも多くはしてやれない自分を、もどかしく思うこともある。
もう一年が経ってしまった。
そろそろ、これからのことを考えなくてはいけない。
「って言ってもねえ……」
僕は溜め息をついた。
歩き慣れた住宅地は人もまばらで、遠くから子供たちの遊ぶ声がする。
9: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:23:12 ID:V5t1TG2Qic
数日前に、子供には母親が必要なのだと人に諭された。
僕も大方そう思う。
母親がいなければまともな人間に育たないとは考えないけれど、いないよりはいる方がいいだろう。
これから先、親に頼りきりではいつかきっと無理が出る。
世話の問題もあるし、子供がいじめに遭うかもしれない。
「でもね、結」
僕は彼女に語りかける。
頭で分かっていても、上手くいかないものだね。
「僕はまだ、君が傍にいるような気がするんだ」
10: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:23:56 ID:V5t1TG2Qic
突然強い風が吹いて、落ち葉が舞い上がる。
「っ、うわ……」
僕は思わず腕で顔を庇った。
細めた瞳で、何事かと懸命に目をこらす。
視線の向こう、落ち葉の隙間から夕陽の逆光に照らされて、人の影。
あの頃と変わらない彼女の姿が見えたような気がした。
「――……っ」
声を、上げようとしたときにはもう、彼女の姿は掻き消えていて。
僕は暫く立ち竦んでいたけれど、やがて静かに目を閉じた。
11: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:24:41 ID:V5t1TG2Qic
君は今も、そこにいますか。
そこで変わらず、笑ってくれてますか。
僕は歩き出す。
おもちゃ屋の袋を握り締めて、光の差すほうへ。
もうすぐ家に着く。
扉を開けたらいちばんに、憩の顔を見に行こう。
結、僕はきちんと笑えています。
君の残してくれた命のお陰で、僕は今、幸せなんです。
番外編1:二度目の秋の回顧録 おわり。
12: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 16:29:06 ID:99nh8st8DU
皆様数日ぶりです、こんにちは。エピローグってスペル可愛いですよね。
考えていた後日談や設定をお蔵入りにするのは嫌だという、もったいない精神が暴走してスレを立ててしまいました。
長々とやるのも未練がましいので、短期でさくっと終わらせる予定です。
ターミナルを読んでくださった方で、余計なことを書かれたくない方以外は、暇潰しに覗いてくださると有難いです。
それと、書きたい話はあとふたつですが、他に何か読みたい話があれば書きますので何でもどうぞ。
なかったらなかったで普通にやりますが、あまりに短いと、何となくスレが勿体ないので……
では、もう暫くの間、よろしくお願いします(*゚ω゚)ノシ
13: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 16:37:56 ID:0Xtugb9Fpc
ひととせさん、乙です。昨日、本編読ませて頂いたところでした。余韻の残っている今、番外編をリアルタイムで見られるなんて…!これからも、ガンバって下さい。CCC
14: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 16:55:02 ID:6aJeFT4DVQ
番外編きたあああっ(´;ω;`)
ひととせさん、おつおつです!
テスト勉強なんてポイして見させていただきますっ
つCCCCCC
15: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 18:23:01 ID:8l/Duq4nXw
支援支援!!!
16: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 18:34:43 ID:dfHWUS6auQ
支援!!
これから書くつもりだったら
ごめんなさい。
尾上を殺してしまった男の子の心境、男の子側のストーリーが読みたいです。
17: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 20:04:25 ID:Fob/PLgz0E
全力支援!!
ついさっき本編読み終わった者です。
小説を食らいついたように貪り読んだのは久しぶりでした。
最近はめっきり本も読まなくなり、ネットで偶然こんな神様みたいな作品に出会えるとは!
エピローグ本当に楽しみにしてます!!!!
18: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 21:21:19 ID:o4SekG.7js
まだ……まだレス数が789も残ってただろぉぉぉぉぉぉぉがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
19: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 21:36:52 ID:wKwNii9EEI
>>13
読んでくださったんですか!(*゚∀゚)
支援ありがとうございます。こちらもリアルタイムで書きながら頑張りますw
>>14
ちょwwテスト勉強頑張ってwww
支援ありがとうございます!
>>15
支援ありがとうございます!頑張ります(´∀`*)
>>16
支援とリクエストありがとうございます!
正直すごく嬉しいです……あの話は、自分でももどかしいくらいに曖昧にしてしまったので……
全力で書かせて頂きますね(*´ω`*)
>>17
そんな風に読んで頂けたとは感激です!
これでまた、たくさん本を読んで貰えたら嬉しいなーとか(*・ω・`)
期待に応えられるよう頑張ります!支援ありがとうございました。
>>18
実はこういう訳なのです(´・ω・`)
http://llike-2ch.sakura.ne.jp/bbs/test/mread.cgi/ryu/1327088489/31
何にせよもう立ててしまったので、暫くはこのままやらせて頂きますね。
20: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/25(水) 21:51:54 ID:c.gYySYfy6
番外編なのにたくさんレスを頂けて、正直驚いております((;゚Д゚)))
これは物語が埋まらないようたくさん投下しろというお告げですね!
現在>>16さんのリクエストを書き始めています。
明日の投下までの進み具合で、葵ちゃんを殺した男の子の話を先にやるか、ある程度書き溜めのある結さんの話を始めるか決める予定です。
できれば男の子の方を先に書きたいけど……どうなるでしょうか、まだ分かりません。
リクエストはまだまだ言って頂ければ書きますので、よろしければどうぞ。
21: 名無しさん@読者の声:2012/1/25(水) 23:37:12 ID:tY/rtAmTLk
きのう本編読んだ所です!
ラストで画面が見えなくなりました(´;ω;)
まさかこんなにいいタイミングで番外編がくるとは!
リクエストなんですが、加奈ちゃんと憩くんのその後が知りたいです…特に加奈ちゃんは立ち直れたのか心配なので(;_;)
22: 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 05:26:41 ID:JrgEVdGhFo
支援っ(*´∀`*)っC
23: 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 10:45:24 ID:rGeVyfef4c
本編をずっとROMって見てました。
番外編という事で、楽しみにしてます
つC
24: 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 14:06:09 ID:v0sJxCq82Y
きゃあああああ!!
番外編きたああああああ!!!
待ってたよーヽ(*´∀`)ノ!!
一回見たらだだハマりしちゃって、大変だったんだから!!
もう毎日楽しみにしてる<●><●>
そのうちリクエストしたいなーなんて(・w・)ww
25: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:09:42 ID:o7726pFAMk
>>21
ありがとうございます(´∀`*)
加奈ちゃんと憩くん了解しました!
憩はあまり詳しく書きたくないので、加奈中心で行きますね。
実はこの番外編のラストはこれで締め括りたい、というのがあって、ちょうどそれに重なっているので、最後に書かせて頂きます。
どうか気長にお待ちください(*゚ω゚)ノシ
>>22
ありがとうございますっ(*´ω`*)っC
>>23
支援ありがとうございます。
ということは初書き込みでしょうか、有難いです、頑張ります!
>>24
支援ありがとうございます!(*゚∀゚)
だだハマりとは嬉しいことを……w
リクエストお待ちしていますね!
さて今日は、>>16さんリクエスト、葵を殺した男の子の話です。
鬱展開、流血表現注意です。殺すまでのエピソードですから全く救われません。後味悪いです。
苦手な方は気をつけてください。
26: ※鬱展開・流血表現 ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:12:51 ID:ogjb0kC5Sw
憧れたのはすっと背筋がのびた、姿勢の良い人だった。
「光くん、良く頑張ったね」
光と書いて、みつる。
記憶の中のあの人は、いつでも澄みきった声で小学生の僕を呼ぶ。
暖かい陽射しの中に座る午後、まだ幼い僕の部屋で算数を教わった思い出。
綺麗に整った文字を、眠たい目で眺めるのが好きで。
「光くん、君は」
別れの日にあの人が、最後に言ったこと。
「君だけは、正直でいてね」
番外編2:雨、満つる
27: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:15:21 ID:99nh8st8DU
僕の初恋は、家庭教師のお姉さんだった。
小学校の五年生、外で遊ぶのが好きで勉強をしなかった僕を見かねて、母さんが家庭教師をつけたのが始まりだ。
初めて見た葵さんは、居間で母さんと立ち話をしていた。
まっすぐで綺麗な立ち姿をしていると思った。
僕に気付くと、葵さんがすぐに向き直る。
「君が、光くん?」
「っ、うん」
「よろしく」
緊張で声が上擦る僕に、子供扱いするでもなく対等に挨拶をしてくれたことが嬉しかった。
28: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:16:16 ID:99nh8st8DU
二年ほどで辞めてしまったけれど、大切な人だったと僕は昔を回想する。
あれから僕の成績は上がり、家庭教師は必要がなくなった。
葵さんと別れてからも成績が落ちることはなく、やがて入った高校でも、僕の位置は変わらないまま。
優等生の高瀬君。
それが僕の肩書きだ。
誰にでも親切で、物静かで頼りになる自分。
それは確かに嘘ではないけれど、それ以外の自分も存在する訳で。
肩書きに相応しくない僕を押し込んで、表面ばかり嘘で塗り固めて過ごす。
そろそろ息が、詰まりそうだった。
29: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:17:14 ID:YMPC7wApis
そんなことを思いながら、僕は写真に目を落とす。
久々に大掃除をした押し入れの中に、紛れ込んでいたものだ。
葵さんが教えに来てくれた最後の日に、記念にと母さんが撮った写真。
きちんとした姿勢で座る葵さんの隣、僕は、満面の笑みでピースサインをしていた。
「……暢気、だな」
僕は机に写真を置いた。
いつか、葵さんの身長を追い越したら、また会いに行こう。
そう決めていた昔の自分が、ただ、眩しかった。
30: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:18:16 ID:SclZQjm4pU
成長するにつれ、正直に生きることは難しくなる。
押し込みすぎて心が軋む音、その不快さに耳を塞ぎたくなるときもある。
そんな時はいつも、あの綺麗にのびた背筋を思い出す。
記憶の中の葵さんを、頼りにして生きていた。
「光、ごみ袋は必要?」
母さんが部屋のドアを開ける。
僕は怠けていたのがばれてはいないかと、慌てて机から離れた。
「一枚くれる?」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
31: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:19:05 ID:SclZQjm4pU
母さんもどこかを片付けているらしい、エプロン姿ではたきを片手に、ごみ袋を僕に手渡した。
「捗ってる?」
「ぼちぼち」
「同じようなものね」
母さんが苦笑しながら、散らかった押し入れを眺めた。
そのまま視線を滑らして、ふいに机の上に目を止める。
「……その写真」
「ああ、」
僕は少し気まずい思いをした。
何となく深くは触れられたくなくて、言い訳めいたものを言う。
32: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:21:13 ID:VMnJaffQ7E
「偶然見つけてさ、さっき」
「懐かしい」
母さんがにこにこ笑いながら写真を手に取る。
僕は落ち着かない気分で、そうかな、と曖昧に応じた。
「そうよ、すごく良く教えて貰ったじゃない」
分かっている、だって忘れたことなんて一度も。
僕は何も言わなかった。
それをどう捉えたのか、はたまた気にしていなかったのか、ともかく母さんは思い出したように続けた。
「そういえば葵ちゃんね」
そして僕は硬直することになる。
「教員免許、取ったらしいわよ」
33: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:22:02 ID:VMnJaffQ7E
がたん、ごとん。
電車の音がいつもより、大きく響くような気がした。
学校帰りのいつもの電車とは、違う路線を今日は使う。
ふいに、会いたくなった。
葵さんが教員免許を取ったと聞いたら、何故か急に、どうしても。
年賀状の住所を頼りに、最寄り駅へ。
まだ人もまばらな電車の中で、吊り革につかまった腕に顔を隠した。
葵さんが僕だけの先生だなんて思っていないし、思ったこともない。
でも、葵さんが他の誰かに教えるなんて、想像したこともなかったから。
34: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:22:46 ID:VMnJaffQ7E
電車の窓に映る景色は灰色で、降り始めた雨がガラスを叩いていた。
僕は雨粒越しに流れる街並みを眺める。
連絡はしていない。
すぐに帰るつもりだった。
少し姿を見られたら、それで良い。
そう決めたのは、今の自分を見られたくなかったからかもしれない。
『……――駅、ご乗車、ありがとうございました、……』
到着を告げるアナウンスに、突然現実に引き戻される。
乗り過ごすところだった。
気を取り直して僕は、学生鞄を肩に掛け直しす。
しかしホームに降り立った途端、僕は不意打ちの衝撃を受けた。
35: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:24:07 ID:99nh8st8DU
葵さんがいた。
背中合わせに隣接したベンチの、その片方に座っている。
僕は動けなかった。
葵さんの隣には、知らない男が座っていた。
「……疲れてるな」
男が言う。
「まあ、ね」
葵さんは気だるそうに軽く頷くと、男の肩に凭れた。
やつれた顔、姿勢の良い家庭教師のお姉さんの面影は、ない。
線路に降りしきる雨の音は、ふたりの声を掻き消してくれなかった。
36: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:24:47 ID:99nh8st8DU
「無理とか、すんなよ」
震える足を動かして、恐る恐るふたりに近付く。
葵さんは体を預けたまま、弱々しい笑みを浮かべた。
「だってねえ、多少の無理はしなきゃ」
「そのうち死ぬぞ」
反対側のベンチに腰掛けると、すぐ近くで声が聞こえるようになった。
葵さんは疲れているらしい、それも結構深刻に。
聞いたところで僕に何ができると言うのだ、でも僕は、ふたりの会話に耳を澄ます。
「私、死んでもいいわ」
37: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:25:33 ID:99nh8st8DU
愛してる。
葵さんは多分、その意味を知っていたんだろう。
その意味を知っているのかどうか、一方で男は機嫌が悪そうな声を上げた。
「冗談に聞こえねえぞ」
「いいの、別に」
疲れているくせに、葵さんの口振りは楽しんでいるようだった。
顔を見られた、もう十分だ。
葵さんは疲れていて、でも傍には支えてくれる恋人がいる。
僕がここにいる必要はない。
でも、体が動かないのは何故だろう。
38: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:26:15 ID:99nh8st8DU
「しっかりするのはもう疲れた」
葵さんがぽつり、静かに零す。
「それなのに無意識に、何でもやろうとしちゃうの」
きびきびと動いて、何でもてきぱきこなしていた葵さんが思い出される。
母さんがお茶の用意を始めると、いつも自分から手伝っていた。
「一度頼られたら、もう弱音なんて言えないし、無理するためにいつも、我慢して」
泣きそうな声だった。
その声が自分に向けられないことが、酷く悔しかった。
知らない場所でずっと葵さんが苦しんでいたのに、僕はのうのうと、記憶の中の葵さんに縋ってばかりで。
39: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:28:21 ID:VMnJaffQ7E
「正直に生きていたことなんてない」
男は黙っていた。
葵さんが続ける。
「でも、まだ生きなきゃいけないの」
震える声、本当は死にたいと思っているようで。
電車の到着を知らせるアナウンスが、雨のホームに響いた。
僕は立ち上がる。
酷く惨めな気分だった。
会いに来たところで何かが変わるなんて、最初から思っていなかったけれど、落胆するしかない。
葵さんに対してか、自分へのものか、それは分からなくとも。
40: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:29:02 ID:VMnJaffQ7E
電車が滑り込むのと同時に、僕は乗車口に向かう。
気付かれないように、こっそりと。
しかし僕は、ベンチの背凭れに鞄を引っ掛けてしまった。
「あっ、」
がくんと体が引っ張られて、定期が地面に落ちる。
慌てて拾い上げると、そこで僕は葵さんと目が合ってしまった。
久々の再会、まともに見つめあうのは、何年振りだろう。
葵さんは隈のできた目を、猫みたいに大きく見開いていた。
41: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:29:39 ID:VMnJaffQ7E
ずっと焦がれていた、憧れた人。
会いたくて、会うのが怖くて、何もしないまま帰ろうとしていたのに。
僕は耐えきれずに口を開いた。
「……、葵さん、」
喉の奥から声を絞り出すと、葵さんはゆっくりと口を開く。
待ち望んだ声が、ようやく僕に向けられた。
「誰……?」
42: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:30:17 ID:VMnJaffQ7E
電車がやがて止まり、扉が一斉に開く。
僕は顔が熱くなるのが分かった。
定期を握りしめて身を翻す。
慌ててそこから逃げ出すと、僕は電車に駆け込んだ。
「待っ――、……」
扉が閉まる。
何か言いかけた葵さんの言葉が、そこで途切れた。
羞恥と屈辱で死にそうだ。
僕は自分の情けなさに、乱暴に目を拭った。
43: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:30:53 ID:VMnJaffQ7E
逃げたんだ、僕は。
葵さんは僕のことなんて覚えてなかった。
何度も思い出しては大切にしていた僕とは違って、葵さんにとって僕は、些細な存在だった。
「光くんは正直者だね」
くすくすと可笑しそうに笑う葵さんが、頭の中をちらちらとよぎる。
「君のそういう所、好きよ」
思い出すのは昔の記憶。
最後に会った日に、葵さんが言ったこと。
「どうか君だけは、正直でいてね」
44: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:32:40 ID:2ho66zkJlw
次にその駅へ行った日も、雨だった。
着古した黒いパーカーを羽織って、あの人を探す。
すらりと伸びた、綺麗な後ろ姿。
それが虚勢を張っているように見えたのは、話を聞いた後だからだろうか。
葵さんが歩く後を、僕はそっとついて行く。
人気のない場所まで、家にあったいちばん鋭い包丁を携えて。
葵さんは死にたそうだった。
もうあの人を、解放してあげなくちゃ。
45: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:33:07 ID:2ho66zkJlw
違う、と誰かが言う。
葵さんの後ろを歩く、僕の中で誰かがもがく。
そんなんじゃない。
僕は悔しかったんだ。
叫ぶ、叫ぶ、やめろって、僕の中の僕が言う。
体は言うことを聞かない。
知らない男といたのが、許せなかっただけなんだ。
葵さんが忘れていたのが、許せなかっただけなんだ。
あの人の中に僕を、刻み付けたいだけなんだ。
そんな我が儘を綺麗な理由に変えて、葵さんのためだって言い張りたいんだ。
46: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:33:32 ID:wKwNii9EEI
アパートの最後の階段を上る葵さんを、踊り場から見上げる。
鞄の中の鍵を探る立ち姿は綺麗だ。
葵さんの姿勢が崩れたのは、あの男の前だけだった。
頭がぼうっとする。
息が苦しくなって、心臓の音はうるさい。
包丁を握った指だけが、冷たいような熱いような、感覚が、遠くなって。
頭の中の声が、泣いているようにやめろと言う。
思い出したように足が震え始めて、僕は唐突に恐怖を覚えた。
47: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:34:13 ID:wKwNii9EEI
その瞬間、僕は見てしまった。
鍵を取り出した葵さんの指に、光るものがあるのを。
辺りは静寂になった。
雨音も心臓の音も、頭の中の声も、全てが断絶される。
僕はもう迷わなかった。
そっと彼女に歩み寄り、深々と包丁を突き立てる。
「――……っ、かは、」
もがく体、思っていたよりずっと細い腕が空を掴む。
柄がつくまで刺すと、じんわりと指が温かく濡れた。
48: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:34:44 ID:wKwNii9EEI
「葵さん、」
僕は呼び掛ける。
葵さんは答えずに、ただ扉に縋りついた。
最後までこの人は僕を見てくれない、なんて。
葵さんの体から力が抜ける。
包丁から手を離すと、葵さんはその場に崩れ落ちた。
生温い血溜まりがアパートの床に広がる。
気付けばパーカーの腹も、僕の手も、ぐっしょりと濡れそぼっていた。
むっとするような鉄の匂いの中で、僕は立ち竦んだ。
49: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/26(木) 18:35:25 ID:wKwNii9EEI
葵さん、僕は正直になりました。
脳が聴覚を取り戻し、雨音が辺りを包む。
倒れ伏した葵さんはそれでも、綺麗なままで。
僕はそっと耳を傾ける。
やっと正直になれた僕は、何故か僕の中ですすり泣いていた。
番外編2:雨、満つる おわり。
50: 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 18:43:32 ID:LDvZZ1bmmI
おぉう…(´;ω;`)
支援
51: 名無しさん@読者の声:2012/1/26(木) 23:42:52 ID:zmyX7GDdrI
加奈ちゃんと憩くんリクエストした者です!
もちろん、ダメと言われても最後まで読みます(* ´艸`)
そして前回忘れた分もCCCCCCCCCCCCCC
52: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 01:33:08 ID:y3sNj.M.C2
そういや旦那さんは奥さんも息子も死んでしまったんだよな…カワイソス…
53: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 01:44:14 ID:5KnGeuT2aU
つC
宜しければ宮田さんが現世に帰った時の話、
あれから葵ちゃんは前に進むことができたのか、を読みたいです…!
54: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 08:07:07 ID:puCzZCQDF6
>>16です!
ありがとうございました。
期待通りのお話で楽しかったです!
引き続きwktkしながら、話の続き待ってます(*´∀`*)
55: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:13:27 ID:SclZQjm4pU
>>50
支援ありがとうございます。
正直ドン引きされてないか戦々恐々だったので、あなたの書き込みに少し救われました(´∀`*)
>>51
たくさんの支援ありがとうございますw
お待たせして申し訳ないです……
では最後まで、しっかり書いていくことにしますね!(*゚∀゚)
>>52
多分彰さんは、この作品中ダントツで不幸な人だと思います……
しかも妻と息子だけじゃ終わらなうわ何するやめ(ry
>>53
支援とリクエストありがとうございます!
宮田さんと葵ちゃん了解しました。葵の方は明日以降書きますので、しばしお待ちくださいね(´ω`*)
>>54
期待通りですか!Σ(・ω・`ノ)ノ
暗すぎてしまったかと思いましたが、すごく安心しました……良かったです。
こちらこそリクエストありがとうございました!
今日の更新は>>53さんリクエストの、宮田のその後です。
仏教的な習わしなんかは調べ損ねたので、うっすい記憶を頼りに書いてます。
何かおかしい箇所があっても、優しい気持ちで胸に秘めて頂けると有難いです、すみません。
ちなみに我が家はカトリックなのに仏壇があります。不思議。
56: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:16:40 ID:o7726pFAMk
娘が手のひらを返したように辛辣になったのは、いつ頃だったろうか。
近付けば逃げられて、触れれば振り払われた。
思春期の娘なんてそんなものだろう。
そう分かっていても、腹立たしいことには変わらないのだ。
激務を終えてたまの休みに帰っても、汚らわしいものを見るような目に迎えられる。
手を上げようとすれば、必ず妻に止められる。
何もできず見下され続ける屈辱が、果たして分かるだろうか。
俺が死んだのは、そんな日のさなかだった。
番外編3:君の未来に祝福を
57: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:17:25 ID:o7726pFAMk
訳の分からない駅のような場所に飛ばされて、訳の分からない二人組に追い返されて。
それでも、結局は良かったかもしれない。
暫くは会社に滞在していたから、俺が自宅の前に立ったのは数日が経ってからだった。
社内は慌ただしかったが、そこまで混乱しているようでもなかった。
別の科から同じくらいの地位の人が入って、俺のするはずだったものを片付けていた。
玄関先で、表札を見上げる。
かれこれ何時間そうしていただろう。
宮田と書かれた下に、家族三人分の名前が並ぶ。
いつもと同じ佇まいの我が家のその表札から、俺の名前はもうすぐ消えるのだろうか。
58: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:18:17 ID:o7726pFAMk
急に玄関の扉が開いて俺はのけぞる。
妻が新聞を取りに、家から出てきたところだった。
「あっ、ぶな……」
危ないだろう、と怒鳴ろうとして気付く。
思わず上げた声に気付くこともなく、妻は新聞や葉書を眺めていた。
本当に死んでいるのか。
分かってはいたが、改めて突き付けられるとどうにも複雑だ。
気を取り直して開いた玄関から家の中に滑り込む。
ものに触れられないと分かってからも、どうしても壁を通り抜ける気分にはなれないのだ。
俺は幾日か振りの自宅に、足を踏み入れることになった。
59: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:18:53 ID:o7726pFAMk
埃っぽいことを除けば、部屋は綺麗に片付いていた。
妻は郵便物を持ったまま、居間の一角、遺影の置かれた棚の方に向かう。
遺影にはいつかの社内新聞で、広報に撮られた写真が使われていた。
急なことだったから、用意もしていなかった。
俺は妻の後について自分の遺影の前に座り込んだ。
「あなた、今日の新聞ですよ」
妻が遺影の前に新聞を置く。
口振りからして、毎日置いているようだった。
60: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:20:01 ID:SclZQjm4pU
「あなたってば、情報に遅れるって、うるさいんですもの」
俺は隣の妻を見つめる。
ふふ、と笑う妻の横顔はやつれていた。
最近では仕事ばかりで、ろくに家に戻ることもしなかった。
ずっと一人で、家を守っていたのだろうか。
少しの罪悪感が込み上げる。
俺は喉の奥から、何とか掠れた声を絞り出した。
「そんな所に置いても、俺が読めないだろう」
俺の声は妻に届くことなく、ただその場に落ちて、消えた。
61: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:20:38 ID:SclZQjm4pU
鍵の開く音が静寂を破る。
あら、と腰を浮かす妻の横で俺は身を硬くした。
娘が学校から帰ってきた。
玄関に向かうべきか迷う俺の横を、妻がぱたぱたと駆けてゆく。
「お帰りなさい、絵理」
「……ただいま」
絵理の声は不機嫌そうだった。
どうするべきか迷う俺をよそに、二人分の足音が近付いてくる。
「絵理、自分の部屋に行く前に」
「分かってるよ」
62: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:21:49 ID:wKwNii9EEI
顔をしかめた絵理が居間に入ってくる。
俺が身動きする暇もなく、絵理はまっすぐに遺影の前に座ると線香を取った。
意外だった。
流石に拒否することはないだろうと思ったけれど、普段は仏壇にも手を合わせない子だったから、余計に。
澄んだ鉦の音が、長く尾を引いて残る。
絵理は静かに目を閉じて合掌した。
「――……、」
絵理の唇が僅かに動いて、何かを言う。
俺がそれに気付いたときには、絵理はもう蝋燭を扇ぎ消して立ち上がってしまっていた。
63: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:23:53 ID:aLkl3hdfUg
「じゃあお母さん、私もう、部屋に行ってるから」
「ええ」
絵理が鞄を持って部屋を出る。
俺は少し迷って、絵理について行くことにした。
階段を上りながら思う。
娘の部屋に入るのは、一体何年振りだろうか。
少しませてきた頃にはもう、追い出されるようになっていた。
皮肉なことだ。
一度死なないと、娘の部屋に入ることすらできないのだから。
64: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:24:47 ID:aLkl3hdfUg
絵理は机の上に鞄を置くと、そのままベッドに沈み込んだ。
制服が皺になるだろう。
そう叱りたくても、この声が届くことはない。
絵理は動かない。
俺はぐるりと辺りを見回した。
まともに入ったのは絵理が小学生の頃以来だが、その頃よりも断然本が増えた。
分厚い参考書が立ち並び、壁には地図や暗記事項のメモが、机には書き込みの細かいプリントが無造作に置いてあった。
ちゃらちゃらしているだけだと思ったら、どうやら違うらしい。
手提げ鞄の口からは、付箋がびっしりと貼られた単語帳が覗いていた。
65: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:25:36 ID:aLkl3hdfUg
携帯のバイブが鈍い音を立てる。
絵理は気だるそうにポケットからそれを取り出すと、ろくに確認することもなく電源を切った。
「何で突然死ぬのよ……」
絵理が布団に顔を埋める。
俺はその様子を、黙って見下ろしていた。
「……金に困って、迷惑だったか」
静かに問いかける。
絵理に聞こえるはずもないが、それでも俺は続けた。
「お前を大学に行かせる金くらい、積み立ててある」
妻の妊娠が分かってから、毎月五千円。
普通の貯蓄とは別の絵理だけの口座に、どんなに厳しい月も、絶対に欠かさず振り込んでいた。
66: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:26:15 ID:aLkl3hdfUg
必死に勉強する理由も、勉強していたこと自体も知らなかった。
俺は娘の夢さえ知ろうとしなかった。
そんな奴に父親として威張る資格なんて、最初からなかったんだろう。
絵理が反発するのも当然だった。
「ずっと、苦しかったのか」
電源を切られた携帯電話を、眺めながら呟く。
会社での俺と同じように、学校で重なるストレスもあったのだろう。
親に当たらずにはいられなかったのかもしれない。
ただ、受け止めてやれば良かったのだ。
67: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:26:55 ID:aLkl3hdfUg
我慢できずに、俺は絵理の頭を撫でた。
案の定手のひらは透き通って、絵理に触れることはない。
そう、思ったのだが。
「お父さん……?」
絵理が弾かれたように顔を上げる。
信じられない、というような表情をしていた。
「お父さん?いるの、お父さんでしょ、出てきてよ」
俺は動けなかった。
起き上がって見回すも、絵理の視線は俺を素通りする。
68: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:27:37 ID:aLkl3hdfUg
いるだろう、ここに。
そう呼び掛けても、決して絵理の耳に届くことはない。
「出てきて、お願い」
ベッドを降りて部屋を見渡しても、絵理の目に姿が映るはずもなくて。
絵理の声が、次第に泣きそうに歪む。
立ち尽くす俺の目の前で、絵理は床に崩れ落ちた。
「おとうさん……っ」
69: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:28:12 ID:aLkl3hdfUg
自分が変われば、もう少しましな親子になれていたのかもしれない。
もう少し、互いを大切にできたのかもしれない。
もしそうだったら、将来、そんな時期もあったなと、笑い合える関係になれたのだろうか。
「絵理」
そんなことを考えるには、もう遅いけれど。
俺はもう一度絵理の頭を撫でた。
触れられなくても、この思いが少しでも伝わればいい。
「十分だ」
70: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/27(金) 21:32:53 ID:tbpDYj2bNQ
俺は立ち上がる。
この再会に、俺は満足していた。
望むことがあるとすれば、ひとつだけ。
俺は部屋を出る。
去り際に、すすり泣く絵理の姿が焼き付いた。
父さんにはもう何も、してやれることはないから。
幸せになれ、たったひとりの愛娘よ。
番外編3:君の未来に祝福を おわり。
71: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 21:58:11 ID:f4YQ0hqzzA
だめだ画面がみえん…
これからは父に優しくしたいな…ぐすん
素敵な作品をありがとう…!
つC
72: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 22:28:16 ID:oxe0cJ6A4M
目から汗が…(´;ω;`)
また他のエピローグがあればお願いします。
つC
73: 名無しさん@読者の声:2012/1/27(金) 22:47:04 ID:XB8fowyCj2
画面が見えない(´;ω;`)
ナイスな終わり方です!
つCCCCC
74: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 01:42:07 ID:5NcIsSSwMw
やばい涙が…(´;ω;`)
ほんとにひととせさんの書く文章大好きです(´;ω;`)(´;ω;`)
番外編が嬉しすぎる…(;_;)
感動しまくりです(T_T)
75: 74:2012/1/28(土) 01:42:49 ID:4bhoiYs27A
忘れてたあわわ
つCCCCC
76: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 03:29:37 ID:LzDSOngupQ
あぁもう画面がにじむ…(´;ω;`)
ターミナルを読むと、絶対に自殺とかいけないなって、自分が死んだら悲しむ人っているんだなって、思ってしまいます。
大事な人を悲しませないように、毎日を過ごそうという気になれる物語…。
ガチ感想文すみません。
そして(´;ω;)つC
77: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 10:56:43 ID:Le4E195ks2
涙が止まりません(´;ω;`)
人を引き込ませる文章、さらに飽きさせない内容、もう脱帽です
支援!!
78: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 12:29:40 ID:LdNAY8/3oM
うおーん(´;ω;`)
ターミナル大好きだ…支援
79: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 17:59:24 ID:Mn/3Knfxbg
SSで泣いたの初めてだ
80: 名無しさん@読者の声:2012/1/28(土) 18:41:59 ID:NX2Wz2rkgY
初支援
つC
自分の師に似た書き方で鳥肌たちました。違いますよね………?
本編、番外共に好きです。
蛇足だなんて思いませんよ?
むしろ、もっとやれ。状態ですwww
81: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:24:30 ID:YMPC7wApis
皆さん支援ありがとうございます!
>>71
どうかお父様に優しくしてあげてくださいw
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました(´∀`*)
>>72
心の汗ですねw
実は本編の後日談とか背景的なものは、メインふたりの分しか考えてないんです。
リクエスト頂いてから妄想を膨らませて即興で書くので、他のエピローグは基本的にないんですよね。応えられず申し訳ない……
指定さえ頂ければ書きますので、何でもどうぞ!
>>73
ナイスでしたら光栄です(*´ω`*)
なんか今回皆さんうるっと来てくださってて喜ばしいですね……w
>>74-75
文章好いてくださるんですか!なんかすごく嬉しいですありがとうございます(*ノωノ)
そういう風に言ってもらうと、ほんとに番外編やって良かったなって思います。
>>76
ガチ感想文本当に嬉しいです……!ありがとうございます!
悲しませたくない人がいるから生きる、すごく素敵なことだと思います。
本当はそんな消極的な理由じゃない方がいいんですけど、でも、本当に死にたくなったときに歯止めになるのは、悲しませたくない人だと思うのです。
82: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:25:37 ID:wKwNii9EEI
>>77
そんな言って頂くと照れちゃいます(*・ω・`)
でもすごく嬉しいです、このまま頑張りますね!
>>78
私はターミナル好いてくださってる>>78さんが大好きですよ……(´ω`*)
>>79
泣いてくださって、ありがとうございます。
こんなに作品を読んで色々感じて貰えるなんて、私は本当に幸せ者です。
>>80
もっとやれ頂きました(*・∀・)もっとやります!
部活で後輩の批評ならしてましたが、師なんて大層なものではありませんでしたよwww
もし気になられるようなら、雑談で呼び出して頂ければ確認に向かいますので、またそちらでお話ししましょう(*´ω`*)
本日は>>53さんリクエストの、葵ちゃんの後日談……をやろうと思ってましたが、生憎完成が間に合いませんでした(´・ω・`)悔しい
ですから、以前から考えていた結さんの話を代わりに投下しようと思います。
何せとことん長いので2日に分けて更新しようか迷いましたが、短期集中更新の勢いを落とす訳にもいかないので、最後まで一気にいきます。
では、今日の更新に参りましょう。
83: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:28:57 ID:c.gYySYfy6
あの子と過ごした数ヶ月は、私にとってかけがえのないものだった。
諦めていた夢は呆気ないほど簡単に実現して、当然のように同じ時間を共有した。
既に自分より体は大きく、母親だと告げることさえできなかったけれど、紛れもなくあの人の面影が残る、私の子供で。
幸せだった。
幸せだなんて、一瞬でも思って良いはずがなかったのに。
長いこと留まりすぎて、何かが歪んでしまったのかもしれない。
あまつさえあの子まで引き込みかけたのだ。
結局のところ、私はエゴの塊だった。
番外編4:檻の中
84: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:29:28 ID:c.gYySYfy6
「……倉田さん?」
突然名前を呼ばれて、私は顔を上げた。
しかも旧姓、こちらでは最初から中谷と名乗っていたから、久しく離れていた響きが新鮮だ。
窓口の前に立っていたのは見知らぬ中年の男性で、驚いたようにこちらを見ていた。
「やっぱり倉田さんじゃないですか、変わってない……」
「えっ」
「あ、俺のこと分かりますか?」
低めの聞きやすい声で話を進められて戸惑う。
急にそんなことを言われても。
85: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:30:00 ID:c.gYySYfy6
気を取り直して、相手の顔をまじまじと眺める。
私が現世を離れてからもう、二十年以上が経っていた。
ということはつまり。
「……あー、もしかして、長峰君?」
「正解です」
そう言って笑った男性には、確かに知り合いの男の子の面影が残っていた。
「驚いたわ。私より年下だったのに、すっかり立派になっちゃったんだもの」
「倉田さんは全く変わりませんね」
「そりゃまあ、死んでるからね」
そんな会話をしながら、私はささやかな懐かしさに浸る。
86: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:30:30 ID:c.gYySYfy6
長峰聖司君は彰さんの、つまり旦那の後輩だった。
年下だった彼に大きく年齢を追い越されるほどに月日は経ってしまったのだと、少し感慨深い。
「倉田さんが亡くなってから、二十……二年くらいですか。俺にも色々あったんですよ」
「分かるわ」
私は深く同意した。
「たくさんのことが、あったんでしょうね」
顔つきが随分と柔らかくなった気がする。
私の時間が止まっている間に、彼も成長したのだろう。
年齢を重ねて落ち着いた長峰君を眺めながら、自然と笑みが零れた。
87: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:32:03 ID:tbpDYj2bNQ
「倉田さんは、ずっとここに?」
長峰君が尋ねる。
私はええ、と短く肯定した。
「ここで案内事務所の仕事をしているの。利用者さんの手続きとか、細々としたことを」
基本的に仕事内容はずっと変わっていない。
訪れる人の案内をしたり、書類を処理したり、時には相談事に乗る。
私はこの仕事を気に入っていた。
自分も一度世話になったから、その恩返しの意味も込めて引き受けたものだ。
とはいえ。
「……大変そうな仕事ですね」
「やっぱり?」
88: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:32:46 ID:tbpDYj2bNQ
長峰君が指したのは、どっさりと机を占領した書類の山。
いつかに比べれば可愛いものだけれど、それでもかなりの存在感を放つそれは、最近では奥の棚にまで侵食していた。
「それ全部処理するんですか?」
「いや、処理したのよ。保管するにも場所がなくて置きっ放しなだけ」
「まさか全部紙媒体で……」
「あっはっは」
笑って誤魔化すと、長峰君が呆れたような目で私を見た。
さぞかし現世では、私には考えられないほどデジタル化が進んでいるのだろう。
いとも簡単にパソコンを操っていた子供の姿が、頭をよぎって、消えた。
89: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:33:25 ID:tbpDYj2bNQ
「流石にずっとこれじゃないわよ。二年くらい前にね、人に手伝って貰って全部データ化したわ」
ほら、と辛うじて覗くパソコンの画面を指差す。
埃を被ったそれは、触れるのがためらわれてずっと動かしていない。
「私、機械オンチなのよね。情けない」
やれやれと溜め息をついて首を振ると、長峰君は何でもないことのように自然に口を開いた。
「じゃあ、俺も手伝いましょうか」
「えっ」
私は思わず固まった。
それを一体どう解釈したのか、長峰君が続けて畳み掛ける。
90: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:34:05 ID:tbpDYj2bNQ
「タイプ速いですよ、俺。この年になるとそういう仕事も減りましたけど、これでもなかなか」
「ちょっ待って待って長峰君、ええー」
手のひらで長峰君を制しながら、私は慌てて言うべきことを考えていた。
思い出すのは、二年前のこと。
日ごとに、共に過ごすごとに手放すのが惜しくなって、別れることが難しくなった。
あのときに言い聞かせた相手は、他でもない私自身だ。
でも。
「……これが終わるまでの間、なら」
長峰君は、憩とは違う。
91: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:34:34 ID:tbpDYj2bNQ
せっかくの厚意だ、断る理由もない。
繰り返さなければ良いだけの話だ。
「お願いしても、いいかしら」
「勿論ですとも」
長峰君は少し皺の寄った顔で、柔らかく笑ってみせた。
確認する意味もあった。
繰り返さない程度には、きっと私もしっかりしているはずだから。
私は窓口を離れると、長峰君を招き入れるために事務所の扉に向かったのだった。
92: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:36:30 ID:SclZQjm4pU
長峰君が旧姓で呼ぶのを止めるタイミングを、私は結局見失ってしまった。
こちらに来る前から中谷姓に慣れていたはずなのに、倉田の名前が懐かしい。
思うに私は、妻になるにも母になるにも、生きている時間があまりに短すぎたのだ。
そんなことを考えたのは、一体何年振りだろう。
未練なんてものは、ずっと前に断ち切ったはずなのに。
「倉田さん、これはどこに?」
長峰君が打ち終わった書類束を抱えて立ち上がる。
私は椅子を回してそれを確認すると、棚の方を指差した。
93: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:37:48 ID:SclZQjm4pU
「とりあえず向こうに。ある程度溜まったら紐で括って廃棄だけど」
「了解です」
見た目は立派なおじさんの長峰君に指示するのは、何だか不思議な気分だ。
長峰君は比較的片付いた棚の一角に、素直に書類束を置いた。
「やっぱり多いんですね、ご老人」
憩の定位置だったパソコンの前に、座りながら長峰君が投げ掛ける。
私は記入されたばかりの用紙を順番に並べながら、ええ、と相槌を打った。
「これが地方だったら、もっと多いでしょうね」
「ああ、そうか」
94: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:38:25 ID:SclZQjm4pU
東京ターミナル駅と名が付くだけあって、そもそもの人口の関係だろうか、比較的色々な年齢の人がここには訪れる。
それにしたって、できれば若い人は、まだ来ない方が良いのだけれど。
「それにしても、長峰君も早死にしたわよね……」
「倉田さんほどじゃないですよ」
むっとしたように言い返す長峰君に、少しだけ安心する。
すっかり大人になってしまったようだけれど、変わらないところもある。
私は顔をにやつかせて長峰君に絡むことにした。
「なに、事故とか?」
「違いますよ、ただの病気」
長峰君は特に面白い反応もせずに、ごく自然に書類を取り上げながら言った。
95: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:39:31 ID:SclZQjm4pU
「肺がんになっちゃって、そのままポックリ」
「肺がん……、って、」
私は思わず立ち上がった。
すかさず長峰君が耳を塞ぐ。
「君まだ煙草やめてなかったの!?」
窓口の前を通った老婦人が、びくっと肩を震わせた。
「相変わらず声大きいですね倉田さん」
「誰が怒鳴らせたと」
老婦人にへこへこと頭を下げてから長峰君を睨み付ける。
長峰君はまあまあと両手を上げて私を制した。
96: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:40:16 ID:SclZQjm4pU
「流石に奥さんの妊娠中とかは控えてましたよ」
「控えるのどうのじゃなくて禁煙でしょ」
へらりと笑った長峰君に反省の色は見られない。
今さら言っても仕方ない。
私は肩の力を抜くと、細く長く息を吐き出した。
「全く……だからこんな早くに、こんな場所に来ちゃうのよ。家族が不憫だわ」
その言葉に長峰君が笑う。
柔らかくて落ち着いた、私にはできない顔だった。
「奥さんや子供には悪いと思ったけど、幸い準備する時間は残っていたのでね」
97: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:42:47 ID:SclZQjm4pU
「怖くは、なかったの」
「はい。倉田さんのいる場所に行くだけだと、思いましたから」
自分から問いかけた答えに、私は困惑する。
長峰君はまるで何でもないことのように、自然に紡ぎながらキィを押した。
「俺は貴女が大切なんですよ」
かさり、紙が擦れて音を立てる。
「長い時間をかけて、その種類は変わってしまっても、昔からずっと、今も、無条件にね」
時間は進んでいた。
きっと、自分が思う以上に。
私は取り残されたような気分で、パソコンに向かう後ろ姿を重ね合わせていた。
98: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:44:52 ID:o7726pFAMk
長峰君が来てから、どのくらい経つだろうか。
彼はすっかり事務所の景色に溶け込んで、てきぱきと働いてくれていた。
書類の整理だけではなく、利用者の案内や手続きもそつなくこなすので有難い。
憩のときは危なっかしくて見ていられなかったけれど、年齢の違いだろうか、長峰君には安心して任せられる気がする。
でも、と私は戒める。
彼を長いこと留まらせる訳にはいかない。
ここは本来境界で、決して留まるための場所ではない。
進むことも戻ることもできなくて、がんじがらめになるのが落ちだ。
そのことは、誰よりもよく、私が知っていた。
99: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:01 ID:YMPC7wApis
「……長峰君は、現世に行かないの?」
暫く経った頃、ふいに気になって尋ねると、長峰君は珍しく興味深そうに視線を上げた。
「随分と今更ですね」
「だって、すぐに手伝わせちゃったから」
忘れてたのよ、と私は口ごもった。
私にだって忘れることくらいあるのだ。
「良いんですよ、遺書とか完璧だし未練もないし」
むしろ行ったら、何故戻ってきたのか怒られそうだと笑う長峰君は、本当に構わないらしい。
100: ひととせ ◆EOQ3BRAmq.:2012/1/28(土) 22:46:38 ID:YMPC7wApis
本人が言うなら良いのだろうけれど、どこか腑に落ちない。
そんな私を見透かしたように、長峰君がギシと椅子を軋ませた。
「倉田さんは、行ったんですか」
現世に。と付け足して振り返る長峰君に、不意を突かれて思わず目をみはる。
長峰君は私と目が合うと、前よりも幾分か柔らかくなった目で、人懐こそうに笑った。
「……そうね、一年後くらいに。事務所の前任の人に勧められて戻ったわ」
利用者は来ない。
たまには昔を回想するのも良いだろう。
私はお茶でも淹れようと、長峰君に断って席を立った。
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