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猫又「聡依殿っ」
[8] -25 -50 

1: :2011/12/22(木) 21:41:43 ID:wu5lOnqMeM

初めてSSを書かせてもらいます。
一応江戸時代が舞台ですが、勉強不足なもので変なとこもあるかも。
そういうところは、SSだから!と広い心でスルーしてください。
幼稚な文で申し訳ないですが、そこもSSだから!とスルーしてください。
以上のことが大丈夫なイケメンであれば、最後までお付き合いください。

読みづらかったらごめんねっ!


2: 名無しさん@読者の声:2011/12/22(木) 21:43:25 ID:zTNCLrUT72
2ゲトズサー
っC
3: 名無しさん@読者の声:2011/12/22(木) 21:43:27 ID:Ztizk4nQHk
猫又とはww
なんと言う俺得ww
楽しみだww
つC
4: 名無しさん@読者の声:2011/12/22(木) 21:44:56 ID:7cMpp1kMaE
何故イケメンに限定したし
とりま支援
5: 1:2011/12/22(木) 21:45:46 ID:wu5lOnqMeM


結び主は人より妖に近い、と言う伝承は古くから伝わっている。
妖の姿を見ることはもちろん、触れること、話すこと、そして傷つけることができる。
彼らがただの霊力のあるものとは違うのは、この物の怪に触れ、傷つけることができることである。
その力を活かして彼らは物の怪と人の仲介役となり、時に話し合いで時には力づくで、人と物の怪の利害の一致をさせてきた。
そんな彼らは古代から「結び主」と呼ばれている。


草木も眠る丑三つ時。多くの店が立ち並ぶその中に、おおむら屋という小料理屋がある。
そこの一人娘であるお春は、布団の中で一人、恐怖と戦っていた。

彼女の目に映るのは、布団の上から自分に覆いかぶさり、今にも取殺さんとする髪をふり乱した女の姿――妖である。
お春は隣で眠る母を起こそうと、必死で手を伸ばそうとするが、妖の重さの所為か、はたまた恐怖の所為か、体は一向に動かない。
助けを呼ぼうとするも、喉に張り付いているのかのように、かすれた声しか出なかった。

6: 名無しさん@読者の声:2011/12/22(木) 21:47:42 ID:s9b2qli3Ck
私怨
7: :2011/12/22(木) 21:49:19 ID:wu5lOnqMeM

>>2>>3
支援さんくす!
>>4
なぜってそりゃ、イケメンだからさ

ビビッて手が動かないんだぜ……、ゆっくりやっていくわ。


 そんなお春に、妖は艶やかな笑みを浮かべながら囁く。

「あんた、あの男が憎いだろう?」

 あの男、と言われ、お春の脳裏に昼間のことが思い浮かんだ。
 恐怖に支配されていたはずの心が、違うことで痛みを訴え始める。そんなお春の顔を、妖は満足そうに見ていた。

「大丈夫だよ、あたしはあんたに悪さはしない。ただね、あんたがあんまりにも不憫だから、あの男に仕返しをしてやろうと思ったのさ」

何がおかしいのか、妖は袂で口を隠し、喉を鳴らして笑った。
お春の心から、恐怖が薄れていく。ただ、男が憎い、その思いがいっぱいに広がった。

「あんたは何にもしなくていい。あたしがあんたの代わりに、あの男を痛めつけてやるから」

こくっと、お春の喉が鳴った。

「それは……本当?」

先ほどどれだけ振り絞っても出なかった声が、拍子抜けするほど容易く出る。
お春はそれに驚くこともなく、真剣に女を見つめていた。

「あぁ、本当だよ。約束するよ」

妖は柔らかな笑みを浮かべる。お春は自分でも知らぬ間に頬を緩めていた。

「そんなら、お願い――」

にたり、と妖が笑う。それに答えるようにお春も笑った。
妖はお春に覆いかぶさり、その小さな桜色の唇を自分のそれで覆う。
ハッと驚き、目を見開いたお春は、そのまま眠るように目を閉じた。


8: :2011/12/22(木) 21:52:31 ID:wu5lOnqMeM
>>6 支援サンクス(・ω・)!

「聡依殿っ! 起きてくださいにゃっ」

 町外れの古ぼけた屋敷に、そんな声が響き渡った。
この屋敷はいったいいつからあるのか、町の誰に尋ねても首を傾げるという古いものである。
更に裏は鬱蒼とした山が広がっているのもあって、近所でも有名な妖屋敷として有名であった。
そしてその理由は、もう一つある。

「いい加減にしてくださいにゃああっ! 今日は、聡依殿が朝餉の当番でしょうっ」
 
布団を被り、まったく起き上る気配を見せない男を必死で揺り起こすのは猫。
茶色とこげ茶のトラ猫で、しっぽが2つに分かれている。世に言う、猫又である。

「うるさいなぁ……」

布団の中でしゃがれた声が猫又に返事をした。これは主を起こす機会だと猫又は、後ろでわちゃわちゃ遊んでいる家鳴りたちに加勢するように示す。
楽しいことが好きな彼らは、その後怒られるであろうことなど気にもせず、無邪気に布団に向かって突撃していった。

「あーっもうっ! うるさいっ! そろいもそろってっ!」

あっという間に家鳴りに埋まった男は、布団ごと家鳴りを引きはがしながらそう叫んだ。
むっくりと起き上り、猫又を睨みつける。

「やっと起きてくれましたねっ、聡依殿っ!」

猫又は目を輝かせ、嬉しそうに手を叩いた。

9: :2011/12/22(木) 21:54:18 ID:wu5lOnqMeM


不機嫌な男はそれをも睨みつけ、一言吐き捨てる。

「おはよう」

「おはようございますにゃっ」

皮肉めいた男の声音に全く気が付かず、猫又は陽気に挨拶を返した。


「大体ね、お前がいなかったら、私は朝も昼も夜も飯なんていらないんだよ、ネコ」

「だからそんなに痩せているんですよ。もっと体に気を配らないとにゃ」

「うるさいな。好きな菓子を好きなときに食い、好きなだけ寝られたら私はいつ死んだって困んないんだから」

 朝餉の準備をしながらぼやく男こと、聡依。それを手伝いながら、お小言を漏らす猫又は暁、という名前である。

「それに、お前がもっと使えたらなぁ。いっそ、女の妖でも嫁にもらおうか」

「にゃっにゃっ! 何を言うんですか、聡依殿おおっ」

「冗談だよ。ほら、これ運んで」

しっしっと、冷たくあしらう聡依に、猫又はむすっとした顔で言われた通りにお膳を運んで行った。

10: :2011/12/22(木) 21:56:22 ID:wu5lOnqMeM
 
この屋敷が妖屋敷と呼ばれるもう一つの理由、それはこの屋敷の主人自身にあったのだ。
まだ幼さを残す彼は、未だ18歳。
聊か、一人だけで広い屋敷に住むには若すぎるのだが、その理由も彼自身にある。
彼はここらでは有名な、緑青の「結び人」なのである。

そんな結び人の聡依だが、普段は特に何もしない。
先ほど自身で言っていたように、好きなときに大好物の菓子を食べ、好きなだけ眠り、たまに将棋や剣術を嗜んでいる。
まるで隠居した老人のような生活を送っているのだ。

聡依がそんな生活が送れるのも、彼が結び人であるということから来ている。
彼に来る結び人としての依頼に対する謝礼は、驚くほどのものであった。

と、あまり楽しい話でもないので聡依の話はこの辺で終わりにし、彼らの日常に再び目を向けることにしよう。


「そうそう聡依殿。今日みたいなことは、もう無いようにしてくださいね」

あまり食べる気がないのか、漬物やらを家鳴りにふるまっている聡依に、眉を顰めた暁はそう小言を漏らす。
彼の持つ茶碗にはもちろん鰹節がたっぷりとかかった白米が盛られていた。

「はいはい、わかりましたよ」

「朝餉を食いっぱぐれるようなことはごめんですからね」

「それにしても、ネコ。お前は特に働きもしない割に、随分と態度が大きいね」

もっともっと、とせがむ家鳴りを手で払いながら、ちらりと聡依が暁に目を向ける。
暁はさっと目をそらし、茶碗の飯をかっ込む。別にいいんだけどね、と聡依は苦笑を漏らし、お茶に口を付けた。

「洗い物は頼むよ、ネコ」

「わかりましたにゃ……」

茶碗から顔をあげた暁は、深いため息を吐いた。

そんな、いつもの朝のことだった。



11: :2011/12/22(木) 21:59:48 ID:wu5lOnqMeM


「緑青さまっ!!」

表を激しく叩く音とともに、聡依を呼ぶ声が屋敷に響く。
何事? と暁と聡依は顔を見合わせ、首を傾げた。
家鳴りたちはその騒ぎに驚いたのか、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。

「なんだろうねぇ、朝から」

「でなくていいんですか?」

「寝てることにしてしまおう。面倒だ」

ふわりとあくびをし、全く立ち上がる気のない聡依に、暁は眉を顰める。
聡依殿、と注意をしようと暁が口を開いたとき、

「緑青さまっ! お願いしますっ! 緑青さまっ、妹を助けてくださいっ」

聞える声が悲鳴にも似たものに変わり、流石に聡依も放っておけなくなったらしい。
うんざりとした顔で、面倒くさそうに立ち上がった。

「なんだい朝から……」

ぶつぶつと文句を言いながら、表に向かって歩いていく。暁はその背を追った。

聡依は土間で草履を履くと、引き戸を開け、そしてその先のまっすぐ門に向かっていく。
ドンドン、と激しく門をたたく音はやまない。
うるさいなぁ、と眉をしかめる聡依の顔を伺い、暁は片手で彼の足を慰めるように叩いた。

「どちらさま?」

門を開ける前に聡依が尋ねる。
これで気の狂ったお武家さまか何かだったら、死ぬかもしれないな、と丸腰の自分を見て聡依は笑った。

「おおむら屋の松之助と申します。お助けくださいっ」

おおむら屋には聡依も聞き覚えがあった。なかなか評判の良い小料理屋ということもあって、何度か足を運んだこともある。
ふむ、と顎に手を当て、聡依が思案していると、暁が勝手に門の閂を開けていた。

「おいおい、ネコ……」

呆れる聡依を他所に、暁は門を押す。門が開いていくにつれ、その声の主の姿が明らかになっていった。

「それで、私は何をすればいいですか?」

勝手に門が開いたと呆けている男に、聡依は呆れ顔で尋ねた。

12: :2011/12/22(木) 22:06:40 ID:wu5lOnqMeM

 おおむら屋の裏手口から中に通された聡依は、松之助の話を整理していた。

おおむら屋には子が二人いる。
跡取りとなる松之介と、近所でも美人と評判の妹のお春。流石の聡依もその名くらいは訊いたことがあった。

そのお春の様子が数日前からおかしいという。
様子が変わる前の日、随分落ち込んで帰ってきたと思ったら、そのまま寝入ってしまったそうだ。
その夜はうなされていたと隣で寝ていた女将が言っていたが、次の朝、特に変わった様子がなかったのであまり気に留めなかったらしい。
その夜から、お春は妙なことをするようになる。

「最初はただぼんやりしているだけだと思っていたんです。だけど、次第に何もないところに話しかけたり、うつろな目をするようになって。それに、急に化粧が濃くなったんです。今まではほとんどしない子だったのに」

両親はそういう歳ごろだと松之助の言うことに取り合ってはくれなかった。
しかし、お春の異変はそれで留まらなかった。次第に食欲がなくなり、床に臥せがちになってしまったのだ。

「そして最近じゃ、ほとんど部屋から出てこなくて……、あんなに活発だったのに」

そう言いながら松之助はふすまを開けた。暗い部屋の中には布団が引いてあった。
そしてこちらに背を向ける格好で横になる女が。

「お春、調子はどうだい?」

 松之助が声をかけるも、返事はなかった。噂では仲のいい兄妹だと聞いていたのに、と聡依と暁は顔を見合わせ、首を傾げる。

「緑青さまを連れて来たよ。お前の体も良くなるからね」

めげずに声をかける松之助を他所に、聡依はあるものをじっと見ていた。それはお春の枕元に転がる、櫛。

13: :2011/12/22(木) 22:09:25 ID:wu5lOnqMeM


「ネコ、あれには妙なのが付いているね。随分色っぽいよ」

「聡依殿っ! ふざけないでくださいにゃあっ」

小声で話す二人。松之助は不意に聡依と暁を振り返り、じっとその姿を見つめた。

「なにか、わかったでしょうか」

これだけで何を、と聡依は鼻で笑いたくもなったが、そのようなことをすると隣の妖がうるさいのでぐっとこらえる。
その代りに気になる櫛のことについて尋ねた。

「この櫛はお春さんが前から持っていたものですか?」

「はい、それは私がお春にあげたものでして……。まぁ、新しいものではないんですか」

「と、いうと」

「実は骨董市でたまたま見つけ、お春に良く似合うだろうと。それが、なにか?」

「いや、特に」

前から持っていたものなら、妖憑きでも問題はないだろう。まさか急に娘に憑きたくなった、というわけでもあるまい。
ならば、この櫛は関係ないか、と聡依は櫛から目をそらし、お春の方に目をやった。

「聡依殿、聡依殿。あの娘、人ならぬ物が入ってますよ」

「へえ、なんだろうねぇ」

興奮する暁を適当に相槌を打って流し、聡依はお春をじっと見つめた。
なるほど、暁の言うとおり、彼女の体には彼女自身以外にも誰かがいるようだ。

「緑青さま、妹は……?」

「まぁ、落ち着いてください。恐らくお春さんには何かが憑いているんでしょうねぇ」

「そっ、そんな呑気に!」

憑いている、という言葉に動揺した松之助は、しれっとしていう聡依に掴みかかった。
聡依はそれを邪険に払い、まぁまぁ、松之助を宥める。


14: :2011/12/22(木) 22:14:49 ID:wu5lOnqMeM

「聡依殿っ、聡依殿っ」

「なに、うるさいな」

 おおむら屋を出た二人は、屋敷に戻ろうと通りを歩いていた。
髷を結わない短髪の男に、その後ろをちょろちょろと歩くトラ猫。
その姿は人々の目を引いているのだが、二人はそんなことなど一向に気にならないらしい。

「珍しくやる気じゃないですかーっ。でも、本当に大丈夫なんですか?」

あんなにやつれてましたけど、と覗いていた頬がこけていた思い出し、暁は心配そうに眉を顰めた。
それとは逆に、いたって淡白な聡依はあくびをしながらつまらなさそうに答える。

「さぁ、知らない。今のとこは大丈夫なんじゃない」

「しっ、知らないって! 聡依殿っ! 無責任ですにゃっ」

騒ぐ暁など素知らぬ顔で、聡依は通りの饅頭屋などをちらちら覗いている。それを後ろからふくれっ面で睨む暁。

「聡依殿っ!」

「わーかったから。大丈夫だよ、あの様子じゃまだ死にやしないさ。大体あの妖の悪意は娘に向けられていたわけじゃないっていうのはお前にもわかっただろう? まだ大丈夫だよ」

「じゃあ時間をかけて調べ物でもするんですかにゃ?」

「まさか。帰って寝るよ」

饅頭屋から呑気に大福などを買っている聡依を、呆れた顔で暁は眺めていた。
これはだめだと、つい猫の姿なのも忘れて片手で自分の額を押さえる。

「ほら、帰るよ」

大福を受け取った聡依が暁に呼びかける。暁は聡依に駆け寄ると、その腕に飛び込んだ。

「自分で歩きなよ」

「疲れたんですっ」

「お前は私によく怠惰だとかいうけれど、自分こそそうなんじゃないか、まったく」

文句を言う聡依を他所に、暁は懐に入った大福のにおいを嬉しそうに鼻を動かし、味わっていた。


15: :2011/12/22(木) 22:19:57 ID:wu5lOnqMeM


宣言通り家につくなり寝ようとした聡依の邪魔をしたのは暁ではなく、彼の友人の清次であった。
清次はさも当たり前のように家に上がり、一人、縁側で将棋を指していた。

「いやいや、いつもあんたの遠慮のなさには驚くよ」

「おう! 珍しいな、出てるなんて」

呆れ顔で清次を見下ろす聡依の懐から、暁が大福の入った袋を咥え、飛び降りる。
それを見た聡依は、仕方ないかと清次の隣に腰を下ろした。

「今日店はどうしたの?」

「今日はな、爺さまの調子が悪くて休みだよ」

「爺さまの調子が悪いのに、孫は人の家で呑気に将棋ねぇ……」

眠たくて仕方がない聡依は、一言嫌味を言わなければ気が済まないらしい。
清次はそんな彼を笑い、呑気に茶をすすった。

清次は町はずれで祖父と貸本屋を営んでいる聡依の唯一の友人である。
年は聡依と同じなのだが、彼の成長がよかったのか、聡依があまり成長していないのか、清次の方が必ずと言っていいほど2つは年上にみられる。
だが、その性格は聡依以上に奔放なものだった。

「どうだ? 将棋でも」

「寝るからいい」

「つれないなぁ。折角遊びに来てやったというのに」

「どうせ暇つぶしだろう。あんたくらいだ、この家に遊びに来る物好きは」

妖屋敷と呼ばれるこの家も、清次にかかれは普通の家と何も変わらないらしい。
彼曰く、自分に見えないのだから何も関係ない、のだそうだ。

16: :2011/12/22(木) 22:26:54 ID:wu5lOnqMeM


「そうだ、せっかく来たのだし、面白い話でも聞かせてやろう」

「いいよ、いいよ。別に聞きたくない」

聡依がそう返した時、奥の方から暁が戻ってきた。
ちらっと台所の方を見ては聡依を見る。茶を用意したから、持って行けと。
その意図を読み取った聡依は、うんざりとした顔で立ち上がった。

ふすまの向こうにはきちんと盆にお茶と先ほど買った大福がお茶請けとしておいてあった。
後でのんびり食べようと思ったのに、と聡依はふすま越しに暁を睨みつける。

「おっ、悪いなぁ」

「うちじゃ主の意向に関係なくお茶が出てくるようになっているんだよね」

「便利だなぁ。この主じゃ誰が来てもお茶なんか出さねぁだろうしな」

清次の言葉に、もう帰れよと心の中で毒づいた聡依は、しぶしぶお茶を彼の隣に置いた。
大福に釣られたのか、わらわらと家鳴りたちがやってくる。
これじゃのんびり食べるなんて無理だな、と聡依はため息をつき、自分の大福をあきらめた。

17: 1:2011/12/22(木) 22:31:56 ID:wu5lOnqMeM


「で? 面白い話って何」

大福をちぎり、家鳴りたちにあげながら、聡依はそう尋ねた。
家鳴りに睨まれながらも呑気に大福にかぶりつく清次は、やっと聞く気になったかっと嬉しそうに目を輝かせた。

「お前、紅売りの吉兵衛って知ってるか?」

「知らない」

そっけない聡依の返事に、暁がにゃんと抗議するように鳴いた。
それを見て、清次は面白い猫だなぁと愉快げに笑う。

「そいつが急にいなくなっちゃったんだよ。まぁ、あんまりいい話の聞かないやつだったから、大方女にでも恨まれて逃げたんだろうって噂だったんだがな」

「ふうん。それがどうしたのさ」

「それがな昨日の晩に、吉兵衛が戻ってきたんだよ。それも骸骨見たくげっそりと痩せてな」

「修行でもしてたんじゃないの?」

呑気にそう返した聡依に、清次は眉をしかめる。なかなか乗ってこない相手に、話し手は少しつまらない様だ。

「バカ、そんなわけないだろ。それでな、みんながなんで急にいなくなったのかを訊くんだが、わけのわからないことを言うわけだよ」

「ふうん。大変だねぇ」

「つまんないなぁ、お前。もっとなんかないのか? それは何とかの物の怪が憑いているとか」

「見てもいないのにわかるわけないだろ。だけど、まぁ、その人が何かに憑かれているのは確かだけどねぇ」

最近はやけに憑かれる奴が多いな、と聡依は首を傾げた。
暁も何か思うことがあるのか、眉を顰めて考え込んでいる。

「じゃあじゃあ、憑かれたらどうなるんだ? あいつ、まるで死にそうなくらいやせ細っててさ、生気がまるでないんだ」

「あぁ、死ぬでしょ、それ。いなくなってから10日で、昨日帰ってきたんでしょう? もう手遅れだよ、たぶん」

「そうかぁ……」

妙にしょぼくれる清次に目を向け、聡依はまたも首を傾げた。
よほどの知り合いだったのだろうか、と思案を巡らせる。

そんな彼の太ももを、暁がポンポンと叩いた。なに? と片眉をあげると、暁がちらりと台所の方へと目配せをする。
清次はそんなことなど気にする方ではないのだが、一応暁としては気になるらしい。
仕方なしに聡依は暁を抱き上げると、清次に声をかけた。

18: :2011/12/22(木) 22:41:54 ID:wu5lOnqMeM

反応がないと怖いんだが……、だれかいる??


「悪いけど、ちょっと猫が煮干しを食べたいってうるさいから。まぁ、将棋でもしながら待っててよ」

そう告げると、聡依はそのまま台所の方へと足を運んだ。
無駄に広い屋敷である。縁側から台所はさほど遠くはないのだが、それでも十分に話し声は聞えなくなる。
囲炉裏にまで来たところで、聡依は暁をおろし、自身もその場にしゃがんだ。

「で? なに」

「聡依殿っ! 猫が煮干しってなんですかにゃっ。まるであっしが食いしん坊みたいじゃないですかっ」

「うるさいなぁ。大事なのはそこじゃないでしょ。なに、わざわざ」

ぶつぶつ文句を言う暁を宥め、聡依は話を促す。
暁はまだ不満そうな顔をしていたが、文句を言っても仕方がないと思い立ったらしく、ため息を一つ吐き、口を開いた。

「あの吉兵衛という男の話、なんだかお春さんのと似ていませんか? 似てるというのはちょっと違うかもしれませんが……」

「まぁ、言いたいことはわかるよ。確かにお春も吉兵衛も大体同じくらいから様子がおかしくなっているね。そして二人とも何かに憑かれている。関係ないって言いきるのは少し乱暴かもね」

 腕を組み、聡依は真剣な顔で頷く。それを見て珍しいな、と暁は聡依を見上げていた。

19: 1:2011/12/22(木) 22:51:39 ID:wu5lOnqMeM

「まぁ、逆に二人とも何かに憑かれているからって関係あるって言っちゃうのも乱暴だけれどね。まぁ、ゆっくり調べるさ。それが一番確実だろ?」

「でもっ、そんな時間あるんですかにゃ?」

「うーん、まっ、大丈夫だろ。なんとかなるさ」

気楽に笑う聡依とは対照的に、暁は不安そうに眉を顰めた。そんな暁の頭を、聡依は乱暴に撫でる。

「そんなに気になるなら一生懸命働いてよな、ネコ」

「はいですにゃ……」

なんだか腑に落ちない、と言う顔で暁は頷く。それを見て、聡依は楽しげに笑った。

その夜、聡依は屋敷の庭に顔見知りの妖たちを集めていた。
池には河童が顔を出し、ろくろ首や鵺、コボッチなど。大きいものではがしゃどくろまでいる。
どうやら久しぶりの招集に、彼らは興奮しているようだ。

「こんなにいたかね……」

困り顔の聡依の隣で、彼らを集めた暁はぐったりとしていた。
これだけの数の妖を集めるのは相当大変だったのだろう。
そんな彼らの隣では、いつものように家鳴りたちが楽しそうに声を上げている。

「聡の坊や! 今日は一体何の用で?」

妖たちを代表するようにひときわ元気な山童が聡依に尋ねた。
そろそろはじめないとね、と聡依は暁に向かって頷き、彼らをぐるりと見回した。

「今日は来てくれてありがとう。助かるよ」

聡依がそう声をかけると、妖たちは一気に湧きあがった。
皆が一斉に喋るので、全く何を言っているかがわからない。
またこれだよ、と聡依は軽くため息を吐く。見かねた暁が聡依の代わりに彼らに声をかけた。

「みんなで話しちゃ何を言ってるかわからないにゃっ! 発言はそうだにゃぁ……、じゃあ代表して太助さんに頼みます」

名指しされた太助は一瞬戸惑ったように暁を見返したが、わかったとすぐに頷いた。
太助は古くからこの屋敷に住みついている人の霊である。聡依によく三味線を教えているのはこの男だ。

「まぁ、いい人選なんじゃない」

この妖の中で一番落ち着いていると言っても良い太助を選んだのは賢明だろう。
褒められた暁は嬉しそうに聡依に向かってはにかんだ。

20: 1:2011/12/22(木) 22:54:31 ID:wu5lOnqMeM

「じゃあまず今回やってもらいたいことの説明をするから。黙って聞いて。まず東と西でやってもらうことを分ける。そう、ここから東と西にね。あぁ、獺は西でいいよ」

聡依は彼らの真ん中に立ち、腕で線引きをした。その腕の真向かいにいた獺が戸惑っているのを見て、微笑みかけた。

「東はおおむら屋のお春のことを調べてほしい。最近のことから少し前のことまで。生まれてから今まで云々まではいらないから、そうだな……今年に入ってからのことでいい」

東の連中は一斉に頷いた。それを確認し、聡依は西の方に向き直る。

「西は紅売りの吉兵衛について調べてほしい。これも今年に入ってからのことで十分だ。なるべく詳しくね。特に最近のことに関しては多い方がいいかな。私からはもうないけれど、何か質問は?」

 聡依がそう尋ねると、皆は一斉に太助の方を見た。太助は少し顎に手を当て考え、それからすっと片手をあげる。

「聡、二つあるがいいか?」

「いいよ。わかる範囲で答える」

聡依の答えに太助は一つ頷き、細く長い指を一本、立てた。

「一つ、お前がそんなことを知りたい理由は?」

「そいつは簡単。おおむら屋の若旦那からの依頼だよ。報酬はそれなりに頂くつもり」

その答えを聞き、太助は妖たちを振り返った。お前ら何かあるか? と聞いたつもりらしい。妖たちはそろって首を振る。

「単純明快でありがたい。それじゃあもう一つ。いつまでに調べればいいんだ?」

「なるべく早く。私は別にいいんだけれども、期限があった方がいい?」

太助は一度肩をすくめ、もう一度妖たちを振り返った。彼らは互いに顔を見合わせ、何やら話あっている。

「無くてもいいな。一番早くいい話を持ってきたやつが一番いいご褒美ってことでいいだろ?」

太助の言葉に妖たちは一斉に湧き立ち、何度も首を縦に振った。どうやら彼らは競争が好きなようだ。

「俺はもうないけれど、お前らなんか言いたいことはないか?」

太助が尋ねると妖たちはそろって首を振った。それを見て、太助は聡依に頷きかける。聡依もそれに頷いた。

「じゃあよろしく頼むね」

またも妖たちがそろって頷いたのを見て、聡依はまた軽やかに笑った。


21: :2011/12/22(木) 22:57:59 ID:wu5lOnqMeM


「家鳴り」

あれだけいた妖たちが皆帰いなくなった後、庭に残った家鳴りに聡依は声をかけた。
庭の隅で太助と話をしている暁にちらりと目をやり、こっそりと家鳴りに手を招く。

「お前たちに調べてもらいたいことがあるんだけど、いいかい?」

仲間外れにされていたと少し拗ねていた家鳴りたちが、嬉しそうに頷く。
それを見て聡依は家鳴りの頭を軽くなでて微笑んだ。

「ありがとう。これはさ、お前たちと私だけの秘密だからね? 誰にも言っちゃだめだよ」

秘密と言うのが嬉しかったのか、うんうんと何度も家鳴りたちが頷いた。

「お前たちにはお春さんの櫛を調べてもらいたいんだ。あれには悪霊ってわけじゃないけれど何かが憑いていて、少し気になる。できるかい?」

家鳴りたちはそろって頷いた。それを見て聡依も満足そうに頷く。

「お礼は弾むからね、なるべく早く。頼むね」

よし、行っといで。聡依がそう声をかけると、家鳴りたちはそろって駆け出した。
それを眺めている聡依に、後ろから声がかかった。

22: 1:2011/12/22(木) 23:10:37 ID:wu5lOnqMeM


「聡依、何を企んでいるんだ」

振り向くと古びた着物を身に着けた武士が立っていた。もちろん、生き人ではない。聡依は彼を見て笑い、首を振る。

「何言ってるの、藤次郎。私は何も企んでなんかいないよ」

藤次郎という武士は聡依の剣術の師匠であった。そしてこの裏の山に古くからいる住人の一人でもある。

「ならば、なぜ猫又や太助のいないところで家鳴りと話をするのか」

その問いに聡依は黙って肩をすくめて笑う。藤次郎は眉を顰め、腕を組んだ。
彼は一度何かを言おうとしたのか、口を開いたが結局何も言わずに口を閉じる。
聡依は彼が何も言わないとわかると、そのまま無言で屋敷の中に入って行ってしまった。

「あいつはなんというかなぁ……」

渋い顔でその背中を眺めながら呟く藤次郎。はぁ、とため息を吐き、星が灯る夜空をぼんやりと見上げた。



いったんお風呂に行ってくるノシ
23: 名無しさん@読者の声:2011/12/22(木) 23:16:37 ID:vqYJIrG4CE
乙です!

ちゃんと読んでるから心配しないでね!!

支援!!
24: :2011/12/23(金) 00:02:46 ID:wu5lOnqMeM

ただいも!ノ 

>>23
乙と支援ありがとう!!


 次の日も聡依は暁を従えて、おおむら屋にと向かった。昨日と同じように奥の部屋に通され、お春の背中と向き合う。

「お春さんはいつごろから口を利かなくなったんです?」

健気に声をかける松之助を見て尋ねると、彼はしばらく考えた後、ふと何かを思い出したような顔をした。

「そういえば、最初の方は返事だけでもくれました。それがいつの間にか何も言わず……、いや、いつの間にかじゃない、なにかあったはず……」

ここ一週間のこともろくに覚えていないなんて、こんな跡取りでおおむら屋は大丈夫かね、と聡依は皮肉っぽくため息を吐いた。
考え込むと周りが見えなくなるのか、松之助は聡依のことなど気にもせず、上の空で首をひねっている。
仕方なく松之助をあきらめ、聡依はお春の方に向きなおった。

「あなたに個人的な恨みはないけれど、頼まれた以上はこのままにしておくわけにはいかないんだ。悪いね。でも私は別にあなたを強引に引きはがそうとは思ってないよ。そう思っているんなら最初からお札なりなんなりをあなたにつきつけるさ」

 隣で暁がびくりと体を震わせた。お札によほど嫌な思い出があるらしい。
聡依はそれにちらりと目をやり、肩をすくめて、言葉をつづけた。


25: :2011/12/23(金) 00:08:30 ID:wu5lOnqMeM



「そのままだとあなたもお春さんも苦しい。あなたもそれはよくわかってるね? 私は何が一番いいかよく考えるから、あなたも良く考えてみてほしい。いつとは言わないけれど、次に会いに来る時まで、少しでもいいから考えてくれる? 今日はね、それを言いに来たんだ」

何も言わないお春の背中に聡依は微笑みかける。お春のその強張った肩が、少しだけ緩んだような気がした。

用事が済んだ聡依はもういい頃かと松之助を見ると、彼はまだ首をひねっていた。
よほどおつむが弱いのか、と呆れを通り越し、心配になってくる。

「松之助さん、」

それは思い出したらでいい、そう告げようとした時だった。

「松之助っ!」

鋭い声と共に襖が突然開かれた。驚いた暁が軽く飛び上がり、聡依の懐にと逃げ込む。
妖がそれでいいのか、と呆れながら、聡依は暁を抱きとめた。

「あんたっ! あれだけ言ったのに、また連れてきたんだねっ!」

まさに鬼の形相。怒り狂った女将が部屋の中に飛び込んできた。考え込んでいた松之助も驚いた顔で母を見上げる。


26: :2011/12/23(金) 00:21:50 ID:wu5lOnqMeM


女将はきりっと一つ松之助を睨みつけると、聡依の方を向いた。その勢いに押され、聡依は少し後ずさる。

「緑青殿」

てっきり怒鳴られるかと思っていた聡依は、その声の静かさに拍子抜けする。
はぁ、と気の抜けた声で返事をすると、女将は冷ややかな目で彼を睨みつけた。

「うちの息子が何か勘違いをしているようで、ご迷惑をかけて申し訳ございません。しかし、この件に関してはあたしたちおおむら屋の問題でございます。どうかお引き取りください」

それは遠まわしだが、家のことに関わらないでほしい、と言っていた。
聡依は一度息を浅く吐き出すと、何か言いたげな松之助に微笑みかけ、女将を見つめる。

「女将さんがそう言うのであれば、私の出る幕はないでしょう。お春さんを大事にしてあげてください」

そしてそのまま軽く頭を下げる。それでも彼に向られる女将の目は冷たいままだった。

「おっかさん!」

責めるような松之助の声に、女将は厳しい目を彼に向けた。聡依は黙って暁を抱き上げ、立ち上がった。

「松之助さん、帰りますので」

聡依は松之助に声をかけると、松之助が情けない顔で彼を振り返ったが、聡依はそれを見ないふりをして無視した。
そのまま部屋を出て勝手口にと向かう。
小僧や女中たちがちらりと好奇の目をこちらに向けてきたが、そのすべてをも聡依は無視した。


27: :2011/12/23(金) 00:38:58 ID:wu5lOnqMeM


店を出ると、途端に中から声が聞こえてきた。二人の大きな声。
折角世間体を気にしたっていうのに、それじゃあ意味がないじゃないか、と聡依は呆れ、その滑稽さに笑みを漏らした。

「おみよちゃんが……お春は……」

途切れ途切れに聞こえる女将の声に耳を傾ける。
初めて聞くおみよと言う名に、聡依と暁は顔を見合わせた。一体誰だ? と首をひねっていると、

「結び人なんてねっ、人じゃないんだっ! 所詮妖の仲間なんだよっ!」

不意に暴言が飛び込んでくる。嫌なことほどなぜかはっきりと聞こえてしまうものだ。
暁は女将の声が聞こえないように耳を伏せ、叫びだしたいのを堪えた。
それとは対照的に聡依は飄々とした顔で、もう用はないなと、通りに続く細い道を歩いていく。
その穏やかな顔を暁はやるせない気持ちで見つめていた。

28: :2011/12/23(金) 00:40:57 ID:wu5lOnqMeM



通りに出ると、聡依は暁を地面に下し、家に向かって歩き出す。
その背中を暁は泣きだしそうな顔で見つめながら、ちょこちょこと後ろをついて行った。

「聡依殿……」

通りの店を眺めながら歩く彼に、小さな声で暁は声をかける。

「うん?」

何事もなかったかのような顔で振り返る聡依。ますます泣き出したくなった暁は、その懐に飛び込んだ。

「自分で歩きなさいよ」

そう言いながらもしっかりと抱き留めてくれる聡依に暁は息を漏らす。

「いいんですか?」

「仕方ないよ。おおむら屋は小料理屋。客商売だからね、周囲の目が気にならないわけがない」

「でも……」

「まぁ、別に関係ないからね。私は私で勝手に調べるよ。約束してしまったし」

聡依は腕の中の暁に微笑みかけた。

「饅頭でも買って帰ろうか」

暁は無言で頷く。なぜだか楽しそうに鼻歌を歌う聡依を眺めながら、暁は項垂れる。
いつまで経っても慣れなかった。彼に対する人々の態度が。そしてそれに対する聡依の態度も。
聡依殿、聡依殿はもう慣れてしまったのですか? 心の中で問いかけながら、彼の顔を眺める。
伏せた瞳からは何も伝わってこなかった。


29: :2011/12/23(金) 00:49:57 ID:wu5lOnqMeM


 その夜、再び集まった妖たちの中、聡依は縁側で紙を広げ、彼らの話に耳を傾けていた。

「あっしの聞いた話では、お春さんは中村屋から縁談が来ていたそうですよ。女将さんが嬉しそうに話していたのを聞いたって」

「あたいはお春に男がいたって聞いたよ。何でも相当貢いでいて、女将さんと大喧嘩したとかしないとか」

「ええっ、わっちはお春さんには想い人がいたとしか聞いてないよ。貢いでたなんて大ぼらさっ」

次第にやれ、自分が正しいだの、お前のは嘘だの言い争いが始まった。
しかしそんな彼らなど気にもとめず、聡依は紙に聞いた話を書きつけていた。

「じゃあ、お春さんに縁談が来ていたことは確かなようだね。問題は彼女に想い人がいるのか、男がいるのかっていうことか……」

なんだか見えるようで見えないね、と首を傾げる聡依をじっと見つめる妖たち。
お春を調べていた東側の連中が頷いたのを見て、西側の連中が口を開いた。

「吉兵衛には悪い話しか聞かないよっ」

「あたしの聞いたところによると、女が大勢いるらしいよ。この前いなくなった時、そのみんなが家の前で会っちゃって大喧嘩になったって」

「お茶屋の娘のおみよっていうのが吉兵衛に入れ込んでいるってあちきは聞いたよ」

「わしは吉兵衛には本命がいると聞いたなぁ。まぁ、嘘かも知れんが」

「あっ、私は、吉兵衛さんは女とのいさかいで二度刺されたことがあると聞きました……」

それらもすべて書きつけると、一尺弱(約30センチ)あった長い紙はすっかり文字で埋まってしまった。

「なるほど。吉兵衛はとんでもない男なんだね。女ったらしで浮気は当たり前。だけれど本命がいるかもしれないか。二度も女とのいざこざで刺されそうになったなんて、色男は大変だな」

締りのない吉兵衛の行動に、まぁどこかの誰かが恨んだのだろう。
それか彼女たちの怨念が集まって、彼を襲っているのかもしれない。
どちらも十分考えられる。聡依はそう吉兵衛のことを自分に納得させた。
まぁ、自業自得だろう。自分の出る幕もない。お春とも関係ないだろうと考え、自分でうなづく。




30: :2011/12/23(金) 00:52:03 ID:wu5lOnqMeM



今日の投下はこれで終わりです。

読んでくれた人、支援くれた人、本当にありがとうございます!

暇でもしよかったら、明日も読んでやってくださいな。

ではではノシノシ
31: 名無しさん@読者の声:2011/12/23(金) 01:47:42 ID:a0ea1D5.Ko
おぬし、しゃばけシリーズが好きだろう?C
32: :2011/12/23(金) 20:48:18 ID:GezEIMi77.

今日もちらちら上げていくよ!!

>>31 
支援ありがとう!しかしなぜわかった……

そんな彼の足元で、妖たちは何やら騒ぎ立てていた。ちらりと目をやると、十数の妖たちが一斉に喚きだす。

「聡依っ、聡依っ! おいらが一番だったよなっ」

「わっちだよっ、わっちが一番だよっ!!」

どうやら彼らは誰が一番なのかで争っているらしい。
そんな妖たちに一つため息を吐くと、聡依は筆をおいて彼らに向きなおった。

「で? 自分が一番だと思っているのは?」

十数人の妖の手が上がる。それを見て、再び聡依はため息を吐く。

「お前ら一番って何かわかってる? 正直に言いなさい、自分が本当に一番だと思っているのは?」

一気に4人に減り、その他は便乗して騒いでいただけなようだ。
彼らはばつの悪そうな顔をし、わらわらと散っていく。残った四人は互いににらみ合っている。
33: :2011/12/23(金) 20:50:53 ID:GezEIMi77.


「私が覚えている限り、一番で争えるのは獺と河童だけだね。コボッチと小豆洗い、お前たちはここに来た時、ちゃんと私に報告したかい?」

二人はそろって首を傾げ、そして横に振る。
聡依はそれじゃだめだよ、と笑みを浮かべた。

「私に報告してくれなきゃ、一生懸命調べてくれても伝わらないだろ? お前たちが嘘をつくとは思えないから、一番に来たんだろうけどね、報告までしてくれないとお願いごとは完了したとは言えないからね。悪いけれど、今回は我慢してくれる?」

コボッチと小豆洗いはそろって不満そうな顔をする。
聡依はそれを見て、また笑うと彼らの頭を軽く撫でた。

「なにも今日で終わりっていうわけじゃあないんだから。今回一番になれたのに、次回一番になる自信もないの?」

そう問いかけると、二人はそろって首を振った。
そんなことはありえないと、眉を顰めている。

「じゃあできるね。お疲れ様、報告をお願いできる?」

コボッチと小豆洗いはそろって話し始めた。
だから二人同時じゃさぁ、と困った顔で笑う聡依。

そんな聡依を暁は黙って見つめていた。
暁は未だに昼間の沈んだ気持ちが拭えずにいた。
本人があれほど平気にふるまっているというのだから、自分が気にしても仕方がない。
そうは思うのだが、一向に心が動かなかった。
もう何度目かのため息を吐いたとき、不意に肩を叩かれた。

「なに落ち込んでるんだ?」

振り返ると、太助が三味線を片手に立っていた。
長い髪を後ろでひとくくりにし、今日もなんだか青白い顔をしている。
死んでいるのだから顔色も何もないと言えばそうなのだけれど。

「太助さん……」

暁は一度太助を見てから、聡依に目を戻す。
その動きで彼がなぜ落ち込んでいるのかが分かったようで、太助はあぁ、と声を漏らした。

34: :2011/12/23(金) 20:52:21 ID:GezEIMi77.


「聡のことか」

暁は黙って頷く。太助も聡依の方を眺めながら、呑気で柔らかな笑みを浮かべた。

「さては、お前。あいつが心配か」

「しっ、心配っていうわけじゃにゃ……、心配です」

暁の反応に太助は声を漏らして笑うと、浅く息を吐き出した。

「お前がね、あいつを心配するのも無理はないな。だけど、心配されてもどうしようもないのも事実だ。あいつは少し慣れすぎているんだよ」

ちらりと横の太助を見上げる暁。
彼が何を言いたいのかが今一つ分からないらしい
その視線に気が付いた太助は困ったように頬を掻いた。

「まぁ、あいつのことは気にするなってことさ。お前が思っているより、あいつは傷ついてもいなけりゃ、気にしてもいないよ」

はい、と沈んだ声で暁が返事をする。
太助はぼんやりと聡依の横顔を眺め、そして不意に寂しそうに眉を下げて呟いた。

「あぁ、でも、笑っていても楽しいだけじゃあないんだろうなぁ。あいつは」

暁はその言葉の意味を知ろうと聡依に目をやる。
小豆洗いやコボッチたちと楽しげに笑いあうその姿に、楽しさ以外の何物も見つけ出せず、彼は自分の足元に目を落とした。
もっと、もっと理解したかった。そしてもっと、もっと……?

35: :2011/12/23(金) 20:53:41 ID:GezEIMi77.



「あっしは、結局自分が聡依殿に何をしてあげたいのかが分かりませんにゃ」

無力だと思った。ここにいる妖たちの中で一番身近にいる、だけれど一番そばにいる月日は短い。
結局、自分には聡依のことなど、何もわからないのだと思い知らされたような気がした。

「俺にはあいつにできることなんて何もないよ。だから、少しお前が羨ましい」

太助は項垂れる暁に笑いかける。
その言葉の意味に気が付き、暁はハッと顔を上げた。

「結び人つきの妖であるお前がね」


――そう思うなら、私のそばにいてくれる? お前は面白いから、いると退屈しなさそうだ。


「いるだけでもいいんじゃないの。それ以上は、お前のしたいことをすればいいよ」

優しさがたっぷりと含まれたその声音に、暁は聡依の言葉を思い出す。
とっさに下を向いて潤んだ瞳を隠した。太助が彼の頭を優しく撫でる。
我慢できずにこぼれた涙が、どんどん地面に染み込んでいく。
妙に落ち着いた心で地面できるその水玉模様を、暁はぼんやりと眺めていた。

36: :2011/12/23(金) 20:55:23 ID:GezEIMi77.


その日の真夜中のことだった。一通り情報の整理が終わった聡依は床に就いていた。
そんな彼の穏やかな睡眠を妖たちが邪魔をする。

「聡依っ、聡依っ!」

きゃっきゃっとはしゃぐ声に目を覚ますと、家鳴りたちがぐるりと布団を囲んでいた。
思わず苦笑いがこぼれる。

「なんだい、真夜中に。かけっこでもするの?」

「櫛の話を持ってきたよっ」

得意げな家鳴りたちに、寝かせてくれとは言えず、しぶしぶ起き上った。
騒ぐ彼らを静かにと戒めることも忘れずに。


筆と紙を取り出した聡依は、硯をすりながら家鳴りたちを見回す。

「じゃあ順々に話して行っておくれ」

家鳴りたちはそろって頷いた。


「ふうん……、じゃああの櫛はもともと遊女のものだったんだね」

一通り話を聞き終えた聡依が、顎を触りながら考える。各々頷く家鳴りたち。
彼らが持ってきた話は支離滅裂で、多すぎてまとまりがなかったが、その中にもかなり役立つ話があった。

「男にだまされて身売りをした遊女ねぇ……」

あの櫛の雰囲気はまさに遊女と言う風だったが、と聡依は笑みを漏らした。
家鳴りたちはそれを見て、不思議そうに顔を見合わせ、首をひねる。

「それを松之助さんがお春さんに買ってあげたと」
37: :2011/12/23(金) 20:56:34 ID:GezEIMi77.


ふむ、と自分の書いた覚書を眺めながら、聡依は軽く頷いた。
そして腕を組んだまま、しばらく考え込む。

「遊女が死んだのはもう十数年も前。そしてその櫛は数年前に松之助さんがかったもの。今回のことは櫛が原因だとしても、なんで今更? 彼女を引き出すきっかけでもあったのか?


『わっちはお春さんには想い人がいたとしか聞いてないよ』

『わしは吉兵衛には本命がいると聞いたなぁ』

『あたしの聞いたところによると、女が大勢いるらしいよ』 

『あっしの聞いた話では、お春さんは中村屋から縁談が来ていたそうですよ』

『あたいはお春に男がいたって聞いたよ。何でも相当貢いでいて……』

『おみよちゃんが……!』

『この前の晩、随分落ち込んで帰ってきて……』

『お茶屋の娘のおみよっていうのが吉兵衛に入れ込んでいるってあちきは聞いたよ』

『急に化粧が濃くなったんです』

『お前、紅売りの吉兵衛って知ってるか?』

『そういえば、最初の方は返事だけでもくれました。なにかきっかけがあったはず……』

不意に、聡依の中で何かがひらめいた。
もしかしてこれは、と顎に手を当て、一つ頷く。
そしてじっとこちらを見つめている家鳴りたちに向かって微笑みかけた。

「家鳴り、ありがとう。助かったよ。お前たちのおかげで、大分わかった気がするよ」
38: 名無しさん@読者の声:2011/12/23(金) 20:58:00 ID:5.z5TyxHOY
支援
39: :2011/12/23(金) 20:58:04 ID:GezEIMi77.


聡依の言葉に大はしゃぎをする家鳴りたちに、彼は微笑みながらも静かにするようにと諌めた。
これは彼らの働きあっての解決だな、と聡依も彼らを存分に褒める。

「あとは細かいところを補うだけだね。あの人が返って来てないからね。最後のあの人が、おそらく一番大きな欠片を持ってきてくれる。そうすれば、きっと見えてくるさ」

月明かりのした、はしゃぐ家鳴りと嬉しそうな聡依。
薄い襖を挟んだその隣では、暁がうにゃうにゃと言いながら、穏やかな寝息を立てていた。


ところが次の日、その最後を待つことなく、松之助が再び屋敷に転がり込んできた。
目元には大きな痣。恐らくおおむら屋の旦那とひと悶着あったのだろう。
のんびり三味線を弾いていた聡依はその顔に驚いた。

「松之助さん、一体どうしたんですか?」

女将にはもう関わるなと言われているはずだ。
ましてやその痣。旦那にもかなり絞られたのだろう。
密かに同情しながら問うと、松之助は泣きそうな顔で聡依に掴みかかった。

「緑青殿っ! お助けくださいっ、妹をっ! お春をお助けくださいっ!!」

これじゃあ最初に逆戻りじゃないか、とその慌てぶりに呆れていると、松之助はその場にへたり込んでしまった。
40: :2011/12/23(金) 21:00:12 ID:GezEIMi77.

>>38
支援ありがとう!

「まぁまぁ、どうしたんですか?」

「お春がっ……! お春がいなくなってしまったんですっ!」

その言葉に思わず暁と顔を見合わせる聡依。
のんびり三味線どころじゃないと、騒ぎを聞きつけて現れた太助に三味線を渡し、立ち上がる。

「それはいつですか」

「今朝、久しぶりに起き上ったと思ったら、不意にいなくなってしまって……!」

あぁ、もうダメだ、と声を漏らす松之助。
それを呆れた顔で眺める太助に、聡依は妖を集めるように耳打ちした。

「暁、行くよ」

聡依の声に暁は頷くと、子猫の姿から七尺(二メートルと少し)ほどの大きな姿に形を変えると、庭に下り立った。
聡依は太助が奥から持ってきた刀を差すと、松之助に向きなおる。

「そう言えば松之助さん。昨日言っていたことは思い出せましたか?」

普段と何一つ変わらない笑みを浮かべているはずなのに、今日の聡依はいつもと違う何かがあった。
それに押されるようにして、松之助は頷き、慌てて口を開く。

「お春は口を利かなくなる前、私に言ったんです。兄(あに)さん、あたいはって。普段、兄さんともあたいとも言わないんです。私のことは松之助兄(にい)さんと、そして自分のことは私と」

それを聞いた聡依は笑みを浮かべた。気が付くと、庭にいっぱいの妖たちが集まっている。
その中に、それがいないことを確認した聡依は、彼らに頷いた。
41: :2011/12/23(金) 21:02:49 ID:GezEIMi77.



「この前の東側の奴らはろくろ首を探してきてくれないか? どうせどこかで飲んだくれているだろうから。西側の奴はお春さんを探してほしい。最初に戻ってきたやつに一番ご褒美をあげるよ」

いつもと同じことを口にしているのに、今日は妖たちも全く騒がない。
皆神妙な顔で頷くと、無駄口も叩かずにさっと散ってしまった。
聡依の様子を、松之助はぽかんと呆けた顔で眺めている。
彼には綾香氏が見えないので、聡依が一人で話しているようにしか見えないのだ。

「さて、行こうかね、暁。太助は松之助さんを頼むよ」

太助は一つ頷き、松之助の腕をつかんだ。
突然何か得体の知れないものに腕を掴まれた松之助は、面白いほどに狼狽し、震えあがる。

「申し訳ないけれど、少し待っていてくれますか? 落ち着いたら、おおむら屋に戻ってください。お春さんは必ず連れて帰りますよ」

松之助が恐怖で思い通りにならない体を無理やり動かし、何とか頷いた。
それを確認すると、聡依は暁の背に乗る。

「清次さんに会いに行こう。どうせ暇だろうし」

冗談めかしたその言葉に暁は一つ頷くと、その場で大きく跳躍した。

42: :2011/12/23(金) 21:04:29 ID:GezEIMi77.



じかんぎれなようなので、今日の投下はここまでです。

明日は来れるかわからんけど……、できるだけがんばるよ。

支援くれた人ありがとう!

ではではノシノシ
43: 名無しさん@読者の声:2011/12/23(金) 21:37:02 ID:tuS1F/H/hs
しえぇぇえん!!!

続きすごく楽しみにしてます!!
44: :2011/12/24(土) 23:26:38 ID:GezEIMi77.

今日もちょこちょこやっていきますぜ!!

>>43
支援ありがとう!
投下頑張りますっ。



45: 1:2011/12/24(土) 23:28:38 ID:GezEIMi77.


広がる家々を飛び越え、町はずれの清次の貸し本屋にと急ぐ。
人を踏まないようにと気を付けながら跳ぶ暁の背で、相変わらずこれは便利でいいなぁと呑気なことを聡依は考えていた。

「清次さん」

古びた戸を開き、さも当然の様に店の奥にと進む聡依。
昼時と言うこともあってか、店には誰もいなかった。
商売する気があるのかね、と思わず呆れる。

「おーっ、聡依。お前が来るなんて珍しいなぁ」

奥から売り物である本を片手に清次が出てきた。
眠たそうな顔をしているところから見て、どうやら店番をしながら少し居眠りしていたようだ。
呑気なもんだ、と呆れる。

「一つ訊きたいことがあるんだけれど」

「あぁ、なんだ?」

清次は本を文机にふせ、こちらに目をやる。

「吉兵衛っていうのはどの辺に住んでいるか教えてくれる?」

清次は不思議そうな顔をしながら、寺の近くだと教えてくれた。町の西側の方である。
多く並ぶ長屋の一つに吉兵衛は住んでいるらしい。そこはここからそう遠くはない。
46: 1:2011/12/24(土) 23:34:37 ID:GezEIMi77.


暁の背に乗ればあっという間だろう。そう思った聡依は一つ頷く。
ふとあることをを思い出し、清次を改めて伏せた瞳をあげた。

「そうだ。そう言えばおみよさんっていう人を知ってるかい?」

「おみよちゃん? あぁ、知ってるよ。確かお茶屋さんの一人娘だった気がする。でもなんで?」

首を傾げる清次に聡依は答えず、質問を重ねた。

「そのおみよさんって、もしかするとおおむら屋のお春さんと仲がよかったりする?」

「あぁ、そういえば……、大の仲良しだって聞いた気がするなぁ。なんかあったのか?」

訝しげに尋ねる清嗣に何でもないと返し、聡依は眉を顰めた。
しかし、分からないものはしかたがない。考えてるよりも、今やらなければいけないことはほかにある。
仕方がないと自分を納得させ、顔をあげて清次に礼を言った。

「ありがとう、助かる。それじゃあ、また」

踵を返し、表で待つ暁の元へと歩みを速めた。
なんだなんだ、と追ってくる清次を聡依はもう一度振り返ると奥のちゃぶ台を指で示した。

「そういえば、あれ、売り物だろう? もうちょっと丁寧に扱えないのかね」

笑いながら小言を言う聡依に、清次は苦笑いを返すしかなかった。

47: :2011/12/24(土) 23:36:17 ID:GezEIMi77.


「聞こえたかい? 西の長屋が立ち並ぶところだ」

「あい、しっかり聞いてましたにゃ」

「お春さんはおそらく吉兵衛のもとに行ったよ」

聡依は再び暁の背に乗ると、一つ頷いた。
暁は再び大きな跳躍をする。家々を飛び越えながら、ちらりと聡依を振り返った。

「でも聡依殿、どうしてお春さんは吉兵衛のもとに行ったと思うんですか?」

その問いに、聡依は目を伏せ、笑みを漏らす。

「まだ内緒だよ。自信がないからね。あとはろくろ首の話さえ聞ければ、自信が持てるんだが」

「ろくろ首殿はそんなに重要なお方ですかにゃあ……」

やや不満そうに呟く暁。聡依はそんな彼を笑いながら、嫉妬でもしてるの? とからかった。

「あれはどうしようもない酒飲みだけれどね、持ってくる話の良さは誰もかなわないさ。早く見つかればいいんだが」

「ふうん……、あぁ、もうすぐつきますにゃ」

まだ不満が残っているのだろう。
若干冷たい声で暁はそう言うと、下を指した
48: :2011/12/24(土) 23:41:22 ID:GezEIMi77.

聡依は肩ごしに街を見下ろし、暁の言う通り長屋が近いことを知る。

「間に合うといいんだけれど」

「なにがですにゃ?」

「もしも、お春さんに憑いているのが、ことを成し得てしまえば、あれは悪霊になるしかないよ」

「そうしたら聡依殿は……」

息をのむ暁。聡依は見えないと知りながらも、頷いた。

「あぁ、切るしかないよ」

久しぶりに携えた二本の刀が、ずっしりと重たく感じた。


「吉兵衛さん、吉兵衛さーん」

長屋についた二人は早速吉兵衛の部屋を訪れるが、全く反応がない。

家にいないのだろうか、と顔を見合わせていると、その隣に住む男が迷惑そうな顔をして出てきた。

「吉兵衛さんならいないよ。最近は帰って来てないんじゃないかな」

「帰って来てない……、というと?」

そう尋ねる聡依に男はますます迷惑そうな顔をして頭を掻く。
49: :2011/12/24(土) 23:49:05 ID:GezEIMi77.


よくわかんないけどね、と前置きをしてから口を開いた。

「なんだか、長屋に女の幽霊が出るだとか、呪い殺されるだとかわけのわからないことを言って、この前出て行ったよ。そのうち落ち着いたら荷物を取りに来るって言ってたけど、本当に戻ってくるのかね」

男は深いため息を吐く。家賃はどうするんだよ、と文句を言う男を無視し、聡依は一人うなづいた。
彼は何やら考えながら礼を言い、暁を連れて急いで長屋を離れた。


「聡依殿、どうするんです?」

「どうもこうもないよ。居場所がわからないんじゃどうにもできない。お春さんを探している連中が見つけるか、私たちが先に吉兵衛を見つけるか……。まずいね、呑気にしてられないよ」

苦々しげに答える聡依に暁は一つ頷く。聡依は険しい顔をしたまま、暁に告げた。

「ここからは別行動だね。見つかり次第、吉兵衛を押さえてほしい。そして何かわかるように合図を送ってくれ」

いいね、と念を押すと、聡依は踵を返した。と思うとなぜかこちらを振り向く。
50: :2011/12/24(土) 23:53:50 ID:GezEIMi77.

不思議そうにそれを見ていた暁を、聡依は楽しげに笑う。

「何をしてあげたらいいかわからないなんてふざけたことを言っている暇があったら、もうちょっと頑張って働いてほしいもんだねぇ」

その言葉に聞き覚えがあり、首を傾げ、気が付いてハッとした。
瞬く間に顔が熱くなってくるのを感じ、暁はとっさにその場に俯く。

「がたがた余計なことを考えるんじゃないよ。暁、お前は私の妖なんだろう? なら、やることは一つじゃないか」

暁は黙って頷いた。何度も頷いた。
それを見ながら聡依は優しく笑い、その頭をポンポンと軽く叩く。

「じゃあ、頼んだよ」

そしてそう言うと、聡依は踵を返し、通りを駆けて行ってしまった。
遠ざかる足音を聞きながら、暁は恥ずかしいやら嬉しいやら何やら胸がいっぱいで顔も上げられそうになかった。

「聞いてたなんて……」

なんだかずるいにゃ、と一人呟く。
それでもわざわざ気を回してくれた聡依の心が嬉しかった。
彼は鼻をすすると、一つ頷き、よしっと気合を入れてまた大きな猫にと姿を変えた。
やることは相違の言うとおり、一つしかなかった。
51: :2011/12/24(土) 23:56:37 ID:GezEIMi77.

うわ、誤字……、50の最後のは『相違』でなく『聡依』です。



「聡!!」
長屋で暁と別れてから一時(約二時間)ほど経った頃、未だに吉兵衛を見つけられずにいた聡依のもとにがしゃどくろがやってきた。
その肩には、

「ろくろ首」

「遅くなって悪いねぇ」

小娘の格好をしたろくろ首が、しゃがれた声で笑った。
それにつられるようにして聡依も笑い、ろくろ首を見上げて言う。

「ろくろ首、お前の聞いてきた話を教えてくれるかい?」

ろくろ首は長い首を揺らし、頷く。

「私は東側だったからね、お春さんについて話を聞いてきたんだけれど、面白いことがわかったよ」

ろくろ首の話はやはり他の誰よりも詳しく、丁寧なものだった。

「じゃあお春さんはそのために吉兵衛に……」

「ええ、それが中村屋の人に知れて、縁談が破談になりそうになってるみたい」

「そりゃあ恨んでも仕方がないねぇ」

聡依が腕を組み、深く頷く。
ろくろ首は眉を顰めて、同じように頷いた。

「同じ女としちゃあ許せないね」

「あれ? お前、女だったっけ?」

おどけて尋ねた聡依を力の限り睨みつけ、ろくろ首はふんっと鼻を鳴らした。
にょろにょろと首をこちらまで伸ばし、聡依を間近で睨みつけると、その額に思い切り自分の額をぶつけた。
いたっと悲鳴を上げ、一歩下がる聡依。
52: :2011/12/25(日) 00:04:12 ID:GezEIMi77.


「便利だなぁ……」

「馬鹿なんじゃないのかい、坊やは」

額を押さえ、呑気に呟く聡依にろくろ首は呆れてそう言った。
それを聡依はまた笑って流す。

「まぁ、とりあえずありがとう。助かったよ。事情が分かった以上、余計にあれだね、急いで探さないと」

「まだ見つかっていないのかい?」

「あぁ、みんなにお願いしたんだけど、なかなか見つからないんだ。そのうち日が暮れてしまうんじゃないかと思うとさ……」

流石の聡依も焦りを感じ始めているらしい。
ちらりと太陽の方に目を向け、ため息を吐いた。
夜になれば妖たちの力はより強くなる。
お春についている物が悪霊になるのも時間の問題だった。

「街の隅々まで探してくれているんだ。私も一応いろいろ探しては見たんだけど……、どこにもいないんだよ」

そう言うと困ったように眉を下げた聡依に、ろくろ首はふと考え込むと真剣なまなざしで彼をじっと見つめた。
53: :2011/12/25(日) 00:08:57 ID:GezEIMi77.


「お前さん、一つ、探してないところはないかい?」

「え? いや……、心当たりは探したよ。みんなも隅々まで探してくれているし」

「いや、お前さんたちが一つ忘れているところがあるよ。みんなの盲点だね」

「盲点……?」

真剣なまなざしのろくろ首に、聡依も真剣に考え込む。
自分が探していないところ、みんなも探していないところ。自分の屋敷? 
まさか。あそこには太助がいる。じゃあいったい……。

「あたいたちが一番苦手場所ってどこだと思う? そしてお前自身もめったに近づかない場所だよ」

妖たちが皆苦手なところ、そして自分自身も行かないところ。
まさか、と聡依は顔をあげ、ろくろ首を見つめた。

「寺……だとか?」

「大当たりさ」

にんまりと、ろくろ首が得意げな笑みを浮かべた。
54: :2011/12/25(日) 00:11:32 ID:GezEIMi77.

「お前さんには悪いけれど、あたいらはあそこには行きたくないからね。いくらお前さんの頼みと言えども、知らぬうちに避けているんだよ。だけど人はあたいらの気配を感じればそう言うところに逃げ込むだろう? 吉兵衛がそこにいる可能性はあると思うけど」

「なるほど……、ろくろ首、ありがとうっ」

聡依はすぐこの町にある寺二つの寺を思い浮かべ、それの吉兵衛の長屋に近い方に向かうことにした。
もしも自分ならば、あえて遠いところは選ばない。

「行ってみる。助かったよ、ろくろ首。本当にありがとうね」

「いいから早くいきな。あたいらはいいんだよ、ご褒美がもらえればね」

にっこり笑ったろくろ首に、聡依もにっこりと笑顔で返す。

「だけどまぁ、ろくろ首は一番遅かったから、一番ご褒美が少ないんだけどね。まぁいいや、じゃあ、行ってくるから」

最後の最後にわざわざそう付け足す聡依に、さすがのろくろ首もぽかんと口を開けている。
ひねくれ者だなぁ、とがしゃどくろは二人を見つめ、呆れていた。

「ばっバカ! あんたはいっつも一言多いんだ! せっかくいいことを教えてあげたんだから、あたいにも少しは……!」

ろくろ首の怒鳴り声に背を向けて、聡依は寺に向かって駆け出した。

55: :2011/12/25(日) 00:19:15 ID:GezEIMi77.


今日の投下はこの辺で終わります。

明日はクリスマスですね!

どうせ、このSSを読んでくれているイケメンには予定があるんだろうけど……。

爆ぜろッ(・ω・)ニッコリ


ではでは、また明日ノシノシ
56: 名無しさん@読者の声:2011/12/25(日) 20:08:21 ID:0YL9Uv0OTE
暁可愛いよぅ(*^A^*)
でも聡依のキャラも大好きだよぅ


でも気付いてしまった
オレ イケメンでもなんでもねぇや

てか、そもそも男でもねぇや…


でも支援!!
57: :2011/12/25(日) 23:53:55 ID:GezEIMi77.


今日もちまちま投下していきますぜ!


>>56
暁「にゃにゃっ! かわいいだなんて……」
聡依「ネコ、お世辞って知ってる?」

支援ありがとうございます!
おにゃの0こなら、イケメンじゃなくても大歓迎なんだぜ……
58: :2011/12/25(日) 23:58:10 ID:GezEIMi77.


聡依が寺についたころにはもう日が傾き始めていた。
石段を駆け上がり、境内を見回す。それらしき人影は見えず、選択を誤ったのだろうかと眉を顰める。
もう一周だけ、境内を回ってからもう一つの寺に向かおう。
そう思った時だった。

「うわあああっ!」

寺の裏にある山の方から、男の悲鳴が聞こえた。
はっと振り返り、そちらを向くと、声に驚いたカラスがバサバサと羽音を立てて飛んでくる。

「あっちか……!」

聡依は山の方に向かって走り出した。

¥古ぼけた柵を越え、山の斜面を登って行く。
こんなことなら、もう少しちゃんとした履物にすればよかったと、古ぼけた草履を見て舌打ちをした。

「吉兵衛さんっ!」

名を叫ぶ。不思議そうな顔をした鳥が、聡依の勢いに驚き、飛び去って行く。
それに構う暇など無く、遮るかのように伸びた枝を腕で避けながら、聡依は何度も吉兵衛を呼び続けた。

「くっそ……、返事がない……」

あれから一度も吉兵衛の声は聞こえなかった。
最悪を予想し、ますます焦りを感じながら、聡依は垂れる汗を腕で拭う。
いつの間にかできていた頬の擦り傷に、汗が沁みた。

「一体どこにいるんだよ……!」

苛立ち、そばにあった木の幹に思い切り拳を打ち付ける。
バサバサと、葉が揺れた。

もうだめかもしれない。
そんなことを思い始めたときだった。
59: :2011/12/25(日) 23:59:33 ID:GezEIMi77.


「助けてくれっ……!」
 小さな叫びが聞こえた。ハッとし、そちらに顔を向けると、もう一度。
うめき声も聞こえる。聡依は慌ててそちらの方に突き進みながら、再び口を開いた。

「きちべ……、お夏っ!!」

咄嗟に叫んだ瞬間、ぬかるみに足を取られ、派手に転ぶ。
しかし、聡依には彼女が自分の言葉に反応したことに気づいていた。

「お夏っ! お夏っ! 聞こえているんだろ?」

慌てて起き上り、また走り出す。
すっかり泥だらけになった姿など気にもせず、聡依はそちらの方に突き進んだ。

「前に言ったじゃないか。一番良い方法を考えるって。だから、だからちょっと待って!」

返事がない。しかし、彼女は動く気配もなかった。
きっと、黙ってこちらの方に耳を傾けている。そう確信した聡依は、再び口を開き、大きく息を吸った。

「吉兵衛、返事をしろっ!!」

その声にこたえるように、前の方から大きな叫び声が聞こえてきた。

「助けてっ!!」

情けない、と眉を顰めながらも、聡依はそちらに向かって走り続けた。
木々の隙間からようやく二つの人影が見えたとき、彼はようやくその歩みを緩めた。

「やっと見つけた」

大きく息を吐き、思わず笑みを漏らす。
枝をかき分け、やってきた聡依を吉兵衛は恐怖に包まれた瞳で、お春は驚きに満ちた瞳で見つめた。

「やっと会えたね、お夏」
60: :2011/12/26(月) 00:01:11 ID:GezEIMi77.


「あんたは……」

「昨日、会いに行っただろう? もう忘れたのかい?」

呑気な言葉を返す聡依に、吉兵衛は思わず縋るように手を出した。
その手に気が付いた聡依は、それを邪険に払いのけ、一度きつく睨みつける。

「がたがた言うんじゃないよ、情けない。男だろうが」

舌打ちを一つされ、吉兵衛は怯えたように後ずさりをした。
そのまま木の根に躓き、その場にしりもちをつく。

「あんた、あたいを邪魔しに来たの、かい?」

ゆっくりと妙な区切りで言ったお春に、聡依は優しく微笑みかけ、首を振った。

「私はお前の味方だよ。だけどね、この男にどうにかすれば、お前もどうにかなっちゃうんだよ。それはわかっているの?」

聡依の問いに、お春は戸惑うかのように目をそらした。
わかっているのか、とため息を吐く聡依。

「分かっているならいいんだ。だけど、お前がそうするなら私はお前の味方でい続けることができない」

聡依は刀に手を触れ、目を伏せた。
お春が聡依の目を追い、その腰にある刀を見つめ、ハッと目を見開く。
61: :2011/12/26(月) 00:04:18 ID:GezEIMi77.


「あ、たいを……切る、の?」

「それはお前次第だよ、お夏。悪いけれど、私は腐っても人間なんだ」

自嘲的にそう言うと、聡依は彼女に目を戻した。
その怯えと不安に揺れる瞳をじっと見つめ、にこりとほほ笑む。

「あぁ、申し遅れたね。私は第一六代緑青の結び人、青木聡依と言うんだ」

結び人、という言葉に反応したのか、お春は慌てて聡依から離れ、身を固くした。
それを見て、聡依はますます笑う。

「そんなに怯えなくてもいきなりとって食べたりしないよ。まぁ、とりあえずお前の話を聞こうじゃない」

お春は唇を強くかみしめ、敵意をむき出しに聡依を睨みつけた。

「お、まえなんか、に、話なんかっ、ないっ!」

「そりゃ残念だなぁ。じゃあどうしたら話してくれる?」

お春は聡依を睨みつけたまま、唸るように叫んだ。

「死ねっ!!」

「勇ましいねぇ。そこでへたり込んでいる男とは大違いだ。だけどね、お夏。いきなり人に死ねなんて言うもんじゃないよ」

呆れたように肩をすくめた聡依に向かって、石が投げられた。
それを軽々と避け、仕方がないと聡依は刀に手をかける。
ひいっと悲鳴が上がったことから、吉兵衛に石が当たったことが振り向かなくとも分かった。
62: :2011/12/26(月) 00:09:18 ID:GezEIMi77.


「ごめんね、手荒な真似はしたくないんだけれど」

さやから抜かれた刀が、白く煌めいた。

「うるさいっ!!」

叫びながら石を投げつけるお春。
聡依はそれを避け、彼女に徐々に近づいていく。

「ねぇ、こうしようか。私がお前の動きを止めれたら、お前が今何を思っているか、教えてくれる? もし一つでも石が私に当たったら、私はこの男を放って家に帰るとしよう」

突然の聡依の宣言に、面を喰らったのは吉兵衛の方だった。
冗談じゃないと、抗議の声を上げると、冷たい目が吉兵衛の方を向く。

「黙ってろって、何度言わせるの?」

切っ先がこちらを向き、思わず黙り込む。
悲鳴すら上げられない聡依の雰囲気に、吉兵衛はさっと目をそらし、体を丸めて目を固く閉じた。
63: :2011/12/26(月) 00:16:30 ID:GezEIMi77.


「ようやく静かになったね。それじゃあ始めようか」

「うるっさいっ!」

拳ほどの大きな石が聡依のすぐ横を飛んで行った。
どうやってあんなものを見つけているのだか、と感心しながら、当たったら怖いな、と苦笑いをする。

「気を抜けないってことはよくわかったよ」

なおも笑い、話し続ける聡依にお夏は苛立ったように地団太を踏んだ。

「手加減はしないよ?」

悪戯に微笑んだ聡依にまた石が投げられた。

何度投げてもどれだけ狙っても一向に石は当たらない。
徐々に疲れてきたお夏は、肩で息をしながら聡依を目で追う。
少しずつ、少しずつ、聡依はこちらに近づいてきていた。

もうやめて。もう疲れた。もう無理だよ。

自分以外の声が聞こえてくる。どこから? いったい誰が? 
若い聞き覚えのある女の声は、何度もお夏に訴えてきた。

もう、やめてと。

「大丈夫だから。もうやめようか」

不意に耳元でささやかれ、ハッと振り向く。
いつの間にか背後に立った聡依が、お春の腕を掴んでいた。
それを合図にしたかのように、お春の体から徐々に力が抜けていく。
あっ、と声を漏らしたとき、握った拳から石が転がり落ちた。


64: :2011/12/26(月) 00:26:25 ID:GezEIMi77.


今日はキリがいいので、この辺で終わります。

28日までには終わらせる予定なので、もうちょっと付き合ってくれるとありがたいです!

今日も支援ありがとうございましたっ。

ではではノシノシ
65: 名無しさん@読者の声:2011/12/26(月) 07:31:49 ID:xeZblqhMrg
え?
もう終わっちゃうんだ…
もったいないなぁ…

66: :2011/12/26(月) 22:44:12 ID:GezEIMi77.


今日も投下していきますぜ!

>>65
もったいないなんて!
ありがとうございます!!
もし需要があったら、番外編みたいなのを続けてみようかなんて……ゴニョゴニョ
67: :2011/12/26(月) 22:46:44 ID:GezEIMi77.


暁が聡依のもとに駆け付けたころには、お春からはすっかり敵意がなくなっていた。
よほど疲れたのか、その場にうずくまり、静かに泣き声を漏らす。
聡依はその背中を黙って撫でていた。

「聡依殿……」

「ネコ、ちょっと遅いんじゃない?」

ちらりと振り返った聡依が小言を言う。
暁は少し耳を下げ、すいませんと呟き、聡依のもとに駆け寄った。

「太助さんは落ち着いておおむら屋に帰っています。妖たちも大体解散しました。みんな役に立てなくて申し訳なかった、と言ってましたにゃ」

「うん、わかったよ。ご苦労さん」

子猫の姿に戻った暁の頭を、労わるように撫でる聡依。
暁は目を細め、その手の温もりを味わった。

不意に聡依の袂を何かが引いた。
その手の主を追うと、すっかり疲れた顔のお春がこちらをじっと見つめていた。

「落ち着いた?」

顔を覗き込み、聡依がお春に問う。彼女はゆっくりと頷いた。
暁はお春を警戒し、聡依と彼女の間にさっと割り込んだ。
68: :2011/12/26(月) 22:48:23 ID:GezEIMi77.


「あたいは……、どうなるの?」
不安そうな声が聡依に問いかける。
聡依はまた彼女の背中を優しく撫でながら、その瞳をじっと見つめた。

「切られるの?」

何も言わない聡依にますます不安になったのか、お春は重ねて問い、聡依の腕をつかんだ。
その力の強さに、思わず聡依の顔が歪む。

「聡依殿っ!」

「ネコ、大丈夫だから」

敵意をむき出しにし、今にも噛み付かんばかりにお春を睨みつける暁。
それを止めると、聡依はお春の手に手を重ねた。

「私はね、お前を切る気はないよ。だけどね、このままお春さんに憑かせたままにはさせられない。それはお前もわかっているだろう?」

聡依の問いかけに、お春はゆっくりと頷いた。

それを見て聡依も重ねて頷く。

「だからね、私はお前とお春さんを離さなきゃいけない。それにお前はもうお春さんの櫛にも戻れないんだ。嫌かい?」
69: :2011/12/26(月) 22:54:19 ID:GezEIMi77.


櫛に戻ることができない。それは彼女にとってとても衝撃的なものだった。
唯一残っている自分の持ち物。
それを取り上げられる? そしてお春からも離れなければならない?

「嫌だよね、当たり前だ。だけどね、一度離れてしまったから、お前はもう櫛に戻ることもできないんだ。万が一、戻れてたとしても、こうなってしまった以上、お前は櫛の憑き物として、お春さんのそばにいることはできないよ。私はきちんと彼女たちに説明をするつもりだし、第一お春さんはお前が何かよくわかってる。それでも、怖いだろうし嫌だろうさ。わかるかい?」

お春はゆっくりと頷いた。
暁は彼女を下から覗きこみ、その悲しそうな瞳に目を合わせる。
彼女は目が合うとすぐに視線を逸らした。見られたくなど無かったのだろうか。

「やっぱり……あたいを切るんだね」

「お前はそればっかりだね」

思わず笑みをこぼしながら、聡依はお春にそう答えた。
お春は聡依をじっと見つめ、訝しげに眉をしかめる。
自分は切られるとばかり思っているようだ。

「何でもかんでも切り捨てる趣味は、私にはないよ。だからね、私はお前にいいことを一つ、提案しようと思うんだ。これに乗るか乗らないかはお前次第だけれど」

暁は何やらおかしな方向に事が進みそうなっていることに気が付き、眉を顰めて聡依を見つめた。
まさか……、と彼が口を開きかけたのを見て、聡依は意味ありげににっこりと微笑む。
70: :2011/12/26(月) 23:01:26 ID:GezEIMi77.


「うちの屋敷に来ない? 死人だとかなんだとか、気にするような場所でもないし、基本的に自由だよ。ねぇ、いいだろう?」

思いもしない提案にお春はぽかんと呆けたように口を開ける。
暁はやっぱりと、手で額を押さえる。なんだかひどく頭が痛い。

「うちで家事をしてほしいんだ。私には今誰もそう言うのがいなくてね。私一人だけなら別にいいんだけども、最近このネコがうるさくってね……」

ちらりと笑みを浮かべたまま、聡依は暁を見下ろす。
自分を言い訳にされた暁は黙ってそれを睨み返した。

「でも……、あたいは、その、お春のために、彼女を守って……」

「ねぇ、お夏。知っているんだろ? 彼女はね、嫁に行くよ。そうしたら、彼女を守るのは、お前の役目じゃなくなる。そうだろ? それが昔、お前がずっと望んでいたことなんだから」

お春の瞳が揺れた。迷うように目を落とし、自分の手を見つめ、口を閉ざす。
聡依はそれを見て、じれったそうに眉を掻いたあと、不意に彼女の体を抱きしめた。
驚くお春は身を固くし、聡依を見上げる。

71: :2011/12/26(月) 23:03:17 ID:GezEIMi77.


「ねぇ、うちにおいで? 俺のために家のことをしてよ。そうしてくれたら、俺は君のこと、ちゃんと守ってあげる。ねぇ、お願い?」

囁く聡依を、暁は二人の間で呆れた顔で眺める。
この女ったらしが、と罵りたくなるのをぐっとこらえ、代わりに深い深いため息を吐いた。
彼も主人のこの悪い癖はどうも苦手らしい。
それとは対照的にお春は、耳まで赤く染め、俯き、小さな声で答えた。

「……わかったよ」

ね? と暁に目配せをした聡依を、暁はきつく睨みつけた。
後でたっぷり説教ですからねっと瞳に力を込めると、聡依はつまらなさそうな顔で暁から目をそらす。
反省をする気など、さらさらないらしい。

「じゃあ決まりだね」

言うが早いか、聡依はお春から体を放し、立ち上がった。
その素早さにあっけにとられ、聡依を見上げるお春。
これだから、とますます呆れる暁。

72: :2011/12/26(月) 23:10:00 ID:GezEIMi77.


そんな三人の後ろで、すっかり忘れられていた男が動いた。

「どいつもこいつも……! 俺を馬鹿にしてっ!!」

彼は低く呟くと、そばにあった木の棒を手に立ち上がる。
それを振り上げ、こちらに駆け寄ってこようとした吉兵衛に……、暁が動いた。

暁は一瞬で大きな猫の姿になると、彼を睨みつける。
そして一つ、唸り声をあげた。
吉兵衛が怯んだのを見た彼は、迷わず大きな手をあげ、吉兵衛の持つ木の棒を振り落とそうと腕を振るった……。

「やるじゃない」

恐怖の限界が来たのだろうか。
暁の手が吉兵衛の木の棒に届く寸前に、彼はころっとその場で気を失ってしまった。
あっけにとられ、目を見張る暁。
腕を上げたまま、首を傾げる姿がおかしかったのか、聡依は楽しげに声をあげて笑った。

「聡依殿ぉ……」

笑わないでよ、と不満げに聡依を振り返る暁。
そんな彼など気にも留めず、聡依はお春に腕を伸ばし、そして言った。

「帰ろうか」

お春がその手を掴んだ時、不思議なことが起こった。
彼女の体から、優美な姿の女がするりと抜け、お春の体が地面にゆっくりと倒れていく。
暁が慌ててそれを支えた。
そんな二人を不思議そうに見つめる彼女の手を引き、聡依はお春から完全に彼女を引き離した。

「本当にやっと会えたね、お夏」

にっこりと微笑みかかけた聡依に、お夏は嬉しそうに笑みを浮かべると、大きく頷いた。

73: :2011/12/26(月) 23:12:42 ID:GezEIMi77.



白い月が浮かんでいた。


静かな屋敷の中で寝息がいくつか。
疲れ切ったお夏と、暁、そして家鳴りたちのものだ。

その屋敷の主である聡依は、一人縁側に座り、眠れない夜を過ごしていた。
彼の奏でる三味線が、夜の空気を震わせる。ふと、それが違う何かで揺れた。

「あぁ、起きたんですか」

振り向くことなくそう問うた彼に、吉兵衛は身震いをする。
昼間のことと言い、あまり記憶がない中でも聡依の恐ろしさだけは妙に覚えていた。

「何をした……」

相手を脅すつもりで低く呟くと、返ってきたのは小さな笑い声。
ムッと眉を顰めると、聡依はすみません、と軽い口調で非礼をわびる。
74: :2011/12/26(月) 23:17:36 ID:GezEIMi77.


「私は何もしてませんよ。ただ、私の周りがいろいろとしたみたいで。すみませんでした」

一見、丁寧に見える彼の謝罪も、その口調と合わさるとまるで変ってくる。
馬鹿にされたと感じた吉兵衛は、それに答えることもなく無言で立ち上がった。
こんな妖屋敷、さっさと出ていくつもりだった。

「あぁ、そうだ。一つ訊きたいことがあるんですけれど」

「なんだよっ」
 
引き留める聡依に、苛立ち、つい言葉が乱暴になる。
ついでに舌打ちも漏れた。
それを気にするでもなく、聡依はついっとこちらを振り向く。

「なんで、お春さんを脅すような真似を?」

その問いに、吉兵衛の瞳は揺れた。
まっすぐこちらを射るように見つめる聡依から目をそらし、低く小さく呟く。

「……好きだったんだ。お春が。だけれど、全く相手にされていなくて、しかも他に好いている男がいるっていうから……、だから……」

「だからって脅して金をせびっていいわけじゃないでしょう」

しれっと呆れたような聡依の瞳に、吉兵衛は激昂した。

「違うっ! 金をせびったんじゃない! あれは、お春が勘違いして……。あっしはただ、彼女に協力するって言ったんだ。それで、少しでも接点ができればいいと思って……。だけど、お春が……」

「脅されたと勘違いしたんですね。それで口止め料として金を持ってきた」

吉兵衛はその言葉に頷く。
苦い言葉だった。
それほど、お春の自分に対する印象が悪かった、ということなのだから。
75: :2011/12/26(月) 23:22:18 ID:GezEIMi77.



「でも、あっしはそれでもお春に会えるならと思ったら、やめろとは言いだせなかったんだ……」
 
全部自業自得だ。
だけれど、それで片づけるにはあまりに苦い。
項垂れた吉兵衛に、聡依は一つため息を吐くと、背を向けた。
再び三味線が音を奏で始める。

「気を付けて帰えるといいよ」

ぼそっと雑に吐かれた言葉に、吉兵衛は目を見張った。
その声に今までにない何かを感じると、静かに一つ頷く。
そして広い部屋を出ていった。


76: :2011/12/26(月) 23:25:46 ID:GezEIMi77.



今日はこの辺で終わりです。

次でいよいよ事の全貌が明らかになります!

今日読んでくれた方、支援してくれた方、ありがとうございましたっ。

ではではノシノシ
77: 1 ◆fTDIHfjVnU:2011/12/27(火) 10:36:25 ID:GezEIMi77.



珍しくこんな時間からちまちま投下していきますよー。

あと、今晩はたぶんIDが変わるので、とりつけときまする。
78:
◆fTDIHfjVnU:2011/12/27(火) 10:38:05 ID:GezEIMi77.


襖が閉まる音を、背中で聞いた。

「聡依殿」

「なに?」

「聴かせてほしいんですにゃ」

「なにを?」

「お春さんと吉兵衛のことです。一体、なんだったんですか?」

問われたことに、聡依は一度、手を止めた。
白く丸い月を見上げながら、問い返す。

「聴きたい?」


暁は黙って頷いた。
それを感じた聡依は、目を伏せ、自分の手にできた無数のかすり傷を見つめる。

「お春さんには好きな人がいたんだ――」

79:
◆fTDIHfjVnU:2011/12/27(火) 10:39:50 ID:GezEIMi77.


お春には想い人がいた。
全く自分には関係ないと思っていた話。
だけれど、知らないうちにお春はどんどん深みにはまっていた。

見ているだけでいい。
あぁ、でも少しだけ話したい。
でも怖い。見ているだけにしよう。でも……。


そんなある日、彼女は母から縁談の話をされる。
大店からの縁談で、母はたいそう嬉しそうに話していた。
何があっても自分の味方だと信じていた兄を縋るように見つめてみても、兄も嬉しそうにしている。
兄の松之助はこういうところにひどく鈍感だった。

このままなら、私は何もできずに嫁に行かなければならなくなる。
初めて自分が好いた人。それなのに、何もしないまま諦めるなんて。

お春には我慢がならなかった。

「あっしが協力してやるよ」

店の前でうろついていたお春にそう声をかけたのは、吉兵衛だった。
悪い噂しか聞かない嫌な男。
どう考えても脅されているとしか思えなかった。
お金をせびられた。
嫌だったが、そうしないと自分は何もできないような気がした。
事実、吉兵衛は何度か彼と自分を話すきっかけを作ってくれた。
彼女一人ではできなかったことを、彼はこんなにも容易くやってのけた。

だから、やめられなかった。
80:
◆fTDIHfjVnU:2011/12/27(火) 10:41:04 ID:GezEIMi77.


「お春っ! あんたって娘は――!!」

母に怒鳴りつけられた時、お春は相当の金を吉兵衛に渡していた。
いったいどこからばれたのか、彼女にはさっぱり見当もつかなかったが、なぜか母はお春が吉兵衛にはまり、貢いでいると勘違いしていた。

「おっかさん、違うの。私はっ」

「言い訳なんか聞きたくない! 中村屋の旦那さんから、縁談は考えさせてもらうっていわれちゃったじゃないか!」

母の激昂。父の冷たい瞳。頼りにならない兄。
お春はもうダメだと思った。
結局こうだ。こうなるなら、大人しくずっと……見ていればよかったのに。


吉兵衛が憎かった。


そんなある夜、お夏が現れた。
長年櫛と共にお春を見守ってきたお夏。
そして男にだまされ、売り飛ばされた経験があった彼女にとって、妹のように思っていたお春の一大事は見過ごせなかったのだ。
そして二人は吉兵衛に復讐をすると、約束を交わした。
81:
◆fTDIHfjVnU:2011/12/27(火) 10:41:31 ID:GezEIMi77.



時間がないので、この辺でノシノシ
82: ◆fTDIHfjVnU:2011/12/29(木) 13:03:18 ID:XpWUsd12W6

今気づいたんだが、ゲートボールセンターをずっとボーリング場だと思ってたんだぜ……。
そんな1は吹雪のため今日もこれません(´・ω・`)
投下は最悪年明けになるかもですが、絶対終わらせるので気長にお待ちくださいお……
ノシノシ
83:
◆fTDIHfjVnU:2012/1/3(火) 13:24:40 ID:IEHoc/7hbw

あけましておめでとうございます!

そして、ただいま!!

今日もちまちま投下していきますよっ
84: :2012/1/3(火) 13:26:08 ID:IEHoc/7hbw



「というのが、今回の事の発端だよ。だけど、お前も聞いていたんだろう? 吉兵衛は金をせびる気なんかなかった。本気でお春さんが好きだったようだしね」

 
聡依は肩をすくめた。
その背中をじっと見つめる暁。

「それから、これにはもう一つ、勘違いをした人がいるんだ」

「それは……誰ですかにゃ?」

聡依は不意に振り返ると、暁の目を見つめた。

「おみよさんっていう人なんだ」

おみよは吉兵衛がずっと好きだった。
しかし、女ったらしの吉兵衛にとっておみよは大勢いる女の一人でしかなかった。
それを歯がゆく思っていたある日、密会するお春と吉兵衛の姿を見てしまう。

「二人はね、大の仲良しだったんだ。だからこそ、おみよさんにはお春さんが許せなかったんだよ。裏切られたと思ったんだろうね」

金を渡すお春。それを優しく見つめる吉兵衛。
許せない、と思ったおみよは、その足で中村屋に出向くと、そのことを洗いざらい話し、そしておおむら屋の女将にも告げ口をした。

「『お春さんが吉兵衛と言うろくでもないとこにたいそう貢いでいる』ってね」
85: :2012/1/3(火) 13:28:04 ID:IEHoc/7hbw


お金を渡していたのは事実だったこともあり、お春は上手に言い訳できなかったのだろう。
おみよの思った通り、彼女は中村屋の縁談も悪い方向に行き、吉兵衛とも会わなくなった。

「これは私の勝手な想像だけれどね。おみよさんはやっぱり羨ましかったんじゃないかな。お春さんは近所でも評判の美人。さらに大店から縁談まで来ている。そんな何もかも持っている彼女が、更に自分の想い人まで奪ってしまうなんて。許せなかったんだろうねぇ」

聡依は悲しそうにそっと呟いた。
結局、それぞれが自分の想いに振り回されただけだった。
それはあいつが悪いと言い切ることのできない行動。
だからこそ、なぜだか少し切なかった。
86: :2012/1/3(火) 13:29:20 ID:IEHoc/7hbw

「生きている人っていうのは、随分と面倒だね」
そう呟くと、聡依はまた暁に背を向け、三味線を弾き始める。
暁はそっとそばにより、その隣に腰を下ろした。

「聡依殿は、生き人は嫌いですか?」
返事がない。
暁は聡依をちらりと見上げ、別の問いを重ねた。

「聡依殿は人に何を言われても気にならないのですか?」

聡依が不意に暁の方を見る。
その手を止めず、じっと二人は視線を重ねた。

返事のない問いに、暁は視線を外す。
丸い月を聡依と同じように見上げ、それから自分の足元に目を落とした。

「……死んでから、好いてくれればそれでいいよ」

不意に聞えた声は、いつもの聡依のものよりもずっと頼りない声だった。
思わず聡依を見上げる暁。聡依はそれに気が付き、微笑みを返す。

「大丈夫。悲しかったことはあるけれど、寂しかったことはないから」

暁はその言葉に黙って頷く。
それを見ると、聡依は庭に目を戻し、それっきり暁の方を見ることはなかった。
暁も聡依から視線をそらし、黙って月の浮かぶ空を見上げた。

夜が明け、空が白々として来るまで、彼らはずっとそのまま無言の時を過ごした。

87: :2012/1/3(火) 13:36:40 ID:IEHoc/7hbw
続きはまた今夜でも!
それと、今きがついたんですが、今日で終わりそうです。
そしたら、また夜にノシノシ

88: 名無しさん@読者の声:2012/1/3(火) 13:43:26 ID:zmyX7GDdrI
終わりとか 寂しいです…


|ω・)oO(あと、そのうち描いてもいいですか?)コソーリ
89: :2012/1/3(火) 14:03:19 ID:iTGy3EI1C2
>>88
寂しいなんて!
ありがとうございます(*´∀`*)
うはぁっ、嬉しいです。是非お願いしますっ
90: :2012/1/4(水) 00:30:38 ID:IEHoc/7hbw


またぼちぼ投下していきますよー
91: :2012/1/4(水) 00:32:12 ID:IEHoc/7hbw


事件から数日後のある日、ようやくお春が落ち着いたのか、久しぶりに松之助が聡依の屋敷を訪ねてきた。
いつものように眠りこけていた聡依は、暁とお夏に叩き起こされ、一層不機嫌な顔で松之助の前に現れる。
それを何か勘違いしたのだろう。
松之助は聡依の顔を見た瞬間、

「緑青さまっ! もっ、申し訳ありませんでしたっ」

床に手をつき、頭を下げた。
ぽかんと口を開け、寝起きの顔を更に間抜けなものした聡依。
はて、と首を傾げた。

「あの、松之助さん?」

とりあえず顔を上げるように促し、聡依は松之助の向かいに腰を下ろした。
松之助は頭を下げたまま、何やら必死である。

「すっかりお礼が遅れてしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ! 緑青さまのおかげで、妹はすっかり体調も良くなり……、縁談も何とかまとまりそうです。母に誤解を解くこともできたようです」

「いやいや、縁談とかなにやらは、私には関係ないよ。早く顔を上げてくださいな。私はそんなことで腹を立てるほど、器が小さいつもりはないですし」

お夏が持ってきたお茶を進めると、松之助はいったいどこから、と言う顔で驚き、最終的に顔を上げた。

「でも、まぁ、うまいこと言ってよかったですね」

「はいっ、これもすべて緑青さまのおかげですっ!!」

だから関係ないって言っているのに。
この際壺でもなんでも適当に言って売りつけたら、どんなに高くても買うんじゃないのか、こいつ。
聡依はほとほと松之助を見て呆れた顔。
はぁ、と適当な返事をしながら、お茶に手を伸ばした。

「あぁ、そうだ……。緑青さま、これを」

松之助はいそいそと袱紗に包まれたものを聡依に差し出した。
謝礼か、と一つ頷き、遠慮なくそれを受け取る。

「こんなに……、いいんですか?」
92: :2012/1/4(水) 00:33:37 ID:IEHoc/7hbw


その厚みに驚いて問うと、松之助は照れたように頭を掻く。

「実はそれ、私のへそくりなんです。コツコツ貯めたかいがありました」

妹のために自分のへそくりを差し出すとは、と聡依は目を張り、袱紗を開く。
そしてそのいくつかを返そうと思い、やめた。

「では、遠慮なく納めさせていただきます」

聡依は床に手をつき、松之助に深々と頭を下げた。
バカ正直なのか、松之助はそれを見てあわてて自分も手をつき、しっかりと頭を下げる。
その光景を見ていた太助は、なにをそろいもそろって、と呆れ顔で呟いた。

「そうだ、松之助さん」

ふと、思い出して聡依が顔を上げ、松之助が頭を下げていることにぎょっとした。
そんな彼に気づかず、どこまでも無邪気にはい? と返事をする松之助。

「いや……、その、とりあえず顔を上げてください」

今日何度目だよ……、とげんなりし、聡依はまた湯呑に手を伸ばした。
松之助が顔を上げ、自身も湯呑に手を伸ばす。

「お春さんの想い人って、いったい誰だったんですかね」

近所でも評判のお春の初恋の相手。
気にならないこともない。
さぞ色男なんだろうと思案を巡らす聡依に、松之助はあぁ、と一つ頷くとあっさりと答えた。

「貸本屋の清次さんです」
93: :2012/1/4(水) 00:35:43 ID:IEHoc/7hbw


「はぁ……なるほど……。えっ?」

驚き、目を見開く聡依。
そんな彼に驚く松之助。

「今、なんと?」

「え? いや、だから妹の想い人は貸本屋の清次さんですけれど」

「え? 貸本屋の?」

「えぇ、だから清次さん……?」

なぜそんなに聞くのだろうと不思議そうな松之助の向かいで、ただただぽかんと口を開けている聡依。
はぁ、と呆けたように頷き、そのまま何を間違ったのか、湯呑をひっくり返してしまった。
どうやら驚きのあまり湯呑を持っていることを忘れ、頬を掻こうとしたらしい。

「うわっ! お夏! ネコっ!! 手拭いを持ってきておくれっ!」

あたふたと自分の着物の袖で濡れたちゃぶ台を拭こうとする聡依。
奥から足音が聞こえてくると、暁が口に手拭いを咥え、現れた。
それを受け取り、ぽかんとする松之助の前で、慌てながら畳を拭いていく聡依。
不意に、松之助が笑いだした。
94: :2012/1/4(水) 00:37:14 ID:IEHoc/7hbw


「は?」

不思議そうに手拭い片手に顔を上げる聡依。
首を傾げる彼に、松之助は可笑しそうに顔を歪めたまま、首をゆっくりと振った。

「いや、緑青さまはいつも落ち着いていて……、だからそんな姿を見るのは、なんというか、意外でして……」

「はぁ……」

「人間らしいところもあるのだなぁ、と思いまして」

目じりに浮かんだ涙を拭うと、呆けている聡依にハッと気が付き、慌てて頭を下げた。

「申し訳ありませんっ。無礼なことをしまして……」

「いやいや、いいんですけど……」

聡依は困った顔で頬を掻き、また顔を上げるように促した。
松之助はおずおずと顔を上げ、そして聡依に微笑みかける。

「でも、緑青さまがとても優しい方だとよくわかりましたよ。お春がとても感謝していました。もちろん私もです。本当に、ありがとうございました」

お人よしで優しいのはあんたの方じゃないかと、聡依は松之助を見て思う。
しかしそれを口に出すことなく、代わりに丁寧な礼を松之助に返した。

95: :2012/1/4(水) 00:40:42 ID:IEHoc/7hbw


屋敷には妖がまた集まっていた。
今日は松之助の謝礼を使い、妖たちの労をねぎらうために宴会が開かれているのである。
楽しげに笑い、食べ、飲む妖たち。
その真ん中では三味線を弾く太助の姿が。
楽しそうな彼らを眺めながら、聡依は家鳴りたちに囲まれ、菓子を食べていた。

「しっかし、お春さんの想い人が清次さんとは、流石の私も驚いたよ」

「何を言ってるんですかにゃ。清次殿は近所でも評判の色男ですにゃ」

「初めて聞いたよ、そんなこと」

「聡依殿が興味を持たなかっただけです」

「物好きな人がたくさんいるんだねぇ」

家鳴りにせがまれ、大福を配る聡依。
やがて満足したのか、家鳴りたちはそれぞれ、歌い、踊っている妖の輪にと入って行った。
それを眺めて、聡依は軽く息を吐く。

「しかし……、お夏には驚いたね」

ちらりと暁に目をやると、彼も苦い顔をして頷いた。
意外にもかなりきっちりした性格のお夏は、暁はもちろん、聡依もぐうたらするのを許さなかった。
96: :2012/1/4(水) 00:42:08 ID:IEHoc/7hbw


「さて、もうそろそろ……、怖いおっかさんがやってくるよ」

月を見上げ、聡依が呟く。
暁は身震いを一つし、聡依の腕の中にさっと隠れた。

それからほどなくして、鍋を片手に鬼の形相をしたお夏が部屋に飛び込んできた。
げらげら笑う妖たちを片手でひっくり返すと、鍋を叩き、彼らを睨みつける。

「何時だと思っているのよっ! 撤収よ、撤収! さっさと、自分の家に帰りなさーいっ!!」

妖たちから一斉に抗議の声が上がる。
それに怯むことなく、お夏はもう一度鍋を叩いて彼らを静まらせた。

「うるさいって言ってるのよっ! 早く帰るっ!! もう宴会はお開きよっ!!」

その様子を見ながら聡依は小さく笑い、残った饅頭にかぶりついた。
そして口をもごもごと動かしながら、呟く。

「宴もたけなわに……ってやつですか」

笑う聡依を、暁は腕の中から不思議そうに首を傾げ、じっと見上げていた。
97: :2012/1/4(水) 00:43:52 ID:IEHoc/7hbw

町外れにある妖屋敷。
裏手には鬱蒼とした山が広がるそこには、誰も近づきたがらない。
そこに住まう若干18の少年といくつかの妖たち。
そんな彼らの日常は、今日も賑やかに過ぎて行った。


これで終わりです!
今まで読んでくれた方、支援してくれた方、本当にありがとうございました!!

98: :2012/1/4(水) 00:47:31 ID:IEHoc/7hbw
誰かいるかな……?
とりあえず、今後のことを一応。
もしも需要があれば、またちまちまと番外編でも投下しようかなと考えています。
需要がなければさくっと排除依頼を出そうと思っているのですが……。
どうでしょう?

今日はとりあえずこれで落ちますね。
それではノシノシ
99: 名無しさん@読者の声:2012/1/4(水) 20:17:08 ID:hTChg3IisE
是非、保管庫で お願いします


あと、できれば番外編読みたいなぁ チラッ

100: :2012/1/5(木) 23:07:29 ID:/0856AJwQo
>>99
需要があったようで、嬉しいです(*´∀`*)ありがとうございます。

ありがたいことに需要があったので、書かせていただきます!
またちゃんと話もいくつか書こうと思っているので、その合間におまけ話を書いていきます。
投下は明日からかな、と考えているので、もし暇だったら、また読んであげてください!

ではではノシノシ
101: :2012/1/6(金) 15:52:27 ID:X67jMh/RMg
バイトの前にちょこっと投下していきます
102: :2012/1/6(金) 15:53:54 ID:X67jMh/RMg

町外れにある妖が住みついていると噂される屋敷の主は、寝起きの機嫌がとても悪い。
特に昼寝を起こされた時などは最低で、誰であろうと容赦がない。
そんな時に客など来てしまったら、もう最悪である。

今日は何が悪かったのか、その最悪にあたってしまったようだ。

ちゃぶ台に肘をつく聡依。
いつものように襖の向こうに置かれたお茶を取りに行こうともせず、黙って客人を見つめている。
もてなす、という気が全く感じられない態度だ。

「で?」

彼の態度に怖気づいた客が言葉を発しないのを知ると、彼は一言、そう言うことで話を促した。つもりらしい。
余計に恐縮した客はおどおどと目をそらし、俯いてしまった。

「聡依殿……」

見かねた猫又である暁が小声で聡依に声をかける。
何? と優しさを微塵も感じない声で聞き返す聡依に、暁も体を小さくする。
聡依は浅く息を吐き、仕方がないと口を開いた。

「それで、どうしたんですか? このままだと単に私の安眠を妨害しに来ただけになるので、ぜひ話してください」

笑顔と言葉づかいだけを見ればとても丁寧で親切に見える。
しかし、その言葉は隠す気など無い嫌味が含まれており、客人はまた、恐縮した。
103: :2012/1/6(金) 15:54:41 ID:X67jMh/RMg


しかし、何も言わなければ嫌味がまた増えるだけだろう。
彼も腹をくくったらしい。

「実は、数日前から嫌な夢を見るんです。それに肩がとても重くて……。もしかして、私に何かついているんでしょうか」

真剣な顔で尋ねる味噌屋の小僧に、聡依はくすっと笑みを漏らした。
一体何を言っているんだ、という態度である。
そんな彼に、暁はため息を吐く。

「肩こりですね」

「いや、でも、緑青さま。夢見も……」

「肩こりですね」

「はぁ……」

ため息を吐く彼に、聡依はようやくお茶を持ってくると勧めた。
どうやら単に自分がお茶請けのまんじゅうを食べたかっただけらしく、客の前だというのにまんじゅうにかぶりつく。

104: :2012/1/6(金) 15:55:48 ID:X67jMh/RMg


「そんなこと、全部気のせいだと思っていればいいんですよ。体に支障はないんだし」

好物を食べているおかげで少しは機嫌が直ったのか、聡依はもぐもぐと口を動かしながら助言をする。
客人はやたらと恐縮し、ちゃぶ台に手をついて丁寧に頭を下げた。

「あ、そうだ。味噌屋さん」

彼は味噌屋と言う名前ではないのだが、どうやら聡依には名前がわからないらしい。
奉公先の名前すらわからないなんて、と暁は片手で額を押さえている。
頭が痛い、というところだろうか。

「肩に糸くずが」

ひょいっと腕を伸ばし、聡依は彼の肩をすっと撫でた。
糸くずを払うには少し優しすぎるものである。
それを見た暁が、琥珀色の瞳を細める。
105: :2012/1/6(金) 15:58:18 ID:X67jMh/RMg

「ありがとうございます」

「いやいや、たかがごみを取っただけですから」

まんじゅうでもいかがですか? と、聡依は勧めながらも、自分が食べたそうな顔をしている。
その手がすでに客人の分のまんじゅうを握っているのを見て、彼は苦笑いをした。

「いえいえ、それは緑青さまがお食べください」

「それはどうも」

言うが早いか、聡依はひょいっとまんじゅうを口に運び、嬉しそうに目を細める。
ついさっきまで不機嫌だった男とは別人のようだ。

「緑青さまの言うとおり、あまり気にしないことにします。そう思ったら肩も軽くなったような気がしました」

笑みを浮かべる客人に、聡依は単純だなぁ、と呟いた。いつもの5割増しで遠慮がない。
そんなことは気にせず、客人は笑みを浮かべたまま言葉をつづけた。

「くだらない与太話に付き合ってくださり、ありがとうございました」

「このくらいの話なら、いつでも付き合いますよ。ただ、この時間に来るのはやめてくださいね」

昼寝の時間なので、とにこやかに言う聡依。
よくもまぁ、働いている人に向かって言えるものだ。
暁は妙に感心し、戒めのつもりで聡依背中を軽く叩いた。


106: :2012/1/6(金) 15:59:31 ID:X67jMh/RMg
とりあえずおまけその1は終わりです。
こんな感じで短い話をちょこちょこ書いていきます(`・ω・´)
ではまたノシノシ
(バイト行きたくないよおおおお)
107: 1:2012/1/8(日) 14:02:27 ID:X67jMh/RMg

今日もちょこっと投下していきます
108: 1*日常:2012/1/8(日) 14:03:53 ID:X67jMh/RMg

近所で評判の妖屋敷の家主は、無類の甘い物好きである
。三度の飯よりも菓子が好き、とのたまう彼は、だし巻き卵ですら甘いものを好む。
多々ある菓子中でも彼は飴に目がない。飴売りを家に定期的に呼んでしまうほど好きなのだ。

そんな彼の飴に囲まれた幸せな生活に、この師走という季節が邪魔する。

「えっ、年明けまで来れないんですか?」

いつものように客間に飴売りの老人を通し、飴を選んでいた聡依が声を上げた。
何事かと隣で一緒に飴を見ていた家鳴りが彼を見上げる。

「えぇ、そうなんですよ。年末はほとんど飴が入ってこないからねぇ。ごめんね」

109: 1*日常:2012/1/8(日) 14:04:42 ID:X67jMh/RMg

「いやいや、いいんですけど……、そうですか」

項垂れる聡依。ごめんねぇ、と飴売りはもう一度謝った。

「今日はあるだけ持ってきたから。好きなだけ買い溜めてくださいな」

「えっ、でも、そんなことしたら年明けまでおじいさんが商売できないじゃないですか」

「いいんですよ。聡依殿はうちの一番の上客なんだから」

その言葉に嬉しそうに聡依は頷き、家鳴りと一緒になって再び飴を選び始めた。


「だからってこんなに買わなくてもいいじゃないですかにゃ」
大量の飴を目の前に、猫又の暁は渋い顔。
それを一つ口に入れ、嬉しそうに口を動かしている聡依はお小言など聞いちゃいない。
家鳴りたちも色とりどりの飴を前に嬉しそうである。

「だって、年明けまで飴がないと思ったら押さえられなかったんだもん」

110: 1*日常:2012/1/8(日) 14:05:23 ID:X67jMh/RMg


子供の様な言い訳をしながら、聡依は飴を数えている。実に30個以上はあった。

「これを一日一つずつ食べれば、年明けまで持つでしょう?」

何やら偉そうに胸を張る聡依に、暁は何も言えずため息を吐いた。

「もう勝手にやってくださいにゃ……」

苦々しい顔をする暁など露知らず、聡依は楽しそうに飴を色別に並べ始めていた。

しかし、年明けまで持つと思われた飴は意外な速さで無くなって行った。
聡依は家鳴りのことを考えていなかったのだ。
そして、聡依自身が飴を一日一つだけで我慢できるわけがないと言うことも。

「信じられないよ……」

111: 1*日常:2012/1/8(日) 14:06:58 ID:X67jMh/RMg
 
残り2つとなった飴を前にして、聡依は目を丸くする。
周りにいる家鳴りたちも危機を感じ取ったのか、きゅわきゅわと一斉に泣き出した。

「いったい誰が食べてしまったんだ」

一体彼は何を言っているのだろう。
食べたのは紛れもなく聡依と家鳴りたちであるのに。

それにしても、この飴が残り2個まで減ったのが飴を買って七日もたっていないと言うのがすごい。
本人たちに自覚はないだろうが、少し食べ過ぎだ。

「まったく、だから言ったじゃないですかにゃ」

後ろから聡依たちを見ていた暁が、深いため息を吐いてそう言った。
なにをっと勢い良く振り返り、涙目で暁を睨みつける聡依。普段と立場がまるで逆である。

「だって、あんなにあったのに!」

112: 1*日常:2012/1/8(日) 14:07:46 ID:X67jMh/RMg

「聡依殿、飴は食べればなくなるんですよ。当たり前じゃないですかにゃ」

「それくらい知っているって! だけど、一生なくなりそうにないくらいあったじゃいか」

「それを聡依殿たちがこの数日で食べてしまったんですよ。驚きましたにゃ」

正論を言われては返す言葉もない。
しゅん、と項垂れ、聡依は残りの飴を口に含んだ。
一つを砕き、家鳴りたちに分け与える。

「飴がないなら、もう何もやる気がしないよ……」

「普段から何もしないじゃないですか」

「うるさいよ、黙ってて」

ぐすん、と鼻をすすり、項垂れる聡依。
流石に気の毒になったのか、呆れていた暁も慰めようとその顔を覗き込むと、

「飴おいしい」

と呟く聡依に呆れ、結局何も言わずに天井を見上げて深くため息を吐きだした。

「こりゃだめだにゃ……」


113: :2012/1/8(日) 14:08:26 ID:X67jMh/RMg
恐ろしいまでのぐだぐだっぷり……。
今日の投下はこれで終わりです
ではではノシノシ
114: :2012/1/11(水) 00:34:19 ID:X67jMh/RMg
今日もちょこちょこあげていきます
115: 1*日常:2012/1/11(水) 00:37:57 ID:X67jMh/RMg


お夏がやってきた屋敷は以前よりも格段に食事の質が上がった。
以前は聡依はご飯と漬物、暁は鰹節がたっぷりかかったご飯のみ、という何とも質素な暮らしをしていたのだが、それを許すお夏ではない。

「今日から家事はあたしがやるから」

腰に手を当て、高らかに宣言するお夏。
台所を覗き、あまりの物のなさに聡依と暁は二人で叱られた後だった。
角が見える、と聡依が呟くと、途端に鋭い視線が飛んでくる。

「お買い物もあたしが行きたいけれど、残念ながらそれはできないからね。聡依、お使いに行ってもらえる?」

「やだ」

「やだ、じゃないの。行きなさい」

強い口調に変わったお夏に怯えたのか、暁が聡依の腕を引っ張る。
大人しく言うことを聞け、と言うことなのだろう。

「じゃあネコが行けばいいだろう。お前、化けられるんだから」

そう言った聡依に、あからさまに嫌な顔をする暁。
面倒くさいのは彼も同じらしい。

116: 1*日常:2012/1/11(水) 00:38:39 ID:X67jMh/RMg

「いやいや、あっしではボロがでるかもしれませんにゃ」

「いいよ、誰もそんなの気にしないし」

「聡依殿は気にしなくても、あっしは気になるんですにゃっ!」

「じゃあボロが出ないように気をつけなよ、バカだね」

「にゃんですってぇー!」

「ほら、短気。バカで短気で怖がりなんて、いいところないじゃないか。おまけにお使いもできない」

「にゃにゃにゃっ! それ以上言ったら、いくら聡依殿でも許しませんにゃああっ!!」

 途端に口論を始めた二人。そんな彼らは気付いていなかった。
一度落ち着いたはずのお夏が、再び般若に戻っていたことに。

「そんなにもめるんなら、二人で仲よく買い物に行ってきなさーいっ!!」

ビクッと体を震わせ、耳を伏せる暁。
その隣で聡依はあーあ、と呟いた。

117: 1*日常:2012/1/11(水) 00:39:32 ID:X67jMh/RMg

「イワシ、イワシ……、ネコ、イワシは八百屋か?」

「イワシは魚ですにゃっ! 聡依殿はそんなことも知らないんですかにゃ……」

浅葱色の着流しを着たまげを結わない男と山吹茶色の着流しを着た妙な男が並んで歩いている。
先ほどから人目を引いているのを全く気にせず、そんな会話を繰り広げているのは、もちろん聡依と暁の二人である。

「しっかし、お前は人の姿だと随分間抜けな顔になるんだね」

「にゃっ、なんですにゃっ! その言い草は」

「事実ですよ。大きな垂れ目なんて、アホにしかみえない」

お夏に渡された覚書を見ながら、聡依はしれっとそう言った。
その隣で怒りに身を震わせる暁。どうやら先ほどの喧嘩がまだ尾を引いているらしい。

「さて、それじゃあ魚屋にでも行くかね。イワシを買いに」

118: 1*日常:2012/1/11(水) 00:40:26 ID:X67jMh/RMg

ふわっと大きな口を開けて欠伸を一つ。
ふらふらと歩く聡依に暁はむくれた顔でついて行った。

いざ、魚屋についてみると、元が猫である暁の機嫌はころっと直ってしまう。
キラキラと目を輝かせ、並んだ魚と聡依の顔を見比べていた。

「だめだよ。イワシを頼まれているんだから。それ以外はいらないよ」

眉をしかめる聡依に、項垂れる暁。

「どうせ聡依殿だって、途中でお菓子買うじゃないですか」

「それとこれは別だよ」

「別じゃないですにゃっ!」

「別に決まっているじゃないか。誰が魚なんて欲しがるの」

それを魚屋の店先で言うのはどうかと思うが、常識もないのがこの男である。
呆れたようにため息を吐く聡依に、未だに諦める気配のない暁。

「お魚、食べたいですにゃ……」

「だめです。鰹節なら、まだ家にたくさんあったじゃない。それで我慢しなさい」

119: 1*日常:2012/1/11(水) 00:41:04 ID:X67jMh/RMg


「鰹節じゃなくて、お魚がいいにゃあ……」

大体まだたくさん買い物が残っているんだから。
聡依は呟きながら、覚書を暁に見せる。
暁はひょいとそれを覗き込み、その多さに目を丸くした。

「味噌、しょうゆ、大根、ゴボウ、春菊……、だっ、誰がこんなに食べるんですか……」

「知らないよ。この量じゃ、私の菓子も買えないかもしれない」

はぁ、とため息をついた聡依に、暁は目を光らせた。

「聡依殿、こうすればいいんですにゃ……!」

「えっ?」

120: 1*日常:2012/1/11(水) 00:42:01 ID:X67jMh/RMg


屋敷で二人の帰りを待つお夏はご機嫌だった。
もともと家事の中では一番料理が好きで、小料理屋に奉公に出たいと思ったこともあったくらいだ。

「今日は二人を驚かしてあげるんだから……」

鼻歌を歌いながら台所で鍋を磨く。
その後ろでは太助が彼女の呟きに耳を傾けながら、三味線を磨いていた。

「そんなにうまくいくかね。あの二人にお使いを任せて」

ふぅ、と息を吐く。そんな太助の心配がご機嫌なお夏の耳に届くことがなかった。

「ただいま帰りました」

玄関の方から声が聞こえる。
帰ってきたっ! と小さく声を上げ、鍋を放り投げてすっとんでいくお夏。
その様子を見ながら、太助は心配そうにそちらの方に顔を伸ばした。
その直後だった。

121: 1*日常:2012/1/11(水) 00:42:54 ID:X67jMh/RMg

「これはどういうことですかぁっ!!」

玄関の方からお夏の怒鳴り声が聞えた。
ほら、やっぱり。そう思いながらも、思わず頭を抱える太助。
思っていた通りになってしまったらしい。

「こんなに魚はいらないのっ! それにこんなにお菓子買ってきて、誰が食べるっていうのっ!」

「あ、それは私が」

「魚はあっしが食べるにゃっ!」

「偉そうに胸を張るんじゃないのっ!」

全く相変わらずの二人だな、と太助は呆れて笑う。
ヒートアップしてきたお夏の怒鳴り声を聞き、三味線を傍らに置いた。

「さて、そろそろ止めに入りましょうか」

重い腰を上げると、彼はよいしょっと軽い伸びをした。

122: :2012/1/11(水) 00:54:43 ID:X67jMh/RMg
今日の投下はこれで終わりです。
以下、お知らせです。

こんばんは、1です。
読者スレと批評スレを読ませていただきました!
批評をしてくれた方々、本当にありがとうございましたっ!新しく書き溜めていくものにはすべて参考にさせていただきます!
そして読者スレでこのSSを押してくれた方々、本当にありがとうございます!!
わたしの幼稚な文とストーリーで読者の皆様を喜ばせられているのか、ずっと不安だったのでとてもうれしかったです。
これからもどうかよろしくお願いします。

そして、両方のスレからあげられていた、本編の継続の話ですが。
これは実は始めた当初からかなり悩んでいました。
というのも、わたしは完結まで書き溜めずに投下するというのは正直不安でして、それはしないと自分で決めているのです。
そのため第二話(実は第二夜になるのですが)を書くとすると、時間をかなり頂かなければならないかと思い、無理だと考えていました。
ですが、せっかく需要があるのにそれを無下にするなんてっ!もったいない幽霊にふるぼっこにされます!
第2話を書き終えるまで、おそらく2週間はかかるかと思っています。そして私事ですが、この先テストを控えており、もう少しかかるかもしれません。
少しお時間を頂くことになりますが、それまでは書き溜めてある日常編をちょろちょろ投下していくので、それを読みながら気長に待っていただけると、ありがたいです。
(因みに日常編は、あと3つほどためがあります)
ということで、お知らせは以上です。以下、SS補足説明などなので、お時間のある方はお付き合いください。ノシノシ
123: 1*補足説明:2012/1/11(水) 01:04:11 ID:X67jMh/RMg
妖怪たちの紹介をメインにしていきたいと思います。

・家鳴り
畠中恵さんのしゃばけシリーズではおなじみの妖怪です。
子鬼の姿をしています。たまに家で聞こえるギシギシという音の正体は彼ら。
今でも湿気などが原因で家がきしむことを家鳴りといいます。

・コボッチ
動物のような見た目をしています。
谷間や林に住む妖怪で、かわいい見た目とは裏腹にやらかすことはかなり悪いです。

・がしゃどくろ
割と有名なので、知っている方もいるかもしれません。
大きい骸骨の姿をしています。きちんと埋葬されなかったり、争いで死んだ骸骨が集まってできたもの。

・獺(カワウソ)
カワウソです。彼らも昔はキツネや狸のように人を化かすと考えられていました。

よく出てきたのはこの辺でしょうか。
わたしはウィキペディアや「妖怪一丁目」http://youkai.me/youkai.htmlさんをとても参考にさせていただいています。
面白いのでぜひのぞいてみてください。


124: :2012/1/11(水) 01:06:01 ID:X67jMh/RMg
追加ですみません。
「妖怪一丁目」さんはPCサイトです。
携帯からは見れないと思うので、注意願います。
ノシノシ
125: 名無しさん@読者の声:2012/1/11(水) 12:56:33 ID:rGeVyfef4c
期待して待ってますヽ(*`ω´)ノ

CCCC
126: :2012/1/12(木) 23:35:09 ID:X67jMh/RMg
>>125
ありがとうございます!
あまり期待せずに待っていてくださいww

今日もちまちまあげていきますよー
127: 1*日常:2012/1/12(木) 23:37:11 ID:X67jMh/RMg
事件簿#1(これだけタイトルがついている不思議)


その日、妖屋敷はいつも以上ににぎやかだった。
そしてそれはいい意味ではなく。

「あっしの……、鰹節がないにゃ……」

台所で乾物物入れの缶を開けた暁は、そのなで肩を更に落としていた。
おやつ用に残しておいた鰹節が綺麗になくなっている。
一体誰がこんなことを……、と怒り7割、悲しみ3割で体を震わせる。

「こんな意地悪をする人は決まっているにゃ……」

琥珀色の目にたまった涙を拭い、彼はぐっと口を噛みしめた。
そして缶を握りしめ、立ち上がった、その時。

「ネコっ!!」

容疑者その1が、台所に飛び込んできた。

「私のまんじゅうを食べたのはお前かい?」

彼もまた、怒りに身を震わせていたのだった。

128: 1*日常:2012/1/12(木) 23:38:20 ID:X67jMh/RMg

「これは一体どういうことだね……?」

部屋に集まった者たちを見回し、聡依は眉を顰めた。
暁にお夏、太助。そして家鳴りたち。

「なんでこんなに物がなくなったんだか……」

暁は鰹節が、お夏は匂い玉が、太助は読本が、そして家鳴りたちは飴玉がなくなっていた。

「聡依殿は何がなくなったんです?」

暁が悲しそうに缶を握りしめたまま尋ねる。
聡依の顔からは怒りがすっかり消え、代わりに戸惑いが滲んでいる。

「私はさっきも言ったけれど、饅頭だよ。今日のおやつにと思って買ったんだ」

せっかく食べようと思ったのに、と聡依はまた怒りを思い出したのか、顔を歪めた。

「ちょっとまて、聡。お前、今、今日のおやつと言ったか?」

何かを思いついたのか、太助が不意に尋ねる。
聡依は訝しげに眉をあげながらも、頷いた。

「暁、お前さんの鰹節も今日のおやつだったんだな?」

「そうですにゃ」

129: 1*日常:2012/1/12(木) 23:39:35 ID:X67jMh/RMg

「ふむ……。夏、お前はどうだ?」

「あたしも今日、匂い玉を使うつもりだったよ……、それがなに?」

太助がちらりと聡依に目をやる。
聡依はなるほど、と一つ頷くと、周りを見回した。

「つまり、無くなったものは今日使う物や食べるものってことだね?」

「その通り。俺の読本も、今日読もうと思っていたものだ」

「でも、なんでなんです? それに、誰が」

お夏の問いに誰もが口を閉ざした。
一体誰が? それを考え始めると、途端に場の空気が険悪なものになっていく。

130: 1*日常:2012/1/12(木) 23:41:35 ID:X67jMh/RMg


「聡依殿、鰹節食べてませんよね」

暁がポツリとつぶやいた。
聡依はハッと暁を見つめ、一瞬怒ったように顔をゆがませた。

「違うよ、ネコ」

穏やかに答える聡依。
どうやら疑われたことを怒ってはいないらしい。
珍しいな、と太助が感心していると、

「私が魚の削りかすなんて食べるわけがないじゃないか」

この男が怒らないわけがなかった。
まったくどうしようもないな、と呆れる。
仕方なしに太助は、今にも噛みつきそうに体を震わせる暁と聡依の間に入った。

「俺が思うにこの中に犯人はいないよ。だから身内を疑うのはやめなさい。鰹節はまた買ってもらえばいいじゃないか。聡もいちいち突っかかるな」

暁と聡依はそれぞれ気のない声で太助に返事をする。
まったく、と腕を組む太助の隣で、お夏が首をひねる。

「それにしても妙ですよね。無くなったものはどれもこれもそう高価ではないもの。盗人がやったとは思えませんね」

131: 1*日常:2012/1/12(木) 23:42:26 ID:X67jMh/RMg

「確かにそうだな。ならば間違って持って行ったか、悪戯かのどちらか……」

考え込む太助。
聡依と暁はまだ険悪な雰囲気のまま、互いにそっぽを向いている。
ふと、お夏が暁の持つ缶に目を止めた。

「あら、ネコちゃん、その缶……」

暁の缶をひょいと取り上げ、お夏がそれをまじまじと見つめる。
暁はそれを不思議そうに眺めていた。

「どうしたの、お夏?」

「いえ、なんだか見覚えがあるような、ないような」

うーん、と考え込んでいたお夏は、不意にあっと声を上げる。
そろって首を傾げる家鳴りたち。

132: 1*日常:2012/1/12(木) 23:43:33 ID:X67jMh/RMg


「ごっ、ごめんなさい。ネコちゃんっ! これ、昨日の夜、あたしがお出汁を取るのに使っちゃったんだわっ」

「エッ」

「ごめんね、台所の台の上に出ていたから、使っていいものだと……」

途端に暁の隣から、鋭い視線が飛んでくる。
暁はお夏を見たまま硬直し、やがて静かに項垂れた。

「すいませんにゃ……、聡依殿」

「ごめんね、あたしが早く気が付けばよかったわ」

「別にいいけどね」

ふんっと鼻を鳴らす聡依は明らかにむくれている。
暁がしょんぼりと耳を垂らす。

「よし、これで一つ解決だな。他に昨日でも今日でもいいが、心当たりがあるものは?」

太助が周りを見回し、皆に問いかけた。
133: 1*日常:2012/1/12(木) 23:45:31 ID:X67jMh/RMg

するとむくれていた聡依が不意に何かを考え込み、眉を顰めた。
それを見て、太助がどうした? と聡依をうかがう。

「太助。お前の探している読本っていうのは、表紙が薄茶で……」

「そうそう。題は『雨月物語』だな」

「あぁ、ごめん。それは私が昨日読んでいて、返していなかったやつだ。後で返すよ」

「お前か。それならいいんだ。読んだら返してくれれば」

そう太助は言い終わった途端に、また眉をしかめた。
何か思いついたのだろうか。

「俺は昨日、読本を読もうと思って文机の上に出しておいたんだ。それを聡依が見つけて持って行った。暁は食べようと思って台所の台に置いたんだな? それを、夏が出汁を取るのに使った……。家鳴り、お前たちは飴をどこに置いておいた?」

134: 1*日常:2012/1/12(木) 23:49:28 ID:X67jMh/RMg

「客間の机の上だよ」

家鳴りたちは一斉に答える。
それを聞き、今度は暁が声を上げた。

「それ! うっかりあっしが片付けちゃいましたにゃ。また食べっぱなしにしたんだと思って」

その言葉に食べられたと思い込んでいた家鳴りたちがほっと胸をなでおろした。
太助も大体事の真相がはっきりとしてきたおかげからか、にこやかにそれを眺める

「だいぶわかってきたな。あとは夏の匂い玉か。それはどんなもので、どこに置いていたんだ?」

「あたしの匂い玉は部屋の文机の上だよ。今日使おうかなと思っていて出しておいたの。匂い玉自体は小さい巾着袋に入っているよ」

すると、今度は家鳴りたちが声を上げた。なんだお前らか、と太助がほっとしたように息を吐き、そちらに目をやる。

135: 1*日常:2012/1/12(木) 23:50:53 ID:X67jMh/RMg


「それなら我らだ! さっき飴を探しているときにおいしそうな匂いがしたから持って行ったんだ。食べてないよっ」

「それならいいのよ。でも、食べなくてよかったわ」

にっこり微笑むお夏に怒られると思っていたのだろう、家鳴りたちは安心する。
それを見た太助は周りを見回し、一つ頷いた。

「これで事の真相は分かったな。よかったよ、盗人の仕業じゃなくて」

みんなが穏やかな顔でうんうん、とうなづいた。
これにて一件落着。誰もがそう思った時、不意に聡依が眉を顰めた。

「ちょっと待って。私のまんじゅうは一体どこだい……?」

136: 1*日常:2012/1/12(木) 23:54:31 ID:X67jMh/RMg

一瞬にして険悪な雰囲気が戻ってきた。
誰もが聡依の表情に身構えたとき、

「おう、なにやってるんだ。こんなとこで」

と、まんじゅうを片手に呑気な顔で部屋に入ってきた男がいた。
はっと顔を上げ、そちらを見た聡依の目がそれをとらえる。
その途端、彼の顔がさっと色を変えた。

「そっ、それは、私の……っ」

「あぁ、これ? さっき、机に置いてあったから、ありがたくいただいたよ。おいしいなぁ、このまんじゅう」

暢気な清次の返事に、聡依以外の誰もが頭を抱えた。
暁など、早々に避難を始めている。

あはは、と反省の色など全く見せずに笑う清次に、聡依の体が再び怒りで震えはじめた。

「私のまんじゅうを、返せぇぇぇえええっ!」

「えっ?」

本日の下手人、貸本屋の清次。


137: :2012/1/12(木) 23:56:27 ID:X67jMh/RMg
今日の投下はこの辺で終わりです。
日常編のグダグダっぷりには本当に川に飛び込みたくなりますね。
あと2つほど、これにお付き合いくださいっ!
あと2つが終わるころまでには、本編書き溜め終わるといいんですが……。
ではではノシノシ
138: 名無しさん@読者の声:2012/1/15(日) 09:56:56 ID:2ho66zkJlw
やっぱり満足の面白さだよなあ
支援支援っ
139: 1:2012/1/15(日) 21:23:26 ID:X67jMh/RMg
今日もちまちま投下していきますよー。

>>138
満足していただけてうれしいです(´;ω;`)
支援ありがとうございますっ
140: 1*日常:2012/1/15(日) 21:24:45 ID:X67jMh/RMg


冬だと言うのに妖屋敷には虫が出たらしい。
それも、この世で誰からも嫌われている黒い虫が。

「聡依っ! この屋敷は一体いつから掃除してないのっ!!」

腰に手を当て、寝ぼけ眼の家主の前で声を張り上げるのはお夏である。
その隣ではいつも以上に身を縮める暁が。
どうやら彼もあの虫が苦手らしい。

「うーん……、私が覚えている限り、住み始めてから一度も……」

「それっていったい何年になるのよぉっ!」

「さぁ……?」

首を傾げる聡依に、お夏はへなへなとその場に座り込む。
それにしてもよく数年も掃除をせずに暮らしていたものだ。

141: 1*日常:2012/1/15(日) 21:25:53 ID:X67jMh/RMg

「因みに、この屋敷が使われていたのは俺が住んでいたころだから、十数年前になるな。彼女が亡くなってからは、一度も掃除をしていない」

「あっ、そうなんだ」

いつの間にかやってきた太助の言葉に、聡依が相槌を打つ。
そんなどこまでも呑気な家主に、お夏はあんぐりと口を開いた。

「そうすると……」

「うん、数十年は掃除してないことになるね」

「いっわっれっなっくっても、わっかるわよ……っ!!」
「あっ、そう?」

ふわっと大きな口を開けて欠伸をする聡依。
呑気な彼と苛立つお夏を暁は不安そうに交互に見ていた。

142: 1*日常:2012/1/15(日) 21:27:11 ID:X67jMh/RMg


「するわよ……、掃除」

「うん?」

「掃除するって言ってるのっ! 今から、みんなでっ!!」

あっ、そう。ふーん。
聡依は眠たそうな声で、お夏にそう答えた。
暁も太助も、この返事ではまたお夏が怒り出すだろうと、そろって頭を抱える。
事実、お夏は聡依のやる気のない返事に怒り心頭で震えていた。
しかし、彼女が怒り出す少し前に、

「えっ、それって本気で言ってるの?」

聡依が覚醒する方が先だったようだ。

143: 1*日常:2012/1/15(日) 21:28:41 ID:X67jMh/RMg

「いーやーだー」

「子供みたいなことしないでくださいよ、聡依殿」

「嫌だ、掃除なんて面倒くさい」

お夏が本気で掃除をする気だとわかった途端、慌てて自室の炬燵にもぐりこんだ聡依。
そんな彼を、箒片手に慰めるのはやっぱり暁である。

「聡依殿は自分の部屋だけでいいんですから、頑張ってくださいよ」

「なんで私が掃除なんかしなきゃいけないのさ」

「普通はみんなするんですよー」

「じゃあ、普通じゃなくてもいい」

一向にコタツムリから人間に戻ろうとしない聡依に、暁は呆れてため息を吐いた。
聡依は腕だけを伸ばし、机の上のまんじゅうを掴もうとしている。
それを見て、暁はふと思いついた。

144: 1*日常:2012/1/15(日) 21:29:39 ID:X67jMh/RMg


「聡依殿。先ほど台所で出た黒い虫ですが……」

「それがなに」

「奴らは実は、甘いものが格別好きという話でしてにゃ……」

ふーん、と聡依はまんじゅうを口に運び、興味のなさそうに返事を打つ。
暁は一瞬イラついたのをぐっと堪え、言葉をつづけた。

「だから聡依殿おまんじゅうも、勝手に食べられちゃうかもしれませんにゃ」

「でも、台所でしか出てないじゃん」

145: 1*日常:2012/1/15(日) 21:30:52 ID:X67jMh/RMg

「でも、でもですよ? 今日大掃除したら屋敷中が綺麗になりますよ? そうしたら、奴らが出られるのは掃除のしていない聡依殿の部屋くらいになってしまいますにゃ」

自分で何を想像したのか、暁が恐ろしげに身を震わせる。
その言葉を聞き、まんじゅうを咥えたまま聡依は一瞬考え込んだ。
はたして、コタツムリ解消なるか。
暁は彼の顔をうかがう。

「ふむ……、そういうことなら、掃除しないわけにはいかないなぁ」

もぐもぐと口を動かしながら、かしこまって言う聡依。
そんなんじゃ威厳も何もないですよ、と暁は呆れながらも、うまくいったと口元を綻ばせた。

「それじゃあ早速やりましょう! 奴が出たら大変ですしっ」

「あい、わかった」

まんじゅうを喉の奥に押し込み、炬燵からはい出る聡依。
その姿もなんだかなぁ、と呆れている暁の肩を太助が叩いた。

146: 1*日常:2012/1/15(日) 21:31:39 ID:X67jMh/RMg

「たっ、太助殿っ! いつの間にっ!」

「様子を見に来たんだよ。それにしてもお前、随分と扱いがうまくなったな」

「まぁ……、慣れましたにゃ」

「まぁ、慣れるわな」

太助が肩を震わせて笑う。
暁は呆れるやら何やら、いそいそと掃除をし始めた聡依を眺める。

「あっ、二人ともそんなところで油売って。ほらほら、掃除、掃除っ!」

「単純、だよなぁ」

「ですにゃ」

二人で顔を見合わせ、思わず吹き出す。
そんな太助と暁を、箒を片手に聡依は首を傾げて眺めていた。

 
147: 1*日常:2012/1/15(日) 21:33:11 ID:X67jMh/RMg


半時ほどたったころだろうか。
お夏はある程度の掃除を済ませ、聡依の部屋にと向かっていた。

「みんないないけど、ちゃんと掃除しているんでしょうね……」

聡依のあの反応を思い出し、少し不安になる。
でも、太助さんがいるし、とすぐに思い直した。

「まさか一緒になって遊んでるわけ、無いわよね」

そんなことを呟きながら、聡依の部屋の襖を開けた。

「これは懐かしい……、彼女のものだ」

「日記かな。読んでみてよ。あっ、こっちには珍しい読本が」

「太助さんの奥さんは博識だったんですにゃあ」

 部屋の中はものであふれ、逆に埃っぽくなっている。
その中で本やら何やらを取りながら、談笑する3人。
お夏は思わず自分の顔が引きつるのを感じた。

「お三方? いったい何をやっていらっしゃるの?」

お夏の冷たい声に、びくっと肩を震わせる三人。
しかし、一向にこちらを向く気配はない。

「聞こえているんでしょう? こっちを向いて、何をしているのか、言って見なさいっ!!」

バンっと力任せにお夏が叩いたせいで、襖から埃が舞う。
それに咽ながらも、三人は必死にすいません、とそろって叫んだ。

148: :2012/1/15(日) 21:38:57 ID:X67jMh/RMg
今日はここまでです。
番外編は書き溜めが残り一つになりました……、本編終わんない(´・ω・`)
すごい自信を持って言えるのですが、次の番外編投下し終えるまでに絶対本編が終わりません(´・ω・`)
なのでもし何か番外編でリクエストなんかがあったら、言ってください!(ネタに詰まったわけじゃないもん)
それを投下して本編までつなぐかもなので。
ノシノシ
149: 名無しさん@読者の声:2012/1/16(月) 00:13:15 ID:hTChg3IisE
清次さん関連の話が読んでみたいなぁ チラッチラッ

(今回の番外編で太助さんのことも気になったんですけどね)

150: 名無しさん@読者の声:2012/1/16(月) 21:12:30 ID:YMPC7wApis
本編わくてかわくてか
いつまでも待ってるから、1のいいようにゆっくりでいいよ支援

リクエストなら、太助さんの三味線とか藤次郎さんの剣術の稽古シーンとか、見てみたいなあと
どっかで触れたときにktkrと思ったのは私だけじゃないはず
151: 名無しさん@読者の声:2012/1/17(火) 19:50:24 ID:HRQ8xIAunA
これ面白い
今日読み始めて全部読んでしまった
好きだ
ヤバい大好きだ


CCC


個人的に暁との出逢い…とかみたいなぁ…


出て…ないよね?
152: :2012/1/18(水) 00:22:07 ID:X67jMh/RMg
今日もちょこっとあげていきますよー

>>149、150
支援とリクエストありがとうございます!
149さんのリクエストは直に上がってくるので、待っていてくださいっ。
150さんのリクエストはもうしばらくお待ちを。必ず書きますね(・ω・)

>>151さん
支援とリクエストありがとうございますっ!
しかしながら、そのリクエストはかなえられそうにありません。
先に言えばよかったのですが、その暁と聡依の出会いは思いっきり本編の内容なので……(今書いているのではないですが)。
すみませんでした(´・ω・`)いつか本編で上がってくるのを待っていてください。

153: 1*日常:2012/1/18(水) 00:23:46 ID:X67jMh/RMg


ある日の夕刻のこと。
のんびり読本に夢中になっていた聡依のもとに、暁が駆け寄ってきた。

「聡依殿っ、聡依殿っ!!」

本に夢中になるあまり、聡依は顔をあげもしない。
ちらりと目だけ動かし、すぐに本の方に戻してしまう。

「ちゃんと聞いてくださいにゃあー」

よほど大事な用なのか、暁は聡依の袖をぐいぐい引っ張る。
最初はそれも無視していたそうだったが、いい加減鬱陶しくなったのか、舌打ちを一つすると、ようやく本を置いた。

「何。今いいところなんだよ」

「読本より面白いものを持ってきましたにゃっ! これを見てくださいっ!!」

暁は何やら妙なものを聡依に突き出す。
それはつやつやとした袋のようなもので、これまた見たこともないような固いつるッとしたもので穴が作られていた。

「なにこれ? 見たこともない」

どうやら読本からそれに興味が移ったらしい。
聡依は身を乗り出し、それを手にする。
見た目通りつるつるしている。

「あっしゅくぶくろ、というらしいにゃ」

「あっしゅくぶくろ?」

聞いたこともない言葉に、聡依は首を傾げた。
暁は目を輝かせ、胸を張って説明を始める。

「これに例えば着物とか、布団とかを入れるんですにゃ」

「布じゃないといけないの?」

「さぁ。そこまでは聞いてませんが、中に入れるのは主に着物や布団らしいですにゃ」


154: 1*日常:2012/1/18(水) 00:24:31 ID:X67jMh/RMg

「ふうん……、面白いね。続けて、続けて」

「はいにゃ。それで、中に物を入れたら、この二重になっているところでしっかり袋を閉じるんです」

暁が圧縮袋の端を持ち上げ、そこを聡依に見せる。
二重、つまりジッパーになっているのだが、おちろんmそんなものを見たこともない聡依はキラキラと目を輝かせた。

「すごいね、これ。こうすると蓋が閉まるんだ……」

「ですにゃ! それで、ふたを閉めたら、この丸い穴からそうじきというのを使って、中の空気を吸い出すんです」

「そうじき?」

「はい。未来の箒みたいなもんなんです」

「ふうん……、箒かぁ。それってすごいの?」

プラスチックの丸い蓋を弄りながら、聡依が暁に尋ねる。
暁は首が取れんばかりの勢いで、大きく頷いた。

155: 1*日常:2012/1/18(水) 00:25:48 ID:X67jMh/RMg

「はいですにゃっ! すごい勢いでごみを吸い取るんですっ」

「へぇー、未来はすごいものがたくさんあるんだね。そういえばこれ、どこで買ったの?」

「河原に未来屋という風変わりな男がいまして。その人から買いました」

「未来屋……?」

首を傾げる聡依に、暁も首を傾げた。
耳慣れない店の名前である。

「それって本当なのかなぁ。騙されたんじゃないの?」

「にゃにゃっ、騙されてなんかいませんにゃっ」

「そうかなぁ……、でも、本当に見たことない物だしねぇ」

聡依が不思議そうに言う。
暁はそれに構うことなく、聡依の箪笥から勝手に着物を取り出すと、袋に詰めはじめた。

156: 1*日常:2012/1/18(水) 00:27:17 ID:X67jMh/RMg

「なにするの?」

「実際にやってみればいいんですにゃっ!」

「それもそうだね」

聡依は一つ頷き、暁と一緒に着物を詰めはじめた。
二人で首を傾げながら、着物を詰めていく。
そんなにスカスカではあんまり意味はないのではないか、とも思うが、二人は実に楽しそうだ。

「ですにゃっ! そうじきで空気を吸って、完了ですにゃっ」

なぜだか胸を張る暁。
その隣で、聡依は一人、首をひねりはじめた。

「どうしたんですか?」

「いや、ネコ。野暮な問いかもしれないけれど、そうじきっていうのを私たちは持っていないだろ? そうすると、私たちはどうやってすごい勢いで空気を吸うんだい?」

「…………」

「ねぇ、どうしようか」

突然、押し黙った暁に聡依はもう一度尋ねる。
何黙っているの、と顔を覗き込むと、暁は毛の上からわかるほど真っ青な顔をしていた。

「聡依殿……」

「なに?」

「騙されましたにゃ」

「エッ?」

パサっと音を立て、聡依の手から圧縮袋が畳に落ちた。


157: 1*日常:2012/1/18(水) 00:28:18 ID:X67jMh/RMg

「まったく、呆れるよ。よく考えればわかる話なのに」

縁側で大福を食べながら、聡依は太助に愚痴をこぼす。
実のことを言うと太助は一部始終を見ていたので、はしゃいでいた聡依の姿も見ているのだが、それを言えば彼の機嫌を余計崩しそうなので何も言わないことにした。

「でもなぁ、未来屋なんているんだな」

「そうだね。とんだ詐欺師だよ」

「詐欺師かはわからんよ。本当にあれは見たことのないものだったし、本当に未来のものかも知れない」
かも知れない」

「それなら楽しいけれどさぁ」

ありえないよ、とまだむくれ顔の聡依が呟く。
太助はそんな様子を楽しそうに笑い、自身も大福を口に運んだ。
そんな時だった。


158: 1*日常:2012/1/18(水) 00:29:20 ID:X67jMh/RMg


「聡依っ! みてみてっ!」

誰かが庭に飛び込んでくる。
この声と遠慮のなさは清次だな、と思っていると、案の定姿を現したのは清次だった。
そして、手にはこれまた妙なものを持っている。

「見てこれっ! さっき、寺で未来屋っていうのがいてさ」

その言葉に思わず太助と顔を見合わせる聡依。
清次は嬉しそうにそれを見せてきた。

「その名もえこかいろ! ここを押すと暖かくなるんだってっ!!」

「えろかいろ?」

「えこかいろっ!! 見てみて、これをこうすると……」

「おぉっ! 変な液体が固まったっ!」

エコカイロを片手にはしゃぐ二人。
さっきのことをもう忘れたのか、と太助は楽しそうな聡依を見て呆れているた。

「でもさぁ、今夏なんだから、暖かいのなんていらないよね」

「エッ」

聡依の言葉に固まる清次。そんな二人を見て、太助は肩をすくめた。

159: :2012/1/18(水) 00:31:47 ID:X67jMh/RMg

補足です。
未来屋:時間を自由に行き来できる。その時代では大して役に立たないものを売っている変人。
いつか彼を見かけたら、ぜひ声をかけてあげてください。

今日の投下はこの辺で終わりです。(リクエストはまだまだ募集中)
テスト早く終わらないかなぁ……。
ノシノシ
160: :2012/1/19(木) 22:57:29 ID:X67jMh/RMg
今日もちまちま投下していきますねー
>>149さんのリクエスト分です。
清次さんがメインなんですけど、要望通りになったでしょうか?
161: 1*日常:2012/1/19(木) 22:59:11 ID:X67jMh/RMg


貸本屋の清次、というとこの辺りでは有名な名前である。
特に、女子(おなご)には。

その姿は役者のなんたらに似ているやら、何やらと言われ、小さなころからもてはやされてきた。
彼が女子に笑いかければ、どんなに社交的な子であっても頬を赤く染める、と言われているほどである。


162: 1*日常:2012/1/19(木) 22:59:56 ID:X67jMh/RMg
そこまではとてもいい。
顔立ちがよく姿もすらりと美しい。
愛想も良く、いつも笑顔が絶えない……、とそう言えばとても聞き覚えがいいのだが、問題は彼の外見ではなく、中身にあった。

もしも清次がとても賢く、きりっとしていれば、もっと女子の支持は上がったであろう。
しかしどうもそういうところはあまりよくないらしい。性格が悪いといわけではない。
むしろ良すぎるぐらいなのだが、どうも彼は少し……間抜けなのだ。
そんな間抜けな彼には、どんな積極的な女子の誘惑にも気づけない。


「清次さん、見て見て。新しい玉かんざしを買ってもらったの」

つい先日のことだった。店に現れた女はとても綺麗に着飾っている。
派手というわけでも地味というわけでもなく、自分の良さをわかってやっているという感じだろうか。
そこら辺の男なら、目をやるだけでころりと落とせるだろう。

163: 1*日常:2012/1/19(木) 23:01:12 ID:X67jMh/RMg

しかし、間抜けに色気はまさに暖簾に腕押し。

「とても綺麗なかんざしだね。どこで買ったの?」

かんざしは褒めるがその当の本人には全く触れない。
女心がわからないにもほどがあるだろう。
まったく気のない清次の態度が女の癪に障ったのか、彼女はずいずいと清次にすり寄り、下から彼をそっと見上げた。
ふわりと女の匂い玉が香る。

「うんっとねぇ、これはそこの小物問屋よ。綺麗な藍色でしょ? ちょっと清次さんに似てるかなって思ったの。ねぇ、似合う? あたし、綺麗かな?」

清次はいつもの間の抜けた笑みを浮かべながら、うん、と一つ頷いた。
これには女も少し満足した様子である。
この男からキレイなどという言葉を貰えるだけで、上出来だ。

164: 1*日常:2012/1/19(木) 23:02:25 ID:X67jMh/RMg

「そのかんざしの色がお花ちゃんの白い肌によく似合うと思うよ」

その上肌まで褒められたとなれば、女は喜ばずにはいられない。
パッと顔を明るくし、途端に上機嫌な笑みを浮かべる。

「あたしの肌ってそんなにキレイ?」

しかし、その上機嫌に頭からジャバジャバと豪快に水をかけるのが、この男の間抜けさである。

「うん。お花ちゃんの肌は、まるで漆喰の壁みたいだ」

「えっ……、壁……?」

さっと顔色を変えた女にも気づかず、清次は相変わらず楽しげに笑みを浮かべ、うん、とまた素直に頷いた。
女は言い表せぬ怒りと恥かしさでその体を震わせはじめる。


165: 1*日常:2012/1/19(木) 23:03:20 ID:X67jMh/RMg

「かっ、壁とはなんなのよ……っ!」

バシンっと鈍い音が、貸本屋の土間に響き渡った。
ヒリヒリと痛む頬を押さえ、不思議そうな顔で清次は去っていく女の背中を見送る。

「何怒っているんだろう……」

女子が自分の肌を壁と表現されて、喜ぶとでも思ったのだろうか。
彼の頭の中は全く謎に満ちている。


しかしそんな『愛すべきバカ』の清次だからこそ、普通の貸本屋では絶対に持ち込まれない、不思議な相談を受けることがある。

166: 1*日常:2012/1/19(木) 23:04:35 ID:X67jMh/RMg

その日も貸本屋にはあまり見られない変わった客が訪れた。
いつものように本を片手にはたきを振っていた清次は、その客を見て首を傾げた。
このあまり商売のする気のない貸本屋の店先にはあまり似合わない上等な服装である。

「いらっしゃいませ……、伊勢屋の女将さん」

清次の言葉に、すらりと上品に頭を下げたのは、大通りで店を構えている呉服屋の女将であった。
伊勢屋というその店はこの貸本屋の5倍は儲かっている、俗にいう大店、であった。
その女将が一体なぜ? と清次がきょとんとしていると、女将はいそいそと近寄ってくる。
失礼が無いように、と清次は慌ててはたきを持っていた手をおろし、本を棚に仕舞った。

167: 1*日常:2012/1/19(木) 23:05:18 ID:X67jMh/RMg

「あのう、うちに何の御用で?」

そんなことを聞くから聡依に商売する気がない、と言われてしまうのである。
貸本屋なのだから、本を見に来た以外一体何の用があるというのだ。

しかし、女将が口にしたのは、その本以外の用の方だった。

「ちょっと、折り入って清次さんに相談があるのですが……」

「は? 俺に?」

168: 1*日常:2012/1/19(木) 23:06:18 ID:X67jMh/RMg

「しっかしそれをなぜうちに持ってくるかがわからないんだけど。いつ、私は貸本屋になったのだろうねぇ」

こたつに入り、ぼーっとしながらも嫌味を絶やさないのがこの男。
聡依はいつものコタツムリの格好で、清次に背を向けて話していた。
清次は清次で、呑気に人の家でまた将棋など指している。
また、聡依の嫌味にも気づいていない様子だ。

「なぁなぁ、わかった? なんで女将さんの玉かんざしが無くなったのか」

169: 1*日常:2012/1/19(木) 23:07:34 ID:X67jMh/RMg

女将の相談というのは、彼女お気に入りの玉かんざしが無くなった、という話であった。
何でも曾祖母の代から家に伝わるもので、無くしたと知られれば女将とはいえ、ただでは済まされない。
そこで、失せ物は貸本屋にと噂を聞きつけ、清次に相談しに来たのだという。
しかし、貸本屋が失せ物探しで有名という時点で何か間違っているような気もするのだが……、あまり気にしないことにしよう。

「知らないよ、そんなの。大体、かんざしなんてたくさんあるんだから、一つなくなったくらいならそんなに怒られないんじゃないの?」

退屈そうに欠伸を漏らしながら、聡依が呟く。
清次もさあ、と首をひねった。
あまり事の重大さがわかっていない2人である。

170: 1*日常:2012/1/19(木) 23:08:13 ID:X67jMh/RMg


「でもさぁ、かんざしを見つけたらお礼をたんまりくれるって言ったんだよ。だから、頑張ろうかと思って」

「頑張ろうと思ったんなら、最後まで自分で頑張りなさいよ。まったく、うちに来られてもわかりませんからねぇ」

もう一度退屈そうな欠伸を漏らす聡依。
それもそうかぁ、と背中の向こうから呑気な返事が聞こえた。

「玉かんざしが無くなったのは、誰かが盗んだか、玉かんざしが勝手にいなくなったかのどちらかだね」

「玉かんざしは勝手にいなくなったりしないだろう」

「でもそれは古いものなのでしょう? 清次さんは間抜けだから知らないかもしれないけれど、物は100年経つと付喪神(つくもがみ)というものになるものもあるんだよ。それはさ、人の言葉もわかれば、話すこともできるし、勝手に動き回ることもあるんだから」

「へぇ、そうなのか」

171: 1*日常:2012/1/19(木) 23:08:50 ID:X67jMh/RMg


感心したような声に、聡依は思わず苦笑い。
そんなことをあっさりと受け入れてしまうのは、呑気だから故なのだろうか。

「もちろん、誰かが盗んだというのが有力だけれどね。誰かいないのかい? 女将さんの鼻を弾きたがっている奴」

「そんな人はいないだろ。女将さんは話した感じではとてもいい人だったぞ」

清次に言わせれば、この世から悪人がいなくなってしまう。
聡依はどうかねぇ、と肩をすくめ、再びあくびをした。

「まぁ、なんにせよ、いずれ出てくるだろうさ。気長に探してみるといいよ」

「はーい」

呑気な返事を聞きながら、聡依はまったく、と一つため息を吐いたのだった。

172: 1*日常:2012/1/19(木) 23:09:50 ID:X67jMh/RMg


しかし清次のことである。一日、また一日と経つうちに、すっかり玉かんざしのことを忘れてしまっていた。
そんな清次のもとにやってきたのは、やはり聡依である。
そしてその手には例の玉かんざしが。

「あれ、それはお前が持っていたのか」

「そんなわけないでしょ。バカじゃないの?」

肩をすくめた聡依に、目を丸くしたままの清次。
そのどこからどう見ても上等な玉かんざしを受け取り、彼はあれっ? と声を上げた。

「これ、前にお花ちゃんが……」

「あぁ、例の塗り壁女はお花ちゃんという名前なのか」

ずいぶんと失礼なことをさらりと言う聡依。
本人が聞いたら驚きのあまり失神してしまうかもしれない。

173: 1*日常:2012/1/19(木) 23:10:26 ID:X67jMh/RMg

「どうして、お花ちゃんが前に持っていたものだとわかったんだ?」

本を物色し始めた聡依に、清次が問いかける。
うん? と気のない声が返ってきた。

「簡単だよ。前に清次さんが言っていたじゃないか。彼女の玉かんざしのこと」

「あぁ、そういえば言ったような、言わないような」

「しっかりしてよ。その時、かんざしのことをすごく褒めていただろう? 全体が藍色で瑠璃色の飾りがついていて、華奢なのにとても優美でいいものだって。その時、新しく買ってもらったはずなのに、古く見えたのはなんでだろうって言っていたじゃないか。きっかけはそれを思い出したことだよ」

話し始めた聡依を、目を丸くして見つめる清次。
処理能力が追い付いていないのか、何度か瞬きを繰り返している。

174: 1*日常:2012/1/19(木) 23:11:32 ID:X67jMh/RMg

「それでちょっと聞いてみたんだ。そうしたらまぁ予想通り。伊勢屋の女将さんが店先に置き忘れていたのが最初」

聡依は本をぱらぱら捲りながら言葉をつづけた。
すっかり聡依の話に夢中になっている清次は、相槌を打つことしかできない。
そんな彼をちらりと横目で見ると、聡依はまた口を開いた。

「それを近所の子供があまりに綺麗だからって持って行っちゃったみたい。そしてそれを小物問屋の店先に置き忘れた。それに目を奪われたお花ちゃんとやらが買って行ったんだって」

175: 1*日常:2012/1/19(木) 23:12:16 ID:X67jMh/RMg

「えっ、それじゃあ、小物問屋は売り物じゃないものを売ってしまったのか?」

流石一応でも商売をしている身である。
何より先に清次はそこに食いついた。
聡依はそれに頷く。


「その時は忙しくって気づかなかったみたいだけれど、よくよく考えると見覚えのないものを売ってしまったような気がするって小物問屋の旦那さんが言ってたよ。お代は返すってさ」

「それじゃあ……」

「うん、下手人はいないってわけ。こんな話しても面倒だからさ、女将さんにはかんざしが勝手に出歩いたって言っておけば? あながち間違いでもないし」

ちらりと清次の持つ玉かんざしに目を向け、聡依がにやっと笑った。
随分意味ありげな笑みだが、清次はそれを尋ねることもせず、ただ素直に頷く。

176: 1*日常:2012/1/19(木) 23:13:06 ID:X67jMh/RMg


「だけど、なんでお前はそれがわかったんだ? まさか、全部自分で調べた、わけはないよな?」

「うちの屋敷って、ちょっと変わったところがあるだろ? 頼んでもいないのに勝手にお茶が出てきたり」

なぜ今その話に? と、清次は戸惑いながらも頷く。
訊かないだけでいつも思っていたのだが、聡依の屋敷は何やら物が勝手に動いているような節がある。

「それだよ。誰か探してくれないかなぁって、お願いしていたら誰かが勝手に調べてくれたみたい」

「便利だなぁ……」

心底羨ましそうに清次が言うので、聡依は思わず笑った。

177: 1*日常:2012/1/19(木) 23:13:58 ID:X67jMh/RMg

しかし、それで終わらせないのがこの男のちゃっかりしたところ。

「と、言うことでお礼は折半ね」

ひょいっと差し出された手をじっと見つめ、清次は首を傾げた。
そして、その手を軽く叩いて、冗談めかして言う。

「そう言うのは友達なんだか、何とかしてくれる、よな?」

こういうところから友情というのは破綻するのかもしれない。
案の定、いつもの5割増しのきつい嫌味を返され、清次は腹が立つやらしょんぼりするやら。
反って損をした気分になってしまったのだという。



178: :2012/1/19(木) 23:14:36 ID:X67jMh/RMg
今日はこの辺で終わりです。
というより、予想以上に長くなってしまって、びっくりした……。
ではではノシノシ
179: 149:2012/1/20(金) 13:07:47 ID:zmyX7GDdrI
ありがとうございます!!

やっぱり清次さん 徒者じゃなかった…
180: :2012/1/20(金) 18:03:57 ID:X67jMh/RMg
>>179
こちらこそ、リクエストをしていただきありがとうございました!
清次さんの話ってあんな感じで大丈夫でしょうかね。意外と彼はやりますよ。

すいません、今日は投下はないのですが、予告に来ました。

一応本編第2話の書き溜めが終わりました!(かたこったー)

ですが、これからバイトなのとまだ一応の段階なので、もう少しお待ちください。
おそらく明日の夜には投下開始できると思います。
あと、今日の夜、気が向いたら予告をちまちま投下するかも……、わかりませんが。
ではでは、また明日
ノシノシ
181: wktkが止まらない:2012/1/21(土) 09:45:24 ID:VMnJaffQ7E
  ∧_∧
 (0゚・∀・) 書き溜め
oノ∧つ⊂)
( (0゚・∀・) 終了
oノ∧つ⊂)
( (0゚・∀・) お疲れ
oノ∧つ⊂)
( (0゚・∀・) 様です!
∪( つCO
 と_)_)CCC
182: 1:2012/1/21(土) 22:10:05 ID:X67jMh/RMg
>>181
支援とwktkありがとうございます!
AAかわいい……(*´ω`*)

それじゃあ、今からぼちぼち投下していきますねー
183: :2012/1/21(土) 22:12:11 ID:X67jMh/RMg

「神様、神様」

小さな肩が、寒さに震えている。
少女は一心に祠に向かい、手を合わせていた。

「神様、神様どうかお願い」

その祈りが天に住む神に無事届くだろうか。
彼女のその健気な姿を見ると、ついそんな愚かしいことすら考えてしまう。

「神様。どうかお願いします、神様」

彼女の潤んだ瞳から、涙が零れ落ちた。
それを見て、思わずハッと息をのむ。神様など、いやしない。
少なくとも、この子の願いを叶えてくれるような神は。

「神様、私を――――」

その願いを聞いた瞬間、彼は我慢が出来なくなってしまった。
それはやってはいけないこと。何千年と生きてきた彼ならよくわかっている。
だけど、少女の震える肩が、潤んだ瞳が彼に哀願する。

「お願い」

と。

184: :2012/1/21(土) 22:13:41 ID:X67jMh/RMg

だから、彼は口を開いた。
自分いう存在は、この時のためにあったのだ、と彼自身に酔いしれながら。

「後悔するかもしれないぞ? それでもいいなら、お前の願いをかなえてやろう」

「神様っ!?」

祠の向こうからくぐもった声を聴いた少女は驚き、その勢いのまま顔を上げた。
7日、この寒い霜月(11月)の季節に7日間、通い続けた。
そしてようやく、その努力が報われる。
彼女はその感動に突き動かされるように、祠に掴みかかった。
古ぼけた祠は、ギシギシと不吉な音を立てて、少女を笑う。

「私は神ではない。だから、神のように無条件でお前の願いを叶えることはできないぞ? それでもいいんだな?」

少女ははらはらと涙を落としながら、何度も何度も大きく頷いた。
その顔には安堵が、滲んでいる。

「神様……、ありがとう」

「私は神ではないと言っておるではないか。私の名は、」


ひゅっとか細い音を立て、北風が空気を揺らす。
長屋の裏に立った古い祠の前では、雪のように白い頬をした少女が死んだように眠っていた。

185: :2012/1/21(土) 22:14:47 ID:X67jMh/RMg

時刻は丑寅(午前3時)の刻であろうか。
他の家々と同じように寝静まった古い屋敷が一つ。
その屋敷の一番奥の部屋では、一人の男が夢にうなされていた。

男は夢の中で、この屋敷と同じくらい広い屋敷の一室にいた。
とても丁寧に手入れされた畳が引かれ、置かれている家具のどれもが素人目に見ても値の張るものだとわかるものだ。
彼は広い部屋の中で一人きり、体を丸めて座っていた。

「慎二郎っ! 離れに近づいてはいけませんっ!」

廊下から、誰かの声が聞こえてきた。
彼は一度、大きく身を震わせると、更に小さく身を丸め、両手で耳をふさぎ、目を閉じる。
それは一切の拒否を表していた。

「どうしてですか? ねぇ、いいじゃないですか」

舌っ足らずで無邪気な子供の声が、声に問いかけている。
彼は一度、何かを期待するかのように目を開け、耳をふさいでいた手を離した。


186: :2012/1/21(土) 22:15:45 ID:X67jMh/RMg

「慎二郎。離れには恐ろしい妖が住んでいるとあれだけ言ったでしょう? 言うことを聞きなさい」

「でもっ、でもっ、は――……」

彼はもう一度大きく身を震わせ、再び目を閉じる。
今度は床に額をつき、腕で頭を守るように抱きしめた。
声は、彼を孤独にする。だから、彼は耳をふさいだ。


「う、わっ」

大きな声を上げ、男は布団から飛び起きる。
胸に手を当て、大きく息を吸ったり吐いたりしながら、己を落ちつけようと必死になった。

「随分嫌な夢を見た……」

寝汗を掻いたのか。濡れた額に手を当て、深く息を吐く。
苦い顔をしたまま、男は忌々しそうに呟いた。

「いったいなんで今更……」

霜月の夜、細く白い月が空に浮かんでいた。
そのか細い光が、男の横顔を照らした。

187: :2012/1/21(土) 22:16:55 ID:X67jMh/RMg

「うるさくて眠れやしないよっ!」

とある町で妖の棲家として有名な屋敷では、今日もその原因たちが騒いでいた。

バンっと拳でちゃぶ台を叩くろくろ首。
その目の前では、やたらと眠たそうな顔でまんじゅうを頬張る家主の姿が。

「昼も夜も一日中、ぶつぶつぶつぶつ言われてごらんっ! 繊細な私は、死んでしまうよっ!」

「もう死んでるじゃないか」

「うるさいっ! この減らず口っ!」

何度も力任せにろくろ首がちゃぶ台を叩くので、その振動で湯呑に入ったお茶がばしゃばしゃとこぼれている。
そんなことも気にせず、家主、聡依という男であるが、彼は呑気に二個目のまんじゅうを口に押し込んだ。
まったく砂糖が主成分のような男である。

「ろっ、ろくろ殿っ! そんなに怒らないでくださいよぉ」

188: :2012/1/21(土) 22:20:49 ID:X67jMh/RMg

ちゃぶ台を叩かれるたびに、怯えて耳を垂らしているのはこの男。
子猫の姿をしているが、立派な猫又である。
その名を、暁という。

しかしこの猫又、妖と名乗るには少々臆病すぎるところがあり、主人である聡依にもしょっちゅう呆れられている。
そんな気の弱い猫又だからこそ、もうちゃぶ台を叩くな、と直接的に抗議することができなかったのだ。
そのため、

「これが怒らずにいられるかいっ!」

反って怒りが増したらしいろくろ首がまたちゃぶ台を叩き、その所為でまた身を小さくしている。
まったく、妖がそれでいいのだろうか。

「いいじゃん、昼夜を問わずに祠にお参りだなんて。なんて熱心なんだろうねぇ」

感心感心、とこれまたろくろ首の怒りを煽るようなことを言う聡依。
ろくろ首はその態度にとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
青筋を立て、両の手のひらで思いっきりちゃぶ台を叩いて叫んだ。

「いいから人の話を聞くんだよっ!!」

ろくろ首が睨みつけた先には、はーい、と気の抜けた返事をする聡依と、すっかりおびえあがり、聡依の懐に飛び込んだ暁がいた。


189: :2012/1/21(土) 22:25:17 ID:X67jMh/RMg


「ふうん……、女の子がねぇ」

「そうなんだよ。何を頼んでいるのか、一生懸命ねぇ」

ろくろ首によると、彼女(?)が棲家としている祠に少女が毎日お参りにやってくるらしい。
何やら熱心に願い事をしているらしいが、ろくろ首にはそれが鬱陶しくてしようがない、という。

「何とかしてくれよ。お前も一応、人の子だろう」

「一応ってなに、一応って」

むくれた顔でまんじゅうを口に押し込む聡依。
すでに3個目である。
それを見たろくろ首は若干嫌な顔をしたが、何も言わずに目をそらした。

「でもいったい何をそんなに頼んでいるんだろうねぇ」

「分かったら苦労しないよ」

「ちゃんと聞いてないからわからないんだろう? ろくろ首、お前、祠の神様の代わりになって聞いてみたらどうだい?」

190: :2012/1/21(土) 22:29:39 ID:X67jMh/RMg

「な……っ!」

聡依の言葉に、ろくろ首は一瞬目を回し、顔を赤くして怒り出した。
再び拳でちゃぶ台を叩くと、聡依をしっかりと睨みつける。

「ばっ罰当たりなことを言うんじゃないよ、バカっ! 第一、どうして私がそんなことをしなくちゃならないのさ」

聡依はまんじゅうの粉で白くなった指を舐め、肩を一つすくめる。
暁が懐から行儀が悪いと鋭く目を光らせているが、気づく気配はない。

「さぁ? そんなことを言うなら、気にしなければいいんだよ」

ろくろ首は何も言い返せず、ぐっと押し黙った。
その不満たっぷりの顔からは、必ず何かしてやろうという心が、ちらりとこちらを覗いていた。

191: :2012/1/21(土) 22:35:07 ID:X67jMh/RMg
今日の投下はこの辺で終わります。
それにしてもなんで本編の聡依殿はまだかっこういいのだろう……。

あと、頂いたリクエストについてですが、この2話目が終わり次第、番外編として挙げていきます。
そして暁と聡依の出会いのリクエストを下さった>>501さん。
その話は書けませんが、何かそれを絡めたものを代わりに書かせていただきたいなぁと思っています。

そんな感じの報告を少々させていただきました。
ではでは、また明日
ノシノシ
192: 名無しさん@読者の声:2012/1/22(日) 09:12:16 ID:Y8nUCKBzqA
5位おめでとうございます!!。゚(゚^∀^゚)゚。


193: :2012/1/22(日) 14:05:57 ID:xolJNUxSwk
>>192
ありがとうございますっ(´;ω;`)

ランキング5位、ありがとうございますっ!夢みたいですっ
見てびっくりしました、嬉しすぎてちょっとなにも言えませんっ!
これからもせっせと投下がんばるので、どうか最後までお付き合いください
支援くれたかた、読んでくれているかた、投票してくれたかた、みなさん本当にありがとうございますっ
もう読者さんみんな大好きっ(´;ω;`)
投下はまた夜に来ますね
(`;ω;´)ノシノシ
194: :2012/1/22(日) 22:13:45 ID:X67jMh/RMg
1です。
雑談スレでコテを頂いたので早速使っています( `・ω・´)
さて、今日もちょこちょこ投下していきますねー。
195: :2012/1/22(日) 22:14:56 ID:X67jMh/RMg

それから数日たったある日。
太助と聡依がのんびり将棋を指しているところに、再びろくろ首が現れた。

「ろくろ首か、珍しい」

「この家じゃ、客にいらっしゃいも言わないんだね」

目を丸くした太助に、早速ろくろ首が嫌味を言う。
妖の彼女を見て言うのもなんだが、前に来たよりも確実に顔色が悪くなっている。
少女の被害は未だ続いているようだ。

「いらっしゃられても喜べる客じゃないからね」

真剣に将棋盤を見ながらも、嫌味を忘れない聡依。
むっとろくろ首が口をへの字にした。
そんな様子を見て、太助が笑う。

「それで? 何か用?」

「用が無きゃ、こんな屋敷には来ないよっ」

「おっ、そう来たか……」

聡依の一手に、太助も将棋に引き戻された。
196: :2012/1/22(日) 22:16:02 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首の嫌味すら、二人は聞いていない。
ただ真剣に将棋盤を睨みつけている。

「ちょいとっ! 将棋ばかりしてないで、私の話を聞くんだよっ」

「ごめん、今忙しい」

「この一局が終わったらな」

全く相手にしない二人にとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
ろくろ首は二人の間にある将棋盤をひっくり返してしまった。
あっ! と、聡依と太助は同時に声を上げる。

「なにするんだい!」

「そうだそうだ。今、いいところだったんだぞっ」

口を尖らせそろってろくろ首を非難する二人。
ろくろ首は目をつりあがらせ、二人をありったけの力を込めて睨みつけた。
暁がいたら、ひっくり返ってしまっていただろう。

197: :2012/1/22(日) 22:16:49 ID:X67jMh/RMg

「将棋がしたかったら、私の話をまず聞くんだよっ!!」

むすっとした顔で二人が同時にそっぽを向く。
どうやら、かなりいい戦いだったらしく、それを邪魔されたのが許せないらしい。

「俺たちは別にお前の話が聞きたいわけじゃないんだが。将棋がやりたいんだ」

いつもの呆れ顔ではなく、かなりむくれた顔で不満たっぷりに太助が言う。
それにろくろ首がかみついた。

「将棋なんていつでもできるじゃないかっ! 大体、そんなもの、何の役に立つんだいっ」

「役に立つよっ! 妖退治にだって、きっと役に立つ。ほら、飛車っ!」

聡依は何をムキになっているのか、そばにあった飛車の駒をろくろ首に投げつけた。
それを手で払いのけ、ろくろ首がまた喚く。

「それじゃ将棋じゃなくてもいいじゃないか!」
198: :2012/1/22(日) 22:18:37 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首が聡依と太助を、二人がろくろ首をにらみ合う。
まさに一触即発という険悪な雰囲気がその場に漂った。
先にくたびれたのはやはり太助であった。
彼は一つため息を吐くと、黙々と将棋盤を直し、散らばった駒を拾う。
それを見ているうちに、聡依もどうでもよくなったのだろう、その作業を手伝い始めた。

「で、何の用?」

駒を拾いながら、聡依がろくろ首に問うた。
その態度があまりに意外で拍子抜けしたのか、ろくろ首は一瞬呆けたような顔をし、ハッと我に返った。

「邪魔をして悪かったね」

一度、ばつが悪そうに眉を顰めて謝ると、ろくろ首は再び口を開いた。

「それで私の話と言うのは、前にも話したあの子のことだけれど」

199: :2012/1/22(日) 22:19:29 ID:X67jMh/RMg

「あぁ、熱心な女の子? で? 祠の神様にはなってみたの?」

途端ににやにやと意地悪な笑みを浮かべた聡依に、再びろくろ首は嫌な顔をする。
太助は話に耳を傾けながら、黙々と駒を分けていた。

「うっうるさいね……。あんまりうるさいから、その祠の神様と言うのをやってみたよ」

「へぇ、ろくろ首が祠の神様か……」

「うるさい、この罰当たりがっ」

口元を緩めたまま呟く聡依を、ろくろ首は顔を赤くして睨みつけた。
どうやら罰が当たるよりも何より、そんなことをした自分が恥ずかしかったようだ。
「それで? どうだったの?」

「うん。話を聞いてみたんだけど、興奮していて何言っているかよくわからなかったんだよね。だから、落ち着いてからもう一度来て、自分で整理してくるように言って追い返したんだ」

200: :2012/1/22(日) 22:20:24 ID:X67jMh/RMg
200!

「へぇ、やるじゃない。それで?」

すっかり話に夢中の聡依は、ろくろ首に続きを急かす。

「うん、それでその子は今晩来るんだけれど……、お願いがあるんだ」

「お願い……?」

急にしおらしくなったろくろ首に、聡依は何やら嫌な予感がしたのか、眉を顰めた。
駒を並べていた太助も、知らぬ間に手を止め、ろくろ首を見つめている。

「なんだか嫌な予感がするんだよぉ。だから、今晩、一緒に来てくれないかい?」

お願い、と体をくねらせたろくろ首に、聡依の表情は硬くなる。
一気に興味を失ったのか、再び太助の手伝いを始める。
随分な態度である。

「そっ、聡依っ。頼むよ、この通りっ」

「嫌に決まっているじゃないか。夜に出歩くなんて、面倒だよ」

「そんな冷たいことを言うんじゃないよっ! 私はお前の身内のようなもんじゃないかっ!」

201: :2012/1/22(日) 22:21:03 ID:X67jMh/RMg

「だから余計に嫌なんだよ。身内の問題なんて、解決しても全く金にならない」

「この守銭奴っ!」

「その通りだけど?」

ふんっと鼻を鳴らした聡依に、ろくろ首が泣きつく。
そんな聡依の態度を見かねたのか、はたまた呆れたのか、今まで黙って話を聞いていた太助が口を開いた。

「冷たいこと言わないで一緒に行って、話だけでも聴いてあげればいいじゃないか。どうせ、お前は暇なんだろうし」

「私は暇じゃないよ。読まずに積んでしまっている本を読んでしまいたいし」

そんなことを言いながら、ちらりと部屋の隅を見る聡依。
202: :2012/1/22(日) 22:21:46 ID:X67jMh/RMg

その言葉通り、おそらく清次のところから借りたと思われる本が、山となって積まれていた。

「それは帰って来てからでも読めるじゃないかっ。頼むよ、少しだけっ」

「そんなに言うなんて、珍しいじゃないか」

両の掌を合わせ、必死で頼み込むろくろ首に、太助が目を張る。
聡依は何を思ったのか、余計嫌な顔をし、くるりと背を向けた。

「聡依っ!」

聡依はぶすっとした声で答える。

「……聞くだけだからね」

聞くだけ、で済まないことは誰が見ても予想がついただろう。
それでもろくろ首の頼みを引き受けた聡依に、太助は頬を緩めた。

203: :2012/1/22(日) 22:24:42 ID:X67jMh/RMg
少し短いうえに本題にも入っていませんが、キリがいいのでこの辺で。
ではでは、また明日
ノシノシ
204: :2012/1/23(月) 18:21:23 ID:X67jMh/RMg
今日はちょっと早めに投下していきますノシ
205: :2012/1/23(月) 18:22:35 ID:X67jMh/RMg

その夜、ろくろ首と聡依の2人に暁を加え、3人は例の祠にと向かっていた。

「祠なんて、何かでませんよね……?」

びくびく周りを見回しながら歩く暁。
その様子に、ろくろ首と聡依はそろって呆れた顔をする。

「お前、自分がなんなのかわかってないの?」

「猫又ですにゃ?」

「猫又だって妖だよ。妖が妖に怯えてどうするんだい、バカ」

二人に呆れられ、暁はしょんぼりと耳を垂らす。
それでも怖いものは怖いらしい。
暁は聡依の足に纏わりつくように歩いた。

206: :2012/1/23(月) 18:23:18 ID:X67jMh/RMg

「邪魔だよ。まったく仕方ないね。そんなに怖いなら、ほら、おいで」

差しだされた腕の中に、暁は迷わず飛び込んだ。
聡依はそのまま暁を抱きかかえ、歩き出す。
それを見たろくろ首は、甘いねぇ、と一言。
それを聞き、聡依が笑う。

「ネコっていうのは甘やかすもんでしょうよ」

「確かに“猫”はそうだけどね」

ろくろ首の言葉がちくりと暁の胸に刺さる。
何も言い返す気にもなれず、彼は隠れるように聡依の胸に額を擦りつけた。

207: :2012/1/23(月) 18:24:02 ID:X67jMh/RMg

祠についた3人は、そのまま祠の裏に隠れる。
ろくろ首は隠れなくても見えないのだが、彼女も気分的に隠れたいらしい。
聡依は狭いと少し不満げな顔だ。

「いつ来るって言ってたの?」

「確か暮れ六つ(今の6時)だよ」

「そうすると、そろそろ来るってわけか……」

そう呟き、すっかり暮れた空を見上げる。
藍色の空には星がいくつか、瞬いていた。

「それにしても寒いね……」

季節は冬である。
普段、コタツムリと化している聡依にはこの寒空の下、座って待っているのは辛いようだ。
少しでも暖を取ろうと、暁を更にぎゅっと抱きしめる。

「そっ、聡依殿……、くるし……」

「しっ! 来たよっ」

208: :2012/1/23(月) 18:25:23 ID:X67jMh/RMg

呻く暁の口をふさぎ、聡依とろくろ首はやってきた少女を見つめた。
少女は祠の前に座ると、地面に手をつき、丁寧に礼をした。

「あの子が?」

顔をあげた少女を見て、聡依が小声で尋ねる。
ろくろ首は黙って首を縦に振った。

「神様、約束通り来ました。お返事をください」

もう何日もろくに物を食べていないかのような顔。
それに加え、掠れたその声は彼女の悲愴な雰囲気をさらに際立たせていた。
これはろくろ首も見ていられないわけだ、と聡依も納得する。

209: :2012/1/23(月) 18:26:48 ID:X67jMh/RMg

「来たのかい。それで? 話はまとまったのかい?」

少女の声に返事をするろくろ首。
その口調が、まるでいつもの通りなのが滑稽だったのか、聡依は小さく吹き出す。
ろくろ首がそれを赤い顔で睨みつけた。

「はい。先日は失礼致しました……。きちんと、順を追って話して行きます」

少女は俯いたまま、ぼそぼそと言葉を紡ぎ始めた。
それに聡依も話に引き戻される。
彼女はこう、話し始めた。

「私には妹がいます――」

210: :2012/1/23(月) 18:28:04 ID:X67jMh/RMg

彼女はおりんと言う。
妹の名前はおせん。
おせんは彼女の3つ下で、妹の他に兄弟はいないのだそうだ。


町外れの古い長屋に住む、おりんとその家族は櫛職人である父の少ない稼ぎで細々と暮らしていた。
直におりんは隣町の呉服店に奉公に出ることも決まっており、妹との暮らしもこの冬で最後になるのだという。

「私に奉公が決まり、おせんにその話をしたころからでした」

妹が夜、皆が寝静まってからこっそりとどこかに出かけるようになったのだ。
最初は気付かなかったが、明け方戻ってくる妹の体が冷たいことや、わずかに開いた戸からおりんは妹が抜けだしていることに気が付いたのだという。

211: :2012/1/23(月) 18:29:03 ID:X67jMh/RMg

「私は一度、おせんに何をしているのだと聞いたことがあります。だけど、そんなことはしていないの一点張りで、何も話してくれませんでした」

父にそのことを相談してみたものの、仕事で疲れていた彼は相手にしてくれなかったという。
おりん自身も奉公のことで準備することもあり、あまり妹の事ばかりを気にしている場合ではなかった。
その所為か、何度か気にはしていたものの、特に何もしなかったのだという。

「そんなある日のことです。朝起きると、妹の姿がありませんでした。私は急いで父を起こし、長屋の周りを探しました」

近所を探し回った二人は、とうとう長屋の裏で古い祠の前で倒れていたおせんを見つけた。
体に傷はなく、体は氷のように冷たくなっていたが、幸い息もしていた。
命に別状はないと医者にも言われたが、

212: :2012/1/23(月) 18:30:26 ID:X67jMh/RMg

「妹はその日から一度も目を覚まさなくなってしまったんですっ」

苦しむこともなく、寝言を言うでもなく、ただ死んだように眠り続ける妹を前に、おりんはどれだけ自分を責めたのだろう。
嗚咽を漏らしながらそう言った彼女に、思わず祠の裏で聡依とろくろ首は顔を見合わせた。

「お医者様は、このまま目を覚まさなければ死んでしまうだろうって……っ! まだ9つなのに……!」

おりんはとうとう顔を手で覆って泣き出してしまった。
聡依は困ったように頬を掻き、ろくろ首を肘でつつく。
どうにか慰めろ、と言うことなのだろう。
突かれたろくろ首は聡依以上に困った顔した。

「なっ、泣くんじゃないよっ! 泣いたってどうにもならないんだからさっ」

随分俗っぽいことを言う神様である。
こんな場面であるのに、聡依は笑い出しそうになってしまった。

213: :2012/1/23(月) 18:31:53 ID:X67jMh/RMg
キリのいいところがなかなかなくて困るのですが……(´・ω・`)
今日はこの辺で終わりです。
ではではまた明日
ノシノシ
214: 名無しさん@読者の声:2012/1/23(月) 23:48:20 ID:YMPC7wApis
ゆずるさんコテおめでとー
ご祝儀がてらっCCC
215: :2012/1/24(火) 23:27:46 ID:X67jMh/RMg
>>214
ご祝儀と支援ありがとうございます( `・ω・´) !

今日もちまちま投下していきますねー
216: :2012/1/24(火) 23:29:44 ID:X67jMh/RMg

「そもそも、なんで妹は祠なんかにいたんだい? それはわかったのかい?」

ろくろ首の言葉におりんは首を振る。
嗚咽交じりの声で、その問いに一生懸命答えようとする。

「私も父も、妹がなんで祠にいたのかはわかりません。何をお願いしていたのかも。そもそもそこは近所の人すら忘れるような古い祠で、私も父もその存在にも気づいていなかったんです」

それを聞いて、聡依は首をひねった。
ますますおせんがそんなところにいた理由がわからなくなってしまった。
ろくろ首も同じなのか、眉を顰めている。

「その所為で、近所の人には祠の祟りなんじゃないかって言われて」

忌物を見るような目でおりんも父も見られるようになり、父にあまり仕事が入ってこなくなってしまった。
ますます減る稼ぎと一向に目を覚まさないおせん。
春になれば自分は奉公に出ていく、その前にどうにかしたかった、と彼女は言った。

「どうか、助けてください。神様、お願いします」

地面に手をつき、頭を下げるおりん。
それを見ていた聡依がろくろ首に何かを耳打ちする。
217: :2012/1/24(火) 23:31:25 ID:X67jMh/RMg

それを言え、ということらしい。

「えへん。えっと、それならなんでお前さんはこの祠に来たんだい? その忘れられていた祠とやらに行って、謝ればいいじゃないか」

ろくろ首の問いに顔をあげたおりんは、キッと祠を睨んだ。
その鋭い視線に、ろくろ首はもちろん、彼女の口調ににやついた聡依ですら身を震わす。

「妹をあんな目に合わせる神様なんて、神様ではありませんっ! それに、あの祠には今や近所の人がたくさんやって来てお供え物をしているんです。そんなところに私なんかが言ったら、何を言われるか」

再びしょんぼりと項垂れたおりんに、聡依とろくろ首は顔を見合わせた。
どうにかしてあげたい、だけど自分がやるのは面倒。
二人の表情からはそんな思いが伺える。

「わかったよ。何とかしてやろうじゃないか。でも、時間がかかるかもしれないよ? それでもいいかい?」

218: :2012/1/24(火) 23:34:55 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首の言葉に、おりんは顔を上げ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
それを見ていた聡依は、ろくろ首も親切な奴だな、とわれ関せずと言う顔で感心している。

「ほっ、本当ですか? ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!」

瞳に涙を浮かべ、何度も何度も頭を下げるおりん。
なんとも苦い顔で、ろくろ首はそれを見ていた。

「それで、ろくろ首。一体どうやって解決するつもり?」

聡依がおりんに聞こえないように小声で問いかける。
すると、ろくろ首は眉を顰め、少し妙な顔をした。

「何言っているんだい。やるのはお前さんだろ?」

「あっ、そう」

そう言えばそうだった、と言い出しそうなほどあっけらかんと頷いた聡依。
そんな彼を暁が訝しげな顔で下から覗きこんだ、その時だった。

「えっ? 私がやるのっ?」

バサバサと大きな羽音を立て、聡依の声に驚いた鳥たちが近くの木々から飛び去っていった。


219: :2012/1/24(火) 23:37:25 ID:X67jMh/RMg

「全く信じられないよっ!」

屋敷に帰った聡依が太助に愚痴をこぼしている。
そしてその後ろにはやや項垂れるろくろ首の姿が。
どうやら今日は泊まって行くらしい。

「だって、お前、あの子が不憫だって顔をしていたじゃないかっ!」

「不憫だとは思ったさ。そりゃあ、あの様子を見て可哀想に思わなかったら、私は鬼だよ。だけどね、だからなってなんかしてやろうとは思わなかいよ。誰か何とかしてくれるといいねぇとは思ったけれど」

この男がそんな正義感や使命感に溢れているはずがないのである。
220: :2012/1/24(火) 23:38:50 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首は一体何を勘違いしたのだろうか。

「なにさっ、このけちんぼっ! お前の妖たちに協力してもらえばあっという間じゃないかっ!」

「バカっ。謝礼も出ないのに、あいつらにどうやってお礼をするんだよ。大体ね、そんなこと言うなら、自分でやればいいじゃないかっ!」

聡依とろくろ首がにらみ合う。
それをおろおろしながら眺める暁。
その中に、見かねた太助が割って入った。

「もうやめなさい。ほらほら。大体俺も聡が行くって言った時は、どうにかしてやるんだと思ったよ。もう引き受けてしまったんだから、どうにかしてやればいいじゃないか。その代り、ろくろ首。お前もちゃんと手伝うんだよ」

ろくろ首はそれくらいなら、と素直に頷く。
聡依はまだふくれっ面をしたまま、うんともすんとも言わない。

221: :2012/1/24(火) 23:45:05 ID:X67jMh/RMg

「聡、お前だってこのままじゃかわいそうだと思ったんだろう?」

諭すような太助の問いかけに、聡依はふんっと鼻を鳴らす。
皆に背を向け、屋敷の奥へと歩き出してしまった。

「聡依殿っ! どこへ行くんですかっ?」

暁が心配そうに問いかけながら、慌ててその背中を追いかけていった。

「お布団っ!」

聞えてきた機嫌の悪そうな返事に、残された太助とろくろ首は思わず顔を見合わせる。
あれで説得できたのだろうか。
暁がなにやら言っているのを聞きながら、二人は同時に溜息を吐いた。

「なに、どうせ明日の朝には機嫌も直っているさ」

慰めるように太助がろくろ首の肩に手を置く。
彼女は何を思ったのか、その手を見ると、再び深い溜息を吐いた。
222: :2012/1/24(火) 23:46:51 ID:X67jMh/RMg
今日はこの辺で終わりです
ではでは
ノシノシ
223: :2012/1/25(水) 22:36:18 ID:X67jMh/RMg
今日もちょこちょこ投下していきますねー
224: :2012/1/25(水) 22:38:15 ID:X67jMh/RMg

その言葉の通り、翌日にはいつもの通り眠たげな顔をした聡依が、ボケッとこたつで暖を取っていた。
ろくろ首はそれを見て、ほっと息を吐く。

「おはよう」

ろくろ首が声をかけると、取れるのはないかと心配になる勢いで聡依が首を前に倒す。
一応、頷いたつもりらしい。
ろくろ首は呆れて肩をすくめ、その隣に座った。

「聡依、その……、昨日のことはもう怒ってないのかい?」

またも首ががくん、と動く。
本当にとれるのではないか、とろくろ首が心配していると、襖があき、朝餉を持ったお夏が現れた。

「おはよう、ろくろ首」

「あぁ、おはよう。悪いね」

225: :2012/1/25(水) 22:39:34 ID:X67jMh/RMg

「いいのよ。一人増えようが、どうせ聡依はあまり食べないから変わらないの」

ちゃぶ台に皿を並べていく。
今日の朝ごはんはだし巻き卵が付いていた。
それに目を輝かせているろくろ首をよそに、お夏が聡依を見てため息を吐く。

「どうしたんだい?」

それに気づいたろくろ首が尋ねると、お夏は一瞬迷うように、えぇ、だのうん、だの曖昧な返事をし、それからまたため息を吐いた。

「最近、いっつもこうなのよ」

そして、聡依を指す。何となくだるそうにぼうっとする聡依は、二人の声も耳に入っていないらしい。
ろくろ首は少し笑い、お夏に首を振って見せた。

226: :2012/1/25(水) 22:40:30 ID:X67jMh/RMg

「最近って、こいつの目覚めの悪さは前からじゃないか」

「ううん、違うの。前はもうちょっとマシだったんだけど。最近、なんだか起きてから半時(約1時間)はこうなのよ」

「半時っ?」

ろくろ首は目を見開く。
聡依は確かに目覚めは悪い方だったが、筋金入りに悪いのは寝起きの方である。
いったん起きてしまえば不機嫌ではあるものの、昼間と変わらず嫌味が言えるほど頭の方はしっかり覚醒している。
それがこの様子、そしてこれが半時とは。

「そんなまさか。私の知ってる聡依は、そこまで寝坊助じゃないよ」

「だから心配なのよ。なんだか、寝ているのに疲れているみたいだし」

お夏は心配そうに聡依の頭を撫でた。
それにも反応を見せず、ぼんやりと宙を見つめる聡依。
ろくろ首も流石に心配になったのか、腕を組み、眉間にしわを寄せる。

227: :2012/1/25(水) 22:41:36 ID:X67jMh/RMg

「それを、暁は知ってるのかい?」

「ネコちゃん? いいえ、知らないと思うけど。あっ、でも、太助さんには相談したわよ」

「太助に? なんと言ってた?」

「うん、と……、あまり続くようだったらまた教えてって。でも、そのあと一人でなんだか言ってたわ。鬼門だとか、なんだとか」

「鬼門……?」

ろくろ首は首をひねる。
お夏もその言葉の意味が分からないようで、同じように首をひねった。

「それにしても、暁はどうかね……」

渋い顔のろくろ首。
どうしたの? とお夏が尋ねると、慌てて首を振った。

228: :2012/1/25(水) 22:43:10 ID:X67jMh/RMg

「夢を見せる妖?」
暁の言葉に、まんじゅう片手の聡依が首をひねる。
そしてその隣ではろくろ首も。

「ですにゃ。昨日話を聞いていて思ったんですが、おせん殿は夢にとらわれているんじゃないでしょうか」

「夢に……、ねぇ」

なぜだか渋い顔をする聡依。
ろくろ首はそれを不思議そうに見つめる。
暁はあまり気にしていないようで、聡依を目を輝かせて見つめていた。

「でも、妖の仕業だと決まったわけじゃないよ。盗人やごろつきがおせんさんを襲ったのかもしれない。ひどく頭を打つと、目を覚まさなくなるって読本で見たことがあるし」

「でも、体に傷はないっておりんは言っていたよ」

229: :2012/1/25(水) 22:44:22 ID:X67jMh/RMg

ふむ、と三人がそれぞれ考え込む。
体に傷はなく、ただ何をするでもなく眠り続ける。
お医者も原因がわからないとは……。
さて、どうしたらいいものだろうか。

「聡依が直接会って確かめればいいじゃないか」

ろくろ首が腰の重い聡依を責めるように言う。
聡依はそれにまた嫌な顔をすると、ため息を吐いて言葉を返す。
暁が不思議そうに聡依を見上げていた。

「二人は昨日のおりんさんの話を聞いてなかったの? 近所で祟りだって噂になってる。その所為でおりんさんのお父上は仕事が減ってしまった。そんな時に私が言ったらどうなる? 祟りってことを証明しているようなものじゃないか」

230: :2012/1/25(水) 22:46:23 ID:X67jMh/RMg

聡依の言葉にろくろ首と暁は息を呑んだ。
でしょ? と、聡依は二人を見る。
二人は言葉を返せない。

「それにね、おりんさんは私に頼んだんじゃないよ。祠の神様に頼んだんだ。だからね、私が行ったって絶対入れてはくれないよ」

「それはそうかもしれないけど、このままじゃらちが明かないじゃないか」

腕を組む聡依にろくろ首が反論する。
彼女も言うとおりらちが明かないのだが、明かす方法も浮かばなかった。
そんな様子を見ていた暁は何かを思いついたのか、不意にその手をぽんっと叩く。

「わかりましたにゃっ! 聡依殿が変装すればいいんですっ」

231: :2012/1/25(水) 22:48:01 ID:X67jMh/RMg

「は?」

「えっ?」

きょとん、とする二人に、暁は胸を張って頷く。
彼は名案を思い付いたつもりらしい。
その意味をようやく理解したのか、聡依は口をあんぐりと開いた。
その隣で、ろくろ首が笑いだす。

「聡依殿がおなごに変装すれば、誰も聡依殿とはわからないです!」

232: :2012/1/25(水) 22:49:48 ID:X67jMh/RMg

「そっ、そっ、そんなの、無理に決まってるじゃないか……」

笑いながらろくろ首が言った。
憮然とした顔で聡依が何度も頷いている。
もちろんそれに引き下がる暁ではない。

「そんなことないですって! 聡依殿はあっしが見てきた人の中でも特に女顔ですよ。前に清次殿も、聡依殿が女だったらいいのにって言ってましたし」

これを本気で言っているのだから、しょうがない。
しかも暁は聡依を誉めているつもりである。
ろくろ首はもう声も出ないのか、床に突っ伏して肩を震わせている。

233: :2012/1/25(水) 23:44:41 ID:X67jMh/RMg

「ネコ、それはつまり……、私に喧嘩を売っているってことだね?」

怒りに声を震わせ、不気味に笑いながら聡依は暁に尋ねた。
それを見た暁は、ぎょっとした顔で慌てて首を何度も横に振る。
ようやく危機を感じたらしい。
しかし、もう遅かったようだ。

「そんなことを言われて、喜ぶと思ったら大間違いなんだよ……、このっ、バカネコっ!!」

聡依の鉄拳が暁の頭に落ちた。


234: :2012/1/25(水) 23:45:25 ID:X67jMh/RMg
今日の投下はこの辺で終わりです。
ではでは、また明日
ノシノシ
235: :2012/1/27(金) 01:07:06 ID:X67jMh/RMg
投下していきますねー
236: :2012/1/27(金) 01:09:11 ID:X67jMh/RMg

「で? 結局やってるのか」

騒ぎを聞きつけて見に来た太助がろくろ首に尋ねる。
ろくろ首はまだ笑いが収まっていないのか、口元をヒクヒクさせながら頷いた。

「怒られて暁は一度やめたんだけど、よく考えるといい案なんだよねぇ。それで、変装について真面目に考えていたら、お夏がやってきちゃって」

聡依の女装を聞きつけたお夏は、嬉々とした顔で聡依を連れ去ったのだという。
暁がその光景を思い出したのか、身を震わせている。

「女っていうのは好きだからねぇ、ああいうのが」

「なるほど。それにしても、ろくろ首。お前は女心っていうのがわかるのか」

237: :2012/1/27(金) 01:11:25 ID:X67jMh/RMg
間違った……。正しくはこっちです。

「で? 結局やってるのか」

騒ぎを聞きつけて見に来た太助がろくろ首に尋ねる。
ろくろ首はまだ笑いが収まっていないのか、口元をヒクヒクさせながら頷いた。

「怒られて暁は一度やめたんだけど、よく考えるといい案なんだよねぇ。それで、変装について真面目に考えていたら、お夏がやってきちゃって」

聡依の女装を聞きつけたお夏は、嬉々とした顔で聡依を連れ去ったのだという。
それを想像したのか、太助は身を震わせた。

「女っていうのは好きだからねぇ、ああいうのが」

「なるほど。それにしても、ろくろ首。お前は女心っていうのがわかるのか」

「失礼だねっ! 私は女だよっ!」

238: :2012/1/27(金) 01:12:18 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首が頬を膨らませた。
そりゃ悪かったな、と軽く謝る太助。
聡依の無神経は、意外とこの男から来ているのかもしれない。

と、そこへ暁がやってきた。
なぜか頭が粉塗れなのだが、太助もろくろ首もそれを見ないふりをした。
本人はやたら気になるようで、せっせと手を伸ばして顔を拭っている。

「どうなったんだい?」

ろくろ首が尋ねる。
彼女は聡依のことを聞いたつもりなのだが、返ってきた答えは

「怖かったですにゃ……」

というお夏のことを述べるものだった。
それを聞き、思わず苦い顔をする二人。
239: :2012/1/27(金) 01:13:13 ID:X67jMh/RMg

聡依が心配である。
すると、廊下から楽しそうな声が聞こえてきた。
襖が開き、顔を出したのはお夏であった。

「見てみて、ろくろ首っ! あら、太助さんもいたの?」

「いちゃだめだったか」

太助の嫌味も舞い上がっているお夏の耳には入らないらしい。
別に、と弾むような声で返され、太助は逆に落ち込む。

「聡依っ、早くおいでよっ」

「いやだっ! こんな姿、見せるくらいなら死んでやるっ!」

涙交じりの聡依の声に、太助はますます心配し、同情する。
ろくろ首は依然として面白がっているようで、にやにやと意地悪な笑みを浮かべていた。

240: :2012/1/27(金) 01:13:57 ID:X67jMh/RMg

「なによっ、あたしがせっかく綺麗にしてあげたのにっ。気に入らないっていうの?」

凄むお夏の声に、暁が飛び上った。
それは聡依も同じだったようで、ヒッという小さな悲鳴の後、抵抗する力が弱まったのか、ずるずると引きずられている音が聞こえた。

「女は怖し……、ってやつだな」

妙に悟った顔で太助が頷いた。

ふすまが再び開き、お夏が顔を見せる。
そしてその手はしっかりと聡依の腕を掴んでいた。

241: :2012/1/27(金) 01:14:48 ID:X67jMh/RMg

「じゃじゃーんっ。流石でしょ?」

自信たっぷりに胸を張り、お夏が聡依をお披露目する。
笑っていたろくろ首も、顔を必死で洗っていた暁も、太助でさえ一瞬、息を呑んだ。

「ほう……、なかなか」

どこから引っ張り出したのか聡依は派手ではないが艶やかな着物を着ており、これまたなぜあったのか、女髪のカツラを被っていた。
その姿はどこからどう見ても女子で、なるほど、これが外を歩いていたらつい声をかけたくなる、と言う姿である。

「綺麗でしょっ!」

242: :2012/1/27(金) 01:15:31 ID:X67jMh/RMg

しかし本人にその自覚はないようで、そう言って胸を張るのは依然としてお夏であった。

「聡依殿っ! これなら絶対ばれませんよっ」

嬉しそうに暁が言う。
聡依は顔も上げずに、ぼそぼそと何かを呟いている。

「聡依殿っ、なに落ち込んでいるんですか?」

「……この姿で外に出ろと言うなら、もうこたつから出ないことにするよ」

その暗い顔にろくろ首が小さく吹き出した。
これはまぁ、と太助も頭を抱える。
もう末期である。

243: :2012/1/27(金) 01:16:07 ID:X67jMh/RMg

「何言っているのよっ! その格好で外に出なければ、あたしのこの半時にわたる苦労はどうなっちゃうのっ。だめっ、絶対その格好で引きこもるなんてだめっ!」

お夏の剣幕に思わず一歩引く太助とろくろ首。
着物の衿を掴まれ、凄まれているというのにもかかわらず、聡依は暗い声でぼそぼそと返事をするだけだった。

「何言ってるのよ。綺麗だから、自信持って! ほらっ!」

「一体何の自信を持てと言っているんだか……」

思わず太助が呆れて呟いた。
その隣ではろくろ首が何度もうんうんと力強く頷いていた。

244: :2012/1/27(金) 01:16:49 ID:X67jMh/RMg
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
245: :2012/1/28(土) 00:13:07 ID:X67jMh/RMg
絵スレでもレスをつかわせていただきましたが、聡依殿を描いてくれた皆さん、ありがとうございましたっ!
そしてリクエストしてくださった方々もっ。
聡依殿には悪いですが、女装させてよかったー( `・ω・´)
今日もちょこちょこ投下していきますねー。
246: :2012/1/28(土) 00:15:10 ID:X67jMh/RMg

女装した聡依と人に化けた暁は風呂敷包みを持ち、おりんの住む長屋に向かっていた。
医者の使い、という設定でおせんの様子を見に行く作戦らしい。
結局お夏には勝てなかった聡依なのだが、相当嫌な様で随分と顔色が悪い。
これでは一体どちらかが病人かわからないのだが、そんなことに間抜けな暁が気付くはずがなかった。

「聡依殿っ、元気出してくださいよー」

「今はおたみですから」

生気まで抜けていきそうなほど深いため息を吐く聡依。
そんな彼の様子を心配しながらも、暁は自分がうまく人を演じられるかのほうが心配なようだ。
声はかけるものの、ほとんど聡依のほうを見ず、自分の格好ばかりを気にしている。


「あっしって変ですかにゃ? ちゃんとできますかねぇ」

「もともと変だから気にしない方がいいと思います」

「もっとまじめに答えてくださいよぉ」

247: :2012/1/28(土) 00:16:28 ID:X67jMh/RMg

全くまともに取り合ってくれない聡依に、暁は頬を膨らませる。
聡依は聡依で、自分のことで頭がいっぱいなようだ。
皮肉なもので、聡依が自分の格好を憂いてため息を吐けば吐くほど、それを見ている男の数が増えていく。
やはり、どこか陰のある美少女というのは魅力的なのだろうか。

「死にたい……、川が私を呼んでいるような気がするよ」

「気のせいですにゃっ!」

せっかく正体がばれないように変装したというのに、かえって悪目立ちしてしまっているのだから仕様もない。
もちろん自分たちのことで必死の2人はそんなことにも気づかず、ぶつぶつ呟きながら長屋に向かって行った。

248: :2012/1/28(土) 00:19:25 ID:X67jMh/RMg

「ごめんください」

ちょうどお昼時だからなのか、あちこちの家からおいしそうな香りが漂ってくる。
その中、妙に寒々とした長屋の一室の戸を聡依は叩いた。

「はい」

がたがたと音を立てて戸が開く。
目に飛び込んできたのは、聡依が思わず息を呑むほど狭く、質素な部屋であった。
もちろん、彼が長年豪華で広い屋敷でしか暮らしたことがない所為もあるが、それを抜きにしてもおりんの家はひどく貧しく見える。

「あのう……、どちらさまですか?」

唖然としたまま名も言わない聡依に、おりんが警戒心を露わにする。
やや部屋を隠すように腕を広げ、聡依を睨んだ。

249: :2012/1/28(土) 00:21:11 ID:X67jMh/RMg

ハッとそれに気づいた聡依は慌てて気を取り直し、とろけるような笑みを浮かべる。

「私、源信先生のお使いのものですが」

「あっ、お医者さまの?」

聡依の笑みと医者という言葉におりんが一気に警戒を解く。
随分と不用心ですね、と暁が眉をしかめた。

「おせんさんの容体はあれからどうでしょう?」

それを聞いたとたん、おりんの顔が曇った。
あれからさらに悪くなったのだろうか、と不安になる。
聡依は彼女を覗き込み、その表情をうかがった。

「一向に良くならなくて……。相変わらずです」

「そうですか……。少し、見てもよろしいですか?」

「はい、お願いします」

おりんが体をひねり、聡依たちを中に通す。
中に入って二人はその生活の貧しさを改めて感じ、再び息を呑んだ。

250: :2012/1/28(土) 00:24:13 ID:X67jMh/RMg

「言われた通り、耳元で名前を読んだり、唇を水で濡らしたりはしているのですが……」

部屋には少女が継ぎはぎだらけの布団に横たわっていた。
まっ白い頬に、漆黒の髪。
そのコントラストはとても美しいものだか、その頬の白さに不安を覚える。
おせんは姿勢よく布団に横たわり、静かに胸を上下させていた。
人形のようだ、と聡依はつぶやく。

「聡依殿……」

暁がそっと聡依に耳打ちをした。
彼は黙ってそれに頷く。

「おせんさんは見つかった時、どこも怪我をしていなかったんですよね?」

251: :2012/1/28(土) 00:25:53 ID:X67jMh/RMg

「はい。膝をすりむいていたくらいで……、それも倒れたときにできたんじゃないかって」

もしもごろつきや盗人にやられたのなら、もっと怪我が多いはず。
それに膝をすりむいただけでは、こんな風にはならないだろう。
そして、彼女の白い頬――、まるで生気が感じられない。
確信を得たのか、聡依は暁にうなづいて見せた。
暁はそれに不安げな顔でうなづき返す。

「どうでしょう、妹は大丈夫でしょうか?」

真剣なまなざしでおりんが尋ねてきた。
よほど妹が気がかりなのだろう。
前に見たときよりもその顔はやつれ、すっかり疲れているように見えた。

252: :2012/1/28(土) 00:29:08 ID:X67jMh/RMg

「私はただの手伝いなので、難しいことは分かりません。ですが、一つだけは言えますよ。あなた、もう少し休みなさい。おせんさんを見ている間に、あなたが倒れてしまいますよ」

聡依の言葉におりんが目を伏せた。
そして何がきっかけだったのか、そのままほろほろと涙をこぼす。
暁と聡依はそんな彼女に、ただおろおろすることしかできなかった。

「だって……、だって、おせんがこうなったのは私の所為だから……」

嗚咽の交じるその声に、聡依と暁は思わず顔を見合わせた。
おりんは聡依たちが考えていたよりもずっと、妹のことに責任を感じていたらしい。
暁がその震える背中をそっと撫でた。

「大丈夫ですよ。絶対、おせんさんはよくなりますよ」

暁が呪文のように何度も、おりんにそう言い聞かせる。
おりんはその言葉に何度も頷いていた。
253: :2012/1/28(土) 00:31:29 ID:X67jMh/RMg

屋敷に帰った二人は早速ろくろ首に報告をしていた。
結論は残念なことに、妖以外の何物の仕業でもない、という。
3人は腕を組み、首をひねった。

「夢にとらわれる……か」
朝の暁の言葉を思い出し、聡依が呟く。
夢にとらわれる。
それはつまり、夢の中にいつまでもいさせられるということだろう。
でも、それはどんなふうに? どんな状況で?

「夢なんて、早く醒めてほしいものでしかないなぁ」

ぽつりとつぶやいた言葉に、暁が反応した。
彼は聡依の言葉の意味があまりわからなかったようで、首をひねっている。

「なんでですにゃ? たまには、醒めなきゃよかったのにっ! って思うことありません?」

「ないよ」

と、即答する聡依。
254: :2012/1/28(土) 00:32:25 ID:X67jMh/RMg

「私はあるね。目の前にごちそうとお酒をたんっと積まれた夢を見たときは、なんでその日、目が覚めたのかわからかったよ」

「あっしもそんな感じですっ。魚をお腹いっぱい食べれる夢とかは、正直夢の中に住みたくなりますにゃ」

「夢の中に住みたくなる……か」

聡依が呟く。
あまり理解できないという顔だ。
彼はあまりいい夢を見ないのかもしれない。
 
255: :2012/1/28(土) 00:33:36 ID:X67jMh/RMg
と、その時。不意にろくろ首がちゃぶ台を叩いた。
その音に、魚を思い浮かべていたのだろう、うっとりとしていた暁が飛び上る。
聡依はわずかに眉をひそめ、ろくろ首のほうに目をやった。

「にゃっ、なんですかっ!?」

「思い出したんだよっ! たった200年前の事なのに、なんで忘れてたんだっ!」

「そりゃ、200年も経てば忘れるでしょ」

妖と人とではやはり時間間隔が違うのか、聡依がびっくりするようなことをろくろ首はいった。
そんな彼のことなど気にせず、ろくろ首は興奮した面持ちで聡依と暁に告げる。

「いたんだよっ! その、夢を見せる妖がっ!」

「えっ?」

「そっ、それは本当ですかにゃっ……?」

256: :2012/1/28(土) 00:34:17 ID:X67jMh/RMg
今日の投下はこれで終わりです。
ちょっと失敗して長くなってしまった……orz

257: :2012/1/29(日) 00:12:22 ID:X67jMh/RMg
今日もちまちま投下していきますねー
258: :2012/1/29(日) 00:14:49 ID:X67jMh/RMg

その妖はろくろ首いわく『夢売り』という名らしい。
何でも先代、つまり第15代緑青の結び人の妖だったのだという。
要するに、今の暁と同じ立場だ。

「それがなんで人に悪さをするんだよ」

肩をすくめる聡依に、ろくろ首は渋い顔。
あまり仲が良くなかったのだろうか、頻りに気まずそうに頬を掻いている。

「あいつはね、ちょっと偏りすぎているところがあったんだよ。こう、先代を慕いすぎているというか」

「慕いすぎている、っていうと?」

聡依が重ねた質問に、ろくろ首はますます渋い顔をした。
その様子に聡依と暁は顔を見合わせる。

259: :2012/1/29(日) 00:16:01 ID:X67jMh/RMg

「あいつは、先代以上に素晴らしい結び人なんていないと思っていたよ。それに、どこで勘違いしたのかねぇ。長く一緒にいるうちに、先代を人とは思わなくなったんだろう。あいつは先代の死を受け入れられなかったのさ」

人と妖は違う。
それは誰もがわかっていること、そして分かっていなければならないことだ。
結び人は彼らを見ることもできれば、話すこともできる。
更に触れることもできるが、一つだけ、妖とは違うところがある。
それは、妖は何かによって退治されない限り死なないが、人はいつか必ず死んでしまうということだ。
大好きな先代に一人残された夢売りは、一体何を思ったのだろう。
260: :2012/1/29(日) 00:17:40 ID:X67jMh/RMg

「あいつはね、先代の葬儀が終わるとともにいなくなってしまったんだよ。あいつの主人は先代であったし、その後お前まで結び人は現れなかったのだから、別に誰も気にしなかったんだけどね」

まだこの町にいたのか、とろくろ首は呟いた。
感傷に浸るろくろ首をよそに、初めて聞く自分以外の結び人の話に、聡依は夢中になっていた。
それで? と、話を聞き出そうとするが、ろくろ首は首を振る。

「私はあまり先代とは関わりがなかったんだよ。先代の日記さえ残っていればね……」

「日記か」

まめな男だったらしく、毎日欠かさず日記をつけていたという。
聡依殿とは大違いですね、と憎まれ口を叩く暁に、聡依は苦笑いを返した。
261: :2012/1/29(日) 00:20:35 ID:X67jMh/RMg

「先代はどこに住んでいたんだい? それがわかれば、日記もわかるかもしれない」

質問を重ねた聡依を、ろくろ首はきょとんと見つめ返した。
それにつられるように、聡依もきょとんとろくろ首を見つめる。
少し、妙な光景だ。

「なに寝ぼけたことを言っているんだい。10代目から結び人は代々この屋敷に住んでいるじゃないか。だから、残ってさえいれば日記もあるはずだよ」

「えっ?」

聡依と暁がそろって声を上げる。
そんなことも知らないのか、とろくろ首が眉を顰めたときには、聡依はもう部屋を飛び出していた。

「太助っ! 先代の日記って知らないっ!?」

珍しく興奮している様子の彼に、ろくろ首と暁はそろって顔を見合わせる。
そして二人とも不思議そうに首をかしげたのだった。

262: :2012/1/29(日) 00:22:26 ID:X67jMh/RMg

先代、青木春芳(はるよし)のものはすべて裏庭の蔵にしまってあった。
誰も彼の持ち物を取りに来なかったのだろうか。
日記はおろか、刀から肌着の一つまですべて残っている。
もちろん、その多くはもう朽ちていたが、いくらかは無事に残っていた。

「日記が残っているとはね」

よほど残したかったのだろう。
一冊の日記が、たくさんの着物にくるまれ残っていた。
ところどころ破れてしまっていたが、読めないほどでもない。
聡依はそれと刀などをいくつか抱えると、屋敷にと戻った。
263: :2012/1/29(日) 00:24:43 ID:X67jMh/RMg

「先代の日記ですか」

暁は、破れ、汚れたわら半紙を閉じたそれを聡依と一緒に暁が覗き込む。
日記は彼が死ぬ数か月前と思われる日付から始まっていた。


『隣のさつき婆さんが亡くなった』

日記はそんな一文から始まる。

『死ぬ、ということを意識したのは久しぶりのことかもしれない。前は妖にあっては死ぬとはどんな感じだったか、と聞いていたものだけど、その答えの多くが覚えていないだったので、あまり気にしなくなっていた。みんな案外適当なもんだ。そう言えば、私ももうじき死ぬらしい』

春芳は死期を悟っていたのか。
死ぬらしい、という言葉からは別段悲しみや恐れは感じられなかった。
恐らく、あぁ、死ぬのかぁとぼんやり意識している程度なのだろう。


264: :2012/1/29(日) 00:26:35 ID:X67jMh/RMg

さらに下へと日記は続く。

『そう言えばこの前、蔵の中で野菜が腐っていた。誰だろう、こんなにたくさん大根を買ってきたのは』

そんな文に聡依と暁はそろって苦笑い。
買ってきたのはおそらく春芳自身なのだろ。
それにこんなことを日記に書かなくてもいいのではないか。

二人はその下に続いている、妙な記号に目を止めた。
1だの夢だの何やら書いてあるのだが、その意味がよくわからない。

「これはなんだろうね」

「さぁ……、あまり関係ないんじゃないでしょうか」

二人は首を傾げつつも、次の日へと春芳の日常をめくった。

265: :2012/1/29(日) 00:29:10 ID:X67jMh/RMg

『将棋の後の酒は美味い。特に勝負に勝った時は。なんだか最近、あまり敵がいなくなってきてしまった気もするが、人に勝つのは楽しいからまぁいいか。それにしてもさつき婆さんの筑前煮が食べたくて仕方がない。なんで、人というのは死ぬのだろうなぁ』

なるほど、春芳は将棋が好きだったようだ。
そしてよほど強かったのだろう。
もちろん、彼が勝手に書いているだけなので、事実とは違うかもしれないが。

『夢売りが泣いていた。それを見ているうちに私も泣いてしまった。やっぱり、もう筑前煮を作ってくれなくてもいいからさつき婆さんに会いたい』

不意に聡依はページをめくる手を止めた。
暁が不思議そうにその顔をひょいと覗き込むと、彼は日記を手に立ち上がり、何も言わずに自室の方に歩いて行ってしまった。

266: :2012/1/29(日) 00:31:14 ID:X67jMh/RMg

「聡依殿っ」

急に置いてけぼりにされた暁が、慌てて後を追う。
その彼が部屋に入る前に、聡依はふすまをピシャンっと閉めてしまった。
呆然と目の前で閉まった襖を眺め、立ち尽くす暁。

「どうしたんですか……」

いつになく小さな声が出た。
どうして? こんなことをされたのだから、自分は怒ってもいいはずなのに。
どうして、こんなにも不安になるのだろう。

「聡依殿……」

情けない声が暁の口から零れ落ちた。
267: :2012/1/29(日) 00:32:56 ID:X67jMh/RMg
今日はここのへんでおわりです。
しっかしなんでこうシリアスが続くかなぁ……
268: :2012/1/30(月) 00:33:03 ID:X67jMh/RMg
やっとこれた……!
今日もちまちま投下していきます。
パソコンの具合次第なので、だめになったらそこで終わり。
キリが悪くなるかもしれませんが、ご了承ください。
269: :2012/1/30(月) 00:34:45 ID:X67jMh/RMg

自分でもびっくりしていると、どこからかろくろ首が顔をだし、暁の肩を叩いた。

「一人にしてやんなよ」

「でもっ、ろくろ首殿……」

ろくろ首は静かに首を振ると、暁を手招きした。
呼ばれるままに暁はろくろ首を追い、縁側に座った彼女の隣に腰を下ろした。

「あれはさ、初めてなんだよ」

「初めて?」

「先代があいつにとって初めて出会う結び人なのさ。だから、何か思うことでもあるんだろうよ」

春芳は人にも妖にも好かれていたからねぇ。
何気なくろくろ首の呟いた言葉が、暁の心を逆なでする。


270: :2012/1/30(月) 00:36:04 ID:X67jMh/RMg

「でもっ、聡依殿だって嫌われてなんかいませんにゃっ」

ろくろ首は笑って暁の背中を軽く叩いた。
暁は不服そうにその手を邪険に払う。

「わかってるよ。あいつがいい奴だってことも、お前があいつのこと、好いていることもね。だけどね、時代が違うんだよ。200年ほど前さ、人の結び人への接し方も随分違った……」

大差はないけれどね、とろくろ首が付け足す。
その表情は、あのころをそして春芳を思い出しているようだ。
暁はろくろ首をまねて、春芳の姿を必死で思い浮かべてみたが、浮かんでくるのはいつもの聡依の姿だけだった。


271: :2012/1/30(月) 00:37:01 ID:X67jMh/RMg

「先代は、そんなにいい人だったんですか?」

暁の問いに、しみじみとろくろ首は頷いた。
その口元が自然と綻んでいるのを見て、彼は何とも言えない気分になる。
嬉しいとはいえない。
だが、悲しいとは少し違うような気もした。

「あれはね、いいやつだった。すっきりしていて、ちょっとバカで。賭けと将棋と酒が大好きでね。今思うとあいつが死んだのはあの酒が原因じゃないかと思うよ」

でもね、とろくろ首は呟く。

272: :2012/1/30(月) 00:39:37 ID:X67jMh/RMg

「思い出っていうのは美化されるもんだよ。それにあいつは全部が全部いいというわけでもないしね。泣き虫で、怒りんぼ。そのくせドケチで賭けのツケはきちっと書き残していたさ」

「じゃあ、どうしてそんなに人に好かれていたんですか?」

自分だったら少し嫌かもしれない、と加わった情報に眉をしかめる暁。
ろくろ首はわかるよ、と同意し、それをおかしそうに笑った。

「それが不思議なんだよ。でも、私が思うにね、あいつはわかりやすかったんだ」

「わかりやすい?」

「そう、とてもわかりやすかった。怒っているのも悲しんでいるのも全部顔に出る。だからね、私たちみたいにそう言う難しい感情をとっくの昔に置き忘れた妖には、とても分かりやすかったのさ。だから、親しみやすかった。聡依は、違う。そうだろ?」
273: :2012/1/30(月) 00:41:12 ID:X67jMh/RMg

ろくろ首の言葉に暁は頷くしかなかった。
先ほどだってそうだ。
突然一人で行ってしまった。
何か一言、いやせめて表情でも変えていれば、暁だって察することができたのかもしれないのに。

「あいつは本当にわかりづらいね。最近はよく怒るようになったし、笑うようにもなった。でも、やっぱり、あいつの悲しいって顔は見たことはないよ。誰に何を言われても、しれっとした顔をしているだろう? まるで、何も感じていないように」

ろくろ首はため息を吐く。
心底困ったようなその顔は、聡依のことを本当に心配しているのがうかがえた。

274: :2012/1/30(月) 00:43:13 ID:X67jMh/RMg

「分かりづらいんだ、あいつは本当に。だから私たちは察するか、待つしかできないんだよ」

ろくろ首の言葉に、暁は頷いた。
察するのは難しい、だから待つしかない。
だけどそれがどれほど歯がゆい時間なのか、それくらい、暁にも想像ができた。
そしてその経験もある。

ギュッと両の手のひらを強く握り、暁は肩ごしに聡依のいる部屋を振り返った。
襖はまだ沈黙を保ったままだった。
275: :2012/1/30(月) 00:48:59 ID:P8j.QJzTV6
もうちょい行けると思ったのになぁorz
今日の投下はここまでです
ノシノシ
276: 名無しさん@読者の声:2012/1/30(月) 00:52:05 ID:hTChg3IisE
聡依殿ぉ 暁ぃ・゜・(PД`q。)・゜・ブワッ


277: :2012/1/31(火) 01:07:22 ID:X67jMh/RMg
>>276
( ・ω・)ノなでなで

今日もちまちま投下していきますねー
278: :2012/1/31(火) 01:08:22 ID:X67jMh/RMg

聡依にとって春芳は初めて出会う自分以外の結び人だった。
彼が一体どんな日々を送っていたのか、そして何を考えていたのか、日記をめくるごとにつづられる日常は春芳の心を映し出す。
いつしか彼は、春芳のいる世界に引き込まれていた。

『この前、魚屋の旦那さんと賭け将棋の話をしていたら、女将さんにひどく怒られた。女の人というのはなんだか賭け事や酒の話が嫌いらしい。楽しいのに、勿体ない』

『そうそう、今日はみんなで残ったみかんの駆除をした。みかんっておいしいけれどすぐに腐るし、食べ続けていると飽きるから困る。なのにいつも箱で買ってしまうんだよなぁ。不思議だ』

279: :2012/1/31(火) 01:09:18 ID:X67jMh/RMg

『この間、近所の子に嫌な顔をされた。とっても悲しかったから、夢売りに泣きついたけれど、そんなに私は厭なものだろうか。私は二十数年間、結び人として生きてきたが、結局それがどんなものかわからなかった気がする。私は自分がどれほどの忌物なのかもわからない』

彼はよく泣いた。
そしてよく笑ったし、よく怒った。
くるくる回るように変わる春芳の感情。
それに聡依が目を回していると、不意にそんな文が目に飛び込んできた。

「自分がどれほどの忌物なのか……」

その結論は、200年前にもなかったようだ。
そして200年後にもない。
恐らく自分が自分である限り、その結論は出ないのだろう。
聡依はそんなことを考えながら、またページをめくる。

280: :2012/1/31(火) 01:09:37 ID:X67jMh/RMg

『縁という男がいるらしい。会って見たいと思ったけれど、おそらく一生会わない方がいいとも思う。どう考えても、話が合いそうにはないし』

『夢売りがまた怒っていた。彼はなんだか最近、私が死ぬことを言うとすぐに怒り出す。あんなに怒りっぽかっただろうか。そういえば、夢売りから賭けのツケを回収していない。早めに回収しないと』

『さつき婆さんに会った。まだいたの? と尋ねると、申し訳なさそうな顔をしながら私に筑前煮の作り方を教えてくれた。でも、私じゃうまく作れないから。さつき婆さんにそう言うと、誰かに作ってもらいなさいと言われてしまった。あれは、忘れなさいという意味だったんだろうか』

281: :2012/1/31(火) 01:10:44 ID:X67jMh/RMg

春芳の日記には人の名前がよく出てくる。
彼は近所の人に好かれていたようだ。

日記に書かれていたことは、どれも聡依には想像ができないことだった。
誰かが自分のために煮物を作ってくれる。
まだ一度も味わったことのない感覚だが、それはきっととても暖かいのだろう。

羨ましい、と思わず呟く。
いつになく素直な感情だった。
 
282: :2012/1/31(火) 01:13:39 ID:X67jMh/RMg

聡依はまた紙を一枚めくった。
そこには一面いつも日記の下に書かれていた数字やら文字やらが書かれている。
首をかしげ、さらに一枚、紙をめくってみるが、そこには何も書かれていなかった。
どうやら、ここで最後らしい。

「『夢』とバツ……?」

一枚、戻り、改めてそこを眺めてみる。
そこには『夢』と一番上に書かれており、その隣に3つのバツ印が並ぶ。
それらを指でなぞりながら、聡依はこれらには何か意味があるのだろうか、と考え始めた。
毎日書かれていたこれらの数字と文字。

283: :2012/1/31(火) 01:15:33 ID:X67jMh/RMg

聡依は一度日記を閉じ、もう一度開く。
どうやら最初から読み直す気らしい。

それからいくらか時がたったのだろうか。
部屋に差し込む光がやや茜色に染まり始めるまで、聡依はずっとそのことを考えていた。

「あぁ、これはそういうことだったのか」

ようやく自分の出した答えに満足したらしい。
静かな部屋でそんなことを呟く。
そんな彼の口元はいつになく楽しげに弧を描いていた。

284: :2012/1/31(火) 01:17:31 ID:X67jMh/RMg

時刻は丑寅(午前3時)のころであろうか。

広く古い屋敷の一番奥の部屋で、一人の男が夢にうなされていた。
苦しげに眉を寄せ、辛そうに息を吐く。
男は夢の中で、幼少を過ごした部屋の中にいた。

今日もまた、同じ夢である。

285: 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 01:18:20 ID:X67jMh/RMg

そこは今住んでいる彼の屋敷と広さはさほど変わらない。
ただこちらの方がより手入れされており、明るく活気に満ちていた。


その長い廊下の向こう側。
人があまり行き来できないように作られた柵を越えた離れの一室。
一面に青々とした畳が敷かれた部屋の中に、少年が一人。
5、6歳だろうか。
 
286: :2012/1/31(火) 01:19:23 ID:X67jMh/RMg

少年は何かに怯えるように身を丸め、まぶたをしっかりと閉じていた。
その小さな手は自身の耳を覆い、その腕は自身の頭を守る。

それでも、声は彼の指をすり抜け、彼の耳にと入ってくる。

「ここにはどうしてこんなものがあるんですか?」

舌足らずな少年の声が、廊下の方から聞こえた。
彼はビクッと肩を震わせ、ますます身を小さく小さくさせる。
少年の声に、女の声が答えた。


287: 名無しさん@読者の声:2012/1/31(火) 01:20:08 ID:X67jMh/RMg

「ここには入ってはいけないからです。恐ろしい妖が住んでいるのですから」

「でもでもっ、ここには誰かが住んでいるんでしょう?」

「誰かが……?」

女の声が、一瞬曇る。
その気配を察知しただろう、あれほど忙しく口を動かしていた少年が口を閉ざした。
痛いほどの沈黙が、彼の身に突き刺さる。
288: :2012/1/31(火) 01:21:41 ID:X67jMh/RMg

「何を言っているの慎二郎。ここには誰も住んでいませんよ」

「でも、僕は前見ましたよ。誰かがここに夕餉を持っていくのを。ねぇ、どうしていつも誤魔化すのですか?」

少年の耳を押さえる手が震えはじめた。
そしてその手は一瞬、何かを期待するようにそっと耳から離れる。
その幼い瞳はふすまの向こうをそっと窺った。

「何を見たかはわかりませんが、ここには誰も住んでいませんよ。一体誰がいるというのですか」

「でも、母さまっ……!」

289: :2012/1/31(火) 01:24:12 ID:X67jMh/RMg
今日長いうえに、失敗しとる。あばばば
>>285>>287は私です。すいません。
今日はここで終わりです。
ノシノシ
290: :2012/2/1(水) 00:29:26 ID:POlqxi9/V6
今日もちまちま投下していきますねー
291: :2012/2/1(水) 00:41:38 ID:POlqxi9/V6

「聡依っ!」

ふいに肩を乱暴に掴まれ、聡依は目を開けた。
真っ暗な部屋の中、自分一人だけ。
じゃあ一体この手は誰のもの? 
反射的に肩に触れる手を思い切り握りしめる。

「いっ……!」

闇の中で何かが動く。
聞こえた声に気覚えがあった。
聡依はその影を見つめ、そっとそれに問いかける。

「太助……?」

「あぁ。大丈夫か?」

どうやら夢から戻ってこれたらしい。
ほっと息を吐いた聡依は太助の手を放し、その代り自分の額に手を当てた。
ひんやりと冷たくなった手が、覚醒しきっていない意識を覚ましていく。


292: :2012/2/1(水) 00:44:48 ID:POlqxi9/V6

「夢?」

「あぁ、夢だ」

「夢か……」

少しだけ笑い、深く息を吐いた。
随分と嫌な夢が続く。
もう、うんざりするほど同じ夢を繰り返し、繰り返し。

「大丈夫か?」

「うん? う……ん、たぶん。あぁ、でも」

「でも?」

「いや、ごめん」

聡依の手が額から布団へとずり落ちた。
それをじっと見つめていた太助が、不意にその手を握る。
その途端に聡依の体の震えが、直に伝わってきた。

293: :2012/2/1(水) 00:46:30 ID:POlqxi9/V6

「夢だ」

「うん、わかったよ」

「夢だから、大丈夫だ。何があっても、必ず起こしてやる」

「うん、大丈夫だよ。わかってるから」

一瞬、太助は迷うように口を閉ざす。
その代り、震える手をぎゅっと強く握り、さらにもう片方の手で包み込んだ。

「だから、安心して眠れ」

聡依の肩からふっと力が抜けるのがわかった。
そしてそのまま、けだるそうにまぶたを下し、無言でただ頷く。
それを見ていた太助は、自身も知らないうちに唇を強くかみしめていた。

294: :2012/2/1(水) 00:48:31 ID:POlqxi9/V6

夢売りの呪縛から人を開放するには、その人自身の強い意志で目を覚ますか、夢売りに呪縛を解かせるしかないという。
そんなことを聞いたのは、聡依は春芳の日記を見つけた二日後のこと。
夢売りの情報集めに行っていたろくろ首が帰ってきた時だった。

「夢売りはここ数年、例の祠に住みついていたみたいだよ。妖仲間がそこで引きこもっているあいつを見たって言ってた」

「引きこもっていた? ということは、ここ数年、夢売りは祠から出ることがなかったってことだよね?」

そんな言葉通りのことをわざわざ確認した聡依に、ろくろ首は不思議そうにしながらも頷く。
ふむ、と顎に手を当て、考え込んだ聡依を暁が覗き込んだ。

295: :2012/2/1(水) 00:49:10 ID:POlqxi9/V6

「何かわかったんですか?」

「いや、予想でしかないけれどね。夢売りが祠から出ることがなかったということは、つまり誰かが夢売りを出る気にさせたってことだよ。そのきっかけを作ったのは、もしかするとおせんさんの方かもしれない」

「おせん殿が?」

聡依は暁に頷いて見せる。

「おせんは夢売りの住む祠に何かをお願いしていたんじゃないかな。それを聞いた夢売りが彼女の夢を叶えるために動いた。そうは考えられない?」

聡依の言葉にろくろ首が渋い顔で首をひねる。
彼女の認識では、夢売りはそう言う性質ではないらしい。

296: :2012/2/1(水) 00:50:20 ID:POlqxi9/V6

「私にはあいつが唆していたって方がぴったりくるけれどね」

「そんなに性格が悪いんですかにゃ?」

「そりゃあもう。私は大っ嫌いだったよ」

憮然とした顔でそう言いきったろくろ首に、聡依が笑った。
なんだい、と不機嫌そうにそちらを睨むろくろ首。

「そりゃ、同族嫌悪じゃないか」

そんな聡依にますます眉間のしわを深めるろくろ首。
その間で、暁はおろおろしながら二人の顔を見比べていた。

297: :2012/2/1(水) 00:56:05 ID:POlqxi9/V6

「そっそれより、どうやって夢売りにおせん殿を夢から解放するように言うんです?」

険悪な雰囲気を変えようとしたのか、暁が話題を変える。
それにまんまとつられたろくろ首は苦い顔で暁を見つめた。

「あいつはやめなさいって言ってもやめる様な性質じゃないんだよ。それに、あいつはコロコロ姿を変えるからね。どんな格好をしているとは言えないんだ、しかもあの祠はすっかり人が集まってしまっているから、もうあいつはあそこにはいないだろう。そうすると居場所もわからないんだよね」

「姿も居場所もわからないのか……」

298: :2012/2/1(水) 00:59:28 ID:POlqxi9/V6

これでは夢売りを探し出すのはかなり困難なことになってしまった。
だが、おせんが自ら夢から出てくる可能性は限りなく低い。
やはり、最善策は夢売りに直接話すことのようだ。

「そうだ、あれを使おう」

「あれ?」

問いかけた暁に答えず、聡依は自室に引っ込んでしまう。
一体なんだ? と、ろくろ首と顔を見合わせていると、聡依が何かを手に戻ってきた。

「これだよ、これ」

「あっ、それは……」

「なるほど、それはいいかもしれないね」

聡依はそれを片手に笑みを浮かべる。

「あいつの大好きは春芳さんを使うのさ」

それはあの日記だった。

299: :2012/2/1(水) 01:01:27 ID:POlqxi9/V6
今日は理想の感じで終わった!
この辺で終わりです
ノシノシ
300: :2012/2/2(木) 01:14:57 ID:POlqxi9/V6
こんばんはー
今日もちまちま投下していきます
300!
301: 名無しさん@読者の声:2012/2/2(木) 01:16:20 ID:POlqxi9/V6

聡依の考えた作戦というのは実に単純なものだった。

まず暁やろくろ首が見知った妖に『聡依が春芳のものを処分しようとしている』と噂をする。
理由としては、古い蔵を取り壊す予定だから、と尤もらしいものを付けた。

それが妖たちの中で噂となって広がれば、春芳を過剰なほど慕っていた夢売りは黙ってはいないだろう。
特に、彼の日記が残っているとなれば。

そしてそれをやめさせようと屋敷に出向いた夢売りを捕まえればいい、ということだった。
302: :2012/2/2(木) 01:17:29 ID:POlqxi9/V6

「聡依殿、賢いですにゃっ」

「いまさら何を」

「お前はそれが無ければ良いいのに、全く」

暁が楽しそうに手を叩き、聡依はしれっとしている。
その光景を見ながらろくろ首は渋い顔で腕を組んだ。

「まぁ、そう言うことだから。頼んだよ」

聡依の言葉に、暁とろくろ首はそろってうなづいた。

さてこの作戦、果たしてうまくいくのだろうか。

303: :2012/2/2(木) 01:18:43 ID:POlqxi9/V6

勇んで屋敷を飛び出した暁を二人は見送った。
聡依は同じく出ていこうとしたろくろ首を呼び止める。

「なんだい?」

怪訝な顔をするろくろ首に、聡依は耳打ちをした。

「暁が言うと変だと思ったから言わなかったけれど、春芳さんの日記に夢売り宛の遺書が残っていると言ってくれないか? そうすれば必ず出てくると思うんだ」

「でも、あんた、そんな嘘をついたら……」

流石にろくろ首でも良心が痛むのだろう。
眉を顰めたろくろ首に聡依は肩をすくめて見せる。

304: :2012/2/2(木) 01:20:45 ID:POlqxi9/V6

「嘘かどうかなんて、わからないじゃないか」

「はぁ?」

楽しげに笑う聡依の意図がわからない。
ろくろ首は口をぽかんと開け、間抜けな顔で彼を見つめた。


結論から言うと、聡依の作戦は予想以上にうまくいった。
しかし、いつになっても肝心の夢売りが現れることはなかった。

噂だけがどんどん肥えていき、そして広がって行った。
最近では、ちょっと聡依が出かけるだけで、妖から声をかけられるようになった。

「聡依、聡依っ」

305: :2012/2/2(木) 01:23:20 ID:POlqxi9/V6

清次の顔でも見に行こうか、と外に出た聡依を今日も妖が呼び止める。
振り返ると、獺がそこに立っていた。

「獺、久しぶりだね。どうしたの?」

至ってのんきな聡依は、のんびろりとそんなことを言った。
そんな彼とは違い、獺はちらちら辺りをうかがうと、そっと手招きをする。

首を傾げながらもそちらの方に顔を寄せると、獺は聡依の耳に手を当てて囁いた。

「ねぇねぇ、先代のものを処分するって本当?」

「うん。蔵を壊すからね。何か欲しいものあれば見においで。あげるから」

306: :2012/2/2(木) 01:24:37 ID:POlqxi9/V6

「ほんと?」

目を輝かせた獺に、聡依は頷く。
嬉しそうに獺は何度かぴょんぴょんと跳ねる。
これも相当先代が好きだったようだ。

「あっ、聡依。あのね、ちょっと教えておきたいことがあるんだけど」

不意に真面目な顔に戻った獺に、聡依は再び耳を近づける。

「最近、聡依のこと訊きまわっている奴がいるよ。それに先代のものを処分するって、あんまり印象よくないみたい。そいだ、わっちが欲しかったらあげるよって言ってたってみんなに言っておこうか?」

307: :2012/2/2(木) 01:25:46 ID:POlqxi9/V6

「そうしてくれると助かる。頼むね、獺」

頭を撫でると獺は嬉しそうに目を細めた。
それを見て、聡依も頬が緩む。

「そうだ、獺。お前はその先代の話、なんて聞いたの?」

何気なく訊いた聡依に、途端に曇る獺の顔。
あら? と首を傾げると、暗い声で獺が答えた。

「聡依が先代のものは邪魔だから捨てるって。蔵の話は出てこなかったよ」

噂は人づてに伝わる。
だから、間違った情報が流れて行ってしまったのだろう。
やや苦い顔をした聡依に、何を勘違いしたのか、獺が慌てて付け足した。

308: :2012/2/2(木) 01:26:12 ID:POlqxi9/V6

「でっ、でもっ! わっちらは聡依がそんなこと言うなんて思ってないよ? だから大丈夫っ」

何が大丈夫なんだろう。
そう思いながらも獺の可愛らしい気遣いに頬を緩め、聡依はもう一度その頭を撫でた。

「ありがとう、獺」

獺は照れたように笑った。

309: :2012/2/2(木) 01:26:45 ID:POlqxi9/V6
>>301は私です。
今日はこの辺で終わりです
おやすみなさいノシノシ
310: :2012/2/3(金) 00:34:42 ID:POlqxi9/V6
今日もちまちま投下していきますねー
311: :2012/2/3(金) 00:36:00 ID:POlqxi9/V6

獺と別れた聡依はそのまま清次の店へ向かったのだが、どうも落ち着かない。
なぜだか誰かに見られているような気がするのだ。
獺から聞いた話が原因だろう。
そう思うのだが、やはり気になり何度も何度も首をひねる。

それは清次の家についても変わらなかった。


「なにしてるんだ?」

ちらちらと忙しくなく目を動かす聡依に、怪訝な顔の清次。
何でもない、と首を振るのだが、気になって仕様がない。


312: :2012/2/3(金) 00:37:26 ID:POlqxi9/V6

「背中でも痒いのか?」

「いや、なんでもないんだけども……」

清次は聡依の背中を何度か軽く叩き、どう? と尋ねる。
不思議なことにいくらかあの視線が遠くなったような気がした。
うん、と一つ頷くと、清次は満足げに笑う。

「背中が痒いときは背中に知りたがりの虫がついているから、叩いてやればいいって爺さまが言ってたからさ」

「へぇ……、今度やってみよう」


313: :2012/2/3(金) 01:00:12 ID:POlqxi9/V6

自分の背中をいくらか叩きながら、聡依が頷く。
ふふん、と自慢げに清次は胸を張った。

「そうだ、前に聞いたこと、どうだった?」

「あぁ、おりんちゃんのこと? お前の思っていた通りだったよ」

清次はそう言いながら、お茶を入れ、湯呑を聡依に渡す。
聡依は湯呑を受け取りながら、やっぱり、と呟いた。

「あそこの奥さんは3年前に病で死んでるよ。もともとあんまり体の丈夫な方じゃなかったらしくって、伏せがちだったみたいだけど」


314: :2012/2/3(金) 01:01:11 ID:POlqxi9/V6

「3年も前……?」

眉を顰めた聡依。
ならなんで今更? 疑問が頭の中でとぐろを巻く。
そんな聡依を見ながら清次はにやにやと笑った。

「なに」

「天下の聡依さまでも予想外のことがあるんだねぇ」

からかったつもりなのか。
清次はまだ意地悪な笑みを浮かべていたが、聡依は珍しく真面目な顔をしてそれに頷く。

「うん。いや、むしろ予想外の事ばっかりだよ」

聡依の様子に首をひねった清次は、とりあえず慰めることにしたらしい。
聡依の頭に手を伸ばし、ポンポンと軽く叩いた。

「私は猫じゃないんだけど」

315: :2012/2/3(金) 01:06:21 ID:POlqxi9/V6

「猫の方がもっとかわいいさ。あっ、可愛いで思い出したんだけども」

なに? と顔をあげた聡依を、じっと清次が見つめる。
その勢いに気おされ、聡依はやや清次から離れた。

「なっ、なんだよ」

「いや、実はおりんちゃんのところに話を聞きに行ったときにさ。妙な男が美少女を連れていたって話を聞いて。その男の方の特徴がお前の屋敷でたまに見る奴に似てたんだけど、まさか美少女って……、お前じゃないよな?」

316: :2012/2/3(金) 01:18:38 ID:POlqxi9/V6

その言葉に一瞬固まる聡依。
まずいことを聞いたか、と清次は慌てて言い訳を始めた。

「いや、うん、ありえないとは思うけどな? お前ってほら、ちょっとかわいい顔してるじゃないか。だから、女装とかしても違和感ないかなぁって……、聡依?」

恐る恐る聡依をうかがった清次。
意外にも聡依は彼に優しげな笑みを浮かべて見せる。
それを見た清次はホッと息を吐いたが、

「清次さん。世の中には知らなくていいこともあるんだよ……、ね?」

般若と化した聡依は鳥肌が立つほど低い声で、そう彼に告げたのだった。

317: :2012/2/3(金) 01:31:45 ID:POlqxi9/V6
嫌な予感は十分していた。
しかし一度その視線が無くなったこと、そしておりんの母が亡くなったのが3年も前だったことが聡依にそれから注意をそむけさせた。

その晩、聡依は風呂からあがった後、湯冷めするのも構わずにぼんやりと縁側に座っていた。
そこにやってきたのは暁である。

「聡依殿。そんなところにいたら、風邪ひきますよ」

「暁? うん、そうだね」

ぼんやりと答える聡依に、暁は心配そうに顔を覗き込む。
彼はどこも見ていないかのような目で、ぼうっと空に浮かぶ月を眺めていた。

「なにかあったんですかにゃ?」

「いや、特にないんだけどさ」

318: :2012/2/3(金) 01:35:30 ID:POlqxi9/V6

暁は聡依の隣に座ると、その頭を膝にこすりつけた。
考えていることもわからない。
考えていることを教えてももらえない。
それならせめて、こうしたら伝わってくるんじゃないか。
そんなことを思っていたのだが、聡依には伝わらなかったらしい。
少し笑われてしまう。

「どうしたんだい? 甘えて」


319: :2012/2/3(金) 01:35:41 ID:POlqxi9/V6
頭を撫でられた。
聡依の膝から、手のひらから、暖かさが滲むように伝わってくる。
それを貪りながら、暁は猫のように鳴いた。

「お前こそ何かあったんじゃない? また怖いことでもあったの?」

首を撫でられ、その心地よさに思わず目を細める。
怖いことなど無かった。
聡依がいれば、怖いことなんて何も。

320: :2012/2/3(金) 02:09:47 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです。
明日は来れるかわかりません。
来れたら来ますねー
ノシノシ
321: :2012/2/5(日) 00:24:04 ID:POlqxi9/V6
今日もちまちま投下していきますねー
322: :2012/2/5(日) 00:26:11 ID:POlqxi9/V6

珍しく穏やかな夜だった。
聡依は暁を撫でながら、月を眺め、暁は聡依の優しい掌に、うっとりと目を閉じていた。


そんな時だった。

舐めるような嫌な視線を感じ、聡依が振り返る。
廊下の奥に妙なものを見たような気がして、そちらをじっと睨みつけた。

「聡依殿……?」

暁も急に変わった空気を感じたのか、不安げに聡依に問いかける。
彼は暁に向かって無言でうなづくと、廊下の奥を指で示した。

323: :2012/2/5(日) 00:27:48 ID:POlqxi9/V6

「あそこになんかいるよ」

暁は体を起こし、そちらをじっと見つめた。
一歩、廊下の方に近づく。
奥から流れてくるその気配に毛を逆立て、警戒するように一声、鳴いた。

「一体あれはなんなんだ……?」

聡依が低く呟いたとき、不意にざわっと背後の木々が風に揺れ、枝を鳴らした。
暁の頬を妙に生ぬるい強風が掠めていく。
その瞬間、唸るように吐かれた言葉を暁はしっかりと捉えていた。

324: :2012/2/5(日) 00:29:09 ID:POlqxi9/V6


「この屋敷になんで住んでいる……っ!」


ドンっという低い衝突音、そしてそれに続いた、あっという聡依の短い悲鳴。
暁は何をすることもできずに、聡依にぶつかったその影を呆然と見ていた。

「聡依殿っ!」

ハッと我に返り、慌ててt影に向かって飛び込む。
しかしそこには何もなく、ただ聡依の体があるだけだった。
そして、その聡依は、
325: :2012/2/5(日) 00:29:56 ID:POlqxi9/V6

「聡依殿? ……そうい、どの? 聡依殿っ!!」

ぐったりと床に横たわり、まぶたは閉じられ、浅い息をしている。
一見、ただ眠っているだけのように見えるが、その頬は紙のように色をなくしていた。
そしてその姿は、布団の中で横たわるおせんの姿と酷似していたのである。


326: :2012/2/5(日) 00:30:56 ID:POlqxi9/V6

「お前は何をやっているんだいっ!」

「ろくろ首っ!」

鋭い声が二つ、部屋の中に響く。

その隣の一室では、聡依が布団の中に寝かされていた。
そのそばにお夏が付いていた。
お夏は心配そうに襖の向こうの部屋をうかがう。

「暁を責めてもどうしようもないだろうが。今考えるのはそれじゃないだろ」

目にたくさん涙を溜め、耳を垂らし、項垂れる暁。
そんな彼を見下ろしながら顔を真っ赤にしているろくろ首と、その隣に弱った顔の太助が。

327: :2012/2/5(日) 00:31:42 ID:POlqxi9/V6

「……言いたくはなかったけどね、前々から思っていたんだよ。お前は“猫”じゃないんだよ。それにお前はただの妖でもないんだ。お前は聡依の結び人つきの妖なんだよ。お前にはその自覚が足らなさすぎる」

厳しい声だったが、そこに怒りはなかった。
どこまでも冷静に吐かれた言葉は、逆に暁の心に深く突き刺さる。
それなら怒りにまかせて怒鳴られた方がどれほど楽か。
ろくろ首が冷静であればあるほど、その言葉の重みが増した。

328: :2012/2/5(日) 00:32:28 ID:POlqxi9/V6

「ろくろ首、それは今じゃなくてもいいだろう」

「今だから言うんだよっ。太助、あんたは結び人に関わったことが無いからわからないかもしれないけれど、結び人つきの妖っていうのは重要なんだ。最終的に聡依を助けられるのは、暁しかいないんだよ」


最終的に聡依を助けられるのは自分しかいない。
その言葉が暁の頭の中で鳴り響いた。
それなのに、守らなければならなかったのに。

床に横たわる聡依の姿が目に浮かぶ。
何もできなかった。
いや、どうせ何もできない。


329: :2012/2/5(日) 00:34:10 ID:POlqxi9/V6

堪えていた涙をボロボロとこぼし始めた暁は、懸命にそれを拭うと静かに立ち上がった。
心配そうにそれを見ていた太助が、大丈夫か、と声をかける。
暁はそれに一つ頷くが、そのまま襖を開け、部屋を出て行ってしまった。

「おっ、おいっ!」

慌てて太助が追いかけるものの、廊下にはすでに暁の姿はなかった。
太助は一つため息を吐き、ちらりとろくろ首を振りかえる。

330: :2012/2/5(日) 00:34:37 ID:POlqxi9/V6

「おい、どうするんだよ。暁のこと」

「どうするって、どうもしないよ」

肩をすくめるろくろ首。
太助はその正面に座ると、彼女に詰め寄った。

「あいつが自分を責めていることくらいわかるだろうが。それなのに、どうして追い打ちをかけることを言うんだよ」

「お前も聡依も甘すぎるんだよ。それじゃいつまでたっても暁は甘えてばっかりじゃないか。あいつもわかっているんだよ、このままじゃダメだってことくらい」

「そうかもしれないけれど……」

「お前も何もするんじゃないよ。今はあいつ一人にして、自分で解決させなきゃ」

331: :2012/2/5(日) 00:35:18 ID:POlqxi9/V6

ろくろ首に気おされるようにして、太助はしぶしぶ頷いた。
プツリ、と言葉の途切れた部屋の中で、何とも言えない重い空気が漂う。

ちらりと太助は聡依のいる部屋の襖を見つめた。
もし今、おせんのように夢に囚われてしまっているのなら、聡依はどんな夢を見ているのだろう。
せめていい夢であることを願うが……、太助はこの前のことを思い出し、目を伏せる。

332: :2012/2/5(日) 00:35:38 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
333: :2012/2/6(月) 01:00:52 ID:POlqxi9/V6
今日もちまちま投下していきますねー
334: :2012/2/6(月) 01:04:21 ID:POlqxi9/V6

太助がそんなことを考えていた時、同じく襖を見つめていたろくろ首はどこからか小さな笑い声を聞いた。
ハッと背後を振り返ると、太助が不思議そうにろくろ首に目を向ける。

「どうした?」

「いや、今何か……」

すると、ハッという乾いた笑い声。
思わず太助とろくろ首は顔を見合わせ、目を見開く。

「今の」

「あぁ、俺も聞こえた。一体誰が……」

太助がそう言いかけた時だった。

不意に目の前の襖がドロドロと溶け始め、形を成していく。
目を丸くしてそれを食い入るように見つめる太助と、眉を顰め、不快感を丸出しにするろくろ首。
彼女にはそれが何か、分かるらしい。

335: :2012/2/6(月) 01:07:45 ID:POlqxi9/V6

「この場に私以外が出てきたらおかしいじゃないか。そんなことも予想できないのか」

何やらイタチのようなものが姿を現した。
どうやら襖と同化していたらしい。
太助はますます目を丸くし、ろくろ首はあからさまなため息を吐く。

「随分久しぶりだな、ろくろ首」

「もう二度と会いたくなんかなかったよ、夢売り」

夢売りはろくろ首に嫌味な笑みを投げかける。
一瞬呆然としていた太助は、イタチが夢売りであると知った途端、険しい顔で夢売りを睨んだ。

「お前、どういうつもりだ?」

336: :2012/2/6(月) 01:10:07 ID:POlqxi9/V6

「ふんっ、主人の屋敷に帰ってきて何が悪い? お前こそ、なんでここに住んでいるんだ。関係ないものは出ていけ」

「いつ聡がお前の主人になったんだ? 200年も前のことをぐずぐず引きずっている奴が一体何の用だ。大体、こんなことをしといて……、わかっているんだろうな?」

今にも掴みかかりそうな勢いの太助。
そんな彼を、夢売りは平然と鼻で笑った。

「いつ私があんな能無しの配下についた? 私の主人は何があっても永遠に春芳だけだ」

「てめぇ……っ!」

殺気だった太助が腰を浮かせた瞬間、ろくろ首が二人の間に入った。

「太助っ! やめるんだよっ!」
337: :2012/2/6(月) 01:11:22 ID:POlqxi9/V6

太助は舌打ちを一つ零すと、再び腰を畳に落ち着かせた。
依然として余裕の笑みを浮かべる夢売り。
そんな彼を睨みつけながら、ろくろ首はとりあえずホッと息を漏らす。

「先に言っておくけれど、聡依は能無しなんかじゃないよ。十分知力もあれば能力もある。むしろ能力は春芳よりも上じゃないか。お前はそれをわかっているはずだ」

「どんなに能力があったって、結び人つきの妖ですら役に立ててないじゃないか。あんな能無しを自分の妖にしている時点で、自分が能無しですって言ってるのと同じさ」

「暁だって能無しじゃないよっ!」

今度はろくろ首が腰を上げた。
とっさに太助が肩を掴んで押し戻したので、そのまま掴み合いになることはなかった。
しかし場の険呑な空気は変わらない。

338: :2012/2/6(月) 01:12:06 ID:POlqxi9/V6

「二つだけ訊きたい。一つはお前がなんで聡依にあんなことをしたのか。もう一つはどうやったら聡依は目を覚ますか、だ。答えろ」

冷静になった太助が夢売りに尋ねる。
しかし彼はまたも太助を煽るように鼻で笑った。

「私に答える義理はないんだけどねぇ。まぁ、ろくろ首が旧友だということもあるから、特別の答えてやろう」

「お前と友達だったことなんかないよっ!」

今にも噛みつきそうな勢いでろくろ首が叫んだ。
それでも夢売りは余裕の表情で、それは残念、と冗談めかして言う。

339: :2012/2/6(月) 01:15:35 ID:POlqxi9/V6

「一つ目は、そうだね……。腹が立ったのさ。ここは第16代緑青の結び人、青木春芳の屋敷だ。それなのに、わけのわからない小僧と間抜けな猫又が住んでいたら腹が立つだろう? 私は腐っても春芳の妖だからね。そのくらいしないと」

ふふん、と自慢げに夢売りは笑った。
そしてますます楽しそうに頬を緩め、言葉を続ける。

「あの小僧は随分と間抜けだねぇ。とても簡単だったよ。一度、わけのわからない男に叩き落された時は困ったけれど。まぁ、もともと夢の所為で隙だらけだったようだし? いいんじゃないのかい、夢の中で一生暮らせば」

「夢の所為って……、まさかお前っ!」

「いいじゃないか。今までの人生、ろくな夢を見たことが無かったようだし。これまでで一番いい夢を、見させてやっているよ」

太助が怒りにまかせて畳を拳で殴る。
ドンっと鈍い音が響き、ろくろ首が心配そうに太助をうかがった。
そんな彼女も目に入らない様子で、太助は怒りに身を震わせ、固く手を握りしめている。

340: :2012/2/6(月) 01:21:00 ID:POlqxi9/V6

「あの夢もお前の所為だっていうなら、俺は一生お前を許さんぞ。人の傷を抉るようなことをしやがって……!」

「あれは私の所為じゃないよ。まぁ、私の影響を受けたのはあると思うけれどね。だけど、そんな昔のことまでぐずぐず引きずっているようじゃ、ダメなんじゃないのか?」

「200年も死人のことを引きずってるお前には言われる筋合いはないが」

春芳のことを死人と言われたのが癪に障ったのだろう。
夢売りはその表情から余裕をなくし、太助をきつく睨みつける。
太助も負けじと睨み返した。

「まぁいい、二つ目の答えを言え」

341: :2012/2/6(月) 01:25:01 ID:POlqxi9/V6

「随分偉そうだね。人にものを聞くときはもっと丁寧にしなさいと習わなかったのかい?」

「お前に丁寧にしてやる必要がどこにある? 無駄口はいいからさっさと答えろ」

夢売りは舌打ちを一つすると、太助を睨みつけたまま口を開いた。

「小僧を元に戻すには、私が夢から解放するか、自力で目を覚ますしかないよ。まぁ、後者は確実にないだろうね。まぁ前者も私が夢から解放なんてしないから、絶対にないけれど」

夢売りは太助を煽るように笑った。
太助はそれを無視し、静かな声で夢売りに告げる。

「もう用はない。出てってもらおうか」


342: :2012/2/6(月) 01:25:20 ID:POlqxi9/V6

「どうして私が自分の家から出てかなくちゃならないんだ? 意味が分からないじゃないか」

夢売りの煽りに苛立った太助は、思わず舌打ちを漏らした。
それを見ていた夢売りは楽しそうに頬を緩める。
そんな夢売りに、ろくろ首は深いため息を吐いた。
心底疲れた顔だった。

「この屋敷にいるのは構わないよ。だけどね、もうここはお前の居場所じゃないんだ。それくらいわかっているんだろう?」

その言葉を聞いた夢売りは、一瞬だけ、とても悲しそうな顔をした。
しかしそれはほんの一瞬のことで、冷静さを失っていた太助はもちろん、ろくろ首ですらその表情の変化に気づくことはなかった。

343: :2012/2/6(月) 01:25:39 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
344: :2012/2/7(火) 00:28:45 ID:POlqxi9/V6
今日もボチボチ投下していきますねー
345: :2012/2/7(火) 00:31:20 ID:POlqxi9/V6

目を開けると、そこは見慣れた屋敷ではなかった。

真っ先に目に入ったのは、艶やかで木目の鮮やかな立派な文机。
随分と立派なそれに、聡依は見覚えがあった。

グルっと辺りを見回すと、どれもこれも見覚えのあるものばかり。
控えめだが美しい絵が描かれた襖に、立派な掛け軸。
桐の箪笥も、立派な一枚板のちゃぶ台も。

「ここは……」

そこは紛れもなく聡依が幼い頃を過ごした離れの一室だった。
なぜここに? という思いと同時に、苦い思いもこみ上げてくる。
最近見ていた夢を考えると、これから起こるのもあの夢と同じなのではないか。
そう思うだけで、気分が沈んだ。

346: :2012/2/7(火) 00:33:10 ID:POlqxi9/V6

しかし、その予想は外れる。

静かに襖があき、誰かが部屋の中に入ってきた。
今までには無かったことに聡依は驚き、そちらを振り返る。
すると、随分と懐かしい顔が聡依に気づき、あのころのなんら変わらない優しい笑みを浮かべた。

「あら、聡依さん。お帰りでしたか?」

呼び方も変わらない。
思わず、どうして? と呟いた。
そんな聡依を、彼女は可笑しそうに笑う。

「何を呆けているのですか。ここはあなたの家でしょう? ささ、お茶でも入れますから、そんなところに突っ立っていないでお座りなさいね」

347: :2012/2/7(火) 00:36:04 ID:POlqxi9/V6

何やら狐につままれたような気分で、聡依はぎこちなく頷いた。
彼女はそれを見て、また楽しそうに笑う。

「今日の聡依さんはどうも変ですねぇ」

聡依は彼女から目をそらさず、ゆっくりとその場に腰を下ろす。
目をそらしたら、消えてしまうのではないかとすら思っていた。
そんな様子を、また笑われる。

「あの……、お妙?」

「はい? なんですか?」

にっこりと笑ったお妙を見て、聡依は初めてほっと息を吐く。
そして、あぁこれは夢ではないのだと、ようやく安心することができたのだった。

348: :2012/2/7(火) 00:44:13 ID:POlqxi9/V6

一夜明けても暁が戻ることはなかった。
そして聡依も眠りについたままである。

いつになく暗い気持ちで朝ごはんを食べながら、暁が腹をすかしているのではないか、と太助はぼんやりと心配する。

「この家の朝飯は美味いなぁ」

相変わらず一人上機嫌の夢売りはそんなことを呟いた。
出さなければ余計面倒だから出したのだが、呑気に朝ごはんを食べているその姿は妙に癪に障る。
ご飯を盛るお夏は鋭く睨みつけ、太助は舌打ちを零した。

「そう言えば、あの猫はどこに行ったんだ? まったく、自分の主人を放り出して逃げるとはいい度胸だな」

349: :2012/2/7(火) 00:45:20 ID:POlqxi9/V6

「その生意気な口を閉じないと、昼飯はないぞ」

低い声で凄んだ太助に、夢売りは舌打ちをする。

「まったく、そんなことを言われちゃあ飯もまずくなるねぇ」

ふんっと鼻を鳴らす夢売りを、太助とお夏がそろって睨みつけた。


正午過ぎ、ようやく起きてきたろくろ首はお夏に昼ご飯を断り、聡依の部屋にとまっすぐ向かう。
何か思うことでもあるのだろう。
やはりその顔は冴えない。

部屋に入ると襖を閉め、眠る聡依の傍らに腰を下ろした。
ピクリともせず、ただ浅い息を繰り返す聡依を見つめ、ろくろ首はため息を吐く。

350: :2012/2/7(火) 00:46:06 ID:POlqxi9/V6

「何の夢を見ているんだい? もう目覚めたくないと思うほど、いい夢なのかい?」

当然返事はない。ろくろ首は再び息を吐く。

「昨日暁が出て行ってしまってから帰ってこないんだ。もう昼になるというのに。私が言いすぎてしまったのかね」

太助にはあぁ言ったが、ろくろ首は悔やんでいた。
何もあの時、あんなにも責めなくても良かったのではないか。
彼女にも暁がどれほど悔やみ、そして傷ついているかくらいわかっていたはずなのに。

351: :2012/2/7(火) 00:49:01 ID:POlqxi9/V6

「あいつはお前がいないとダメなんだね、本当」


「そんなことを言うなんて、妖にはとことん厳しいお前にしては、珍しいじゃないか」

不意に耳元で声が聞こえた。
驚いて振り返ると、こちらをじいっと見つめる夢売りが。
ろくろ首は露骨に嫌な顔を作り、ため息を吐く。

「なんだ、私が出てきたら駄目だったか」

「悪いけれどもう200年は会いたくないね」

夢売りはついっとろくろ首から顔をそらし、その隣に座った。
聡依をじっと見つめ、ゆるゆると頬を上げる。

352: :2012/2/7(火) 00:51:55 ID:POlqxi9/V6

「随分とよく眠る小僧だ」

「お前が何を言うんだい」

「なぁ、ろくろ首」

「なんだい」

口を閉じない夢売りをうるさそうな顔でろくろ首は唸る。
それも気にすることなく、夢売りは言葉をつづけた。

「お前、誇りは忘れていないんだろう?」

「誇り?」

「第10代、緑青の結び人の妖であった誇りをだ」

それを聞いたろくろ首は少しだけ表情を緩めた。
自分の主人だった男を懐かしんでいるのかもしれない。

353: :2012/2/7(火) 01:19:11 ID:POlqxi9/V6

「当たり前だ。その誇りは一生失くさない。大事な宝物だよ」

「宝物、か。それなら、なぜこんな小僧に関わっている?」

「それが主の望みだからさ。私は結び人を守るように言いつけられた」

「だから、私らのような結び人つきには厳しいのか」

「当たり前のことを聞くんじゃないよ」

言葉が途切れた。
決して居心地が悪いものではない沈黙が、二人を包む。
夢売りは何かを思案するように宙を睨み、ろくろ首は静かに聡依を見つめていた。

354: :2012/2/7(火) 01:19:27 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
355: :2012/2/8(水) 01:05:42 ID:POlqxi9/V6
ダラダラしてたらこんな時間に……!
今日もちまちま投下していきますねー
356: :2012/2/8(水) 01:07:40 ID:POlqxi9/V6

「ねぇ、夢売り。時代は変わったよ。10代目のころからはもちろん、春芳のいた200年前からも相当変わった。お前さんがぐずぐす祠の中で引きこもっているうちに、世界はとんと住みづらくなった」

「それくらい、分かっているが?」

「お前が小僧というこの子はね、そんな世界でも飄々と生きているよ。辛いこともたくさんあっただろうさ。特にこの子は母親に恵まれなかった」

「だからなんだって言うんだ」

「うん。だから、お前の見せる夢はこの子にとって心地よいものなのかもしれないね」

「こいつはもう戻ってこないかもしれない、と言いたいのか?」

弱気だな、と夢売りがろくろ首を笑った。
それでもろくろ首は穏やかな顔で聡依を見つめ、首を振る。

357: :2012/2/8(水) 01:08:17 ID:POlqxi9/V6

「いや、この子はバカじゃないからね。きっと気づくよ。夢は夢でしかないって」

ふうん、と夢売りは詰まらなさそうに呟く。

「随分な自信だな」

「そう思いたいだけかもしれないね」

珍しく自嘲的にろくろ首が笑う。
それをちらりと横目で見た夢売りは、すぐに目をそらした。
彼女のそんな姿が信じられなかったのかもしれない。


「そうだ夢売り。賭けをしよう」

「賭け? 嫌だよ、面倒くさい」

「賭け事は春芳が大好きだったじゃないか。いいだろう?」

春芳の名前を出されては、夢売りは首を振ることができない。
しぶしぶ夢売りは首を縦に振った。

358: :2012/2/8(水) 01:10:09 ID:POlqxi9/V6

「よしよし、そう来なくっちゃ。聡依が目を覚ますかどうか。私はもちろん、目を覚ますに賭けるよ」

「それは私の助けなしにだな? それなら私は目を覚まさないに賭けよう」

「それじゃあ、もし私が勝ったら、お前はおせんを開放する。そして聡依があの子を助けるのに協力するんだよ」

「じゃあもし私が勝ったら、お前たちにはこの屋敷から出て行ってもらおう」

ろくろ首は夢売りを笑った。
それにやや眉を顰め、夢売りは挑むように彼女を睨む。

「屋敷なんて好きにすればいいさ。私らにとって、ここは箱でしかないんだから」

「どういう意味だ」

359: :2012/2/8(水) 01:12:50 ID:POlqxi9/V6

「主人がいなきゃ、何にもならないんだよ。こんな建物なんて。お前はそれにこだわるっていうことは、そんなことにも気づけなかったんだね」

横から夢売りの鋭い視線を感じながらも、ろくろ首は余裕をもってそれを笑った。
彼女にとって夢売りなど怒らせても怖い相手ではなかった。

夢売りはしばらくろくろ首を睨みつけていたが、そのうち諦めたのか、ふっと姿を消す。
その気配が部屋から無くなったのを感じると、ろくろ首は目を伏せた。

「春芳はあぁなってしまった夢売りをどう思うだろうね……。それでも笑ってあげるだろうか」

360: :2012/2/8(水) 01:13:20 ID:POlqxi9/V6

それとも、怒って泣くだろうか。
そのどちらも春芳らしいと思うが……。
ろくろ首は宙を見上げる。

「悲しいね。どんなに慕っても、もうあいつはいないんだから」

それは果たして春芳のことだったのだろうか。
それとも随分と前に分かれてしまった彼女の主、10代目のことを思っていたのだろうか。
いつになく悲しい顔で、ろくろ首は静かに項垂れた。

361: :2012/2/8(水) 01:16:41 ID:POlqxi9/V6

歩きつかれた暁は、知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。
ガタガタと古い戸の開く音で、その目を覚ます。

「おや、こんなところに猫?」

頭上の方から聞こえた声に、顔をそちらに向けた。
ありえない、とわかっていながらも期待していた声とは違うそれに、思わず耳を垂らす。

「あれ、お前……。聡依のところの猫じゃないか」

その言葉に再び顔をあげると、よく知った顔がきょとんとこちらを見つめていた。
声の主は清次であった。

362: :2012/2/8(水) 01:30:52 ID:POlqxi9/V6

「なんだー? 喧嘩でもしたのか?」

常識的に考えて猫と人が喧嘩するとは思えないが、この男の中では成立するらしい。
いつものよう人当たりのいい笑顔を浮かべながら、清次は暁に手招きをした。

「まぁまぁ、なんにせよ帰りづらいだろ。朝飯くらいなら用意してやるよ」

ふわりと家の中からご飯の炊ける香りが漂ってきた。
それに誘われたのか、暁のお腹がぐぅと間抜けな音を立てる。
清次はそれを笑い、さぁさぁ、ともう一度手招きをする。

「しっかし、猫にやるもんなんかあったかなぁ」

困ったように頭を掻く清次を一度だけ見上げ、暁は戸惑いながらも家の中に入って行った。
363: :2012/2/8(水) 01:33:44 ID:POlqxi9/V6

出されたのはいつもとなんら変わらぬ猫まんまだった。
欠けた皿の上に、ご飯と鰹節を少々。
いつもならばそのどちらもたっぷりあるのだが、そうぜいたくは言えない。

「悪いなぁ。聡依の家ならもっと上等な鰹節なんかもしれないが、うちはなにせ細々と商売している身だからなぁ」

細々と商売をしている、というよりは商売をする気が無いに近いのだが。
暁はいただきますの代わりににゃん、と一声鳴き、猫まんまにがっつく。
相当お腹が減っていたのか、あっという間にご飯はなくなった。

「うまかったか?」

その問いに、もう一度鳴き、頭を清次の手に擦り付ける。
清次は笑いながら、優しく頭を撫でてくれた。

364: :2012/2/8(水) 01:34:08 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです。
早くシリアス終わらないかなぁ……
365: :2012/2/9(木) 20:36:15 ID:Drdi/RDOBg
こんばんは!
昨日投下できなくてすみません。
なぜか知恵熱が出たようなので、熱が下がるまでこれません。
頑張って明日までに下げますねー(^ω^)
ノシノシ
366: 名無しさん@読者の声:2012/2/10(金) 17:58:53 ID:.F.3lH/78g
熱大丈夫ですか?
頑張って下さい!
支援!!
367: :2012/2/11(土) 08:38:12 ID:POlqxi9/V6
こんにちは!
これからとんとんと投下していきますねー

>>366
大丈夫ですよー( *・ω・)
支援ありがとうございますっ
368: :2012/2/11(土) 08:41:11 ID:POlqxi9/V6

「飯食ったら帰れって言おうと思っていたけどな、かわいいから言えないなぁ。まっ、そう言うことだから気の済むまでいてくれ」

空になった皿を持ち上げ、清次が立ち上がる。
奥の方から、清次を呼ぶ爺様の声が聞こえた。
彼はそれに返事をし、ちらりと暁に目をやる。

「でもまぁ、なるべく早く帰ってやれよ? あいつ、あぁ見えて寂しがり屋なんだから」

秘密だぞ? と悪戯っぽく笑った清次に、暁はまた鳴き声で返す。
それくらい、知っているというつもりだったのだが、それがわからない清次は楽しそうに笑って行ってしまった。


しかしどうも腹が膨れると考え事をする余裕が出てくる。
暁は貸本屋の店先で、ぼんやりと宙を見上げながら昨日のことを思い出していた。

369: :2012/2/11(土) 08:47:09 ID:POlqxi9/V6

聡依は今、何をしているだろう。
目を覚ましただろうか。
それともあのままなのだろうか。
昨日のあの姿が目に浮かび、暁はぶるっと身を震わせた。

あんな状況だったのに、自分は逃げてしまった。
もう、帰る場所なんてないかもしれない。


『お前は“猫”じゃないんだよ。それにお前はただの妖でもないんだ。お前は聡依の結び人つきの妖なんだよ。お前にはその自覚が足らなさすぎる』


ろくろ首の言葉が頭の中で流れた。
きゅっと心が締め付けられるのを感じ、しょんぼりと項垂れる。

それくらい、自分でもわかっていた。
こんなに甘えていてはいけないと、何度も考えていた。

370: :2012/2/11(土) 08:54:04 ID:POlqxi9/V6


『最終的に聡依を助けられるのは、暁しかいないんだよ』


助けなければいけなかったのに、みすみす聡依を危険にさらしてしまった。
あのとき自分はなにをしていた? 
ただ、呆然と眺めていただけじゃないか。
もっと、もっと俊敏に動いていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。


考えれば考えるほど、自分を責める言葉しか浮かばない。
次第に目に涙がたまり、ボロボロと泣き出してしまった。
それを慌てて隠す様に、両の手で頭を抱える。

「おいおい、どうしたんだよ……」

いつからいたのか、清次が泣いている暁に驚き、背中を撫でてくれた。
その手の暖かさに聡依を思い出し、涙はますます溢れ、こぼれ落ちる。
清次は困った声で、何度も何度も暁の背中を撫でながら、大丈夫だと言ってくれた。

371: :2012/2/11(土) 09:02:04 ID:POlqxi9/V6

「何をしたんだか知らないけれど、そんなに深刻に考える必要はないって。お前さん、猫だろう? 猫がそんなに責任を負う必要はないだろうよ」

猫ならよかったのだ。
ただの猫なら、どれだけよかっただろう。
こうして聡依に可愛がられ、あんな怖い目になど合わず、のんびり暮らすことができたはずだ。
猫ならよかった、暁は心の底からそう思った。

「聡依は怒っちゃいないと思うけどなぁ。そりゃあその時は怒ったかもしれないけれど、なんだかんだあいつは優しいだろ? だから、きっともう怒ってねぇよ」

よしよし、と撫でてくれる清次の手が優しい。
声が暖かい。
それを感じれば感じるほど、暁は涙を止めることができなかった。

「元気出せよ、なぁ……」

弱った清次の声が、店の中で寂しく響いた。


372: :2012/2/11(土) 09:13:48 ID:POlqxi9/V6

夜になっても暁は店から帰ろうとしなかった。
むしろ、もうここの猫になってしまおうか、とも考えていたほどである。

「あれ、お前まだいたのかぁ……」

弱った顔でそう呟いたのはやはり清次である。
彼は片手に煮干しを持ち、それを半分暁に渡した。
そしてもう半分を自分の口に放り込む。

「あいつも迎えに来ないしなぁ」

意地でも張ってるのか、と清次は腕を組んだ。
迎えに来れる状況ではないことを知っている暁は、しょんぼりと耳を垂らす。

「もう、しょうがないなぁ。明日の昼、俺が一緒に謝りに行ってやる。怒っていたら説得してやるよ。それでいいだろう?」

373: :2012/2/11(土) 09:33:59 ID:POlqxi9/V6

その提案に慌てて首を振る。
清次はちょっとだけ厳しい顔で、暁を見つめた。
「だめだっ。お前は家に戻りなさい。今日は泊めてやるけどな、お前がいなかったら聡依が寂しがるだろう。俺がお前を取ったって怒ったらどうするんだっ」

友情が破綻するっと胸を張る清次。
自分たちの関係が案外脆いことを彼はよく知っているらしい。
そしてしょんぼりと耳を垂らした暁を、優しく撫でた。

「どさくさに紛れてうちの猫になろうとしてもダメだぞ? うちには猫なんて養う余裕はないんだからさ。それに、お前には聡依が似合っているよ」

な? と諭すように言われると、暁は何も言えなかった。

清次はもう一度頭を優しく撫でると、店の戸を閉め、行灯の火を消す。
暗闇に包まれた部屋の中で、優しい声が聞こえた。

「今日はゆっくり休め。おやすみ」

374: :2012/2/11(土) 09:38:40 ID:POlqxi9/V6

暗闇の中で体を丸めた暁は、ぼんやりと清次の言っていたこと考えていた。
明日帰ったらどうなっているだろうか。
ろくろ首の目が怖い。
いやろくろ首だけじゃない、屋敷にいる人の目が怖い。
聡依に合わせる顔すらない。

第一、自分は聡依には釣り合わないのだ。
有能な聡依と、何の変哲もない猫だった自分。
ただ、他のものより長生きしただけじゃないか。
運が良かっただけだ。
聡依の役になんて立てやしない。

375: :2012/2/11(土) 09:39:48 ID:POlqxi9/V6

「猫ならよかった……」

ぼそりと呟いた言葉は、部屋の闇の中に呑まれていく。
本当に猫ならばよかった。
何にも考えなくて済む。
ただ甘えていればいい。
猫なら……、だけど、本当にそれでいいんだろうか? 

ハッと暁はある事実に気が付いた。
猫なら、ただの猫ならば、自分は聡依に出会うことなど無かっただろう。

376: :2012/2/11(土) 09:40:34 ID:POlqxi9/V6

その瞬間、今までのことが走馬灯のように頭の中で流れて行った。

聡依に出会いう、彼の妖になることもなかった。
そうすれば、たくさんした言い合いも、たまにした本気のケンカも、一人で不安になっていた時に笑い飛ばしてくれたことも、何もなかったことになってしまう。

聡依のひねくれ加減に呆れたことは何度もあった。
彼の読めない感情に不安になったことも何度も。
だけど、それ以上に楽しかったことがあったじゃないか。
優しく頭を撫でてもらったことも、お夏に秘密で魚を買ってくれたこともあった。

それが、全部なくなってしまう?
377: :2012/2/11(土) 09:45:10 ID:POlqxi9/V6

「そんなの、絶対嫌だ」

いつしか暁は泣き出していた。
泣き虫で怖がりで、何にも役に立たない自分を、そばにいてくれればいいと結び人つきにしてくれたのは聡依だった。
守ることも、助けることも望まれなかった。
それなのに、たった一つ、聡依が望んでくれたことから逃げようとしているなんて。

「聡依殿……っ」

しゃっくりを上げて、泣き出す。
涙は止まりそうになかったけれど、もう止めようとも思わなかった。

もういい、と暁は腹をくくる。
どんなに嫌な顔をされようとも、聡依のそばにいよう。
何にも出来なくたっていい。
聡依のところに帰ろう。

378: :2012/2/11(土) 09:52:02 ID:POlqxi9/V6

暁は両手で涙を拭い、その場に立ちあがった。
良くしてもらった清次には悪いが、正直朝まで待てる気がしない。
彼は自分で店の戸を開けると、そのまま屋敷に向かって駆け出した。

屋敷は不気味なほど静まり返っていた。
暁は門をくぐり、庭を横切って、聡依の部屋にと向かう。
縁側から雨戸をあけ、彼の部屋にと飛び込んだ。

布団に横たわる聡依を目にした瞬間、暁の勢いが怯む。
それはもう死んでいるのではないかと思うほど、何も感じられない姿だった。
暁は聡依に駆け寄り、その頬を撫でる。

「聡依殿……」

遅かったね、何していたの。
起きてそう言ってくれるのではないかとも思った。
穏やかな顔をした聡依は、決してこちらを見ない。
ようやく収まったと思っていた涙が、再び零れ落ちた。

379: :2012/2/11(土) 10:02:21 ID:POlqxi9/V6

「起きてください……」

答えはない。一体何の夢を見ているのだろう。
それもう、こちらに二度と戻ってきたくはないと思うほど、幸せなものなのだろうか。

「そんなの嫌ですにゃ……」

思わず頬に当てた手に力が入る。
そこからじんわりと聡依の暖かさが伝わってくるのを感じ、暁はしゃっくりを上げて泣きだした。

「嫌ですっ、絶対嫌ですっ! あっしはわがままなんですっ。とんだ役立たずですけど、それでも聡依殿と一緒にいたいんですっ。だからっ、こんなの嫌なんですっ!」

380: :2012/2/11(土) 10:15:45 ID:POlqxi9/V6

わけのわからないことをたくさん喚いた。
涙は止まりそうになったし、自分でもこんな情けない姿はないとも思う。
それでも、暁は何度も何度も聡依に訴える。

「聡依殿がいなければ、あっしは寂しくて死んでしまいますっ。聡依殿だけが夢の中で幸せだなんて、絶対許さないですにゃっ!」

とうとう布団に突っ伏してしまった暁。
霜月の闇がそんな暁の姿を包み込んだ。

381: :2012/2/11(土) 10:21:56 ID:POlqxi9/V6
今日はここまでです。
若干多めの投下でしたー。

季節的なものもあって風邪やインフルが流行っているので、気を付けてください。
特に受験生でまだ一般や後期がある人は、しっかり対策してくださいね。

ではではノシノシ
382: :2012/2/12(日) 11:36:09 ID:POlqxi9/V6
今日もとんとん投下していきますねー
383: :2012/2/12(日) 11:37:23 ID:POlqxi9/V6

聡依はまだ夢の中にいた。
しかし彼はもう、それが夢であるということを忘れてしまっている。
彼は昔のように穏やかな日々を、のんびりと過ごしていた。

「聡依さん、今日は筑前煮にしましょうね」

「筑前煮? どうして?」

夕餉の支度をし始めたお妙が、聡依にお茶を出しながらそう尋ねた。
聡依はそれを不思議そうにしながらもうなづく。

「どうしてって、聡依さんは筑前煮が好きでしょう?」

「そうだったっけ……?」

自分は筑前煮が好きだった覚えはないのだが。
聡依は首を傾げると、お妙は可笑しそうに笑った。

「自分の好きなものも忘れてしまったんですか? しっかりしてくださいよ」


384: :2012/2/12(日) 11:39:32 ID:POlqxi9/V6

うん、と歯切れの悪い返事をしながら、聡依は妙だな、と首をひねる。
お妙は今まで自分に筑前煮など作ったことがあっただろうか。
そんな聡依を気にせず、お妙は続けた。

「今日は裏のさつき婆さんに教えてもらったやり方で作るから、おいしいと思いますよ」

「さつき婆さん?」

それは誰の事だろう、と首を傾げると、お妙はとうとう呆れた顔をする。

「何言っているんですか。よく、筑前煮を作ってもらったでしょう?」

手を腰に当て、少し叱るような口調で言われた言葉に聞き覚えがあった。
そうかもしれない、と聡依は考え直す。
妙なのは自分のほうで、ほかにおかしいことは何もない。
自分はただ、忘れているだけなのだ、と。

「ごめん、ちょっとぼんやりしてて」

385: :2012/2/12(日) 11:40:22 ID:POlqxi9/V6

戸惑いを誤魔化すように笑うと、お妙もそれに合わせて笑ってくれた。
あまり、細かいことは気にしないようにしよう。
そう思った時だった。

「痛っ」

頬に何か鋭い痛みが走る。
触れてみるが何もない。
首をひねっていると、お妙が心配そうに覗き込んできた。

「どうしたんですか?」

「いや、よくわからないんだけど、なんだかここが痛いんだよね」

「あらあら……、見た目は特に変でないですけどねぇ」

そっとお妙が頬に触れると、また鋭い痛みが走る。
眉を顰めると、お妙はますます心配そうな顔をした。

386: 名無しさん@読者の声:2012/2/12(日) 11:41:39 ID:POlqxi9/V6

「何でしょう。知りたがりの虫でもついているのかしら」

「知りたがりの虫……?」

「えぇ、なんだかチクチクするあれですよ」


『背中が痒いときは背中に知りたがりの虫がついているから、叩いてやればいいって爺さまが言ってたからさ』


不意に、誰かの声が頭のどこかで聞こえた。
その瞬間、聡依はようやく違和感の正体に気が付く。

「それは、清次さんが言っていたことだ……」

387: :2012/2/12(日) 11:42:50 ID:POlqxi9/V6

「清次さん?」

不思議そうな顔をするお妙。
しかし、聡依はそれを気に留めず、次々と先ほどの違和感の正体を証していった。

「筑前煮が好きなのは春芳さん。私じゃない。裏のさつき婆さんは、春芳さんの知り合い……」

「急に何を言っているの? 聡依さん?」

訝しげな顔をするお妙の肩を、聡依はつかんだ。
そして、その目をじっと見つめ、一言呟く。

「これは、夢だね?」

ほんの一瞬だけ、お妙の顔が笑ったような気がした。

388: :2012/2/12(日) 11:43:47 ID:POlqxi9/V6

『聡依殿がいなかったら、あっしは寂しくて死んでしまいますっ!』

どこからかよく知っている声が聞こえてきた。
それと同時に、頬の痛みに鋭さが増す。
聡依はそれに一つ苦笑いをこぼし、お妙を見つめた。


「聡依さん、どうしたの?」

当惑したような顔の彼女に、聡依はやんわりと笑いかけた。

「ごめん、帰らなきゃ」


389: :2012/2/12(日) 11:44:32 ID:POlqxi9/V6

「何を言ってるの? ここが聡依さんの家なのに。どこに行くっていうのっ」

掴まれた腕に、一瞬、心が揺れる。悲しそうなお妙が、じっと聡依を見つめていた。

『聡依殿だけが夢の中で幸せだなんて、絶対許さないですにゃっ!』

しかし再び聞えた声に聡依は思わず笑ってしまった。
そしてその笑顔のまま、お妙に向かって首を振る。

「危ない、危ない。心変わりするところだった。ねぇ、お妙。私はやっぱり帰るとするよ」

「どうして、そんなこと言うんですか……」

390: :2012/2/12(日) 11:46:20 ID:POlqxi9/V6

悲しそうに項垂れるお妙。
聡依はその体をぎゅっと抱きしめると、その耳元でささやいた。

「昔はこうして抱きしめてくれたよね。でもね、お妙。あんたなら私に言うはずだよ。人のこと泣かせておいて、自分だけ楽しい思いをするなんて許しませんよっ。私はあなたをそんな風に育てた覚えはありません、ってね」

そして聡依は少しだけ、悲しそうに顔をゆがませる。

「夢は夢でしかないんだね」

お妙は聡依の背中にそっと腕を回し、震える背中を幼子にするように優しく撫でた。
その懐かしいしぐさに、ふっと心がほぐれるのを感じる。

「気づくのが、少し遅いですね」

彼女の笑ったその声を聴いた瞬間、視界がぐるりとまわる。
あっと思う間もなく、世界は暗転した。
391: :2012/2/12(日) 11:51:55 ID:POlqxi9/V6
>>386は私ですorz

ランキング8位、ありがとうございましたっ!
まさかまたは入れるとは思っていなかったので、本当にうれしかったです(*´ω`*)
いつも読んでくださっている方、支援してくださる方、投票してくれた方、本当にありがとうございます!
二話もそろそろ終わりの予感が見えてきましたが、本編はまだ続く予定です。
無駄に長くなってしまいますが、よろしければ本編が終わるまでお付き合いくださいっ。

今日はここまでです。
ではでは、また明日
(*・ω・)ノシノシ
392: 名無しさん@読者の声:2012/2/13(月) 07:01:17 ID:Ctv42pFoeg
8位おめでとう!o(^ω^)o

これからも応援してるよ!!
393: :2012/2/13(月) 15:15:37 ID:POlqxi9/V6
>>392
ありがとうございます!
そう言ってもらえるとうれしい限りです(*´ω`*)

今日もちょこちょこ投下していきますねー
394: :2012/2/13(月) 15:20:25 ID:POlqxi9/V6

聡依が目を開けると、見知ったまぬけな顔が心配そうに覗き込んでいた。
それに思わず笑うと、途端に柔らかな手が飛んでくる。

「なっ、なんで笑うんですかっ!」

「いや、ごめん。面白かったから」

嬉しいやら腹立たしいやら。
暁は胸がいっぱいなのを感じながら、またしゃっくりを上げる。
そんな暁を聡依は優しく撫でた。

「聡依殿……っ」

「おはよう、暁」

目をうるうるさせた暁が、聡依に飛びつく。
それを受け止め、仕方ないなぁと呟く聡依も楽しそうに笑っていた。

騒ぎに起きてきた太助やろくろ首、お夏に囲まれ、聡依はご飯を食べていた。
一日寝ていたので何も食べておらず、空腹でしょうがなかったらしい。
最初に望んだのがそれか、とやや呆れたものの、皆が何となく嬉しそうである。

「私はどのくらい寝てたの?」

395: :2012/2/13(月) 15:26:46 ID:POlqxi9/V6

「丸一日ほどだな」

「それだけ? なんだかもっと長かった気がするよ」

もぐもぐと口を動かす聡依に、太助は穏やかな顔をする。
頬についた傷が暁のやったことを表していた。
ろくろ首もそれを見て、何となく嬉しそうに笑みを浮かべる。

「それにしても、どんな夢を見ていたの?」

お夏が聡依の差し出した茶碗におかわりを盛りながら尋ねた。
一瞬、聡依はお妙を思い出したのか、少しだけ寂しそうな顔をする。
しかしそれはすぐに柔和な笑みに変わった。

「ちょっと懐かしい夢をね。よかったよ、久しぶりに会えて」

その言葉に何を想像したのか、太助は穏やかな顔で頷く。
他の面々は首をひねっているのだが、彼には聡依の夢が想像つくらしい。


396: :2012/2/13(月) 15:31:03 ID:POlqxi9/V6

「それより、だね」

ちらりと聡依がそれに目をやる。
夢売りは聡依と一緒にごはんを食べていたのだ。
しかも負けじと4杯目。
しっかりしているというか、なんというか。

「お前、なんでそんなにご飯ばかり食べてるの? おいしい?」

聡依の問いに、みんなが肩透かしを食らう。
夢売りはそれにも答えず、ツンと済ました顔でご飯をかっ込んでいた。

「そっ、それより夢売り。賭けは私の勝ちだからね、約束は守ってもらうよ」

「ふんっ、そんな約束、した覚えはないけどね」

「お前ねっ……!」

ろくろ首が怒りに身を震わす。
それを何の気にもなしにご飯を食べながら眺めている聡依。
夢売りは何かを抱え、箸を置くと立ち上がった。

「お前、それはっ!」

397: :2012/2/13(月) 15:32:38 ID:POlqxi9/V6

「私はこんな家、さっさと出ていくとするよ。せいぜい頑張るんだね」
ふん、と夢売りは鼻を鳴らし、無理だろうけど、と意地悪く笑う。
ろくろ首がそれに険しい顔をした時だった。


それは流れるような動きだった。


不意に動いた聡依はすっと立ち上がるとともに夢売りに近づき、その抱えていたものをすいっと抜き取る。
そして間髪入れずに、鞘を抜き捨て、その刃を夢売りの首筋に沿わせた。

「約束は守らなきゃだめだよ、ね?」

夢売りの喉が、ゴクリと鳴る。



398: :2012/2/13(月) 15:37:57 ID:POlqxi9/V6

しかし、誰もが固唾を呑んで見つめるその場面を壊すのも、やっぱり聡依であった。
ふと、ちゃぶ台に目をやった彼は

「おっと、ご飯が」

彼はそう言い、倒れかけた茶碗を直す。
そして何事もなかったかのように再び座った。
しかし、その手には夢売りが大事そうに抱えていた物――春芳の短刀が握られていた。
それを見た皆が目を丸くする。
中でも一番驚いていたのは夢売りのようで、空になった自分の手と聡依の手にある刀をと何度も見比べていた。

「さて、その約束ってなんなのか話してもらおうか」

空になった茶碗を前に、満足したらしい。
聡依が夢売りにそう告げた。

399: :2012/2/13(月) 15:43:05 ID:POlqxi9/V6

「あの子の場合は、私が開放するだけじゃ目を覚まさないよ」

夢売りは観念したのか、静かな声でそう告げた。

部屋には聡依と暁、そしてろくろ首が残った。3人は夢売りを囲んで座っている。

「どうして?」

「あの子は無理矢理寝かされたお前とは違う。自分から進んで私のところにお願いに来たんだ。だから、その分夢の束縛は強い。自分から起きようという意識もなければ、起きることはできないよ」

「じゃあどうすればいいんだい?」

次々と重ねられる質問に、夢売りはうんざりという顔で答えていった。
それを一通り聞いた聡依は顎に手を当て、ふむ、と考え込む。
なにか、策でもあるのっだろうか。

「つまり夢売りがおせんさんを夢から解放したうえで、誰かが彼女の夢に入り、説得しなければいけないってことか」

「それが得策だな」

400: :2012/2/13(月) 15:45:33 ID:POlqxi9/V6

夢売りが頷く。
それを確認した聡依が、じゃあ早速やろう、と言い、なぜか手を出した。

「なにするんだい?」

「誰が行くのかじゃんけんで決めるのさ。簡単だろ」

「えっ、お前が行くんだろ?」

「あっしは聡依殿をまた夢の中に返すのは嫌ですっ!」

飛び交う意見に、困惑する聡依。
一度は面倒くさそうに頭を掻いたが、強行突破を決め込んだらしい。
もう一度手を出し、勝手に始める。

「はい、じゃーんけんっ」

「ちょっと! 私もやるのかいっ?」


401: :2012/2/13(月) 15:46:50 ID:POlqxi9/V6

しぶしぶ手を出す暁とろくろ首。
慌てたのは夢売りで、なんで自分が、という顔をしている。
まったく当然の反応なのだが、聡依はそれに怪訝な顔で返した。

「なんでやらないのさ。お前は当事者じゃないか。ほらほら、いくよ」

聡依に押され、結局じゃんけんで行く人を二人選ぶことになった。
二人、というのはもしも一人が夢に囚われても、もう片方が連れ戻せるからだ。
二人ともダメになったら、その時はその時、ということだった。
なんというか聡依らしい作戦である。

402: :2012/2/13(月) 15:50:37 ID:POlqxi9/V6

「これは……、言いだしっぺが負ける法則だね」

華麗に一人負けした聡依が呟く。
そんなアホなことを言っている聡依は無視され、残った3人がもう一度じゃんけんをした。
その結果、夢売りが負ける。

「じゃあ私と夢売りだね。自分の夢に囚われるほど、こいつもバカじゃないだろうから、これは安心」

むすっとした夢売りに聡依がにこやかに言った。
何というか、彼の言うことというのは一言も二言も多いのである。

「聡依殿、大丈夫ですか?」


403: :2012/2/13(月) 15:51:10 ID:POlqxi9/V6


それに心配そうなのはやはり暁であった。
聡依はそんな彼を笑うと、頭を撫でてやる。

「大丈夫だって。さっきたくさん食べたからね、すぐにでも眠れるよ」

「そう意味じゃなくって……」

「それに、なにかあってもまた起こしてくれるだろう? 引っ掻いて」

聡依が赤くなった頬を指差す。
それを言われると何も言えなくなってしまい、暁はしぶしぶ黙って頷いた。
それを確認した聡依は、夢売りに頷いて見せる。

「そいじゃあ、始めようか」

404: :2012/2/13(月) 15:52:43 ID:POlqxi9/V6
今日はここまで終わりです
またあした
ノシノシ
405: :2012/2/14(火) 13:24:21 ID:POlqxi9/V6
今日もちょこちょこ投下していきますねー
406: :2012/2/14(火) 13:26:57 ID:POlqxi9/V6

夢売りの行う夢からの解放は随分と格好のつけたものだった。
それは別に本人がそばにいなくてもできるらしい。

彼はおせんの家の方を向いて、すっと手を左から右に横に引た。
その瞬間、そこにいた面々は皆空気が変ったのを感じた。
そのあとはとても簡単のように見えるものだった。
目を閉じ、ふっと息を吐く。
それだけで、またその場の空気が色を変える。

「これで開放はされたよ。でも、目を覚ましてはいないだろう」

「うん。これからが本番だね」

振り向いた夢売りに聡依は頷く。
それに夢売りも頷き返した。

「じゃあそろそろ行きますか」

407: :2012/2/14(火) 13:29:11 ID:POlqxi9/V6

夢売りは、今度は逆向きに手を引き、そしてそれを縦に伸ばすような動作をした。
すると、そこにあったのは見慣れた壁ではなく、あの長屋の一室だった。

「お前のやることは、なんだか格好がいいね」

妙なことに感心している聡依に呆れたのだろう。
夢売りは何も言い返さず、そこに足を踏み入れる。
聡依もそれを慌てて後を追った。


急に入ってきたイタチと男に、おせんは驚いたようだった。
それと同じくらい、聡依もその場を見て驚く。
そこはどう見ても日常生活だったからだ。


408: :2012/2/14(火) 13:31:14 ID:POlqxi9/V6

おせんがいて、姉であるおりんがいて、そして父がいる。
そしてさらには……。

「おっかさんまでいるじゃないか」

おせんが何を夢売りに頼んだかが、少しわかったような気がした。
自分と大差のない夢だったわけか、と聡依は頷く。

「あなた、誰?」

警戒するようにおせん問うた。
おせん以外の人が動かないのは何か理由があるのだろうか。
聡依がそんなことを考えていると、夢売りに肘で突かれる。

「ボケッとしてないで、なんか答えろよ」

「あぁ、ごめん」

言われた通りおせんに向き合い、聡依はその場に座った。
おせんはますます警戒したのか、さっと距離を開ける。
それを見てた聡依は、ひどいなぁと苦笑いを漏らした。


409: :2012/2/14(火) 13:32:58 ID:POlqxi9/V6

「ええと、私はその、君をここから連れ出しに来たんだよ」

「直球だな」

呆れ顔の夢売りは、おりんやその父、そして母を手刀で切って行く。
まるで幻でも見ていたかのように、それらの人々は空気のように歪み、景色の中に溶け込んで行った。

「夢を開放すると、夢は脆くなるんだ」

不思議そうに見ていた聡依に、そう説明する。
へぇ、と感心したように息を漏らす彼の前で、おせんは急に泣き出した。

「何をするのっ……」

聡依はとっさに夢売りを睨んだ。
睨まれた夢売りは困ったように目をそらす。
おせんが泣いたのは夢売りだけの所為ではない気もするのだが。

410: :2012/2/14(火) 13:34:26 ID:POlqxi9/V6

「あの、さ。うんと、これは夢なんだよ。わかってるんでしょ? だから、あいつがああやったけど、別に君のお姉さんとか父上なんかは別にいなくなってないからさぁ」

泣く子はどうも苦手なようだ。
おろおろしながら、聡依が懸命におせんを慰める。
おせんはギュッと唇を噛みしめ、首を強く振った。

「夢だっていいもん。夢だっていいから、母さんに会えればそれでいいもん」

頑ななおせんに、弱った顔で夢売りを振り向く聡依。
夢売りは我関せず、という顔で肩をすくめた。

「あぁ、うん、そうなの? でもさぁ、現実にはお姉さんとか父上が待っているじゃないの? 心配しているよ?」

「だって、姉さんも父さんもどうせ私なんか置いていくじゃない。父さんは仕事しか考えていないし、姉さんだって奉公に行ってしまう」

411: :2012/2/14(火) 13:35:57 ID:POlqxi9/V6

なるほど。
だからおりんが奉公に行くという話を聞いた途端、彼女は亡き母にすがったのか。
納得したように、聡依は一人頷く。

おりんは泣きじゃくりながら、言葉をつづけた。

「姉さんが奉公に行ったら、私は独りになっちゃうもん。母さんがいれば私は独りじゃないもん」

「ま、それは事実だよね」

弱った顔の聡依がそう言うと、おせんはますます泣き出した。
それを呆れた顔で見つめる夢売り。
どうもこの男に子供の世話というのは向かないのである。

「なんでそれを認めちゃうかねぇ」

「だって事実じゃないか」

むくれる聡依に、夢売りはますます呆れる。
放っておけなくなったのか、夢売りも聡依のそばに座り、おせんを見つめた。

412: 譲b:2012/2/14(火) 13:37:16 ID:POlqxi9/V6

「お前ね、このままだったら確実に死ぬよ」

おせんに吐かれた言葉に、息を呑む彼女。
その隣で聡依は苦い顔をする。
それも事実だが、それを言うのはどうも、という顔だ。

「お前は夢の中では生きられないんだ。バカだね、みんな言うんだよ。夢の中で生きられればどれだけいいだろうって。でもね、そんなことを実際にやる人はほんの少ししかいないよ。みんな、辛かろうが悲しかろうが、現実を見て生きてるんだよ」

おせんの目に涙がたまっていく。
心配そうにしながらも、聡依は夢売りを見守ることにした。
まぁ、泣き止まないおせんにお手上げだったというのも事実なのだが。

「みんなそれくらい強いんだ。お前の姉さんも父さんも、みんな一生懸命に生きてるよ。お前はそれから逃げるのか? あの二人はお前を心配しているんじゃないのか? お前だけ、この夢の中で何にも考えずにのほほんと生きて、そして最後はそのまま死ぬのか?」

「でっ、でも……」

413: :2012/2/14(火) 14:13:59 ID:POlqxi9/V6

「母親が恋しいのはわかる。だけどそれ以上にお前を心配してくれる姉さんや父さんがいるだろう」

「でも、あの二人はっ」

「姉さんも父さんもお前を養ってくために働きに行くんだよ。姉さんが奉公に行くまでのわずかな時間、それをお前はどうして一緒にいてやろうと思わない」

夢売りの言葉はどれも間違ってはいなかった。
正しいことしか言っていない。
それをおせんもわかるのだろう。
どんどん彼女は押し黙り、やがて項垂れてしまう。

「まぁまぁ夢売り。おせんさんも反省してるしさぁ、そのくらいでいいじゃない」

ようやく間に入った聡依は、夢売りとおせんをやや引き離した。
そして項垂れ、静かに涙をこぼす彼女の頭を優しく撫でる。

「夢の中が楽しいのはわかるよ。でもね、この世界で何か食べたものは味がしたかい? それに、本当にこの世界は楽しかった? よく考えてごらんよ。夢の中は結局同じことの繰り返し。本当に楽しいのは、毎日何かいろいろ起こる現実なんじゃないの?」

414: :2012/2/14(火) 14:18:19 ID:POlqxi9/V6

おせんは涙を拭いながら、何度も頷いた。
聡依はそれを見て、ホッと息を吐く。

「姉さんが心配していたよ。あの子も相当疲れた顔をしていた。早く目を覚まして、姉さんを安心させてあげなよ」

おせんは頷き、そして聡依にぎゅっと抱きつく。
一瞬困った顔をした聡依だったが、その背中に手を回し、震える背中を優しく撫でてあげた。

「まったく、いいとこ取りだな」

「得意なんだ、それ」

呆れ顔の夢売り。
自慢げに言い返す聡依を、おせんが小さく声を漏らして笑った。

415: :2012/2/14(火) 14:22:03 ID:POlqxi9/V6


おせんと別れ、屋敷に戻ってきた二人は心配そうな暁に迎えられた。

「うまくいったのかい?」

あまり失敗を考えていなかったらしいろくろ首は、平然と尋ねる。
聡依はそれににっこりと微笑んだ。
その横で夢売りはあくまで無愛想に頷く。

「よかったですね、これで一件落着っ」

「とはいきませんね」

はしゃいだ暁の言葉にかぶせ、聡依が言い放つ。
はて、まだ何か? と首を傾げる面々。
そんな彼らを無視し、聡依は夢売りをじっと見つめた。


416: :2012/2/14(火) 14:25:02 ID:POlqxi9/V6

「お前、なんであんなことしたの?」

「あんなことってなに」

「おせんさんを夢の中にいれたのはお前自身じゃないか。あんないいことが言えるなら、最初からあんなことしなければいい」

おせんの家で何が起こったのかがわからないため、暁とろくろ首には話がよく見えない。
二人は顔を見合わせ、首を傾げた。

「うるさい、バカ」

「バカじゃないよ。ねぇ、何かあったんだろう?」

夢売りは俯く。
それを覗き込むことはせず、聡依は静かに問うた。

「おせんさんが、お願いしたから? ほっとけなくなった?」

夢売りはハッと顔を上げ、聡依の顔を睨みつけた。
それでも彼は穏やかに笑みを浮かべている。

417: :2012/2/14(火) 14:27:00 ID:POlqxi9/V6
中途半端ですが、ここで終わりです。
>>412で私が親指立ててるのは打ち間違えで、意味はないので気にしないでね
明日明後日とちょっと私用で来ることができません
イケメンリア充の皆さんは、バレンタインの余韻に浸って待っててくださいね
ノシノシ
418: :2012/2/17(金) 23:57:27 ID:POlqxi9/V6
ぎりぎり金曜日に帰ってこれた―
これからとんとんと投下していきますねー
419: :2012/2/17(金) 23:59:24 ID:POlqxi9/V6

「うるっさい、このバカっ! 悪いか、久しぶりに頼られたから、気持ちがぐらついたんだっ。それの何が悪いっ、このバカっ!」

「いや、悪いでしょ。やったことは最悪だもの」

「最悪って、なんだい……このバカっ!」

どうやら夢売りは興奮するとバカしか出てこなくなるらしい。
穏やかな顔をしていた聡依も、徐々にその余裕がなくなって行く。
忘れてはいけない、この男も短気なのだ。

「うるさいっ、バカっ。200年も無視されていたんだ。それが久しぶりにあんなにも一生懸命頼み込まれたら、心が揺らがないわけがないだろうっ。私はっ、嬉しかったんだよ……。お前にはわからないかもしれないけれど」

夢売りの声が徐々に震えていく。
聡依は軽く息を吐き、その頭にポンッと手を乗せた。

「そんなに頼られてうれしかったんなら、これからは私の役に立てばいいじゃないか。いくらでも頼ってあげるよ」

冗談めかして笑った聡依に、夢売りは笑うどころか逆に激昂した。
目にいっぱいの涙を溜め、聡依の手を振り払い、睨みつける。

420: :2012/2/18(土) 00:00:38 ID:POlqxi9/V6

「うるさいっ、このバカっ! 偉そうに言うなっ、バカっ! どうせ、どうせ……そんなこと言ったって、どうせっ、お前だっていつか死ぬじゃないかっ!」

「夢売りっ!」

鋭い聡依の声に、夢売りは一瞬口を閉じた。
ギュッと自分の手を握りしめ、涙を隠す様に俯く。

「どうせいつかいなくなるんなら、最初から優しくなんてしてくれなきゃいいんだ。お前も……、春芳も……、みんなバカばっかりだっ」

そう言った途端、夢売りは逃げるように部屋を飛び出した。
襖を開け、縁側から庭に出て走って行ってしまう。

「夢売りっ!」

ろくろ首が心配そうに呼びかけたが、止まる気配はなかった。
ちらりと振り返った彼女に、聡依は首を振る。

421: :2012/2/18(土) 00:01:22 ID:POlqxi9/V6

「うまくいくと思ったんだけどなぁ」

少し、残念そうな声だ。
暁は若干眉を顰め、聡依に詰め寄る。

「どうして夢売りを仲間に入れようとなんてしたんですか? あんな目にあったのに」

少し嫉妬も含んでいるような気もするが、彼は本気で怒っているようだ。
聡依はそれに軽く肩をすくめる。

「あんな目にあったからさ。とてもいい夢を見させてもらったからね。……それにしてもあいつ、人のとこをバカバカ言いやがって」

その点についてはまだ怒っているらしい。
暁は何とも言えず、軽いため息を吐いた。

422: 譲」:2012/2/18(土) 00:02:43 ID:POlqxi9/V6
 
数日たったある日、聡依は暁を呼び、散歩にと誘った。
いつもなら散歩くらい一人で行くので、珍しいことである。
暁も妙に思ったのか、不思議な顔をしながらそれに頷く。

「いやぁ、いい天気だと思ってね」

「雪がちらついてますにゃ」

「細かいことを気にしちゃダメだよ。さて行こうか」

勝手に歩き出した聡依を暁は慌てて追いかけた。

聡依が向かったのは町はずれだった。
それはつまりおりんの長屋がある方なのだが、その時点で暁は彼が何か企んでいることに気が付く。

「おせん殿の様子でも見に行くんですか?」

「さぁ、どうでしょう」

423: :2012/2/18(土) 00:08:09 ID:POlqxi9/V6

肩をすくめる聡依に、暁はむくれたように頬を膨らませる。
もしかしたら本当に散歩なのでは? とも思ったが、こんな寒い雪の日に、わざわざ聡依が出かけるはずがない。
仕方なく、暁は黙ってそのあとを追うことにした。

聡依がまず向かったのは、夢売りの住む祠だった。
あれから何の音沙汰もないので、まだいるかどうかはわからない。
しかし、お供え物がたくさんされたそこはどうも居心地が悪そうだった。

「もういませんよ、きっと」

「いや、いると思うなぁ」

そこにはお供えをしていたり、手を合わせている何人かの近所の人がいた。
聡依はその人の間を割って入ると、唐突に祠に向かって何かを投げつける。

424: :2012/2/18(土) 00:08:57 ID:POlqxi9/V6

随分と罰当たりな男だ。
近所の人たちも嫌な顔をしたり、各々眉を顰めている。

「この前はよくもバカバカ言ってくれたね、このバカ」


唐突に祠に向かってそんなことを言い出した聡依から、近所の人たちは遠ざかる。
頭のおかしい男だと思ったのだろう。
賢明な判断だ。
その後ろで、暁はまだあれを根に持っていたのか、と頭を抱えていた。

425: :2012/2/18(土) 00:09:38 ID:POlqxi9/V6

「それ、お前にやるよ」

それを聞いた暁は祠をもう一度見つめた。
祠にはあの春芳の日記があった。
どうやら彼は、あれを投げつけたらしい。

「お前聞いてない? ちゃんと遺書があるって噂も流したはずなんだけどなぁ。まぁ、とにかく、その最後のところだ。最後の日記はお前あての遺書になっていると思うよ。まぁ、私が見る限りただの賭けのツケの覚書だけどね。お前なら、何かわかるんじゃないの」

暁は思わず聡依を見上げた。
その顔にはいつもの緩やかな笑みが浮かんでいるだけで、その意図はわからない。

「用はそれだけだよ。また200年ひきこもるのも良し。それを見て、どう考えるかはお前次第でしょ」

426: :2012/2/18(土) 00:10:33 ID:POlqxi9/V6

それだけ言うと、聡依は回れ右をした。
辺りの人たちは一体何を言っていたのかがさっぱりわからず、怪訝な顔で聡依を見つめている。
暁は慌てて聡依を追いかけた。

「いっ、遺書ってどういうことですかっ」

「あれ、遺書って意味、知らない?」

「知ってますよ、それくらいっ! だけど、どういうことですかっ」

怒り出す暁に聡依は笑うだけで何も言わない。
暁はやがて聡依から聞き出すことを諦め、静かにため息を吐きだした。

427: :2012/2/18(土) 00:11:13 ID:POlqxi9/V6

聡依はあのツケをいつか会った時に返せ、という意味だと思ったのだ。

それはつまり、再会を必ず、という意味だと。

しかし、あのツケには何かもっと他の意味があるのかもしれない。

それはもちろん、春芳とずっと一緒にいた、夢売りにしかわからないことだが。

428: :2012/2/18(土) 00:12:21 ID:POlqxi9/V6

聡依たちが通りを歩いていると、何やら楽しげな二つの声が聞こえてきた。
何気なく二人がそちらに目をやると、長屋の方で姉妹が楽しげに遊んでいる。
あっ、と思わず暁が漏らした声に、二人はこちらを見た。

「お兄ちゃんっ!」

駆け寄ってくる妹の腕をつかみ、姉は鋭く聡依を睨みつけた。
それはまるで妹を守るかのように。
その姿に眉を顰めた暁とは違って、聡依はどこまでも楽しそうに笑った。
そしてその姉見ながら、何気なく呟く。


「私、源信先生のお使いのものですが」

ハッと驚いたような顔でこちらを見つめた姉に、聡依はにっこりと微笑み返した。

「なんてね」

姉に拒まれ、不満げな顔の妹に手を振り、聡依は再び歩き出す。
暁はそちらをじっと見つめていたが、やがて聡依の後を追った。


429: :2012/2/18(土) 00:13:04 ID:POlqxi9/V6

「さぁて、ネコ。大福でも買って帰ろうか」

うんっと一つ大きく伸びをし、聡依は呑気にそんなことを言った。
暁は呆れたように肩をすくめ、それでも少し楽しそうな顔で頷く。

「仕方ないですね、まったく」


雪がちらちら舞う中、聡依と暁は楽しそうに話しながら歩いて行った。
すれ違う人々はそれを不思議そうに振り返ったが、彼らは気にしそうにない。

妖屋敷と近所で評判の屋敷があるこの町では、今日も変わらぬ時間が過ぎていった。

おわり
430: :2012/2/18(土) 00:17:04 ID:POlqxi9/V6

ということで2話終わりましたっ。長かったー。
おそらく今まで書いてた中で最長なのではないかとww

えっと、今後の予定なのですが、一応3話は書き終わっているのです。
なので今にでも投下開始することはできるのですが……、
先に、リクエスト含め、残っている番外編を投下したほうがいいでしょうか?
どちらにせよ明日には投下するので、どちらがいいっと明確な希望がある方がもしいれば、言ってくださるとありがたいです。
もしない場合は適当にあみだくじで決めるのでww

無駄に長ったらしかった二話ですが、読んでくださった方、ありがとうございましたっ!

431: 名無しさん@読者の声:2012/2/18(土) 00:32:34 ID:gkmvJaScFM
乙です!

番外編の投下に一票!!

あと2話で新しく出てきた妖怪達のスペックやらを教えていただけるとありがたいです

432: 名無しさん@読者の声:2012/2/18(土) 15:24:50 ID:Awx58A9j3s
つC

番外編に1票!
433: :2012/2/18(土) 22:48:45 ID:POlqxi9/V6
レスありがとうございますっ。
えっと、それじゃあ番外編を投下してから、三話に行きますねー。

>>431
乙ありがとうございますっ
了解しましたっ。この下に載せておきますね

>>432
支援ありがとうございますっ!
434: 譲*補足:2012/2/18(土) 22:56:45 ID:POlqxi9/V6
補足説明(二話)

・夢売り
第16代緑青の結び人憑きの妖。
イタチの姿をしている。人に夢を見せ、その中に閉じ込めてしまうという少し怖い妖。名前はその所業による。
(オリジナルの妖です。ただ似たようなものならいる気もしますが……、いたら見てみたいので、教えてくださいねっ)

・ろくろ首
一話でも出てきましたが、二話でかなりでしゃばった。これでも第10代憑きの妖。
若い女の姿をしており、首をにょろにょろと伸びる。割と定番の妖。

あとは、妖ではありませんが、

・青木春芳
第16代緑青の結び人。聡依の先代にあたる人。一応、聡依のお祖父さんの叔父さんという設定になっています。

こんな感じですかね。基本的に一話一話出てくる町の人はその場限りの人です。颯爽と忘れてもらって構いません。
夢売りももう出てこない気がしますねぇ、残念だけれど。
ではでは、番外編投下していきますね
435: 譲*150さんのリクエストです:2012/2/18(土) 22:59:01 ID:POlqxi9/V6

ある日の夕刻のこと。
縁側に座った聡依と暁は、冬だというのに無駄に元気のいい藤次郎の稽古を眺めていた。
藤次郎は庭で木刀を片手に素振りを繰り返している。

「元気だよね」

「ですにゃ」

感心している、というより呆れた顔でそれを眺める聡依と暁。
藤次郎はそれが気に障ったのか、手を止め、二人に目をやった。

「お前ら、暇ならば一緒に稽古をしないか」

「寒いから嫌だ」

即答した聡依に、眉を顰める藤次郎。
木刀を下すと、こちらに近寄ってきた。
とばっちりだ、と嫌そうな顔をする聡依を、暁が慰める。

「昔はよくやったのにな」

「子供だったからだよ」

436: :2012/2/18(土) 23:00:10 ID:POlqxi9/V6

子どもって寒いの分からないんだよ? と、眉を顰めた聡依が暁に言う。
それを聞いた暁は、そんなまさかと彼を笑った。
聡依はそれにやや不服そうに頬を膨らませる。

「そういえば、聡依殿ってどうやって剣術を会得したんですか? かなりうまいですけれど」

「まぁ、才能だよね」

ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす聡依。
藤次郎はその隣に座り、そんな聡依を笑った。
不思議そうに暁が藤次郎を覗き込む。

「何を言っておる。お前は剣術が大の苦手だったじゃないか。あんな不格好な奴は初めて見たぞ」

「そっ、そうなんですかっ?」

今の聡依の姿から見れば全く想像がつかないのだろう。
目を丸くし、暁が身を乗り出す。
それを鬱陶しそうに聡依は押し戻し、藤次郎を睨んだ。

437: :2012/2/18(土) 23:01:09 ID:POlqxi9/V6

「あれは師匠が悪かったんだよ」

「またそういうことを言って。藤次郎殿、どうだったんですか? 詳しく聴きたいですっ」

 聡依の昔の話が聞けるとあって、暁は興味津々である。
藤次郎はそれを微笑ましく眺めながら、むくれる聡依の頭を乱暴に撫でた。

「それじゃあ休憩がてら、その話でもするか」


遠くで七つ(午後4時)を告げる鐘の音が響く。
カラスが鳴きながら、空を飛んで行った。

438: :2012/2/18(土) 23:02:32 ID:POlqxi9/V6

屋敷の庭には、竹刀を持った藤次郎と聡依が。
縁側には三味線片手にその稽古を眺める太助の姿があった。
意気揚々と竹刀を構える藤次郎とは違い、聡依は詰まらなさそうに西の空を見ている。
心、ここにあらずという感じだ。

「聡依、集中しろっ! 戦場は集中力が大事だ。一分、一秒たりとも、相手に好きを見せてはならないっ!」

藤次郎が気合を入れるが、常に隙だらけのこの少年に言っても無駄なようだ。
聡依は返事もせず、ふわっと見ているこちらも気の抜けるような欠伸をする。

「もう飽きた」

「飽きたじゃない。いいか、余計なことを考えるな。集中だ。邪念など、気合で吹っ飛ばせっ。拙者が関ヶ原で戦った時、恐怖など気合でぶった切ってやったわっ!」

「その気合いも、関ヶ原で切られて来ればよかったのに」

ぼそっと呟いた聡依に、太助は苦笑いをした。
気合だ、と意気込む藤次郎と、つまらなさそうな聡依。
このやり取りを半時以上見ていた太助もいい加減飽きてきたようだ。

439: :2012/2/18(土) 23:03:33 ID:POlqxi9/V6

「いいか? 刀を自分の腕とを一つにするのだ。刀を振るんじゃない。自分の腕を振ったつもりで動かし、そして、空気を断つ。わかるな?」

「意味わかんない」

「頭で考えるからわからないんだ。心で感じろ。ほら、やってみろ」

藤次郎に促され、しぶしぶ竹刀を振る聡依。
しかしそれは誰が見てもぎこちなく、まるで今にもギシギシ音を立てそうなくらい固い動きだった。
それは自分でもわかるらしい。
ふてくされた顔の聡依が、藤次郎を見る。
ほら、できない、と言いたげな目だ。

「もっと力を抜いて。柔軟に動くんだ。そんなからくり人形のようにぎこちない動きじゃいつまで経ってもできないぞ」

「できなくていいもん」

「お前、武士の子だろうっ!」

藤次郎の叱責をうるさそうに顔をしかめ、再び聡依は太助を見上げる。
何とかしてほしい、という顔だ。
太助はそれに気づき、やや困ったように頭を掻くと、三味線を置いて立ち上がった。

440: :2012/2/18(土) 23:04:26 ID:POlqxi9/V6

「剣術はわからんからなぁ」

聡依から竹刀を受け取る、軽く振る。
その柔らかな動きに、聡依は目を見張った。
藤次郎はやや嬉しそうである。

「そうだそうだ! その動きだっ。なんだ、太助の方ができるじゃないか」

「おっ、こんなんでいいのか?」

藤次郎に褒められ、嬉しそうな太助。
聡依はつまらなそうにそっぽを向いてしまった。
自分だけができないので、完全に拗ねてしまったらしい。
それに気が付いた太助は、慌てて聡依の正面に回り、竹刀を返す。

「俺にもできるんだから、諦めないでやってみろ」

「できないもん」

「その姿勢がいかんのだっ!」

喝を入れる藤次郎にますます聡依は拗ねてしまう。
太助は困り切った顔で、藤次郎の背中を一度叩いた。
余計なことを言うな、という意味だろう。

441: :2012/2/18(土) 23:05:39 ID:POlqxi9/V6

「うーん、三味線は上手いんだけどなぁ」

どうも、剣術の素質はあまりないらしい。
それは本人も良くわかっているらしく、できないことはやりたくないと竹刀を放り出してしまった。
それを見た藤次郎が、ますます目を吊り上げる。

「お前が刀に心を開かなければ、いつまでたってもうまくならんぞっ!」

「素質の問題だから、どんなに頑張っても無理だって」

ムッと唇を突き出し、聡依が藤次郎を睨んだ。
藤次郎も負けじと睨み返す。
いい大人が何を、と太助はその間に入り、宥めるように聡依の頭を撫でた。

「あぁ、どうだ、藤次郎。この間の剣舞を見せてやるのはどうだ? 聡依はあれが好きだろう」

「むっ、だが太助。剣舞などできても、実戦にはだな」

「い、い、か、ら。な?」

何とか聡依の機嫌を取ろうとする太助は、強い口調で藤次郎に頼み込む。
それに押されたのか、やや不服そうな顔をしたものの、藤次郎は静かに頷いた。

442: :2012/2/18(土) 23:06:57 ID:POlqxi9/V6

太助の三味線を伴奏に、藤次郎の剣舞は始まった。
真剣を使ったそれは、独特の緊迫感と滑らかさがひしひしと伝わってくる。
不機嫌だった聡依も、いつの間にかその音楽と舞いに心を奪われているようで、目を輝かせながら食い入るように見つめていた。

それに気が付いたのは太助であった。
聡依の体が音に釣られるように動く。
それには竹刀を持ったときには無い、流れるような動きがあった。
もしかして、これは? そう思った瞬間、手が止まっていた。

「おい、太助。どうした?」

「いや、そうだな……。聡依」

不思議そうな顔をした藤次郎を放置し、太助は聡依に声をかけた。
止まった演奏と舞いに不服そうな顔をした聡依が、こちらを向く。
太助はそばにあった竹刀を差し出した。

「なに、また稽古? この続きが見たかったら、やれと?」

随分皮肉れた発言である。
太助はそれに、苦笑いを零しながら、首を振った。

「いや、お前剣舞は好きだな?」

「好きだけど」

「なら、剣舞をやればいい」

「え?」

443: :2012/2/18(土) 23:08:07 ID:POlqxi9/V6

戸惑う聡依に、やや強引に竹刀を押し付け、立たせる。
わけがわからない、という顔をしている藤次郎を呼び寄せ、太助は耳打ちした。

「あいつはきっと、音感が優れている。だけど剣術の感覚はさっぱりだ。だから、剣の動きをすべてこの音に合わせて教えればいい。剣舞はあいつの剣術の稽古にぴったりだぞ」

「お前は何を言っているんだ?」

戸惑う藤次郎に頷き、太助は三味線を持つと、聡依の方を振り返った。
聡依もまだよくわかっていないようで、庭に立ったは良いものの、困った顔で竹刀を降りまわしている。
そしてその動きは未だ、ぎこちない。

「聡依。頭で動くな。耳でよく聴け。いいな?」

「え?」

戸惑う聡依を気にせず、太助はバチを持つと、最初の音を鳴らした。
その瞬間、ふっと聡依の両肩から力が抜けるのがわかった。

444: :2012/2/18(土) 23:09:32 ID:POlqxi9/V6

「簡単なのから行くぞ。さっきの藤次郎を思い出しながら、好きなように動け」

太助が声をかけると、聡依は困った顔をしながらもとりあえず頷く。
しかし、その動きは目を見張るものだった。
水が流れるがごとく、滑らかで無理がない。
思わず藤次郎が息を呑むほどである。

「太助、これは……?」

「あいつには剣士の才能っていうのはないみたいだな」

思った通り、と満足げに笑う。
感覚の掴み方、というのは人それぞれだ。
藤次郎は気が遠くなるほど稽古を積んで掴んだかもしれないが、それは聡依には向かなかったのかもしれない。
その証拠に、音を合わせてやればあんなにぎこちなかった動きが、こんなにも自然なものに変わる。

「不思議なこともあるもんだな」

藤次郎が感心したように呟いた。
太助はそれを笑い、見様見真似で舞を続ける聡依を見て、更に顔を綻ばせる。

「何よりあいつが楽しそうだ」

珍しく表情を緩めている聡依に、太助は満足そうだ。
これには気合第一の藤次郎も何も言えないようで、何やら諦めたようなため息を吐いた。


445: :2012/2/18(土) 23:10:50 ID:POlqxi9/V6

「そうだったんですか」

なぜだかその話に納得してしまった暁は、深く相槌を打つ。
よく考えればこのマイペースすぎる男が、人に感じろ! と押し付けられて、できるようになるわけがない。
聡依は暁の納得が気に入らないのか、少し不服そうだ。

「因みに聡依殿の剣術感覚ひどさっていうのは、どのくらいだったんですか?」

「ネコっ!」

隣から不機嫌な声が飛んできても、暁は知らんふりである。
藤次郎はそれを笑い、少し思い出すかのように宙を見上げた。

「そうだなぁ……、例えば、力を抜け、と言ったら抜きすぎて竹刀を手から飛ばすくらいだな」

「両極端ですにゃ」

クスクス笑う暁に、聡依が鼻を鳴らす。
随分とご立腹だ。

「ネコなんか、竹刀も持てないじゃないか」

「あっしはいいんですよ、竹刀が無くても爪がありますから」

ふふん、と自慢げに言った暁に、聡依は藤次郎の竹刀を手に立ち上がる。
それならやってみろ、ということなのか。
暁も立ち上がり、随分と乗り気である。

「お前なんか相手にもならないね」

「やってみなきゃわからないですにゃっ」

いつの間に本気になったのか、庭に下り立った二人は向かい合い、何やら手合わせをし始めた。
なんだかんだ楽しそうな二人を、藤次郎は穏やかな顔で眺めていた。

 
暮れ六つ(午後6時)の鐘が、遠くの方で響いていた。

446: :2012/2/18(土) 23:13:43 ID:POlqxi9/V6
>>150さんのリクエストで書かせていただきましたっ。
なんだか微妙な感じになってしまいましたが……、こんなので大丈夫でしょうか。
そしてまた無駄に長いorz
さらに遅くなってしまい、申し訳ないです。リクエスト、本当にありがとうございましたっ。

明日は>>151さんのリクエストのを投下していきますねー。
ノシノシ
447: :2012/2/19(日) 23:52:53 ID:POlqxi9/V6
こんばんは
今日は>>151さんのリクエストを投下していきますねー。
リクエスト自体はちょっと書けないものだったので、若干絡めたものになっています。
(実は全然絡んでなかったりもごにょごにょ……)
若干長いので、今日と明日に分けていきます(`・ω・´)
448: 譲*日常:2012/2/19(日) 23:55:25 ID:POlqxi9/V6


広い屋敷に、慣れない。


最初の違和感は、まずそこだった。水を汲みに行くのも一苦労。
家主が自室から出てこないのも良くわかる。

数多ある部屋どこも居心地がよさそうではある。
きれいな畳も、立派な家具も。
どれも彼が今まで住んでいたところにはなかったものばかりだ。
しかし、暁はまだ、その中に自分の居場所を見つけられずにいた。


「あの、かつお節はこの屋敷にありますか?」
そばを通りかかった家鳴りに声をかける。
すると、それはぴょんっとその場で軽く跳ね、脱兎のごとく逃げて行ってしまった。
ネズミじゃあないんだから、と暁は困ったように頬を掻く。

彼にとってこの屋敷は異常そのものだった。
妖と人が共存している?
しかもその正体を隠すことなく? 
まさか、そんなのは無理だ。

暁の常識ではありえないことが、この屋敷では普通に行われている。

「あぁ、小腹がすいたなぁ……」

449: :2012/2/19(日) 23:58:20 ID:POlqxi9/V6

にゃあ、と一人、寂しく鳴きながら、暁は呟いた。
故郷の家が懐かしい。
穏やかな飼い主、たくさんの仲間の猫。
猫又は暁だけだったため、飼い主にその正体をひた隠しに暮さねばならなかったが、それでも楽しかった。
幸せだった。
飼い主の優しい手が懐かしかった。
あの手に甘えたい、あの手に抱かれたい。

「帰りたいにゃあ……」

しかし、彼の故郷はもうないのだ。


その日は珍しく客人が来ていた。
この家に来る人など、清次とかいう妙な男と飴屋の爺さんくらいしかいない。
そのどちらでもない声がするので気になり、客間の方に足を向ける。

「何の用だ」


低い声が暁を引き留めたのは、襖のすぐ近くまで来た時だった。
声の主である男は腕を組み、ちらりと横目で暁を睨みつける。
彼は確か、太助という聡依の兄のような男だった。

「声が聞こえたから、気になって……」

「お前には関係ない」

450: :2012/2/20(月) 00:01:52 ID:POlqxi9/V6

そのにべもない口調に、ムッと暁は口を尖らせる。
兎角、この家の住人は何かとつけて暁をのけ者にしたがるのだ。
それは当たり前といえばそうなのだが、太助のその扱いには思わず腹が立つ。

「関係ありますにゃ。あっしは、彼の妖ですから」

あんたとは違う。
そういう意味を込めて、暁は太助を睨みつけた。
太助はそれを馬鹿にしたように鼻で笑い、首を振る。

「余所者が何を言っているんだ。あれはどう考えてもふざけて言ったものだから、本気にするんじゃない。お前が聡の妖だなんて認めるわけがないだろ」

「でも、彼が言ったんです。他の誰にも言わなかったのに」

「だから、それは冗談だと……!」

太助が声を荒げたとき、襖が静かに開いた。
やや怯え気味の客人と、眠たそうに欠伸をする聡依。
彼はちらりと暁と太助を見ると、怪訝そうに眉をあげた。

「では、緑青さま。そのことをどうぞ、よろしくお願いします」

「はい、わかりました」


451: :2012/2/20(月) 00:06:47 ID:POlqxi9/V6


深々と頭を下げる客人に、聡依はあくまで義務的に返す。
興味がない、というよりも、眼中にないという顔だ。
それを暁はなんと無礼な、と眉を顰めて見ていた。

客人が屋敷を出ると、太助が憮然とした表情で聡依に詰め寄る。
彼はそれをも面倒くさそうな顔で、適当にあしらおうとしていた。

「聡、俺はあいつのことは認めんぞ。今すぐ追い出すべきだ」

「それはあなたが決めることじゃないですにゃっ!」

にらみ合う二人をよそに、聡依は詰まらなさそうにあくびを一つ。
袂から大福を取り出すと、それを口に運んだ。
流石にその様子に苛立ったのか、太助は聡依を強く睨む。

「どうなんだ、聡依っ」

暁も聡依をじっと見つめた。
しかし、その表情は一ミリも変化せず、のんびりとした動作で彼は首を横に振る。

「どうでもいい」
452: :2012/2/20(月) 00:13:00 ID:POlqxi9/V6

ふわりと彼はあくびをすると、再び客間の方へと歩いて行ってしまった。
ぴしゃっと音を立てて閉まる襖。
ため息を吐く太助。
それらを、暁は呆然と眺めていた。


どうでもいい? じゃあなんで、自分は今ここにいるんだ? 
どうでもいいって……、それはあんまりじゃないか。

「だそうだ。ほら、どこかに行け」

しっしっ、と片手で太助が暁をあしらう。
それを睨み、そして襖を睨みつけ、暁はおそらく客間でだらだらしているであろう聡依に向かって叫んだ。

「出ていきませんっ。約束を果たしてもらえるまでは、絶対に出ていきませんからっ!」

「なにを……、あっ、おいっ!」

なにやら言おうとした太助を無視し、暁は縁側から庭にと降り立つ。
そしてそのまま、どこかに走り去っていった。
それを呆然と見ていた太助は、ぽつりと呟く。

「絶対出てかないって言ったくせに、すぐに出て行ったな……」

それを聞いていたのだろう。
襖の向こうから聡依の楽しそうな笑い声聞こえてきた。



453: :2012/2/20(月) 00:15:00 ID:POlqxi9/V6

屋敷の門を出た暁は、一人、その場で落ち込んでいた。
出ていかない、と宣言したくせに、すぐに出てきてしまった。
しかも、帰りづらい。

「どうしよう……」

しょんぼりと耳を垂らす。
先ほどの怒りが萎えると同時に空しさがこみあげてきた。
それに知らない町に一人ぼっち、というのが加わり、暁はなんだか泣きたくなってきてしまう。

「帰りたいにゃあ……」

そんなことを呟いた時だった。
不意に視線を感じ、顔をあげる。
するとそこには、暁と同じくらいの大きさの猫の姿が。
野良猫だろうか、少しその毛が汚れている。

「迷子かにゃ?」

猫は暁を見ながら、首を傾げた。
違う、と答えようとすると、ひょこりと後ろからもう一匹。
こちらは飼い猫だろう。毛並みの美しい、三毛猫であった。

「迷子だにゃ。迷い猫が泣いているにゃ」

「なっ、泣いてなんかいませんよっ」

「迷子猫だにゃ。私らが、どうにかしてやろうか?」

「だから、迷子じゃないって言ってるじゃないですかっ!」


454: :2012/2/20(月) 00:16:26 ID:POlqxi9/V6

暁が目を吊り上げる。
猫たちは顔を見合わせ、何やら小声で話していたが、不意に暁を振り返ると頷いた。

「ついてこいにゃ」

「どうせ行くところないんだにゃ?」

どうせって……、と暁は渋い顔をしたが、結局それに頷いた。
どちみち、帰りたくもなければ、すんなり帰れる雰囲気でもない。
二匹の猫は踵を返し、楽しそうに歩いていく。
暁はそのあとを追った。


「あの屋敷はやめたほうがいいにゃ」

河原で行き交う人を眺めていると、唐突に野良猫が暁に言う。
なぜ? と首を傾げると、その問いに三毛猫の方が答えた。

「あそこの主人はバカだにゃ。あたしら猫に大福をやろうとする。喉に詰まったらどうするつもりなんだにゃ」

「だから、あそこでご飯を調達しようと考えるのはやめた方がいいにゃ」

どうやら彼らは暁を野良猫認定したらしい。
はぁ、と適当に頷くと、二人は力強くそれに頷いてくる。
彼らは暁にこの町でどう暮らして行けばいいかを教えてくれるつもりらしい。
あそこの魚屋は意地悪だとか、あちらの住職はいいやつだとか。

最後に名前が挙がったのは、暁も聞き覚えのある貸本屋だった。

「あのバカもやめた方がいいにゃ」

455: :2012/2/20(月) 00:28:01 ID:POlqxi9/V6

聡依と清次、バカ二人組とは。
なんだか逆に感激してしまいそうにもなる。

なんでですか? と暁がそのわけを問うと、二人はそろって嫌な顔をした。

「あのバカは最悪だにゃ」

「そうそう。意味が分からないにゃ。急に変な名前で私らを呼んでみたり」

「3年くらい前のかつお節が出てきたりもするにゃ」

行ってもいいことがない、と断言する猫たちに、暁は苦笑いを零す。
そのあとも二人はにゃあにゃあ言いながら、あれはダメだの、これはいいだのと言いあっていた。


「そういえば、お前はただの猫じゃないにゃ?」

「猫にしては話すのがうまいにゃ」

突然二人はそんなことを言い始めた。
気づくのが遅すぎるような気もするが、暁が子猫の姿なのもあり、仕方がないのかもしれない。
彼らは暁の耳やらしっぽやらを弄りながら、ふんふんと鼻を寄せて匂いをかんだ。

「くっくすぐったいにゃあっ」

「猫又かにゃ?」

「猫又だにゃ」

満足したらしい二匹はちょこんと暁の正面に座り、顔をじっと伺ってくる。
少し気まずい暁は、視線を避けようと目をうろうろとさせた。

456: :2012/2/20(月) 00:28:36 ID:POlqxi9/V6
今日はこの辺で終わりです。
中途半端ですみません……。
明日に続きますっ
ノシノシ
457: :2012/2/21(火) 00:10:44 ID:POlqxi9/V6
今日もぼちぼち投下していきますねー
リクエストの続きです
458: 譲*日常:2012/2/21(火) 00:13:17 ID:POlqxi9/V6

「どうやったら猫又になれるかにゃ?」

「適当に長く生きていればなれますよ」

「どうしたら長生きできるかにゃ? ずっとずっと一緒にいたいにゃ」

「私らも猫又になりたいにゃ」

そう言われても暁にはわからない。
自分はたまたま長生きできたから、猫又になれたのだ。
特別他に何もしたことなど無いのに。

「教えてあげたいけど、分からないんですにゃ……」

すると、猫たちはそろって頬を膨らませた。
どうやら暁がいじわるしていると思ったらしい。
暁に詰め寄り、その柔らかな手で彼の頭を殴るは殴る。
まさに猫パンチ炸裂である。

「けちっ!」

「けちけちけちっ! バカ猫っ」

「化け猫ですにゃっ!」


そんな風に3人で騒いでいると、不意に暁の頭と猫たちの拳の間に手が差し込まれた。
ぽかん、と一瞬固まる三人。
手の主は、そんな彼らを遠慮なく笑った。

459: :2012/2/21(火) 00:15:32 ID:POlqxi9/V6

「バカ猫だってさ」

明るく声をあげて笑うその人を見て、暁はアッと声をあげた。
そんな彼とは対照的に、猫たちは詰まらなさそうな顔で拳を下す。

「なんだ、妖屋敷のバカ家主じゃないかにゃ」

「何の用だにゃ。かつお節、くれるかにゃ?」

聡依は笑いながら、猫たちに手を開いて見せる。
何もない、と言いたいのだろう。
猫たちはそれを見ると、ガッカリとした様子で耳を垂らし、口々に文句を言った。

「バカ猫とバカ家主だにゃ」

「ケチ猫とケチ家主だにゃ」

それをも聡依は笑う。
暁はそんな彼をじっと見つめていた。

「さて、帰ろうか。まだ出ていく気はないんだろう?」

突然振り向き、聡依が暁にそう尋ねる。
暁は驚きながらも、慌てて首を縦に振った。
聡依はそれを確認すると、猫たちの頭をやや強引に撫で、立ち上がる。

「帰りに鰹節か煮干しを買わないとね。うちには生憎、そういうものを好むのがいないから」

歩き出した彼を慌てて追う。
ちらりと猫たちを振り返ると、彼らは仲良く互いの頭を見せ合っていた。
聡依に撫でられたのが、気に入らなかったのかもしれない。

 
460: :2012/2/21(火) 00:26:47 ID:POlqxi9/V6

暁は顔を上げ、前を歩く男を眺めた。
聡依はのんびりと上機嫌に鼻歌など歌っている。

それを見ているうちに、暁は先ほどのことを思い出していた。
どうでもいいと言われたこと。
冷たい態度。
今と違う彼のそれに戸惑いながら、暁は彼の背中に声をかけようと口を開く。

「どうでもいいって言ったじゃないですか。それならどうして構うんですか」

迎えになど着てくれるから、うっかり喜んでしまいそうになった。
そんなことをしたら、飼い主に顔向けができなくなってしまうというのに。
聡依は暁の言葉を少し笑い、それからちらりと振り返る。
その瞳は柔らかで、まだ笑みを湛えたままだった。

「そうそう、どうでもいいの。お前がどうしたいとか、太助がどうしろとか言うのなんて。私がやりたいことをやるから、関係ないんだよ」

461: :2012/2/21(火) 00:30:30 ID:POlqxi9/V6

なんだか豆餅が食べたくなってきた、などと彼は言い始める。
それは恐らく、先ほどの野良猫がぶち柄だったからだろう。
単純な男だ。

暁はその場に一度立ち止まった。
のんびりと歩いていく聡依の背中が、なぜだか長年一緒にいた飼い主のものと重なる。


『ずっとずっと一緒にいたいにゃ』 


何時か、そんなことを思う日が来るかもしれない。


暁が付いてこないのを不思議そうに、こちらを振り返る聡依。
きょとんとしている彼を見て、暁ははそんなことが頭をよぎった。
慌てて首を振り、そんなことがあって堪るか、とそれを打ち消す。

暁は自分を待つ聡依のもとに駆け寄った。
走ってきた彼をにっこりと笑みで迎え、聡依は再び歩き出す。
その隣の歩く暁の足取りは、彼自身でも気づかないうちに自然と軽いものになっていたのだった。

462: :2012/2/21(火) 00:33:13 ID:POlqxi9/V6
確実に分け方を間違いましたが……orz
自分でもびっくりしましたけどねww
彼らの出会いを絡めて、と思ったのですが、まったく絡まってないですね。申し訳ないです。
こんなんでもいいよと言ってくれるとありがたいです。
>>151さん、リクエストしていただき、本当にありがとうございましたっ!
明日、一つ番外を投下して、第三話に入るつもりです。一応。
気が向いたら番外をもう一個くらい書くかもです
ではではノシノシ
463: :2012/2/22(水) 00:43:30 ID:POlqxi9/V6
今日もとんとんと投下していきますねー

464: 譲*日常:2012/2/22(水) 00:45:17 ID:POlqxi9/V6

昼間の屋敷と、夜の屋敷はまた違った表情を見せる。

皆が寝静まった夜、なぜか眠れずにいた太助は、一人、縁側にと出てきていた。

丸く白い月が浮かんでいる。
まるで漆の器のようだ。

そんな柄にもないことを考えていると、ふと目に映ったのは、女物の着物。
それが誘うようにふわりと揺れた。
あぁ、と思わず声を漏らす。

「これは……」

近寄り、それを手に取った。
昼間、聡依がお夏に着せられていたものだ。
片づけもせず、放置されていたらしい。
あの時は気付かなかったが、それは紛れもなく太助の思い出深いものだった。

「気づけなかっただなんて」

小さく、自分を嗤う。
ひどいものだ、と風化した自分の記憶を叱責した。
そっと抱きしめ、優しく頬を寄せる。
不思議と懐かしい香りがするような気がした。

 
465: :2012/2/22(水) 00:47:34 ID:POlqxi9/V6

昔はよくこうしたものだ。
本人のいないところで、よくもまぁ。

女々しい男だと思う。
何年も何年も、こうして思い出にすがって時を無駄にしていたら、いつの間にかここから離れなくなってしまっていた。
あの時はただただ執着だけで生きていたのだと思う。

空しい思い出だ。
だけれど、それを笑って捨てることだけはできない。


「もうそんなに経つのか」

静かに、呟く。
あっという間に思い出は上塗りされて行ってしまった。
彼女と出会い、自分が先に逝き、そして彼女もいなくなってしまった。
それから聡依がやって来て……。
本当に、あっという間だな、と小さく呟く。


466: :2012/2/22(水) 00:49:17 ID:POlqxi9/V6

太助は着物をおろし、代わりに三味線を取り上げた。
静かにその場に腰をおろし、バチを手にする。
何を弾こうか、と少し迷うてみた。
丸く大きな月を見上げながら、古臭くなった思い出を傍らに。
そうだ、こんな時はあの曲が似合う。


弦を弾き、音を鳴らす。

それを積み重ねて作る歌は、どこか寂しさを纏ったもの。
これはそう、彼が彼女に会った最初の日に弾いた曲。
彼女が初めて彼の三味線を聞いた、その時の曲。 



467: :2012/2/22(水) 00:50:29 ID:POlqxi9/V6


もうきっと、二度と会えない。
それでもいいかと思うのは、きっと相手が相手だから。
過ごした日々が、幸せすぎたから。


「君はもう、どこかにいるのか」


小さく呟いて、少し笑った。
彼女がこの世界のどこかにいたとしても、それを自分が知りえるすべはないのだから。
そして彼女は自分のことなどもうすっかり、忘れてしまっているのだから。
 
468: :2012/2/22(水) 00:52:08 ID:POlqxi9/V6


夜は更けていく。
月は煌々と輝き、周りの星々を隠してしまった。

まだ、眠れそうにはない。
のんびりと思うままにバチを動かしながら、夜の静けさを味わう。


夜が明ければまた、何気ない毎日が始まる。
そうすれば、彼女と過ごしたこれまた何もない日常が塗り重ねられていく。

それでもたまに、埃をかぶった思い出を掘り返してもいいだろうか。
この屋敷と思い出に、しっかりと張ってしまった根を断ち切ることが出来る日が来るまで、何度でも。

469: :2012/2/22(水) 00:58:15 ID:POlqxi9/V6
注意し忘れましたが、若干シリアスです。
なんだかシリアスが多くて申し訳ないです……(根暗なのでシリアスが好きなのですよ)。

明日から一応第三話の予定です(急に日常追加するかも。その可能性が大ですが)。
まぁ、なんにせよ今週中には三話に入るので、気長にお待ちください

ノシノシ
470: :2012/2/23(木) 00:57:29 ID:POlqxi9/V6
予定通り?番外編を投下していきますねー
これでラスト!
ややシリアス注意です
471: 譲*日常:2012/2/23(木) 00:58:54 ID:POlqxi9/V6


決して穏やかとは言えないある日の午後。
広い屋敷の中で彼は一人、将棋盤に向かっていた。
周りに置かれる家具はどれも立派な物ばかり。
もちろん、彼の身に着ける衣服も上等な品だった。

しかし、当の本人はそれをあまり気にしない性質らしい。
先ほどから将棋の駒についた汚れを、せっせと自身の袖で拭っていた。
何やらべたべたしたものが付いているようなのだが、それでいいのだろうか。

「よしっ、これでいいだろう」

満足したらしい彼は、箱に最後の一つを入れる。
そして腕を組み、自身の行動を称えるかのように一つ頷いた。

と、その時だった。
すぱんっと気味の良い音を立て、正面の襖が開く。
彼がそちらを見ると、肩で息をしている若い女がそこに立っていた。

「あぁ、ろくろ首か」

頬を緩めた男を、顔をあげた彼女は鋭い瞳で睨みつけた。
その威力に怯えたのだろうか、男の肩が大きく一度、跳ね上がる。

「10代目……、何をしてらっしゃるんですか?」

472: :2012/2/23(木) 00:59:47 ID:POlqxi9/V6

「何をって、いや、ほら、将棋の駒がね? うん、汚れているのは良くないと思って」

しどろもどろに答える彼を、彼女はますます睨みつける。
その眼光の威力はまさに、鬼のごとく。
あぁ、妖が変わっちゃってるよ、と男は笑うやら怯えるやら。

「つかぬ事を訊きますが、10代目は死にたいのですか?」

「えっ! なっ、何を突然……。そんなわけないでしょうが、ね? うん、ね?」

動揺する彼に、彼女は深いため息を吐いた。
そしてそのまま、片手で額を押さえる。
もう呆れるやら何やら、どうしようもないといった様子だ。
男はそれを見て、どうしようかとやや困り顔。
ここで呑気に笑うほどバカではないようだ。

「10代目。1年前、山名殿が兵をあげました。そしてそこから乱がずっと続いています。京でのあなた様の役目は本当に多いと思います。しかし、私からすればあなたの命の方が大事っ! この前、京を離れることに納得してくれたではないですかっ! どうしてそんな、呑気にっ! 将棋の駒などっ!」

473: :2012/2/23(木) 01:01:13 ID:POlqxi9/V6

力任せに女が障子を叩いた。
バンっと大きな音がし、同時に障子が外れてしまう。

その様子を困った顔で見ていた男が、静かにため息を漏らした。
彼女は障子を押さえながら、不安げにそちらに目をやる。

「ろくろ首。お前の気持ちはよくわかったよ。だけどね、こんな時だからこそ、僕が慌てちゃいけないと思うんだ。ここはこう、どっしりとね? いつも通り、呑気に生きていれば何とかなるんじゃないかと……」

「なるわけないでしょうがっ!!」

「あっ、だよねぇー」

あははは、と呑気に笑った男にとうとう女は呆れつくしたらしい。
ため息を吐くと、そのままずるずると床に座り込んでしまった。
障子もそれと同時に、力なく倒れてしまった。
男はそれをおやおや、と心配そうに眺める。

474: :2012/2/23(木) 01:02:35 ID:POlqxi9/V6

「大丈夫かい?」

「まったく、誰の所為で……」

ぶつぶつと吐かれた文句は、男の心には届かなかったようだ。
彼はまた呑気に、将棋の駒を取り出し、それを弄り始める。
彼女はそれを視線で殺さんとばかりにじっとりと睨むが、彼はまた気の抜けるような笑みを返した。


籠は嫌だ、とわがままを言う男に合わせて、女は歩いて京を離れることになった。
荷物や女中などは馬と籠を使い、先に京から出してしまったため、歩いているのは女と男の二人だけだった。
この戦火の中、どれほど危険なのかわかっていないらしい。
男はちょこちょこと寄り道を繰り返しては、女にきつく怒られていた。

「まったく。だから籠を使えと言ったのです。せめて馬を」

「だって籠は詰まらないし。馬は乗れないからさぁ」

「どうしようもない人ですねっ」

女の機嫌は常に斜めだった。
それに男も疲れてきたのか、あまり反論もせずに適当な笑みを返す。
それでも二人旅はなぜだか楽しそうで、それ以上ぎすぎすすることもなく、二人で空を眺めながら呑気に歩いていた。

 
475: :2012/2/23(木) 01:04:09 ID:POlqxi9/V6

男が横道に逸れたのは、それはそれは突然のことだった。
そろそろ休憩を、と女が声をかけようとすると、隣に男の姿が見えない。
驚き以上に焦りながら辺りを見回し、男の姿を探すと、彼は河原に座り、何かをしていた。
彼女は彼が退治している物を見て、目を細める。


「ここは君のいるところじゃないよ。君はもう亡くなったのです」

しゃがみこみ、彼が柔らかな口調でそう語りかけている。
きょとん、とした顔のそれは、男をじっと見つめ返していた。
まったく、言っていることがわからないようだ。

「まだ、なにもわかっていないのかな? 大丈夫。思い出さなくてもいいよ。理解できなくてもいいよ。怖いことはもう何もないから。大丈夫」

彼はそう優しく言うと、それをそっと抱きしめた。
彼女は堪らず目をそらす。

一体、何があったというのだろうか。
痩せこけた頬、額から流れる血。

折れそうなほど枯れてしまった腕が、彼の体をどう受け止めようかと迷い、宙に浮いた。

「ねぇ、僕を許しておくれよ。こうして君に何も教えず、ただこの世から去らせようとする僕を」

そう言うと、彼はそっとそれの体を放した。
情けない泣き笑いを浮かべ、その手でそれの体を切ってしまう。

あぁ、そんなにも脆いのか。
彼女は低く、呟いてしまった。


それは彼に切られるとともに、靄のように霞んで消えてしまった。
最後まで悲しそうな表情はうかがえなかった。
どこまでも不思議そうに、全く状況を理解しないまま。
ただ少しだけ、残念そうな顔で。

476: :2012/2/23(木) 01:05:22 ID:POlqxi9/V6

「ねぇ」

彼は小さく、彼女に声をかけた。
はい、とただ従順に返事をする。
彼はその泣き笑いの顔のまま、こちらを振り返って言った。

「行こうか」

彼女はただ黙って、静かに頷く。
かける言葉など、見当たらなかった。
かけていい言葉など、彼女は持っていなかった。


歩き出した彼の数歩後ろを歩く。
少しだけ、自信のなさげに丸まった背中が彼らしいと思った。
いつもなら、その背を叩いて、胸を張れと言うのだが。

「僕は思うんだ。どうして彼は死ななければいけなかったのか。どうして僕は生きていられるんだろうって」

「直温(なおはる)さま」

「彼と僕に、何か違いがあるのだろうか。何もないと思うんだ。ただ、ちょっと生まれが違うだけじゃないか」

その言葉に、彼女は唇を噛んだ。言ってはいけない。
だけれど、どうしても彼の考えが許せなかった。

だって、彼だって別に幸せだったわけではないのだ。
確かに生活の保障はあった。明日も明後日も、おそらく彼が飢えることなどありえない。
だけれど、その生活を支えているのは彼自身なのだ。
どうして、自分の辛いことは知らんふりをするのだ。

だけどそれを口に出すことはできない。
それは彼の生まれが決して幸せなものではないと、言ってしまうようなものなのだから。


477: :2012/2/23(木) 01:06:07 ID:POlqxi9/V6

「でもね、だからといって変わってやることもできないんだ。だからといって、そういう人たちを僕が救うなんてできないんだ。ただ、どうしてだろうって悩んで少し落ち込んで」

ねぇ、と声がかかる。
いつの間にか俯いていたらしい。
声に釣られるようにして顔を上げると、こちらを振り向く彼と目があった。
彼はまた、やんわりと笑みを浮かべる。

「僕はずるいね」

彼女は一瞬目を見開き、そしてそのまま彼を睨みつけた。
睨みつけたはずなのに、なぜだか視界が歪んで行く。

あれ、泣いている。
それに気づいたとき、彼女は彼に抱きしめられていた。

「泣いちゃだめだよ。泣いたらせっかく綺麗な顔が台無しになっちゃうでしょ。それにね、泣いたってどうにもならないんだから。それなら笑いましょ? とりあえず笑っておけば、なんだか楽しくなれるでしょ?」

478: :2012/2/23(木) 01:07:45 ID:POlqxi9/V6

彼はそっと彼女の顔を覗き込んだ。
にっこりと笑った顔。
だけれどその眉は、どうしても悲しげに歪んでいる。

彼女は涙を拭い、小さく頷いた。

「それにしてもお前は本当にいい顔をしているね。これぞ、妖っていう感じがするよ」

そんな言葉が耳に入った途端、ほぼ反射的に彼女は彼の頬を引っ叩いていた。
あいたっ、と小さな悲鳴が上がる。

涙が急に引っ込み、怒りがめらめらと立ち込めるのを感じた。
頬を押さえ、やや悲壮な面持ちでこちらを見る彼を鋭く睨みつける。


「女子に何を言うんですかっ!」

「あれっ、お前って女だった?」

怒りに震える拳で、ろくろ首が彼の頬を殴りつけたのは言うまでもないことだろう。
しかしそれでも、なんだかんだ直温が笑っていたのは、その言葉が彼女を元気づけるためだったから……。
まぁ、そんな細やかな配慮ができる男ではないだろうが。


479: :2012/2/23(木) 01:11:13 ID:POlqxi9/V6
番外編ラストはろくろ首と10代目、直温の話でした。
書いてて思ったのですが、なんだか直温さんは私とウマが合うようで……。だから直温なんて名前を付けたのですが。
まぁ、それはいいとして。
山名と京での乱ということで、時代はどのへんかわかったでしょうか?

一応応仁の乱(応が二度続いてしまったorz)の設定です。
なんだか第二話に引きずられているのか、シリアスが続いていますが、あまり気にしないでくださいねー。

では、明日から本当に第三話に入っていきます。
ノシノシ

480: 名無しさん@読者の声:2012/2/23(木) 23:22:34 ID:POlqxi9/V6
ごめんなさい
今日は投下できません。明日もわかりません
来週は来るはず
ノシノシ
481: 名無しさん@読者の声:2012/2/25(土) 10:21:37 ID:pv1VYkYqDg
楽しみに待ってます
(*´ω`)っC
482: :2012/2/27(月) 18:10:41 ID:POlqxi9/V6
>>480の名無しさんって……orzすみません

>>481
支援ありがとうございます!

投下の前に一つ訂正。>>475は退治ではなく対峙です。退治なんだけどね、うん……。
では、三話投下していきますねー
483: :2012/2/27(月) 18:13:18 ID:POlqxi9/V6



 人というのは不思議なもので、悩むということを止めない。1つ解決したと思えば、また1つ悩みを作り、それも解決したと思えば、また違う何かで悩み始める。悩むことが好きなのではないか、と思ってしまうほどだ。


 そんな悩めるものがここにも1人。彼女は寂れた寺の石段で、憂鬱そうな顔で重たいため息を吐いていた。


 彼女の名前はおまき。この町で左官をやっている克二という男の一人娘だ。この間、克二の弟子であった直介と祝言を挙げたばかりである。幸せ一杯のはずのこの若妻を、一体何が憂鬱にさせているというのか。


 おまきがもう何度目かのため息を吐いたとき、一人の男がそこで足を止めた。笠を深くかぶり、黒い着物を身に纏っている。随分と妙な格好だが、憂鬱なおまきの目には止まらなかった。声をかけたのは男の方である。

「もし、そこのお嬢さん」

484: :2012/2/27(月) 18:14:25 ID:POlqxi9/V6
 
 顔をあげると、男がこちらをじっと見つめていた。表情はわからない。口元にこそ緩やかな笑みを浮かべているが、その目はぐるりと白い包帯で覆われていた。その格好に、おまきは思わず身を引いてしまう。

「驚かせてしまってすまない。道を聞きたいのだが」

「は、はぁ……」

その位ならいいか、と警戒を緩めた。男はその笑みを絶やさぬまま、おまきに一歩、近づく。

「この辺に緑青と呼ばれている男の家はあるかね?」

「緑青……」

聞き覚えがあった。同時に少し嫌な気持ちにもなる。この男もあの噂の人と同じ類なのだろうか。仲間だと言われても頷ける格好を、男はしていた。

485: :2012/2/27(月) 18:22:38 ID:POlqxi9/V6

 そんなおまきの反応を、男はやや声を漏らして笑った。それは果たしてどういう意味なのだろう。緑青のお人を笑ったのか、それとも露骨な反応をした私を嗤ったのか。やや嫌な気持ちのもなったが、答えないのも悪い。おまきは無言でその問いに頷いた。男はそれを見て、満足そうな笑みを浮かべる。

「ありがとう、助かった」

男はおまきに丁寧に頭を下げると、再び歩き出した。ざっ、ざっ、と草履の音が遠ざかって行くのをぼんやりと聞いていくうちに、おまきはまた自身の悩みの淵にはまっていく。ぼうっと宙を見上げていたおまきにはわからなかった。あの足音が戻ってきていたことに。

「お嬢さん」

「ひっ」

 再び声をかけられ、おまきは小さく悲鳴を上げた。そちらを見ると、先ほどの男がこちらをじっと見ている。彼女は跳ねるように動く心臓を掌で押さえ、軽く息を吐いて自分を落ち着かせた。男はそれをもじっと見つめる。

「あの……、なんでしょう?」

男は頬を緩やかに上げる。その心底楽しげな笑みに、おまきは背筋が凍るようだった。

「何か悩み事でも? この私ならば、お役に立ちましょうぞ」

486: :2012/2/27(月) 18:25:10 ID:POlqxi9/V6

「いっ、いえ……、結構です」

首を振り、必死で否定したのだが、男にその気持ちは通じなかったらしい。じりっと音を立てて、男がにじり寄ってくる。男がこちらに近づくたびに、おまきはその舐めるような視線に囚われるように感じた。

 気持ちが悪い。おまきがそう、心の中で呟くと同時に、男がにやりと笑う。いつの間にか、男は鼻が触れ合いそうになるほど近くにいた。

「人の心が知りたいのですな?」

その言葉に、おまきの心が跳ね上がった。なぜ? 疑問符で頭の中がいっぱいになる。男はますます楽しそうに喉を鳴らし、彼女の瞳をそっと覗きこんだ。

 そうだ、私は心が知りたい。見えないあの人の心が……、知りたい。

 男はそれに答えるように笑みを浮かべた。瞳を覆う包帯は男の感情を隠す。おまきがどれほど見つめても、彼の表情は見えなかった。


487: :2012/2/27(月) 18:30:34 ID:POlqxi9/V6

 町外れの山の近く。あまり人の通りが少なく、すっかり寂しい景色を見せているそこには、古い屋敷が一つ。妖が住んでいるだの、妖のような男が住んでいるだの、変人が住んでいるだの。さまざまな噂が飛び交うそこには、男が一人、住んでいる。

 意外にも不気味な噂とは違い、今日もその屋敷は妙ににぎやかであった。


「次の一手が見えない……」

 渋い顔で将棋盤を睨むのはこの屋敷の主、聡依である。その向かい側に座り、すっとぼけた顔しているのはここからやや遠くで貸本屋を営んでいる、清次という男である。そして彼らの隣にはいつものように子猫が。

「ふふっ、今回は俺の勝ちのようだな」

「そんな馬鹿なことがあるわけないでしょ。私が清次さんに負けるなんて!」

488: :2012/2/27(月) 18:34:02 ID:POlqxi9/V6

随分とひどいことを言う男である。自分の勝ちを確信したのか、清次はそんな言葉も気に留めず、ふふんっと得意げな顔で聡依を見ている。もしかすると、もともとそんなことを気にするほど神経が細かくないのかもしれない。

「ほらほら、参ったって言えよ。もうこれはどうにもできないぞ?」

焦る聡依を清次が煽る。追い詰められた聡依は何を思ったのか、将棋盤に手をかけると、あっという間にひっくり返した。どこかで見たことのある光景である。

「なっ!?」

驚く清次。不意に降ってきた将棋の駒に驚き、猫は声を上げて飛び上る。一番の被害者はこの猫かもしれない。

 聡依は惚けた顔で頬を掻くと、清次に一言、こう告げた。

「ごめん、手が滑った」

何事にも動じないと有名な清次が、流石に声を上げたのは言うまでもないだろう。

489: :2012/2/27(月) 18:37:50 ID:POlqxi9/V6

「あれは聡依殿が悪いです」

 聡依がせっせと駒を拾うのを手伝いながら、猫がため息交じりにそう告げる。この猫、子猫の姿をしているが実は猫又なのだ。この猫又の名を、暁という。彼のお小言を聡依は気にする様子もない。むしろなぜか少し楽しそうに、駒を拾い続けた。

「聞いているんですか? ちゃんと清次殿に謝らないといけませんよ」

「うんうん、わかったって。それよりネコ」

「はい?」

駒を拾う手を止め、聡依が暁を見つめた。暁はきょとんとその顔を見つめ返す。聡依の顔は生き生きとしていた。喧嘩をしたというのに、妙な男だ。暁が不審そうに眉を顰める。

「初めてケンカしたっ!」

「えっ?」

聡依はいつになくうれしそうな顔でそう言った。思わずあんぐりと口を開け、その顔をじっと見つめる。まったく意味が分からない。

490: :2012/2/27(月) 18:42:08 ID:POlqxi9/V6

「そっ、聡依殿は、その……、初めてケンカをしたと?」

「そう言っているじゃないか、バカだねぇ」

今のあんただけには言われたくない、と暁は頬を引きつらせる。まったく、バカはどっちなのだか。

 暁はため息を一つ吐くと、聡依ににじり寄る。ケンカを遊びの一環とでも思っているだろう。浮ついた表情の聡依は不思議そうに首を傾げた。

「聡依殿。ケンカっていうのはしてそんなに喜ばしいものじゃないんですよ? 早く終わらせた方がいいですって」

「どうして? 楽しいじゃないか」

聡依に悪気は全くなかったらしい。本気で怒っていた清次の顔を思い出し、暁は深くため息を吐いた。暁が悪いわけでもないのだが、非常に清次に申し訳がない。

「楽しくないんですってば。このままだと、もう清次殿と話すこともできなくなるかもしれませんよ?」

491: :2012/2/27(月) 18:45:45 ID:POlqxi9/V6
中途半端ですが、今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
492: :2012/2/28(火) 22:36:55 ID:POlqxi9/V6
今日もとんとんと投下していきますねー
493: :2012/2/28(火) 22:40:07 ID:POlqxi9/V6


「話すこともできなくなる……?」

ふむ、とようやく真面目な顔で聡依が考え始めた。一安心、と思い、胸をなでおろす暁。しかし聡依はそんなに素直でも賢くもないのである。

「いやでも、ケンカってもうできないかもしれないし。もうちょっと頑張るよ」

「なっにっをっ! 頑張るっていうんですかぁあ、もう……」

頭が痛い、と暁は額を押さえる。聡依は不思議そうな顔でそれを見ていたが、また駒を拾い始めた。

暁はだんだんイライラしてきたらしい。やや強引に聡依の体を押す。駒を拾う聡依は迷惑そうな顔で、その手を払った。

「何するのさ」

「駒なんか拾ってないで、さっさと謝りに行くんですよっ!」

「なんで?」

「なんでじゃないんですっ、何でもいいから謝りに行くんですって!」

とかなんとか。二人でがやがやと揉めていると、何やら表の方が騒がしい。
顔を見合わせた二人に聞こえてきたのは、先ほどまでこの家にいた男の声だった。

「聡依っ! ちょっと来てくれっ!」

もう仲直り? とやや不満げな顔をする聡依。その隣でわけがわからないと呆気にとられている暁。
しかし彼はまだ知らなかったのである。清次の元へ行くと、更に首を傾げるような事態が待っているという事を。


494: :2012/2/28(火) 22:41:38 ID:POlqxi9/V6


 清次は門のところで途方に暮れていた。彼の視線の先では、誰か見知らぬ人が倒れている。
その二つの姿を見比べ、聡依はわけが分からないという顔をし、清次を見つめた。

「清次さん、まさか、何かしたの……?」

その呟きを拾った清次が、聡依を鋭く睨みつけた。そして唸るような声で即座に否定する。
聡依はちょっと困ったような顔でそれに頷き、そして倒れている男の方に目をやった。

割と体つきはいい方だろう。薄汚れた着物が気になるが、ここで倒れるような見た目ではない。

「清次さん、まさか……」

「聡依、いい加減にしないと怒るぞ」

低い声でそう言われ、彼も思わず肩をすくめる。しかし、清次は聡依を呼んでいったいどうするつもりだったのだろう。
こんな体つきのいい大の男を、痩身で体力のなさに自信のある聡依を呼んだところで、運ぶことすらできないだろう。それに気が付いたのか、二人は顔を見合わせた。

「どうしようか」

「どうしような」

聡依は清次を眺める。
彼は聡依と比べればかなりましな方だ。背も高く、体つきも標準的なものだろう。しかし普段あまり動く仕事をしていないせいなのか、これまた力がない。
495: :2012/2/28(火) 22:42:53 ID:POlqxi9/V6


弱った顔の清次に、少し呆れた顔の聡依。彼の顔からは、もう放っておこうという投げやりな気持ちすらもうかがえる。

「このままにしておくわけにはいかない。とりあえず、お前の屋敷に運びたいんだが……、無理だよな?」

「無理、絶対に無理っ!」

即答した聡依に、だよなぁ、とため息を吐く清次。まったくとんだ貧弱二人組である。
しかし、このまま男を放っておくわけにもいかない。清次は男と屋敷までの入り口を確認すると、何かを決断したように一つ頷いた。

「よし、運ぶぞ」

「え? だから、無理だって」

「確かに一人じゃ無理だ。二人で少しずつ、引きずりつつならいけるかもしれない」

その言葉に聡依はちらりと屋敷の方を見た。そして男の方に目を戻す。うーん、と唸りながらしばらく聡依は考えた。
しかし彼も、このままにするよりはいいと思ったらしい。しかたない、という顔で清次に向かって頷いて見せた。

496: :2012/2/28(火) 22:44:22 ID:POlqxi9/V6

「よし、じゃあ俺が足でお前が頭な」

「わかった」

聡依が頭の方に回り、清次が両足を持つ。
よいしょっと二人で持ち上げた瞬間、聡依が男の頭を落とした。予想以上の重さだったらしい。
ごんっと鈍い音を立てる男の頭。二人は無言で顔を見合わせる。

「おい、……おい」

「悪気はなかったんだよ」

そういう問題ではない。
しかしそれがよかった(?)のか、男が何か唸るように声を漏らした。二人はハッと男の顔を見つめる。

「うっ……、ここは……?」

清次も足をおろし、頭の方に近寄った。聡依はその場にしゃがみ、男の顔を覗き込む。

「大丈夫ですか?」


497: :2012/2/28(火) 22:45:45 ID:POlqxi9/V6

「あっ、はい。なんとか……。俺はどうしたんですか?」

不思議そうに聡依と清次を交互に見つめる男に、清次が頷く。大丈夫だ、という意味合いらしい。

「ここで倒れていたんですよ」

「それを俺が見つけて」

と二人で説明をすると、男はあぁ、と呟く。それから小さな声でどうもすみませんと二人に謝った。

「見たところケガはないようですが……、大丈夫ですか?」

聡依の言葉に男は自分の体をきょろきょろと確認し始めた。どうやら痛いところもなく、具合が悪いわけでもないらしい。
しかし彼が起き上がろうと頭を起こした時、あっと小さく悲鳴を上げた。

「なぜだか、頭がとても……」

顔を歪め、男はこの辺が、と頭を押さえる。聡依はそれを優しく撫で、ふむ、とかしこまった顔で言った。

498: :2012/2/28(火) 22:46:57 ID:POlqxi9/V6

「コブができてますね。恐らく、倒れたときにぶつけたんでしょう」

よくもまぁ、いけしゃあしゃあと言うものだ。お前の所為だろうが、と清次は聡依を横目でにらむ。
しかし男はすっかり聡依の言葉を信じているようで、はぁ、と間の抜けた返事をした。

「しかし、どうしてこんなところに? 何かあったんですか?」

聡依の言葉に男が何かを思い出したのか、ハッと体を起こし、聡依に掴みかかった。その様子に呆気にとられ、ぽかんと口を開ける聡依と清次。

「えっと、私に何か?」

「妻をっ、妻を助けてくださいっ!!」

「えっ? つっツマ?」

状況がよく理解できない聡依は、思わず聞き返す。は? という顔で、清次も男を食い入るように見つめていた。
男は一つ、ため息を吐くと物憂げに目を伏せる。

「妻がおかしいんです。突然、布団をかぶって部屋から出てこなくなってしまって……」

聡依と清次は思わず顔を見合わせた。それってうちに相談すること? と、聡依の寄せた眉が語っている。清次はそれに首を傾げて答えた。

「一体どうしたんでしょう。緑青さま、わかりませんか?」

499: :2012/2/28(火) 22:47:50 ID:POlqxi9/V6

重ねて問うた男に、聡依はできるだけ好意的な笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振る。

「私が思うに、嫌われたんでしょう。奥さんに」

「えっ?」

「離縁ですね、離縁」

「えぇっ!?」

「離縁しか道はありませんよ」

あまりに離縁を迫る聡依に、流石に呆れたのだろう。清次がその頭を軽く叩く。叩かれた聡依は不満げな顔で清次を睨んだが、彼はそれよりも呆けた顔で宙を見上げている男の方を見た。

「お兄さん、こいつの言う離縁はちょっと言い過ぎですけどね。でも、俺も奥さんが怒っているんじゃないかと思いますよ? 何かしたんじゃないですか?」

「まっ、まさかっ! …………、したんでしょうか?」

項垂れる男に、聡依がぽんっと肩に手を置く。そんな彼の頭を清次は再び叩いた。

500: 譲(500!):2012/2/28(火) 22:49:35 ID:POlqxi9/V6

「どうすればいいんでしょう……」

生気まで抜けていきそうな深いため息を吐いた男。そんな時、彼の腹の虫がぎゅるるるっと鳴いた。思わず顔を見合わせる聡依と清次。
こんな時に? と呆れる反面、笑い出しそうになるのを堪える。どこまでも深刻そうな彼の顔と、呑気なその腹の音はどう考えても合っていなかった。
男はあっ、と声を上げ、恥ずかしそうに俯く。

「実は……、ここ数日何も食べてなくて」

それで倒れたのか、と二人は納得した。男は小さな声ですみません、と恥ずかしそうに謝る。
そんな姿に何を思ったのか、聡依はにやりと笑うと、黙って立ち上がった。その姿を目で追う清次。

「まぁまぁ、とりあえず話だけでも聴きましょう。少し興味もわいてきましたし。お茶くらいしか出せませんが、何もないよりはいいでしょう」

彼は門に手をかけ、実に愉快げな笑みを浮かべたままそう言った。男はパアッと顔を輝かせ、それに大きく頷く。
そんな姿を見ていた清次は、何を企んでいるのだろうと不安になりながらも、男が立ち上がるのを手伝わずにはいられなかったのだった。

501: :2012/2/28(火) 22:50:14 ID:POlqxi9/V6
キリがいいのでこの辺で終わりです
ではでは
ノシノシ
502: 名無しさん@読者の声:2012/2/29(水) 21:07:21 ID:kU0.TrIKHA
500おめ

503: :2012/2/29(水) 23:38:54 ID:POlqxi9/V6
今日もとんとうと投下していきますねー
>>502
ありがとうございます(*´ω`*)
504: :2012/2/29(水) 23:40:56 ID:POlqxi9/V6

 客間に男を通し、いつものように大福とお茶を用意する。もちろん、用意しているのはずぼらな家主、聡依ではなく、この家で一切の家事をこなしているお夏という妖である。

 大福を平らげた男は、直介と名乗った。この町で左官をやっているという。
この前の秋に親方である克二の娘のおまきと祝言を挙げたばかりなのだそうだ。その娘、つまり彼の妻の様子がおかしい。

「最近、なんだか随分と憂うつそうだったんです。だから俺はてっきり嫌われたんだと思っていて……」

随分と自信のない男だ。直介は清次と聡依の前で、しゅんと項垂れた。暁はそれを興味深げに眺めている。

「俺とおまきは親方の一言で祝言が決まったんです。だから、本当は俺となんか一緒になりたくなかったんじゃないかと思って。それでどうしようかと思っていたんです」

妙な男である。もしおまきが離縁したいと言えば、離縁すると言いだしそうな口ぶりだ。彼の言葉に暁は首をひねった。

505: :2012/2/29(水) 23:42:25 ID:POlqxi9/V6

「聞けばよかったじゃないですか。俺と一緒になるのは嫌だった? って」

これだから常識のない男は嫌なのだ。聡依は大福を頬張りながら、そんなことを平気な顔で言う。
それに慌てたのは、もちろん清次と暁の二人だった。彼らはそろって聡依の頭を叩いたり、足を抓ったりして彼の言動を戒める。

「そっそ、そんなこと訊けるわけがないじゃないですかっ!!」

勿論直介はそう怒鳴って反論した。当然の反応だと、聡依の両隣がそろって頷く。
当の聡依は、なぜ自分が叩かれたり抓られたりしたのか分からず、若干不機嫌な顔をしていた。

「それで、どうしたんだ?」

清次が続きを促すと、直介はまたしゅんっと項垂れ、ぽつぽつと話し始めた。



506: :2012/2/29(水) 23:43:43 ID:POlqxi9/V6

 そんな日々が続いたある日、おまきは真っ青な顔で家に帰ってきた。
どうした? と流石に声をかけた直介のことも見ず、まっすぐに布団に飛び込むと、でてこなくなってしまった。

「布団を頭からかぶり、がたがた震えたまま出てこなくなってしまったんです。うわ言の様に、怖い、目がとか呟いていて」

「目?」

清次が怪訝そうに聞き返す。直介もその意味は分からないようだ。彼も首をひねりながら頷く。

「よくわからないんですけれど、そんなことを言っていました。目が痛いというわけではないようなのですが……」

ふむ、と考え込む清次。随分親身になって聞いてやるのは、彼の性格がもともとお人よしだからだろう。
その隣のろくでなしは、呑気な顔であまり興味のなさそうに大福を頬張っていた。暁はそんな様子に思わずため息を吐く。

「でもまぁ、そんな様子ってことは普通にケンカしたわけではないみたいですね。よかったじゃないですか、嫌われたわけじゃなくて」

「でっでっでっでしょっ?」

507: :2012/2/29(水) 23:44:52 ID:POlqxi9/V6

何を動揺しているのだろう。意気込んでそう言った直介に、思わず聡依が吹き出す。
違うと言いながらも、やはり不安だったようだ。直介はようやく安心したように息を吐いた。
暁はそれを見て、またも首を傾げる。おまきのことを大切に思っているのか、そうでないのか。それが今一つ、分からない。

「じゃあ、なんだって言うんだよ。お前にはおまきさんが布団の中に引きこもっている理由がわかるっていうのか?」

そう訊いた清次に、聡依は短絡的だなぁ、と呟く。彼はそんなわけがないでしょう、と否定をすると、二人を見回し、口を開いた。

「いいですか? おまきさんがもし直介さんに腹を立ててお布団の中にこもっているとしたら、なんで震えているんです? 難で目がとか怖いなんて言うんです?」

さぁ? と肩をすくめる清次と直介。清次がわからないというのはまだわかるが、なぜ直介が同じ表情をするのだろう。
聡依は直介を横目で見ると、その様子の間抜けぶりに白目をむいた。彼も実は間抜けの仲間なのかもしれない。

508: :2012/2/29(水) 23:46:03 ID:POlqxi9/V6

「あの、だからですね? おまきさんは引きこもりたくて引きこもったわけじゃないんですよ。引きこもらなければならない理由があるんです。たぶん」

「引きこもらなければならない理由?」

清次が繰り返す。そんな理由など、普通は滅多にない。
聡依はやや宙を見上げ、どう言ったらいいものかとしばらく考え込んだ。

「うーんと、そうだな。例えばですね、ある井戸に恐ろしい妖が出ると聞いたら、その井戸に近寄らないようにしません?」

「そっそんな井戸なんてあるんですかっ!?」

びょんっと飛び上った直介を、聡依と清次は思わず冷たい目で見つめてしまう。暁ですら、何か新種の生き物を見るような顔で直介を見ていた。

「例え話ですよ、直介さん」

「あっ、例え話……。えっ、いやっ、わかってましたよ? ね?」

何を言うのか、と清次に呆れられている。聡依は呆れを通り越し、面白くなってきたのか、ふふっと声を漏らして小さく笑う。
直介はなぜ自分が呆れられ、笑われているかよくわかっていないらしい。きょとんと二人を見つめていた。

509: :2012/2/29(水) 23:46:57 ID:POlqxi9/V6

「いや、それでですね。そんな井戸には誰も近づかないでしょう? おまきさんはそれと一緒ですよ。何か怖いものがあるから、それを避けるために布団から出ないんじゃないですか?」

「なるほどな。だから、おまきさんは直介さんに怒っているわけじゃないってことか」

しかし、何が怖いのだろうか、と清次は首をひねる。直介もようやく理解したらしく、何度か頷いていた。

「まぁ、もしかすると直介さんが怖いのかもしれませんけどねぇ」

「えっ! そっ、そんなまさかっ! ちっ、違いますって……」

そう否定しながらも不安そうに、目がうろうろ。直介をからかった聡依は楽しそうににやにやと笑っている。清次はそんな二人にため息を漏らし、で? と聡依を促した。

「これからどうするんだ?」

「どうするもなにも、私はまだこの話を引き受けるなんて一言も」

「そっ、そんな殺生な……」

510: :2012/2/29(水) 23:47:46 ID:POlqxi9/V6

しれっとそんなことを言い放った聡依に、直介が泣きつく。清次が呆れた顔で聡依を見つめた。
彼には、単に聡依が直介をからかっているだけだとわかっているらしい。流石、長年の付き合いがあるだけはある。

「おっ俺はしがない左官なので、たくさんお礼を出すことはできませんが……、お願いしますっ。この屋敷のすべての壁を塗りなおすことだって、言われればやりますからっ!」

それは反って迷惑なのではないか。流石の聡依も鬱陶しくなったのか、直介は軽く払い、適当な相槌を打つ。

「わかりましたって。いいですよ、やりますよ」

もともとやる気はあったのだろう。驚くほどあっさりと、直介の依頼を受けた。
その素直さに暁はもちろん、清次ですらきょとんと一瞬聡依を見つめた。当の直介も間の抜けた顔をする。

511: :2012/2/29(水) 23:48:59 ID:POlqxi9/V6

「ほっ、本当ですかっ!?」

「本当、本当」

聡依の態度に、暁は眉を顰めた。同じく、清次も渋い顔をしている。この二人には、聡依が単に優しさや親切心だけで依頼を受けたわけじゃないとわかるらしい。何か企んでないよな、と二人は聡依を窺った。

「でも、一つだけ条件があります」

「条件、ですか」

「そう、条件です。今回お礼はいりません。その代り、直介さんも調べるのを手伝ってください」

「え? 俺が?」

直介はきょとんと聡依を見つめ返し、そう繰り返す。聡依はそれに頷いた。

512: :2012/2/29(水) 23:49:32 ID:POlqxi9/V6

「おまきさんは今、話すことはできるんですよね?」

「まぁ、答えてはくれませんが」

その答えに、聡依は遠慮なく声に出して笑った。ハッと聡依を睨む、両側の二人。その正面では直介が涙目になっている。
そんな状況も気にせず、満足するまで笑い続けた聡依は、目に溜まった涙を拭うと、きちんと座りなおした。しかし、その口元は緩んだままである。

「これは失礼しました」

今更気取っても遅いと思うのだが。

513: :2012/2/29(水) 23:50:20 ID:POlqxi9/V6
ちょっと失敗したorz
今日はこの辺で終わりです
ではではノシノシ
514: :2012/3/1(木) 22:44:23 ID:5Ed33nzkrM
今日もとんとんと行きますねー
515: :2012/3/1(木) 22:45:01 ID:5Ed33nzkrM

「いやあのですね、本人から聞くのが一番早いんですよ。だから、できるだけおまきさんの口から何があったのか、聞きたいんです」

「あっ、そういうことでしたら、いくらでもさせていただきますっ」

急に真面目な話になったな、と清次は感心するやら呆れるやら。まぁ、なんだかんだ真面目に考えているのが聡依なのだ。
必死に頷く直介を見て、聡依はうん、と笑顔で頷いた。

「じゃあそういうことで。あと、隣でぼーっとしている約二名」

「え? 俺?」

きょとんと声を上げたのは清次である。暁は当然、という顔で聡依を見上げた。

「一人はよくわかっているようだから言わないけど、清次さん。言っておきますけど、あなたにも手伝ってもらいますからねぇ」

「えっ? 俺に?」

なにもできませんが、という清次に、知っています、と返す聡依。直介はそれをなぜか微笑ましく眺めている。

516: :2012/3/1(木) 22:49:11 ID:5Ed33nzkrM

「特別なことはできなくとも、あなたには目があり耳があり口がある。それに足もあるでしょう? やること、わかりますよね?」

笑顔で念を押した聡依に、やや押され気味に頷く清次。
それを眺める直介やはりなぜか微笑みを浮かべていた。

「いやぁ、お二人は仲良しなんですねぇ。俺には友達がいないので、羨ましい限りです」

聡依と清次のどの様子を見て仲良しと判断したのだろうか。直介に友達がいないというのもなんだか頷けるような気もするが……。
暁はますます首を傾げた。聡依たちも訳がわからない、という顔で直介を凝視している。

「あっ、そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいんですけどね……」

「あっ、そうですか」

照れたように頬を掻く直介に、聡依は気の抜けた声で返事をする。ぽかんと口を開けた暁と清次が、顔を見合わせていた。

517: :2012/3/1(木) 22:50:35 ID:5Ed33nzkrM


 と、こんな風におまきの調査はいつも以上の呑気さで始まった。
それはもちろん、単に聡依が怠けているだけなのもあるが、周りの面々に深刻さが足りないのもあった。
第一に直介の呑気さに、暁は面を喰らってしまう。これでいいのか? と心配になるほどだ。

しかし、聡依はあまり気にしていないらしい。直介にはおまきから直接聞きだすように、清次には周りからおまきについて話を聞いてくるように頼んでいた。
今回もお礼は出ないことになってしまったので、盛大に使える者を使う気らしい。


「聡依殿、本当に大丈夫なんですか?」

「なにが?」

518: :2012/3/1(木) 22:51:09 ID:5Ed33nzkrM


 一人になった客まで、余った菓子をのんびりと口に運ぶ聡依。それを心配そうに、というより不満そうに暁が見つめる。

「直介殿ですにゃっ! あんな呑気で。奥さんが危ない状況だというのに、信じられないですっ」

「あー、そうかもねぇ」

確かに直介には少しそういうところがある。おまきが危ないというのに、どこか抜けていたりと、おまきに対する思いが見えない。惰性で一緒になったのか? と勘繰ってしまうほどだ。

「それに、おまき殿は直介殿の親方の娘さんなんでしょう? それで一緒になったんじゃないんですかね。だからあんな呑気な反応なんですよ」

ムッとした顔でそう告げた暁に、聡依は笑う。笑われたのが気に障ったらしく、暁はますます頬を膨らませた。

519: :2012/3/1(木) 22:53:12 ID:5Ed33nzkrM

「いや、あの人にはそんな面倒なことを考える脳はないでしょうよ」

中々失礼なことを言う男である。しかし、それに頷けないこともないというのが、何とも悲しい。暁は少しだけそれに納得したらしく、まぁ、と曖昧に頷いた。


「それに、そこまで私たちが首を突っ込む必要はないよ。ただ、おまきさんがなんで布団の中に引きこもってしまったのか、それを調べて、彼女を布団から出せばいいだけ」

「そうですけど……、そうですけどっ!」

煮え切らない暁である。まぁ、聡依の言う通りなのだが、彼にはやはりおまきに対する直介の態度が気になるのだろう。


 そんなことをしていると、襖が開き、太助が顔を出した。飯だぞ、と二人に声をかける。

「あれっ、誰か来てたのか?」

520: :2012/3/1(木) 22:54:03 ID:5Ed33nzkrM

太助はちゃぶ台に並んだ湯呑と菓子を見つけ、二人に尋ねた。暁と聡依はそろって頷く。

「また依頼か。大変だな、お前も」

「まぁね。別にいいんだけども」

立ち上がりながら答える聡依に、太助は少し笑みを返した。前ほど依頼を面倒くさがらなくなった、と思う。

「じゃあまた、妖を集めないとな」

「あ、それは無理」

「は?」

部屋を出掛けた太助が振り返る。聡依はぐだぐだしている暁を抱き上げながら、何とも当たり前のように言い放った。

「お礼いらないって言っちゃったから。今回も自力で調べなきゃなんだ」
521: :2012/3/1(木) 22:54:56 ID:5Ed33nzkrM


「は? 自力でって……、え?」

「うん、だから直介さんと清次さんにもお願いした。あぁ、でも家鳴りには頼もうかなって思ってて」

あいつら安上がりだから、と聡依は呟く。その呟きが家鳴りの耳に入らないことを願うが。

 太助は呆れ顔で聡依を見つめた。聡依はその視線を気にせず、暁を抱いて立ち上がる。

「なに? なんかだめだった?」

「いや、ダメってわけでもないけれど」

この面倒くさがりがよくやったな、と感心する太助。
最近の聡依は少し、変わったような気がする。前よりも随分と取っつきやすくなったというか、うまくは言えないが雰囲気が大分丸くなった。
太助が一人、聡依の成長を感心していると、当の本人はにやりと妙な笑みを浮かべ、襖に手をかけた。

「まっ、あの人が面白かったからなんだけどね」

522: :2012/3/1(木) 22:55:39 ID:5Ed33nzkrM

何かを思い出したのだろう。ふふっと声を漏らして笑った聡依に、太助は思わず力が抜けるのを感じた。
あぁ、折角あれだけ感心したというのに……。まぁ、聡依らしいと言えばそうなのだが。


 太助は一つため息を吐き、聡依の肩に手をかけた。不思議そうな顔で、聡依は彼を見上げた。

「まぁ、俺も手伝ってやるよ」

聡依はひょいっと眉をあげた。やや、意外そうな顔だ。

「言われなくてもそのつもりだったんだけどね」

憎まれ口を忘れないのも彼らしいところだ。太助は苦笑いを零し、肩をすくめた。

523: :2012/3/1(木) 22:55:55 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
524: 名無しさん@読者の声:2012/3/2(金) 19:25:50 ID:1IjZ8BW8vw
しっえっん!

しっえっん!!
525: :2012/3/2(金) 23:44:13 ID:5Ed33nzkrM
>>524
支援感謝ですっ

今日もとんとんと投下していきますねー
526: :2012/3/2(金) 23:46:35 ID:5Ed33nzkrM

 夕餉を終えた三人は再び客間に集まり、何やら話し合いを始めていた。もちろん、その内容は直介のことである。いつまでも彼の態度を引きずる暁が、既婚者である太助にそれを尋ねたのだ。


「いやぁ、去年の秋に祝言を上げてねぇ……」

ふむ、と考え込む太助。暁は、あまりにも情がない気がする、と口を尖らせた。

「いやだがな、そういうもんかもしれないぞ。二人は別に好き合って一緒になったわけでもないんだよな?」

その問いに暁と聡依はそろって頷いた。

直介とおまきは、親方の一声で祝言が決まったらしい。それ以前の二人はあまり関わりもなかったという。

527: :2012/3/2(金) 23:47:35 ID:5Ed33nzkrM


「それじゃあ難しいよな。知り合ってまだ半年も経っていないんじゃあ、情を持てというのも無理かもしれんぞ」

「でもでもっ、夫婦なんですよっ!」

「じゃあ暁、お前は昨日今日で知り合ったものと一緒になって、すぐに相手のことを思えるか? 無理じゃないか」

「そうですけど……」

暁はまだ納得がいかないらしい。そんな様子を聡依は笑い、呑気に大福を口に運んでいる。どれだけ食べれば気が済むのだろうか。太助は眼を白黒とさせた。

「でも、直介さんはネコが思っているほど情の薄い人じゃないと思うよ。第一、おまきさんのためにここまで来たのだし」

うちの屋敷の壁、全部塗りなおすんだって。聡依はケラケラと笑った。それを聞いた太助が驚いたように目を見開く。うちの壁、どれだけあるか知ってんのか、と呆れたように呟いた。

「ふうん、でもそれくらいの覚悟があるっていうなら、意外と直介もおまきのことを思っているのかもしれないな」

528: :2012/3/2(金) 23:48:44 ID:5Ed33nzkrM

「あんなの口から出まかせかもしれませんにゃっ」

なぜか暁はやたらと直介を敵視している。聡依はそれを笑い、暁の背中を軽く叩いた。

「でも、意外だな。太助ならネコの味方するかと思ったけれど。経験者にしかわからないものっていうのがあるのか」

「まあな、うちも親の決めた者同士だったから。その戸惑いとかはわからんでもない」

「そうだったんですか……。太助さんと奥さんは、どうやって仲良くなったんですか?」

暁が尋ねる。太助はふむ、と腕を組み、少し思い出す様に宙を見つめた。

「そうだなぁ……、何があったというわけではないが、なんだか自然と……かな」

「自然とって、そんなぁ」

頬を膨らませた暁に、太助はすまん、と笑いながら謝る。しかしなぁ、と彼も頭を悩ませた。

「こう、二人で毎日時間を共にしているのだから、自然と仲良くはなると思うんだがなぁ。あぁでも、おまきは直介の親方の娘だから、直介の方が遠慮しているのかもな」


529: :2012/3/2(金) 23:49:40 ID:5Ed33nzkrM

「遠慮ねぇ……」

確かに直介にとって、今までおまきはお嬢さんという存在だった。そこから急に妻になるというのは、ちょっと考えづらいものがあるのかもしれない。

「でも、直介さんがいつまでもあんな態度ならおまきさんだって困ってますよっ。どうにかしてくれないと」

なぜそこまで首を突っ込みたがるのだろう。その必死さをまたも聡依が笑った。
女々しい奴だな、と太助にも言われてしまう。

「うぅ、だって、だって……」

駄々っ子のように食い下がる暁。聡依はその頭をポンポンと優しく撫でた。

「でもまぁ、これをきっかけに少しは仲良くなってくれるといいな」

「そんなうまくいくかねぇ」

聡依が肩をすくめると、太助が笑った。意外とそういうもんだよ、と彼は言う。

「何がきっかけかなんて誰にもわからないさ」

にんまりと意味ありげに笑った太助に、聡依と暁はそろって首を傾げる。何か、彼には思い出すものでもあったのかもしれない。

530: :2012/3/2(金) 23:50:30 ID:5Ed33nzkrM


 次の日から早速聡依たちは動き出した。
清次が商売がてら話を集め、聡依は家鳴りたちを連れ、直介の家にでむく。
どうやら家鳴りたちには家の監視をさせるつもりらしい。これは暁の要望だった。

「我々は嫌だよ、こんなの」

口々に文句を言う家鳴りたちを、まぁまぁと宥めるのは聡依である。暁は若干申し訳なさそうな顔で、彼らに頭を下げていた。腰の低い猫又だ。

「気になるんですよ、お二人が」

「でもでもっ、それらなお前が行けばいいじゃないかっ」

「あっ、あっしじゃあすぐばれちゃうじゃないですかっ! 家鳴りなら見えないから、ピッタリなんですよっ」

むくれた家鳴りたちは暁を睨みつける。暁はそれに押されながらも、せっせと彼らの説得を試みていた。

531: :2012/3/2(金) 23:51:43 ID:5Ed33nzkrM

「聡依はどう思うのさっ」

家鳴りの一人が不満の矛先を聡依に向けた。彼は、うん? と呑気な顔でそれを見返し、ゆるりと笑みを浮かべる。

「そうだねぇ。私も、ネコよりお前たちの方がいいと思うよ。お前たちなら上手に話を聞いてきてくれるだろ?」

そう言われてしまうと、家鳴りたちは首を振ることができなくなってしまう。相変わらず口がうまいなぁ、と暁は呆れるやら感心するやら。


 そんなことをしているうちに、直介の住むという長屋についてしまった。彼は落ち着かなかったのだろう。一人、長屋の外でぼんやりとしている。

「あっ、聡依さんっ」

「どうも。どうですか?」

聡依に気づいた彼が駆け寄ってくる。なんだか情けない顔でこちらを見つめてくるので、思わず聡依は笑いだしそうになった。

532: :2012/3/2(金) 23:53:53 ID:5Ed33nzkrM

「いえ……、変わらず。何を言っても無視されるんです」

まるで空気だな、と家鳴りが呟いた。それを聞いた聡依は吹き出しそうになる。
彼は家鳴りを横目で睨み、慌てて真面目な顔を作って、そうですか、と深刻そうに頷いた。


「じゃあ、早速おまきさんに会って見ましょうか」

「あっ、はい。どうぞどうぞ」

直介が長屋の戸を開けた。質素だが、割ときれいに片付いている。生活が苦しいというわけではなさそうだ。
しかし、その平凡な部屋の中に異質なものが一つ。布団にくるまったおまきである。彼女は聡依たちの足音が聞えたのか、びくりと大きく体を震わせた。

「お嬢さん、緑青さまが来てくださいましたよ」

お嬢さん? 聡依と暁は、思わず顔を見合わせた。それは妻に対する呼びかけとしては、ややおかしいのではないかと。
直介の声に、おまきは何も答えない。聡依はため息を一つ、吐いた。

533: :2012/3/2(金) 23:55:25 ID:5Ed33nzkrM

「おまきさん、こんにちは」

聡依はおまきの傍らに腰を下ろし、そう声をかけた。もちろん、返事はない。彼も返事を期待していなかったらしく、特に気にするわけでもなく言葉を続けた。

「そのままでいいので聞いてください。私は青木聡依と申します。このたびは直介さんに依頼されて、あなたに会いに来ました」

意外にもまともなことを言う聡依に、暁は珍しい、と驚いた。直介をちらりと見る、自分の時との対応の違いに、首をひねっている。

「ただ黙っているだけでいいので聞いてください。昨日、直介さんにいろいろと聞かれたと思います。正直鬱陶しかったでしょう?」

「そっ聡依さんっ!」

直介の反応に、聡依がくすくすと声を漏らして笑う。暁は呆れ顔で聡依を見上げていた。

534: :2012/3/2(金) 23:55:56 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
535: :2012/3/3(土) 22:43:18 ID:5Ed33nzkrM
今日も投下していきますねー
536: :2012/3/3(土) 22:45:18 ID:5Ed33nzkrM

「もし余裕があれば、直介さんに答えてあげてください。最初は『はい』か『いいえ』だけでもいいので」

聡依は右手を挙げ、床を一度叩いた。

「これが、『はい』」

そして彼はもう一度、手を上げ、今度は床を二度叩く。

「そしてこれが『いいえ』。彼と口も利きたくない、と思っているならこれでどうでしょう?」

本人を前に、それを言うのはどうなのだろうか。呆れかえっている暁と、涙目の直介。
一瞬、静まり返った部屋の中に、トンっと音が響いた。一回、『はい』である。
驚き、おまきを見つめる直介と暁。聡依はほら、となぜか自慢げに笑みをこぼした。
537: :2012/3/3(土) 22:47:23 ID:5Ed33nzkrM


 夕方、屋敷を訪れた清次は聡依の話を聞き、目を丸くしていた。まさか、そこまでおまきと直介が他人行儀だとは。暁も、聡依も『お嬢さん』はないだろうと顔をしかめている。

「俺が聞いた話では、二人はそれなりに仲良く暮らしていたらしいぞ」

「それって嘘じゃないの?」

仲良く暮らしている夫婦が、あんなに他人行儀な呼び方をするだろうか。聡依が首を傾げると、清次も首を傾げた。

「いや、おまきさんのほうが直介さんを気に入って祝言をあげたいって親方に行ったそうだ。それで決まった話なんだと」

「おまきさんが?」

暁は布団にくるまり、こちらに背を向けたままの彼女を思い出す。彼女の方が直介さんを好いて決めたことだったのか。それならば、直介の態度は彼女を余計不安にさせていることだろう。

538: :2012/3/3(土) 22:48:39 ID:5Ed33nzkrM


「そうそう。だからなぁ、おまきさんはひょっとすると直介さんに悪いことをしたと思っているかもな」

おまきは直介の親方の娘。断りづらい話だっただろう。
それを考えれば、彼女が不安になるのもわからなくもない。そして自分の思いだけで彼の人生を決めてしまったことに対する罪悪感も。

「ふうん。じゃあ、表面上だけはいい夫婦関係だったってこと。だけど、その下ではいろいろあるんだねぇ」

複雑だなぁ、とやや面倒くさそうに聡依が呟いた。暁がそれににゃんと鳴いて同意する。
しかしなぁ、と清次が頭を掻いて、首をひねった。

「いくら親方からの話とはいえ、好いてもいないのと一緒になるかぁ?」

さぁ、と肩をすくめる聡依。二人は世間と距離を置いて生きているため、そういった感覚が掴みづらいのだ。

「でもさぁ、もし清次さんがなんかの職人で、親方の娘との婚儀を断ったら気まずいって思わない?」

539: :2012/3/3(土) 22:49:58 ID:5Ed33nzkrM


「うーん、そうだなぁ……。思わないかな」

「あっ、そ」

首をひねる清次に、聡依は呆れたらしい。はぁ、とため息をつくと、目の前の豆大福を口に運んだ。聡依より清次の方が浮世離れしているようだ。

「でもさぁ、相手は自分のことが好きじゃないかもしれない、って思いながら暮らすのって相当しんどいよね」

何とはなしに呟かれた聡依の言葉に、暁も清次も黙り込む。
そうだな、と呟いた清次は、おまきに同情しているようにも見えた。

540: :2012/3/3(土) 22:51:01 ID:5Ed33nzkrM


 それから2日ほど経ったある日。聡依は文机に向かい、今までに聞いた話を紙にまとめていた。
清次から入る話はどれも最初のものと似たようなものだったが、直介から入り始めた話はなかなか役に立ちそうだった。

 例えば、おまきが怖いと言っている目について。
それは特定の誰かのものではなく、誰であっても恐ろしくて目を合わせることができないという。そのため、布団の中にこもってしまった。

 少しずつではあるが、直介はおまきから話を聞きだしていた。
しかし、おまきが引きこもった最初の日にいったい何が起こったのかは、何をどういっても答えてはくれなかいという。

541: :2012/3/3(土) 22:52:26 ID:5Ed33nzkrM

「よっぽど怖い思いでもしたのかね……」

聡依は文机に頬杖をつき、そんなことを呟いた。
目が怖い? それは目つぶしをされた、とかそういうわけではないのだろう。
目を見て、恐ろしい思いをしたのだろうか。それならば、特定の誰かの目が怖いはず……。

 そして、彼女自身の悩み。直介に対する罪悪感や不安。
それが今回の事に関係していないかもしれないが……、聡依には無関係とは言い切れなかった。
どんな些細なことでも、悩みというのは人の判断を狂わせることがある。だから決して無視することはできない。

「しっかし、分からないなぁ……」

うーん、と腕を組み、渋い顔で唸った時だった。


「聡依っ、聡依っ! 大変だよっ!」

 部屋の中に家鳴りが一匹、転がり込んできた。今まで何の音沙汰もなかった分、その騒ぎように不安になる。
まさか、暁の不安通り、直介がおまきに何かしたのだろうか。まさか答えないおまきに苛立ち、手でもあげたか……?

「どっ、どうしたのっ?」


542: :2012/3/3(土) 22:54:58 ID:5Ed33nzkrM


家鳴りは大きく息を吐いて呼吸を整えると、真面目な顔でこう、言った。

「なっ、直介さんが家から追い出されちゃったんだよっ!」

「はぁ? なんで?」

なぜ家主が家から追い出されるのだ。わけのわからない家鳴りの言葉に、聡依は思わずそう尋ねていた。


 家鳴りの話は妙に納得のできる話だった。

 事の発端は家におまきの母親が尋ねてきたところから始まる。
近所でもおまきが家から出てこないと話になっていたため、直介は周囲におまきは病に臥せっていると説明していた。
それを聞きつけた彼女が娘の見舞いにやってきたらしい。まぁ、母親ならごく当たり前の行動といえるだろう。

しかしやってきた母親が見たのは布団をかぶり、全く出てこようとしないおまきの異様な姿。直介ではうまくごまかすこともできなかったのだろう。
結果、彼が何かをしたということになってしまい、激昂した母親に追い出されてしまったのだ、という。

543: :2012/3/3(土) 22:56:05 ID:5Ed33nzkrM

 ありえそうな話だ。聡依はくらっと気の遠くなるような気がした。
とりあえず家鳴りたちがおまきの様子を逐一報告してくれるとういうことなので、そちらの方は心配ないだろう。
しかし、直介の方が心配である。雨に濡れた犬のように、しょんぼりとしている彼の姿が脳裏に浮かび、聡依は思わず吹き出してしまった。

と、そんなことをしていると、

「聡依殿っ! 直介殿がっ、なんか……」

部屋に飛び込んできた暁が、すべてを言い終える前に、もう一人、部屋に飛び込んできた。
それはもちろん、直介である。彼は聡依を見つけると、すぐにそのそばにより、床に突っ伏して泣き始めてしまった。
それを、呆れた顔で見つめる暁。

「聡依さぁんっ」

「はいはい、もうなんですか」

544: :2012/3/3(土) 22:57:08 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
545: 名無しさん@読者の声:2012/3/3(土) 23:41:55 ID:M6.I237b2o
支援
546: :2012/3/4(日) 23:04:00 ID:5Ed33nzkrM
>>545
支援ありがとうございますっ!

今日もとんとんと投下していきますねー
547: :2012/3/4(日) 23:09:11 ID:5Ed33nzkrM

流石の聡依も呆れているらしい。いいとした大人が、しかも男が声を上げて泣くなんて恥ずかしいったらありゃしない。
直介はそんな2つの冷たい視線にも気づかず、ぐずぐずと泣きじゃくった。

「離縁なんて嫌ですよぉ……」

ひいひい泣きながら吐かれたその言葉に、暁が顔を上げた。聡依をじっと見つめ、何か言いたげそうである。
聡依はその意図をくみ取ったのか、直介の背中をポンポンと撫で、顔をあげるように言った。

「直介さん、一つ訊いてもいいですか?」

「なっ、なんでしょう」

ひっくっとしゃっくりを上げる直介から暁に視線を移し、何やら意味深に頷く聡依。暁はそれに一つ頷くと、彼らのそばに近寄った。

「本当に離縁なんて嫌だなんて思ってます? おまきさんと一緒になったのは、親方に言われて断れなかったからなんじゃないですか?」

548: :2012/3/4(日) 23:10:07 ID:5Ed33nzkrM

「なっ……!」

直介は一瞬絶句した。が、その次の瞬間には、聡依に掴みかかる。

「なにをしますかっ!」

見ていた暁が、思わず声を上げ、直介に飛びかかる。
しかし、心配はなかったようで、聡依は直介をひょいとどけてしまった。暁は聡依と直介の間に入り、直介を睨みつける。

「なんですか、急に……」

流石の聡依も面を喰らっているらしい。戸惑ったような顔で直介に尋ねる。直介は暁が喋ったことにも気づかないほど、腹が立っているようで、赤い顔で息を荒くさせていた。

「だっ、だって……、聡依さんが、あんなことを言うからっ!」

「あんなことって、おまきさんと一緒になったのが嫌だったんじゃないかってことですよね?」

「そっ、それですっ! むしろそれ以外に何かあったら変でしょうがっ!!」

549: :2012/3/4(日) 23:11:47 ID:5Ed33nzkrM

中々的確なツッコミである。聡依はこんな場合であるというのに、堪えきれずにやりと口元を緩めてしまった。
最近の彼にとって、直介は何をしても面白いらしい。そんな聡依を見て、暁が呆れている。

「でもですよ? 直介さんの言動やらその行動やらをみて、そう思ったからそう言ったんです。私にそう思われたってことは、おまきさんにもそう思われているかもしれませんよ?」

「えっ?」

聡依に言われて、直介は初めてそのことに気が付いたようだった。
本人はそんなことを思ったことはなかったのかもしれない。しかし、彼はおまきに対して少しよそよそしすぎる。

550: :2012/3/4(日) 23:12:45 ID:5Ed33nzkrM


 呆けている直介に溜まらず口を挟んだのは、やはり暁だった。

「最初からそうだと思ってたんですよ。どうしようか、なんておまきさんが離縁したいと言えば、離縁するのかと聞きたくなるようなこと言うしっ! 第一呼び名が『お嬢さん』ってなにごとですか、もうっ!」

バンっと床を叩く暁。相当興奮しているらしい。まぁまぁ、と聡依が宥めていると、直介がぽかんと口を開け、呆けたように呟いた。

「猫が喋ってる……?」

「今更ですよ、もうっ!」

もう一度暁は床を叩いた。古いんだから、と今度は床を心配し始める聡依。抜けたらどうしよう、と考えているのだろう。

「猫だってしゃべろうと思えば喋れるんですっ! それに今はそこじゃないでしょうがっ!」

その理屈はおかしいと思うが。聡依が首をひねりつつ笑っている横で、暁は本気で怒っている。
直介も言われたことを思い出したのか、また顔に怒りがうかがえた。

551: :2012/3/4(日) 23:14:21 ID:5Ed33nzkrM

「俺だっていろいろと悩んでいたんですよっ。でも、でもでもっ、今まで女子と話したことなんかなかったからどう接したらいいかわからないし、緊張して名前どころか話しかけることもろくにできなかったし、第一自分なんかじゃお嬢さんと釣り合わないって思ってたからっ!」

直介はまた涙を浮かべ、しゃっくりを上げ始める。暁と聡依はそれを笑うことはせず、ただ黙って彼が続きを言うのを待っていた。

「だからっ……、ずっと不安で、でも訊けなくて。お嬢さんが親方に言われたから、俺と一緒になったのだとしたらどうしよってずっと、ずっと思ってたら、余計どうしたらいいかわからなくって、何もしゃべれなくなって、喋らなきゃと思ったらもっと緊張して……」

夫婦二人そろって何か勘違いしていたようだった。その勘違いが更に二人をすれ違わせていたのだろう。
なんだかなぁ、と聡依はもどかしく思ったのか、乱雑に髪を掻き上げた。

「ということはですよ? 直介さんは、おまきさんと一緒になってよかったと思っているんですか?」

552: :2012/3/4(日) 23:15:22 ID:5Ed33nzkrM


「もちろんそうですよっ! それに、親方に言われる前からお嬢さんのことは気になっていたんです。こんな俺にもすごく優しく声をかけてくれた人だったから」

会うたびに、こんにちはと笑顔で挨拶してくれたおまき。暑いときは気を使って水をくれたり、寒いときは風邪をひかないようにと温かいお茶をくれたりもした。どれにも緊張してお礼を言うのが精いっぱいで、ロクに会話もできなかったけれど、嬉しくなかったことなんか一度もなかった。
しゃっくりをあげながら語る直介に、聡依と暁は顔を見合わせた。

「お嬢さんの心がわかれば、どれほどよかっただろう……」

その言葉に、聡依はふっと何かを思いついたらしい。暁を手で呼び寄せる。暁は首をひねりながらも、聡依のそばに寄った。

「なんですか?」

これでくだらない事だったら怒ってやろう、と爪を出しながら聡依に尋ねる。聡依はそれを見て苦笑いをし、首を振った。

553: :2012/3/4(日) 23:18:47 ID:5Ed33nzkrM

「ねぇ、人の心がわかる妖っていただろう? 名前はなんだっけ……、有名なんだけど、忘れた」

「その頭はざるですかにゃ、もう。さとりですよ、さとり。でもなんでですか?」

ざる、と言われたのが癪だったらしい。聡依はムッとした顔で暁を睨み、

「そちらこそ、そのくらい自分で考えれば?」

と意地悪なことを言う。暁もそれにムッとしたらしい。聡依を負けじと睨み返していると、

「俺はどうしたらいいんですか、もうっ!」

という直介の嘆きが聞こえてきた。何がそんなに癪に障ったのか、二人は振り返り、声をそろえて彼に怒鳴った。

「それくらい自分で考えなさいっ!」

「ひぃっ!」

やはり一番被害をこうむるのはこの直介という男なのだろう。


554: :2012/3/4(日) 23:19:15 ID:5Ed33nzkrM
キリがいいので今日はこの辺で
ノシノシ
555: :2012/3/5(月) 23:16:58 ID:5Ed33nzkrM
今日もとんとんと行きますねー
556: :2012/3/5(月) 23:18:09 ID:5Ed33nzkrM

 
 呆けている直介を客間に放置し、聡依は何やら出かける準備を始めた。といっても、寒いので上に綿入れ半纏を羽織るだけであるが。
その後ろをちょこまかとついて回るのは暁である。

「聡依殿っ、どうするつもりなんですか?」

「どうするもこうするも、簡単だよ。さとりが原因と分かれば、おまきさんを直すことはすぐできる」

「もっと詳しく教えてくださいよぉ」

聡依はくるりと暁を振り返ると、一つため息を吐いた。暁はその反応にやや不満そうにである。

557: :2012/3/5(月) 23:19:33 ID:5Ed33nzkrM

「さっき直介さんが言っていたでしょ? おまきさんの心がわかればいいのにって。おまきさんも同じ気持ちだったんだよ。だからさとりに会った。さとりはおまきさんに人の心が見えるようにしたんだと思う。そしてそれを直すのはとても容易い。さとりに会う、会わないは後回しにして、先におまきさんを直そうかと思って」

なるほど、と暁は一つ頷いた。聡依はそれに、自分でも考えな、と小言を漏らす。
それは先ほどのケンカを引きずっているのではなく、本心なのだろう。暁もそれを感じ、やや項垂れた。

「さてさて、行きますか。っとまずは、客間でボケている男を叩き起こさないとね」

にやりと意味深な笑みを浮かべ、聡依は両袖に手を突っ込むと楽しそうに客間に向かって行った。暁が慌ててそのあとを追う。

誘うように襖が開けっ放しにされた客間に飛び込むと、ちょうど聡依が直介の腕を掴んでいるところだった。
この一瞬の間に何が? 首を傾げる。

558: :2012/3/5(月) 23:20:11 ID:5Ed33nzkrM

「行きますよって」

「嫌ですっ。会わせる顔がありませんっ!」

「そんな顔、もともと大したものじゃないでしょうが。ほら、行きますよ」

「ひっ、ひどいっ!」
一体何を言っているのだ。暁は二人の間に入り、泣きそうな顔をする直介とどうみても面白がっている聡依を見比べる。

「なっ、なにしてるんですか、もうっ」

暁は聡依が直介を苛めていると判断したらしい。キッと聡依を睨みつけ、手を離すように言う。
しかしそれでめげるような男ではないのだ。

559: :2012/3/5(月) 23:21:05 ID:5Ed33nzkrM

「私が行くと言ったら行くんだよ。大体このままでいいとでも思ってるの? おまきさんに誤解されたままでいいとでも?」

「だけどっ、もしも嫌だと思われたらどうすればいいんですかっ。それで彼女の本音を聞いて、俺と一緒になりたくなかったとか言われたらどうしたらいいんですかっ!」

溜まらず聡依が舌打ちを零す。その苛立った顔に怯えたのか、直介はヒッと短く声を上げ、掴まれた手を引いた。

「いいかい? 怖かろうがなんだろうが、言わなきゃわからないことっていうのはあるんだ。それをちゃんと伝えないと、いつまでたっても自分の気持ちなんて相手はわからないんだよ。あんた、それをおまきさんに言わせるのか? さとりに助けを乞うてしまうほど不安でいっぱいだったおまきさんに言わせるのか? あんた、それでも男かっ」


560: :2012/3/5(月) 23:22:02 ID:5Ed33nzkrM

怒鳴られた直介は一瞬肩をびくつかせたが、すぐにその背筋を伸ばした。そのまなざしからは怯えが消え、何か心を決めたように見えた。

「行きます」

「え?」

「行きます。そして、ちゃんと伝えてきますっ」

直介は聡依の手を払い、立ち上がると、そのまま庭に下り立つ。何をする気だ? と暁と聡依できょとんとしていると、門の方へと走って行ってしまった。
なぜ庭から? なぜ急に? なぜ裸足で? さまざまな疑問が聡依の頭でぐるぐるとまわり、彼を混乱させる。
そんな彼を、暁は軽く叩いて正気に戻した。

「ぼやっとしててもしょうがないですよ。直介さんを追いかけに行きましょ」

561: :2012/3/5(月) 23:22:39 ID:5Ed33nzkrM

「あっ、そうだね」

暁に促され立ち上がり、なぜかそのまま庭に降りようとする聡依。暁はそれを慌てて袖を引っ張って止めた。

「聡依殿は庭から行く必要はないんですよっ!」

「あっ、そうか」


 きちんと玄関から門をくぐり抜け、聡依たちは屋敷の外に出た。記憶を頼りに直介の長屋へと駆けて行く。

しばらく行くと前方に何やら人だかりが見えた。近所の人たちが何かを囲っているようだ。

「何かあったんですか?」

562: :2012/3/5(月) 23:24:00 ID:5Ed33nzkrM

たまたま見つけた顔なじみの団子屋を捕まえ、聡依が尋ねた。
彼も野次馬の一人なのだろう。やや首を捻りながらも、状況を説明してくれる。

「いや、おまきさんが走ってきて、急にそこで倒れたらしくってね。それで後から直介さんが来てなんかやっているんだけど……。よくわからないんだよなぁ」

まっ、痴話喧嘩だろう。団子屋はそう締め括り、店の方に歩いて行ってしまった。おまきがと直介が? 聞いたはいいが、さっぱり状況がわからない。

一先ず聡依は人をかき分けて、二人の元に近寄って行った。

「一体何が……」

「とにかく、俺はお嬢さんと一緒になったことを、後悔したことなんか一度もありませんっ!」

563: :2012/3/5(月) 23:24:45 ID:5Ed33nzkrM

おまきを抱きかかえた直介がそう叫んだ。その瞬間、周囲にどよめきが走る。二人を祝福する言葉や、冷やかしの言葉が周りから飛んだ。
聡依はその状況を、目を白黒とさせながら眺めていた。

「あっ、聡依さんっ!」

直介が顔を赤くしたままこちらを見る。未だに状況を把握していない聡依は、どうも、と抜けた返事をした。
チラリとおまきがこちらを見るが、その目は固く閉じたままである。

「あの、おまきを」

「話はあとで。ちょっと待ってくださいね」

聡依は二人に近づき、その傍に膝をつく。彼女のまぶたの上で何かを摘み、剥がす様な仕草をした。直介がそれをきょとんと見つめていると、ゆっくりとおまきが目を開ける。

「目が……」

564: :2012/3/5(月) 23:25:38 ID:5Ed33nzkrM

「目が? どうしたの?」

「治りましたか?」

聡依の問いに、おまきは頷いて返す。直介が安心したようにホッと息を吐いた。そんな彼をおまきは何か言いたげにじっと見つめる。

「あの、直介さん」

「うん? 何ですか?」

「さっき言ったこと、本当ですか?」

途端に直介の頬に赤みが戻る。タコの様な赤い顔で、彼はぎこちなく頷いた。おまきはそんな彼に、嬉しそうな笑みを返す。

565: :2012/3/5(月) 23:26:37 ID:5Ed33nzkrM


「私も直介さんと一緒になってよかったです」

桜色に頬を染めたおまき。その言葉を聞き、直介は更に顔を赤くした。もう元の色には戻らないのでは、と思うほどである。
そんな様子に、周囲の野次馬はつまらなさそうに散って行った。成就した恋ほど見ていてつまらないものはないだろう。
それは聡依も同じらしく、彼は呆れた顔で二人を眺めていた。

「あの、こんな所で話すのもなんですし。団子でも食べに行きません?」

その言葉でようやくこの場の雰囲気を理解したらしい。二人は恥ずかしそうに小さくなりながら、聡依に頷いた。

566: :2012/3/5(月) 23:28:55 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりです

ランキング、毎度ありがとうございます!
支援してくださる方、投票してくださる方、読んでくださる方、本当に感謝していますっ。
次の第4話で終わりの予定なので、もうしばらくお付き合いください。

ではではノシノシ
567: :2012/3/7(水) 23:45:05 ID:5Ed33nzkrM
今日もとんとんと投下していきますねー
568: :2012/3/7(水) 23:46:22 ID:5Ed33nzkrM

 団子屋の店先で、おまきと直介は何故か聡依を間に挟む格好で座っている。実に居心地が悪そうな顔で、聡依は団子を食べていた。

「聡依殿。大丈夫ですか?」

ひょこりと顔を出した暁に、うん、と頷く聡依。団子を欲しがるので、彼を膝に乗せ、一串渡す。

「あの、聡依さん」

右から直介に声をかけられ、そちらを見た。直介はやや恥ずかしそうにしながら、すみませんと謝る。団子を加えた聡依の顔がそんなに間抜けだったのだろうか。

「出来れば説明してもらえませんか?」

あぁ、と思い出したように手を打ち、聡依は団子を飲み込む。串を皿に置き、一度咳払いをして喉の調子を整えた。何故だか妙に畏まっている。

「ま、簡単なことなんですけどね」

569: :2012/3/7(水) 23:47:20 ID:5Ed33nzkrM

そう前置きし、彼は自分が推測したことを二人に説明する。
おまきの不安。直介の不安。彼が言った『おまきの心がわかればいい』というのが引き金となり、原因がわかったこと。

「さとりは目に細工をするんです。一時的なものなんですが、彼がそれをやると誰でも人の心が読めるようになる」

聡依はその細工を取っただけだという。両側で二人が頷いているのを見て、聡依もホッと息を吐いた。さとりなどと言い、バカにされるのではないかと彼も不安だったのだろう。

「あの、よかったらお二人も何をしていたか、説明してくれませんか?」

暁も興味があるのか、団子から顔をあげる。直介とおまきはどちらが? という顔で、互いに顔を見合わせていた。

「じゃあ私がお話しします」

そう言ったのはおまきだった。彼女は一度お茶を飲むと、きちんと聡依の方に向き直り、口を開く。

「私は布団の中で母と直介さんが争っているのを聞いていました。布団から出て、母の誤解を解かねばと思ったのですが……」

570: :2012/3/7(水) 23:48:11 ID:5Ed33nzkrM

おまきが目を伏せる。恐らくそれは中々出来なかったのだろう。
布団から出て、直介と目でも合わせてしまえば、彼の本音が見えてしまう。それが怖かったと彼女は言った。

「大きな音が聞こえて、直介さんが出て行ったのが聞こえました。流石の私も我慢できず、布団から出て、母に怒鳴りました。母は驚いた顔をしていましたが、その時見てしまったんです」

「目を?」

おまきは頷いた。母の目を見てしまったのだという。そこから見えたのは『絶対に離縁させる』という意思。
それを見た彼女は慌てて家を飛び出したのだそうだ。

571: :2012/3/7(水) 23:48:59 ID:5Ed33nzkrM

「目を開けたままでいると、意思とは関係なく色んな人の心が見えてしまうんです。だから目を瞑ったまま走ろうとしたんですが、上手く出来なくて。何度も転んでしまいました」

えへへ、と可愛らしく笑うおまきに、暁は微笑んだ。
にゃん、と一つ鳴き、その手に頬を摺り寄せる。おまきは暁を軽く撫でると、再び口を開いた。

「ここ最近あまり食べてなかったこともあり、途中で力尽きてしまったんです。そこで倒れていたら、近所の人たちに囲まれて。医者に行く、行かないの押し問答している所に、直介さんが来てくれたんです」

そこからは聡依が見たものとほとんど同じだった。駆けつけた直介に解放され、二人が互いの誤解によってやや争う。
そして最後は直介の言葉で仲直り、ということだったらしい。本当に痴話喧嘩だ、と聡依は気が遠くなりそうになった。

572: :2012/3/7(水) 23:49:53 ID:5Ed33nzkrM

「じゃあこれで終わりですね。お二人ももう懲りたでしょう? 一人で悶々と悩むより、口に出した方が早いって」

聡依の言葉に二人はそろって頷いた。ちょうど団子の皿も空になったところで、この場をお開きにするようだ。
聡依はにっこりと笑って二人を立たせる。

「じゃっ、おまきさん。お幸せに。直介さんに何かされたら、すぐに行ってくださいね」

倍返しに向かいます。冗談めかして言う聡依に、おまきはにっこりと微笑み返した。隣では直介が激しく動揺している。
聡依は直介に目をやると、再び笑みを浮かべた。こちらは先ほどより、聊か意地悪なものを。

573: :2012/3/7(水) 23:50:25 ID:5Ed33nzkrM

「それじゃあ直介さん。うちの壁、塗り直してくれるのを楽しみにしていますね」

「えっ!? あっ、それは言葉のあやでして……、その……」

しどろもどろに言い訳をする直介を、聡依は遠慮なく笑った。おまきが直介の肩を叩き、しっかりして、と睨む。

「あのっ、聡依さんの屋敷の壁は、どれくらいあるんでしょう……?」

おずおずと尋ねた直介に、聡依は飛び切り意地悪な笑みを浮かべる。

「さぁ。壁なんて数える趣味は有りませんから」

そして、楽しそうにそう返したのだった。

574: :2012/3/8(木) 00:15:21 ID:5Ed33nzkrM

 団子屋の店先には、聡依と暁が座っていた。
二人分の空の皿と、明らかに4人分はある団子の載った皿。それから一つを取り上げ、幸せそうに聡依が頬張る。

「それにしても、人の心なんてどうして知りたがるんだろうねぇ」

しみじみと言った聡依を暁が見上げた。もぐもぐと頬を動かすその横顔は、何も語らない。彼は自分の足元に目を戻すと、ぽつりとその返事を呟く。

「そりゃあ、分からないからですよ」

「分からないから、ねぇ」

何となくまだ納得のいっていないような声。暁がちらりと聡依を見上げると、聡依がこちらを見つめていた。

575: :2012/3/8(木) 00:16:44 ID:5Ed33nzkrM

「お前も、知りたいと思う?」

暁は迷わず頷いた。出来れば自分もさとりの目が欲しい、そう思う位に。
聡依は薄くそれを笑い、また通りにと目を戻す。何か教えてくれる気はないらしい。

「さとりの事はどうするんですか?」

仕方なしに話題を変えると、んー、という気の抜けるような声が返ってきた。
思わずため息を漏らす。まぉ、おまきたちが元通りになったのだから、良いと言えば良いのだけれど。

「探さないよ。わざわざ首を突っ込む必要もないし」

誰も得しないんだから、との返事に、暁も頷いた。また何かあったらでいいか、と。

「でもおまきさんから見た目は聞いた。黒い着物で目の包帯を巻き、笠を被った男だそうだ」

「それなら見かけたらすぐにわかりますね」

そうだね、と聡依は返す。何か考え事でもしているのだろう、少しそっけない返事だった。
不意に聡依は残った団子をまとめて持ち、立ち上がった。きょとんと彼を見上げると、いつもの笑顔が返ってくる。

「帰ろうか」

暁は黙って頷いた。

576: :2012/3/8(木) 00:17:05 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりです
ノシノシ
577: 名無しさん@読者の声:2012/3/8(木) 00:31:59 ID:nP.TAkxgjI
支援
578: :2012/3/9(金) 00:51:05 ID:5Ed33nzkrM
>>577
支援ありがとうございますっ!

今日もとんとんと行きますねー
579: :2012/3/9(金) 00:52:12 ID:5Ed33nzkrM

 団子屋から河原を経由し、屋敷にと向かう。やや遠回りの道だが、少し散歩も兼ねているらしい。
いつもなら人目もはばからずに話しかけてくるのだが、今日の聡依はやけに寡黙だ。

「暁」

不意に聡依が彼を呼んだ。俯き加減で歩いていた暁は、驚いて顔を上げる。優しい瞳と目が合った。

「知りたい? 私が何を考えているのか」

「知りたいです。辛いことも楽しいことも、出来れば知りたいです」

その答えに、聡依はちょっと笑う。それのおかげでその場の雰囲気がやや緩んだ。暁も頬を緩める。

「そうだなぁ。でもそれは難しいからね」

暁は黙って頷く。ありのままの気持ちをすべて教えてもらえたらどれだけ良いだろうか。
だけどそれは難しい。誰であっても、そんなことを望むのはバカらしいことだろう。


580: :2012/3/9(金) 00:52:56 ID:5Ed33nzkrM

「だけど、いつかお前が気になっていることを教えてあげるよ」

「えっ?」

気になっていること? きょとんと顔を上げると、聡依はまだ笑ったままだった。

「そう。例えば、昔の事とか……、ね」

暁は心臓が跳ね上がるのを感じた。聡依の昔話。
それは、前から聞きたかったが、どうしても触れることができなかったこと。そして誰も語ろうとはしてくれなかったこと。
本当に? と問い返す様に見つめ返す。聡依は黙って頷いた。


 それっきり、彼はもう何も言うことはなかった。


581: :2012/3/9(金) 00:57:19 ID:5Ed33nzkrM

 屋敷についた二人は門のところに知らない男が立っているのに気が付く。その容貌に、どこか見覚えが……、と首をひねった。

「誰だろう」

「さぁ、見覚えがありませんけど」

黒い着物に、長い髪。手には傘を持っているが、今日は雨など降りそうにもない。
はて、誰だったか。聡依が眉をしかめていると、暁が小さく声を上げた。

「あれ、おまきさんに聞いたさとりの姿にそっくりですよっ!」

「えっ?」


582: :2012/3/9(金) 01:02:28 ID:5Ed33nzkrM

言われてみるとその通りだった。黒い着物も笠も。目の包帯こそ見えないものの、おまきが言った男のものとひどく似ている。

「まさかあっちから来るとはね」

苦笑いが零れる。一体何の用だというのか。


警戒した暁が、一瞬で人の姿に化けた。そして聡依の前に出る。

「とりあえず声をかけてみよう」

「わかりましたにゃ」

二人は男の方に近づいて行った。声をかけようと、聡依が口を開いたと同時に、男がこちらを向く。その目には、やはり包帯が巻かれていた。

583: :2012/3/9(金) 01:06:25 ID:5Ed33nzkrM


 男はにやりと笑った。

「これはこれは第16代緑青の結び人、青木聡依殿」

暁が男を睨みつける。

「不在のようでしたので、ここで待たせていただきましたよ」

「なにかの用ですか」

男は二人の前で優雅にお辞儀をした。そして、顔を上げると、笠を被る。


「初めまして。私、初代緑青の結び人憑き妖、さとり、と申します。以後、お見知りおきを」

584: :2012/3/9(金) 01:09:07 ID:5Ed33nzkrM


と、いうことで第三話、終わりです。
どうだったでしょうか。日常編の延長かと思うほど、緩い話にしてみました。
まぁ、たまにはいいかな、なんて。
一応四話に繋がっているので、今回は番外編を入れずに投下していきますね。

ではでは
ノシノシ
585: 名無しさん@読者の声:2012/3/9(金) 10:16:15 ID:1IjZ8BW8vw
支援支援!!!
586: :2012/3/10(土) 00:28:39 ID:5Ed33nzkrM
>>585
支援ありがとうございますっ

ようやく書き終わりました、第四話。
ということで、今から投下していきますねっ

587: :2012/3/10(土) 00:30:19 ID:5Ed33nzkrM

 柔らかな風が彼らの間を通り抜けた。春を感じさせるそれに、ふと日差しが柔らかになったことに気が付く。ぼんやりと薄呆けた青空を見上げ、そんなことを考えた。

 隣でボケッと突っ立つ聡依をじろりと睨み、暁はため息を吐いた。こんな時だというのに呑気な。
仕方なく、彼の代わりにさとりにと向き合う。さとりは依然として、不気味なほど穏やか過ぎる笑みを浮かべていた。

「初代、緑青の結び人……」

 訝しげにさとりを見つめる暁。聡依はふと彼に目を戻すと、ひょいっと眉をあげる。

「そんな人が一体何の用で?」

低い彼の声に、暁はやや不安になった。チラリと聡依を見上げると、彼の顔は何も語らぬままさとりを見つめている。
ただ笑みを浮かべ続ける男と、無表情の男の対峙。不気味だな、と暁は顔を歪めた。

 何とも言えない状況になっていた。一触即発、というほど険悪ではない。しかし、彼らの間に漂う空気は、決して穏やかなものではなかった。
その嫌なものを感じながら、自分はどうすべきか、と暁は頭を悩ませる。と、不意に聡依が口を開いた。

「まぁ、立ち話もなんですし。屋敷でお茶でもどうですか?」

588: :2012/3/10(土) 00:31:19 ID:5Ed33nzkrM

まんじゅうくらいならありますよ、と付け足される言葉。
一体どこからその呑気な言葉が飛び出たのか、と暁は眼を白黒とさせた。どんなに頑張っても、あの空気からお茶でも? という発想は出てこないだろう。

やや頬を緩めた聡依は暁をちらりと見ると、莞爾、と笑って見せる。そんな風に笑われても、とますます当惑する暁をよそに、さとりは動いた。

「では、遠慮なくそうさせていただきましょうか」

ゆるりと応え、彼は笠を再び取る。それを見た聡依は軽く頷くと、門の中へと足を向けた。それに続くさとり。
彼らを呆然と眺めていた暁は、聡依を守らねば、と慌ててその後を追った。


589: :2012/3/10(土) 00:32:32 ID:5Ed33nzkrM

 さとりを客間に通した聡依は、言葉通りお茶とお茶請けを出す。もちろんお茶請けはまんじゅうだ。

 座卓を挟み、さとりと向き合うようにして座った聡依と子猫に戻った暁。暁は聡依の耳に口を寄せ、一体どういうつもりかと囁いた。

「どういうも、客人をもてなすのは当たり前じゃないか」

暁に釣られたのか、小声でささやき返す聡依。暁はその答えに眉を顰めた。
何を一体常識人ぶっているのだ。普段、人に茶の一杯も出さない癖に。
それとも、さとりが初代の憑き妖だからなのだろうか。彼には聡依の考えがさっぱりわからなかった。

「だけど、ちょっとは気を付けてくださいよ。おまき殿をあぁしたのは、この人なんですからっ」

お小言を言う暁に、聡依はややうるさそうな顔。面倒くさそうに頬を掻くと、わかったよ、とわかっていないような言葉が返ってきた。
暁はそれにムッとしながらも、憮然とさとりに向き合う。

590: :2012/3/10(土) 00:33:17 ID:5Ed33nzkrM

「それで、用とは?」

呑気な主人に代わり、淡々と暁が尋ねた。聡依は隣でまんじゅうを頬張りながら、さとりの答えを待つ。
彼もまた呑気にゆっくりとお茶をすすり、湯呑を静かに置いた。

「本日は突然お邪魔して済まない。本来なら文の一つでも寄越すのが筋、というものなのでしょうが、今回は少しばかり時間がなく。無礼をお許し願いたい」

さとりはそこで言葉を切り、丁寧に頭を下げた。それを、目を細めて眺める聡依。
さとりの動作一つ一つは、とても優美なものであった。まるで、茶道の師範代のような動きである。

「改めまして、第16代緑青の結び人、青木聡依殿。そしてその憑き妖の猫又さん。私、初代緑青の結び人、青木清隆殿の憑き妖、さとりと申しまする。本日、参上したのは直接お耳に入れておきたい話が在ったもので」

顔を上げ、聡依と暁にきちんと向き合いさとりが言った。ほう、と頷く聡依。暁はキッとさとりを睨み、身を乗り出した。

591: :2012/3/10(土) 00:34:19 ID:5Ed33nzkrM

「その前にですね、おまき殿にした所業について釈明をいただきたいのですが」

「釈明ですか」

にやり、さとりが口元を歪める。それが気に入らなかったのだろう。暁はますます眉を顰め、その目をぎらつかせた。

「彼女については特に理由はございません。まぁ、強いて言うならば、私が未熟であった、ということになるでしょう。あれしきのことで、彼女にあんな意地悪をしてしまうなんて、仕様もないことでございます」

「あれしきの事というと?」

湯呑を片手に、聡依が口を挟んだ。興味のなさそうな顔をしていたが、聞いてはいたらしい。
その態度、と暁は眉を顰める。どうやら彼は、絶賛不機嫌モードのようだ。

「彼女が他人の心を知りたがっていたことです。他人の心を知るというのは、時に知りたくないものまで知ることがあるのです。その覚悟もなしに、中途半端な思いだけでそう言うことを思われるのは非常に不愉快でした」

不愉快、という割に彼は笑みを保ち続ける。
その言葉と表情の差に、暁は顔を歪めた。表情が見づらい、というのがこれほどまでに不気味なことか、と。

592: :2012/3/10(土) 00:35:18 ID:5Ed33nzkrM

「いえ、不愉快と思うなど、私の精神が未熟であったという証拠でございます。彼女には何の落ち度もない。彼女はただの可愛らしいお人でございました」

やや皮肉を含んだ言葉。苦みを感じながらもそれらを嚥下し、それは誰に向けたもの? と、暁は眉を顰めた。
さとり自身に向けたものであると同時に、おまきに向けたものにも感じられる。

「彼女のことに対する釈明は以上です。まだ何か、ありますでしょうか?」

聡依は黙って首を振った。暁も、しぶしぶという風に首を振る。
それを確認したさとりは、再び茶で喉を潤し、静かに息を吐いた。

「では、本題に入らせていただきましょう」

湯呑を置いたさとりは、彼らにそう告げた。思わず唾を呑む暁。
一方、隣では聡依が眠たそうに欠伸などをしていた。まったく、緊張感のない男である。

「と、その前にですね。聡依殿、済みませんが席を外して頂けないでしょうか」

「え?」

593: :2012/3/10(土) 00:36:39 ID:5Ed33nzkrM

きょとん、とさとりを見つめ、聡依が間抜けな声を上げた。その顔のまま、彼は暁も見つめる。
暁もさとりの目的がわからないらしく、不思議そうな顔で聡依を見つめていた。

「それはどういう意味で?」

「そのままの意味です。実は、猫又さんにお話がございまして。聡依殿には席を外して頂きたく」

あらま、と彼は呟く。やや困り顔で頬を掻き、ちらりと再び隣の暁を見つめた。暁はなんとも情けない顔で聡依をじっと見つめている。
残されるのは不安なのだろう。もしかすると、また余計なことでも考えているのかもしれない。

「いや、そう言われてもですね……」

聡依はさとりに目を戻し、言葉を濁した。
流石の彼も、ここで部屋を出ていくほどアホではないのだろう。さとりと暁を残していくのは聊か心配である。

「大丈夫です。猫又さんを苛めるわけではありませんから」

「苛めるわけじゃないって……」

再び暁に目を戻すと、彼は何やら深刻そうに座卓と睨めっこをしていた。
こんなのを置いて行っていいものか。しばし思案するが、こうしていても埒が明かない。
仕方がないか、とため息を一つ吐き、聡依は腰を上げた。

594: :2012/3/10(土) 00:37:34 ID:5Ed33nzkrM

「聡依殿っ」

不安そうに声を上げる暁の頭を、やや乱暴に撫でる。揺れるその目をじっと見つめ、にっこりと笑って見せた。
まぁ、大丈夫だろうという聡依らしい答え。暁はしぶしぶ、頷く。

「まぁ、この通り打たれ弱いんだから。あんまり苛めないでよね」

「承知いたしました」

深くさとりが頭を下げる。それに軽いため息を吐き、聡依は暁に目を戻した。
不服そうな顔が目に入り、思わず笑ってしまう。

「なんで笑うんですかっ」

不機嫌からか、噛みつくように暁が言った。聡依は笑みを浮かべたまま、再び雑に彼の頭を撫で、そして今度は柔らかに笑みを重ねる。

595: :2012/3/10(土) 00:38:18 ID:5Ed33nzkrM

「大丈夫だから、たぶんだけれど」

「大丈夫って……」

頭に乗った優しい手に、自分の手を重ねる。何となく馴染みのある体温に少しだけ心が落ち着いた。
それがわかったのだろうか。聡依はうん、と一つ頷き、手を離す。

暁が手を追って聡依を見上げると、彼はまだ笑みを浮かべたままだった。大丈夫だって、と呟く声が耳に届く。
大丈夫、と口の中で呟いてみた。大丈夫、だろうか。わからないけれど、そう思うてみるのもまたいいかもしれない。

暁は小さく聡依に向かって頷いた。

596: :2012/3/10(土) 00:38:52 ID:5Ed33nzkrM
いきなり失敗してしまったorz
きょうはここで終わりです
ノシノシ
597: :2012/3/11(日) 00:51:13 ID:5Ed33nzkrM
今日もとんとんと投下していきますねー
598: :2012/3/11(日) 00:53:58 ID:5Ed33nzkrM

 障子の閉まる音が聞こえた。黙って座卓を見つめていたさとりが、顔を上げる。やや不安げなまま、暁は彼を見つめ返した。
布越しの瞳は何も語らぬ。じっと見つめたままでいると、不意にさとりは頬を緩めた。

「羨ましい限りです」

「え?」

ふと吐かれた言葉に首を傾げた。さとりは穏やかな笑みを浮かべたまま、暁をじっと見つめ返す。
しかし、それに先ほど感じた不気味さは微塵も無かった。

「主との関係がとても。私たちはとても、こう、そんなに柔らかなものではありませんでしたから」

「主との関係……」

ふと、思い返す。

599: :2012/3/11(日) 00:56:07 ID:5Ed33nzkrM

 聡依と暁の関係というのは主と使いという関係ではなかった。どちらかといえば仲のいい友達、又は兄弟のようで。

 さとりに目を戻す。彼は依然として笑みを浮かべていたが、主、と言う彼の声は少しだけ冷たいものだった。
それは、10代目を思うろくろ首のものとも、15代目を慕う夢売りのものともまた違っていた。優しさがない、ひっそりと呟く。

「私と彼が一緒にいるのはまた不思議なものでした。しかし彼の行動が私のことを思ってのことでした。……それに気が付いたのは彼がいなくなってからの事でしたが」

目を伏せた彼はやはり悔いているのだろうか。初代との関係を。
そもそも後悔してしまうような関係など、どのようなものなのか。羨ましい、と言われた聡依と自分のことを思い浮かべ、暁は首をひねった。

「彼はよく、私に『〜をだけをすればいい』と言いました。私は随分と都合よく使われたものです。私に感情など無いかのように、彼の指示は優しくなどありませんでした。気遣われたこともありませんでした。淡々と命令を出す彼に、私は淡々と返すだけでした」

600: :2012/3/11(日) 00:58:54 ID:5Ed33nzkrM

さとりは目を伏せたまま、言葉をつづけた。
彼の言葉もまた、淡々としている。それはまるで、彼と主の関係をそのまま表しているようにも思えた。

「あの人は私に何も語ってはくれませんでした。誰にも何も言いませんでした。とても冷たい人でした。しかし、それは怖かったのかもしれません」

「怖かった?」

言葉を繰り返すと、さとりが顔を上げる。しばしの間、じっとこちらを見つめた彼は、不意にふんわりと笑みを浮かべた。
なぜだろう、それを見た暁は少しだけ寂しくなる。
601: :2012/3/11(日) 01:02:19 ID:5Ed33nzkrM

「えぇ。彼は人に優しくして、裏切られるのが怖かったのです。そんなあの人が、私にした最初で最後のお願い――」

彼は言葉を切ると、口元を引き締めた。自然と、暁の背筋も伸びる。

「そのために今日は来ました。私はあなたにいくつか話をしなければなりません。一つは、あなたが憑き妖に相応しい妖かどうか。まぁ、これは先ほどの様子から判断すると、問題ありません。もう一つは、憑き妖は一体何をすべきか。そして最後は、あなたに、本当に彼の憑き妖でいる覚悟があるのか」

覚悟、という言葉が重くのしかかった。口を閉ざし、固い表情をした暁に、さとりはまたも笑みを浮かべる。

602: :2012/3/11(日) 01:06:00 ID:5Ed33nzkrM

「そんなに重たい話をする気はありません。一つ目、はいいでしょう。では残り二つを、話して行きましょうか」

暁はゆっくりとさとりに頷く。彼の何を見てそう判断したのか、さとりもまた一つ頷いた。
さとりは茶で口を潤し、ゆっくりと卓上に湯呑を戻す。

その底と座卓がぶつかり、音を立てるのを聞くと、さとりは口を開いた。

603: 名無しさん@読者の声:2012/3/11(日) 01:08:50 ID:5Ed33nzkrM

 客間を出た聡依は、しばらく自室で将棋盤と向き合っていた。
しかし、なぜだか集中できない。妙に客間の方が気になり、何度もそちらに目をやってしまう。
その行動に彼自身も、自分らしくないと思うのだろう。やや面倒くさげに髪を掻き上げた。

「こうしていても気になるだけだしなぁ……」

ちらっと外に目をやると、心地よさげな日差しが降り注いでいた。先ほどの柔らかな風。そろそろ春だな、と呑気に考え、頬を緩める。

「散歩でも行くかなぁ。退屈だし」

彼は一つ、手を打つと、将棋盤を片し始めた。駒を集め、箱にしまう。
それらを盤の上に置き、いつもの場所にと移動させた。

「よろしい。では、行きましょっ」

誰に言うでもなくそう呟き、うんっと一つ、大きく伸びをした。

604: 名無しさん@読者の声:2012/3/11(日) 01:10:26 ID:5Ed33nzkrM

 一人、草履を履き、門をくぐる。柔らかな空気に包まれた外は、すっかり冬を忘れているようだった。

 聡依は川沿いをぶらぶら歩きながら、周りを眺めていた。
冬だなぁ、と呟いてしまうような、空の青の薄さ。そんな彼の目に映ったのは、二匹の猫の姿だった。

「にゃにゃっ! バカ家主だにゃっ!」

「やぁ、元気?」

声をかけてきたのは猫の方からである。聡依は二匹の前でしゃがみこみ、そう言葉を返した。

「元気だにゃ。お前も相変わらず元気そうだにゃ」

毛並みの美しい三毛猫の方が答えた。隣のぶち猫は、軽い欠伸をする。
そちらの方は野良猫のようだ。若干、毛並みが汚れている。

「お前んとのバカ猫は元気かにゃ?」

605: 名無しさん@読者の声:2012/3/11(日) 01:12:22 ID:5Ed33nzkrM

「うん? バカ猫って暁の事?」

あれはバカだけど、化け猫だよ。付け加えられた言葉に、ぶち猫が笑った。聡依も笑みを返す。


「そういえば最近、ネコ集会していないみたいだけど。戦は終わったの?」

二匹の猫たちはそろって首を横に振った。
戦、というのこの町の南と北で分かれた猫たちの戦いのことである。確か、第4次南北猫戦争だったと聡依は記憶していた。

「休戦しただけだにゃ」

「正月を挟んだでしょう? それでお互いに気が緩んだから、冬が終わるまで休戦しようって話になったにゃ」

一体何を賭して戦っているのかはわからないが、忙しそうな猫たちである。ふうん、と適当な相槌を聡依は打つ。

「じゃあ、まぁ頑張って」

そう言って話を打ち切る。
散歩に戻ろうと、膝を伸ばしていると、ぶち猫が彼の足を叩いた。
606: 名無しさん@読者の声:2012/3/11(日) 01:14:58 ID:5Ed33nzkrM
>>603-605はわたしですorz
今日はこの辺でノシノシ
607: :2012/3/12(月) 00:10:06 ID:5Ed33nzkrM
今日もとんとんと投下していきますねー
608: :2012/3/12(月) 00:11:37 ID:5Ed33nzkrM

「実は、助けてほしいことがあるにゃ」

「助けてほしいこと?」

まぁ、座れ、と三毛猫が地面を叩いた。聡依は聊か不満らしく、眉を顰めながら再び座る。
暇じゃないのに、などとぶつくさ言っているが、どう見ても彼は暇人である。

「実は……、裏山で猫の失踪が相次いでるにゃ。噂によると、そこには何か得体のしれないものがいるらしくって、それが猫たちを食べているんじゃないかって……」

ぶるっと三毛猫が身を震わせた。そうやらその光景を想像したらしい。
聡依は眉を顰めたまま、顎に手をやった。何やら考えている風で、ぶち猫たちは期待のこもった眼で彼を見つめる。

「猫を食べる? 聞いたことがないな」

勘違いじゃないの? と首を傾げてやると、猫たちはそろって彼の足に猫パンチを繰り出した。聡依は面倒くさそうにそれを払いながら、冗談だよ、と弁解する。

「いなくなる猫の数が最近増えてるんだにゃ。前は、単に裏山に行った猫たちだけだったんだけど、最近は関係なくいなくなっているんだにゃ」

609: :2012/3/12(月) 00:13:07 ID:5Ed33nzkrM

「それはそれは……」

困った話だ。猫たちは不安そうに、顔を見合わせていた。
聡依も無差別に消えていくという言葉を聞き、ようやく深刻に考え始めたらしい。眉をしかめ、妙だね、と呟く。

「帰って来た猫は、いないんだよね?」

二匹はそろって頷いた。聡依もそれに頷く。何とかしてやりたいが……、しかし今すぐできるものでもない。地面を見つめながら考え込む聡依。ふと彼は一つ息を吐くと、猫たちの方に目を戻した。

「悪いけれど、今すぐどうにかできることじゃない。それはわかるだろう? だけど、何か探ってみるよ」

猫たちはパッと顔を輝かせ、元気良く頷いた。それを見て、聡依もほっと息を吐く。

「あっ、でも……、あたしら、お前に何も返すことが出来ないにゃ」

三毛猫がしょぼんと耳を垂らした。聡依が報酬を受け取ることを知っているらしい。
そんな猫に、彼は楽しげに声を漏らして笑う。

610: :2012/3/12(月) 00:14:39 ID:5Ed33nzkrM

「何言ってるの。猫に報酬をせびるほど飢えちゃいないよ。もし飢えていたとしても、お前らに何かを貰うくらいなら、その辺で犬死することを選ぶね」

にやりと笑みを乗せると、猫たちは戸惑ったように顔を見合せた。
割と律儀なのだろうか、無報酬で何かをしてもらうと言うのはむず痒いらしい。
聡依はそんな彼らの頭を乱雑に撫でまわす。

「がたがた言ってないで、うんと言いなさい。猫なんてね、人を顎で使うくらいがいいんだよ」

随分極端な意見だが。しかし猫たちはその言葉で踏ん切りがついたらしい。確認するように互いに顔を見合わせ、頷きあうと、聡依の方に顔を戻した。

「じゃあ、頼むにゃ」

「贅沢なお願いだけど、なるべく早く。みんな怖がっているにゃ」

「了解っ。まぁ期待しないで待っててよ」

頼むよ、と口々に言う猫たちに、聡依はそう答えた。彼らはやや不安そうな顔をしながらも、ゆっくりと首を縦に振る。
それを見た聡依は、再び猫たちの頭を軽く撫で、ゆっくりと立ち上がった。

611: :2012/3/12(月) 00:15:41 ID:5Ed33nzkrM

「それにしても、猫を食べるねぇ……、あぁ、食べるはまだ確定で無いのか」

 猫たちと別れた聡依は、一人、そんなことを呟きながら歩く。
どこに向かうでもなく、なんとうなく歩きながら先ほどの話を考えていた。

「猫、猫、猫かぁ。猫なんぞ攫って何かいいことでもあるのだか」

ただ食費が嵩むだけじゃないか、と彼は憤慨する。しかし、妙な話だった。
裏山に寝付いているという何かが猫を攫っているとは。そんな話、聞いたこともない。

「傘貸しおばけの話なら、聞いたことがあるんだけどなぁ」

ふぅ、と息を吐き出した。まぁ、考えていても煮詰まるのみだ。
そこら中から、情報を集めなければ何にもできない。
そう考えた彼は、清次の貸本屋にでも行こうかと、足の向ける方を変えた。

612: :2012/3/12(月) 00:17:20 ID:5Ed33nzkrM

 と、その時だった。聡依は、何やら妙なものを目の端で捉えたような気がして、その足を止める。
その動く方に向かって目を動かすと、そのあとを猫が追っているのに気が付いた。

「まさか、ね」

口の端に苦笑いを浮かべ、ゆっくりとそちらを振り返る。何やら大きな猫じゃらしのようなものが、ふわふわと宙を漂っていた。
もちろん、皆に見えるものではない。妖の類か、はたまたそれが作り出した幻覚か。

「大正解、なら嬉しいけど。なんだか罠にかかった気分だなぁ」

こんなにすんなり、元凶を見つけてもいいものか。
あの猫じゃらしを追う猫たちのように、自分もまさかはめられているのでは?
胸の奥にある妙な違和感が引っかかり、追うのを躊躇う。

613: :2012/3/12(月) 00:18:12 ID:5Ed33nzkrM

「しかし、ここで追わぬとなると次お目かかれるのはいつになるかわからないしねぇ」

なるべく早く、と息を詰めていた猫を思い出す。聡依はじっとそれを見つめながら、困ったように頬を掻いた。

追うが正解か、追わぬが正解か。

暁なら、追うなと怒るだろう。浮かんだ猫の顔を掻き消し、聡依は一つ、自分に向かって頷いた。

「よし、悩んでもしようが無い。とりあえず追って見ますか」

深追いだけに気を付ければいい。何かあれば、すぐに逃げればいい話だ。
そう結論付け、彼はやや足を速め、それの後を追いかけた。

614: :2012/3/12(月) 00:19:58 ID:5Ed33nzkrM


 猫たちを追っていくと、やがて山に入って行った。鬱蒼としたそこは、雪がまだ残っており、滑りやすい。
何度か転びそうになり、そばの木に掴まる。そんなことを繰り返しているうちに、聡依の足取りも慎重なものになっていた。

「一体どこまで行くんだよ……」

チラリと空を見上げれば、もうすっかり茜色に染まってしまっている。帰るころには真っ暗になっているかもしれない。
引き返そうか、と聡依が足を止めた時だった。

「えっ? あっ、うわっ」

溶けかけた雪に足を滑らせ、転びかける。
必死でそばの木に手を伸ばしたが、掴んだのは細い枝だったらしい。パキっと乾いた音を立てると、頼りなく折れてしまった。
そのまま地面に尻餅をつくが、雪面では止まりそうにない。


615: :2012/3/12(月) 00:21:43 ID:5Ed33nzkrM

「うわぁあぁっ」

斜面を滑り落ちていく感覚に、胃の腑が冷えるような思いをした。
夢中で何かに掴まろうと手を伸ばすが、一向に止まる気配はない。
恐怖にギュッと目を瞑った瞬間、ふわっと体が、一瞬だけ浮いた。

「えっ?」

何やら軽い段差があったらしい。体が宙に投げ出され、すぐに地面に叩きつけられる。
背中に一瞬だけ痛みが走り、それがすぐに熱さにと変わった。

聡依は体の痛みに顔をしかめ、やや疲れたようにその場に延びる。
はぁ、と軽いため息を吐き、すっかり薄暗くなってしまった空を、気だるげに見上げた。

616: :2012/3/12(月) 00:22:23 ID:5Ed33nzkrM
今日はこの辺で終わりですノシノシ
617: :2012/3/12(月) 23:06:00 ID:Pb8nfFihjY
今日も投下していきますねー
618: :2012/3/12(月) 23:12:29 ID:woecc2OYmg

「憑き妖として、やらなければならないことはただ1つです」

静かな部屋の中で、さとりはそう一言、言い放った。1つ、と言葉を声には出さずになぞる。

さとりは軽く息を吐くと、再びその口を開いた。

「それはもちろん、結び人を支えること。言葉にすると一言ですが、実際には違います。それは、わかりますよね?」

それに暁は頷いた。どの行動も、聡依を支えることに結び付く。

しかし、それは以来に関することであったり、彼の個人的なことであったりもする。

……彼自身のことについては、ほとんど触れることができていないのが現状だが。
619: :2012/3/12(月) 23:19:04 ID:Pb8nfFihjY


「だけどまぁ、それを私たちが言うのは無理な話です。彼らにはそれぞれ、必要なものが違います。だから、あなたは彼のために一体何が出来るのか、何をするのが一番いいのか。それだけを考えてください。」

さとりは柔らかに笑って見せた。やや嘲りを含んだそれに、暁は眉をひそめて身構える。

嫌みを言われるだろう。そう予想したが、さとりが紡いだ言葉はそれと反していた。

「もっとも、そんなこと、私が言えることではないのですが」

自嘲だったのか、と浅い息が漏れる。
さとりはふと、先ほど見せた自嘲をその表面から消し去り、優しげな表情を浮かべる。しかし、あの重たい嘲りは彼のどこかに仕舞われているのだろう。暁はそれに顔を歪めた。
620: :2012/3/12(月) 23:22:30 ID:Pb8nfFihjY


「憑き妖がしなければならないことは、人によって言うことが違います。ただ、忠実に結び人の言うことを聞けばいい、という人。彼らの内面までをも支える必要があるという人。それ以外にも多々います。恐らく憑き妖の数だけ、その答えは違うでしょう」

暁はその言葉に頷いた。

「私にもまだわかりません。私はずっと、主の命令に従っていれさえいいと思っていましたから」
621: :2012/3/12(月) 23:28:44 ID:woecc2OYmg

さとりは言葉を切り、また目を伏せた。座卓の角をじっと見つめ、それからふと暁に目を戻す。暁も、目をそらさなかった。

「しかし、こうして長年憑き妖と話をしていると、1つだけ分かったような気がするのです。それは、あなたがどんな時でも彼の味方でいてあげることです」

「味方?」

さとりはゆっくりと頷いた。

「長く一緒にいれば、きっとわかると思いますが、この世の中は彼らの味方ばかりではありません。今は寧ろ、敵の方が多いのでしょうね。そんな中で、どんな時も揺るぎない味方がいればいいと、私は思うのです。そうすれば、彼らはきっと安心して自分のやりたいようにやれる。そんな存在が、憑き妖なのではないかと私は思ったのですよ」


622: :2012/3/12(月) 23:32:21 ID:woecc2OYmg

彼は少しだけ、寂しげに微笑んだ。暁は何か言おうと口を開き、結局何も言わずに口を閉じる。

何を言えばいいのか、わからなかった。

そんな彼の心がわかるのだろうか。さとりはそれに触れることなく、再び口を開いた。

「さて、最後の1つをお話ししましょうか。これが、今日私がここに来た、一番の理由です」

最後の1つ、それは憑き妖でいる覚悟。暁は迷うことなく、頷いた。
623: :2012/3/12(月) 23:37:13 ID:Pb8nfFihjY


「もちろん、覚悟はできています。」

そんな彼に向かって、さとりはゆっくりと頭を振った。それを見た暁は、一瞬言葉を失い、それからムッと口を尖らせる。
自分の覚悟を、無下にされたような気分になったのだ。

「1つ、話を聞いてください。それから、もう少しだけ、考えていただきたい。あなたがなおざりな気持ちで、憑き妖でいるとは思っていません。ただ、1つだけ。もう少しだけ」

諭すように言われ、暁はしぶしぶ頷いた。別段、反対される風でもない上に、1つだけならいいか、と。

さとりはやや、強張った顔で笑みを浮かべると、深く息を吐き出した。

「恥ずかしい話を、させていただきましょうか」

それは、彼と彼の主の話だった。
624: :2012/3/12(月) 23:41:58 ID:woecc2OYmg

「死にたいのか?」

何かの気配で目を開けた。

いつのまにか眠っていたらしい。とりあえず起き上がろうと体を動かすと、背中と腰に思い痛みが走る。

「こんなところで、何で寝てる?」

痛みに顔をしかめながら、なんとか声の方を向く。見たこともない少女が、傍らにしゃがみこみ、こちらをじっと見つめていた。

長い黒髪が地面についてしまっているが、気にならないらしい。彼女は一心にこちらを見つめる。

「え?」

思わず間抜けな声が漏れた。聡衣はうまく回らない頭をなんとか回し、ようやくこの状況を理解する。
625: :2012/3/12(月) 23:45:47 ID:woecc2OYmg


「そうか、足を滑らせて……」

ここで体を打ち、うんざりと目を瞑ったところまでは覚えていた。
だからと言って、寝るか? さすがの聡衣も、自分の神経を疑う。
この季節、彼女の言う通り、下手をすれば死んでいたかもしれない。

「おい。無視するな」

少女が聡依の手を引き、聡強く言った。彼はやや鬱陶しそうな顔をそちらに向け、乱雑に手を払う。

「お前、何もの?」
626: :2012/3/12(月) 23:46:42 ID:woecc2OYmg
今日はここで終わりです
また明日ー
ノシノシ
627: :2012/3/14(水) 01:04:17 ID:Z.rFMziDCI
今日もとんとんと投下していきますねー
628: :2012/3/14(水) 01:05:53 ID:6HFVrt4Uww

若干不機嫌な声で聡依が尋ねた。冷たいその物言いに、少女はぎゅっと眉をひそめ、再び聡依の手を掴む。

「童。見ればわかるだろ」

絶対只の童ではないだろ。呆れながら頷き、聡依は彼女に話の続きを促した。

「それで、何?」

「何? じゃない。僕がお前を助けてあげたんだ。僕がお前を起こさなかったら、お前死んでたんだからな」

聡依はそばの木に掴まり、軽く息を吐く。体を起こしているだけで、全身に鈍痛が走り、辛いかった。

629: :2012/3/14(水) 01:06:24 ID:Z.rFMziDCI

彼はちらりと少女に目をやると、小さな声でその怒りに応えた。

「そりゃどうもありがとう」

一先ずお礼を言い、聡依はまた息を吐く。何かなっているのだろうか、特に左足と腰が痛んだ。

顔を歪めながら、空を見上げる。茜色だったそれは、すっかり藍色にその姿を変えていた。

「あぁ、帰らないと」

皆が待っている。小さく呟く。しかし、帰れるかはわからないが。
痛む腰に手を当て、またも浅く息を吐いていると、隣で少女が緩く首を振った。その意味を、横目で問う。

「帰れないよ。ここからは出られない」

「なにそれ、どういうこと?」

630: :2012/3/14(水) 01:06:55 ID:6HFVrt4Uww

彼女は四方を指差し、1つため息を吐く。心底、うんざりととしたようなものだった。

「ここには結界が張られている。誰がやったかはわからない。けど、これの所為で出られない。普通の人はいいけどね、お前は無理」

「結界? なんでまた」

「知らない。悪戯じゃないか?」

聡依はその言葉に白目を向き、そのまま力なく木に寄り掛かった。滑って転び、腰を打ったと思えば、今度は結界ですか、と。彼は嫌な顔でため息を吐くと、ツイてないなぁと呟く。ある意味、憑いているのかもしれないが。

「何て素敵な仕掛けなんでしょう。お兄さん、感激」
などとふざけながらも、その顔は笑う気配すらない。少女もにこりともせず、ただ妙な顔で聡依を見つめていた。突然おかしなことを言い始めた、とでも思っているのかもしれない。

631: :2012/3/14(水) 01:07:26 ID:Z.rFMziDCI

「参ったなぁ……」

ため息とともに吐き出し、聡依はまた木に身を預けた。

このまま何もかも忘れて寝てしまいたい。そんな気にすらなる。

しかし、ここで寝るわけにはいかないのだ。いくら春が近しくなったとはいえ、季節はまだ冬。

凍死は確実だな、と笑い、自分の気をしゃんとさせた。

「お前は? こんな風に囲われちゃって、困ってないの?」

「困っている。退屈」

退屈程度ならいいじゃないか。皮肉が飛び出しそうになるのを堪え、聡依は神妙に頷いた。

もし今、結界を張った奴を見つけたら、迷うことなく切り捨てるだろう。それくらい、深く恨みつつ、今はそれじゃないと首を振る。

632: :2012/3/14(水) 01:08:07 ID:6HFVrt4Uww

「どうにか結界が解ければなぁ。出来ないこともなさそうな気がするんだけど」

聡依は立ち上がろうと、そばにあった木の枝をつかんだ。一瞬、気が遠くなるほどの痛みが彼を襲ったが、すぐさまその体を少女が支える。ありがとう、と短く礼を言い、ゆっくりと立ち上がった。

「解けるのか? 解ければなぁ、僕、お前に何でもしてやろう」

「何もしなくて結構。強いて言うなら、家に帰してほしいけどね」

「……わかった」

深く頷いた彼女を、ちらりと聡依は見る。期待はしないよ、と彼は笑って付け足した。

「さて、結界がどんなのか、見てやろうじゃないか。本当ならその張った主を引っ叩いてやりたいとこだけど」

「僕が見たところ、全く見覚えのない物だった。自分じゃ全然解けなくて、凄く腹が立っていたんだ」


633: :2012/3/14(水) 01:08:35 ID:Z.rFMziDCI

ふうん、と相槌を打ち、聡依はまた少女をちらりとみる。彼女は終始無表情だった。しかし、その頬がほんのりと紅色に染まっていて、可愛らしい。

「それよりお前、何をしに来たんだ?そんな格好で」
言われて自分の足元を見た。そういえば、散歩のついでだったので、古びた草履など履いてきてしまった。確かに雪の積もる山に来る格好ではない。

思い付きで行動するから、とまたも聡依は自分に苦笑いをこぼす。

「あぁ、近所の猫に頼まれて。妙な大きい猫じゃらしを追ってきたんだよ。そしたらここに来て、途中で足を滑らせてさ」

「猫じゃらし?」

彼女がこちらを見上げた。なにか? と聡依が眉をあげると、少女はどこか遠くを見るような目で、ふと考え込む。

まさか身に覚えでもあるのではなかろうな。聡依が眉をひそめたとき、彼女は合点が行った様子で手を叩き、口を開いた。

「ごめん、それは僕がやった奴だ」

634: :2012/3/14(水) 01:09:35 ID:Z.rFMziDCI

その言葉に深くため息を吐き、聡依が顔を手で覆った。ひどく脱力してしまったらしい。そんな彼を気遣いながら、少女はすまんな、ともう一度謝る。

「いや、いいよ。なんだかそんな感じもしたし」

乾いた笑い声を響かせ、聡依は彼女にそう言った。そうか、と少女は応えるが、未だに申し訳なさそうである。

しかしねぇ、と呟きながら、聡依は少女に目をやった。

「なんであんなことを? 猫たちの間じゃ、猫が食べられているって噂になってたよ?」

「猫を食べる? 僕にそんな趣味はない」

「だろうね。だけど、猫を集める趣味はあるのかい?」

635: :2012/3/14(水) 01:10:03 ID:Z.rFMziDCI

少女は聡依を鼻で笑った。まさか、と首を振り、小さくため息を吐く。

何やら込み入った事情でもあるのか。聡依は少女の言葉をじっと待っていると、彼女はやや疲れた顔で、言葉を紡ぎ出した。

「妙な結界が張られてから一月。まぁ、それまでも暇だったんだがね。ここから出られなくなって、ひどく退屈していたんだ。そうしたら、妙な猫がやって来て、北側の猫をみんな山に閉じ込めてくれないか、と言ってきた。その報酬は何でもくれると。笑ってやったよ」

南北猫戦争か、と聡依は思い当たった。

彼女は鼻を鳴らし、うんざりと呟く。


636: :2012/3/14(水) 01:10:55 ID:6HFVrt4Uww
今日はこの辺で
ノシノシ
637: :2012/3/15(木) 00:42:09 ID:xZgsXzpN3.
今日も投下していきますねー(´ω`)
638: :2012/3/15(木) 00:44:02 ID:8EzdbQEYJk
「だけど、退屈だったんだ。そんなくだらないことにも頷いてしまうほど」

「退屈、ねぇ」

先程から何度もはかれる退屈、という言葉。それは寂しかった、の間違いではないのか。

聡依は彼女を窺う。少女は聡依を支えながら、俯き、こちらを見てはいなかった。

「もうあんなことはやめるよ。僕はね、もともと報酬なんて要らなかったんだから」

結界が解ければ、猫も返せるさ。彼女は小さな、小さな声で呟いた。


639: :2012/3/15(木) 00:44:34 ID:8EzdbQEYJk

僕も困ってたんだ、と言葉を付け足す彼女に、元気はない。聡依は軽く眉を上げ、その様子をただ黙って眺めていた。


「ここだよ」

彼女が指差した所には一本の木が。その幹に何やら妙なものがくくりつけられている。聡依は目を細め、首をかしげた。

「見たこと、ある?」

「いや……、ないよ」

よく見るような札ではない。陰陽道系なのだろうか。細かい花のような細工のそれを手に持ち、聡依はますます首をかしげた。

彼女はそんな聡依を訝しげに眉をひそめ、眺めている。

「触れるのか?」

「ん? あぁ、ちょっと嫌な感じはするけどね。今は体の方が痛いし、気にならないよ」

これでも一応は人だし、という言葉に苦笑いを添える。少女は何も言わず、ただ聡依の傍らに立っていた。

640: :2012/3/15(木) 00:45:07 ID:8EzdbQEYJk

その場に腰を下ろし、聡依はその細工を解き始めた。少女は彼の体を支えようと、その背に背をつけて座る。ちらりと瞳だけを動かし、小さな声で聡依は礼を呟いた。

「あんたは触れられなかったのか」

何かそういうものでもあるのかもしれない。彼女が頷くのが、振り向かなくてもわかった。

聡依は紙でできたそれを解いていく。まるで飾りのようなそれは、随分と器用な人が作ったのだろう。引き千切ってもいいのだが、後が怖い。

暇人め、と苦笑いをこぼしつつ、彼は地道に手を動かしていった。

「解けそうか?」

「うーん、たぶん」

通して引いて、慎重に。それにしても、解いている内に気がついたが、どうやら一本の紙切れでできているらしい。捻ってあるものの、よく千切れずにこんな細かいものができたな、と妙に感心してしまう。

「これ、この周りに4つあるんだが、全部解くのか?」

少女の声が背中に響く。くすぐったいその感触に、聡依は小さく笑いを漏らした。彼女が不思議そうに首をかしげているのがわかる。

641: :2012/3/15(木) 00:45:34 ID:8EzdbQEYJk

「いや、多分さ、4つでぐるっと結界を張ってるはずだから。1つ解けば問題ないと思う。まぁ、ダメだったらもう、全部引き千切るよ」

「気の短い男だな」

少女が聡依を鼻で笑った。彼はそれに苦笑いを返し、また黙々と手を動かす。少女も何も言わず、ただ聡依に背を預けていた。


耳が痛いほどの沈黙が、二人を包む。程好く冷えた夜の空気は、息を吐けば白く色づいた。

「それにしても、随分と静かだね」

固くなってしまったところに苦戦しながら、聡依が呟く。うん? と、柔らかな声が聞こえた。

「そりゃここにいるのは、僕と動物くらいだからな」

ふうん、と相槌を打つ。ちらりと後ろを窺ったが、彼女の顔は見えなかった。細工に目を戻し、一瞬迷ってから再び口を開く。

「人恋しくない? こんなところに一人で」

「人恋しい? まさか」

ハッと、少女は聡依をバカにするように笑った。小さく何度か首を振りながら、馬鹿馬鹿しいと呟く。

「人なんかと馴れ合ってどうする。僕はこの山の主だぞ?」

642: :2012/3/15(木) 00:46:03 ID:8EzdbQEYJk

「あっ、そうだったんだ」

拍子抜けするほどあっさりと言った聡依に、少女は目を向いた。この男の呑気具合に呆れ返ったのだろう。それから気を取り直すように小さなため息を吐き、少しだけ寂しそうな目で、空にポカリと浮かぶ月を見上げる。

「誰かにいてほしいなんて思ったことはないさ。お前たちは貧弱で、それから凄まじく自分勝手だ。永遠なんてあり得ないのに、平気な顔でそう口にする。」

それは聡依に向けられた言葉にしては、妙なものだった。相槌を打ちながら、誰のことを言っているのだろう、と思案を巡らす。もちろん考えてもわかるはずかないのだが、考えずにはいられなかった。

「お前たちは僕のことなんか忘れる。何かあったときだけ、僕を頼る。ずるい、ずるくてそして、……ずるい」


643: :2012/3/15(木) 00:46:47 ID:xZgsXzpN3.

ずるい、を三度重ねた彼女は、言葉に飢えていた。どんな風に言えばいいのかわからない。もしくは、分かっているけれどその言葉を口に出したくない。そんな戸惑いが、背中越しに伝わってくる。

「でも、僕はお前たちのことなんか忘れられない。お前たちが忘れても、僕らはずっと覚えている。だから、お前たちはずるい」

深いため息が聞こえてきた。聡依は何も言わず、ただ黙々と手を動かすのみ。

徐々に小さくなる飾り。この作業もそろそろ終わりに近づいてきていた。
644: :2012/3/15(木) 00:47:47 ID:xZgsXzpN3.

一瞬、部屋の中が静まり返った。固唾を呑む暁に、余裕のある笑みを浮かべたままのさとり。

彼は卓上の湯飲みを撫でると、不意に口を開いた。

「私は悪戯ばかりするどうしようもない妖でした。人にさとりの目を与え、その反応を見て弄んだり。私が一生を狂わせてしまった人もいました。そんな私を退治しに来たのが、主でした」

退治に来たはずが、気が付けば彼の憑き妖にされていたのだという。随分と強引で、自分の意見など全く聞き入れてくれなかった。彼は苦笑いをこぼしながら、そう呟いた。

「私は断ることを諦め、仕方なく彼の憑き妖になりました。思えば、そういう作戦だったのかもしれませんね」

否定をすれば怒鳴られ、反対をすれば嫌がられる。常に一方的に押し付けられ、彼を心の底から恨んでいた、とさとりは言った。

彼は目の包帯を触り、これも主に言われたのだと明かす。


645: :2012/3/15(木) 00:49:18 ID:xZgsXzpN3.

「人というのは、こんなにも嫌な生き物なのかとうんざりとしていました。しかし、知らぬ間に私は人を好きになっていました。主に苛められる私が可哀想だったのでしょう。周りの人は、とても優しかった」

主以外の人はみんな仏のように思えた、とさとりが漏らす。目を丸くしている暁に、彼は陽気に微笑んだ。

「彼は私によく、人は好きかと尋ねました。私はそれに、あなた以外の人は好きだと返していました。するといつも笑うのです。よくよく考えると、あの顔は策に嵌まる私をバカにしていたのでしょう。とても愉快げでした」

そんなことを言うさとりの顔はとても穏やかだった。

ふと、暁は夢売りのことを思い出す。そしてろくろ首のことも。彼らは一様に、自分の主の話をするとき、穏やかな顔をした。自分はどうなのだろうか。そんな、疑問にぶつかる。

「嫌なことはたくさんありました。それでも、一人、人に悪戯していた頃よりは断然穏やかで、幸せな日々でした。そんなある日、主が亡くなりました。まだ、30になったばかりでした」

646: :2012/3/15(木) 00:50:03 ID:xZgsXzpN3.
中途半端ですが、今日はこの辺で
ノシノシ
647: :2012/3/16(金) 00:50:18 ID:OV6VKvhVKQ
今日も投下していきますねー
648: :2012/3/16(金) 00:52:20 ID:RGhT0WXoMQ

「30で……」

思わず漏らした暁に、さとりは軽く頷いた。確か、先代の春芳も20代の内に亡くなっている。

まさか、と暁の口が動いた。声が、でなかった。

「お察しの通り、結び人は短命な方が多い。稀に人並みに生きる方もいますが、大抵は急ぎ足でその生涯を遂げてしまう。理由はわかりません。私が、教えて貰いたいくらいです」

さとりは自嘲的な笑みを浮かべ、軽く頭を振った。短命である、その事実に、暁は動けない。

「彼は私に手紙を残してくれました。それには色々なことが書かれていました。今までの態度を詫びる言葉、彼の本音、それから最初で最後の、頼み」

先ほども聞いた言葉だった。最初で最後の頼み。

さとりはそれを言うのを躊躇しているのだろうか。少し苦い笑みを浮かべ、すっかり冷めてしまった湯飲みに手を伸ばす。暁は口を挟むことなく、ただ彼の言葉を待った。

649: :2012/3/16(金) 00:53:05 ID:OV6VKvhVKQ

「それはこれから生まれるであろう結び人を支えてくれ、というものでした。しかし、私にそれはできません。理由はわかるかと思いますが、私はあくまでも初代だけの憑き妖だからです」

優しい表情が、さとりの顔に浮かんだ。暁はゆっくりと頷いて見せる。言わんとしていることは、よくわかった。

「ですが、言われたことを放っておくこともできません。だからせめて、私はこうして妖の支えになろうと思ったのです」

結び人を支える憑き妖を。目を伏せたさとりがそう呟く。暁はそれに黙って頷き、続きを促した。

「今まで話していて何となくわかっていただけたかもしれませんが。このように、私たち、憑き妖と結び人の関係というのは、彼らが死ぬまでのものではありません。彼らは何かしら、私たちに遺していきます。それは私の主のように頼みであることもありますし、単なる思い出かもしれません。しかし、それらは必ず、私たちを縛ります。いつになるかわからない、私たちの死ぬときまで、ずっと」
暁は何も言えず、俯いた。さとりの言葉はよく分かる。

ろくろ首も、夢売りも、彼が今まで見てきた憑き妖は皆、自分の主のことを忘れてなどいなかった。

650: :2012/3/16(金) 00:53:46 ID:RGhT0WXoMQ

200年も経ったというのに、未だに先代に執着する夢売りの姿が目に浮かぶ。
自分だけは大丈夫だと言える自信はなかった。

もし、聡依がいなくなったら? もし、彼が自分に何かを言い残したら? 聡依本人がいないこの世で、それを全うすることなどできるだろうか。考えるだけで、寂しさで気を違えそうになる。

「もちろん、結び人の中には何も頼まず亡くなられる方もいました。そちらの方が多いかもしれません。しかし、役目がないのもまた辛いこと。今更自分のために生きろと言われても、私たちには空しいだけなのですよ」

黙ったままの暁に、さとりはやや冷たい口調で告げた。

「こんなことを言うと、怒られるかもしれませんが、あなたにも選ぶことが出来ます」

「え?」

「あなたは無理をして憑き妖でいる必要はないということです。ただの猫として彼のそばにいることだって、できるのですよ」

651: :2012/3/16(金) 00:54:36 ID:RGhT0WXoMQ

その言葉に、暁の心臓が大きく跳ね上がった。なぜだろう、一度望みもしたことなのに体が強張る。ここでそうしますと言ってしまえば、どれだけ楽なのだろうか。それでも……。

膝の上で震える両の手は、彼に答えを教えていた。彼自身も、それをよくわかっていた。だから、俯いたまま首を振る。目を上げれば怯えているのがさとりにばれてしまいそうな気がして、それもまた怖かった。さとりが怪訝そうな顔をしているのが、何となく伝わってくる。

暁はギュッと強く目を閉じ、それからゆっくりと顔を上げた。恐る恐る目を開け、さとりを見つめる。その頃には、もう、怖じ気も怯えも消えていた。

「もう、今更無理です。あっしは死ぬまで猫又なんです。だから、今更猫に戻ることなんかできません。それはつまり、どう足掻いても聡依殿より長く生きるということです。そして彼の思い出も言葉も、抱えて独りになるということです」

暁の言葉に、さとりはゆっくりと微笑んだ。そこに、先ほどの冷たさは感じられない。むしろ、わずかだが嬉しさすら滲んでいるようだった。

「どうせ同じなら……、あっしは聡依殿が望んでくれた形で一緒にいたいです。それにもう、今更聡依殿から離れようなんて思いもしませんよ」

652: :2012/3/16(金) 00:55:11 ID:RGhT0WXoMQ

一瞬でも迷った自分がアホらしかった。暁は自分を笑い、しばらくそのままさとりを見つめる。さとりはじっと彼を値踏みするように見つめ、やがて、浅い息を吐き出した。

「こんなことを私が言うのは可笑しいですが……、人というのは、本当に魔性の生き物ですね」

「魔性?」

言葉の意図がわからず、思わず声に出して繰り返す。さとりはそれを軽く笑い、頷いた。

「えぇ、魔性、です。彼らは不思議ですね。私たちにとんでもない物を植え付けて、私たちより先にいなくなってしまう。なのに、一度関わったら忘れることができない。……、とんだ魔物です」

その辺の妖なんかより数倍質が悪い、とさとりは苦笑いをこぼした。まったくだ、と暁も賛同する。

軽く呆れたように首を振りながら――彼が一体、誰に呆れているのかは分からないが、さとりは深くため息を吐き出した。

653: :2012/3/16(金) 00:55:44 ID:OV6VKvhVKQ

「私たち妖は、生まれた瞬間から忌み物のようなものです。誰かに優しくされたことなど無い。温もりを与えてもらったことも、目をかけてもらったことも……。一度でもそれを与えられてしまえば、一体どうして忘れることができるのでしょうか。忘れることなんかできませんよ。人、というのはひどく優しい。だけど、それ以上に残酷ですね」

暁はそれに頷くことが出来なかった。元々猫だった彼は、人に愛されて育ってきた。元から妖だったわけではない。生き物の延長としつ、彼は妖になったのだから。

それを分かっているのだろうか。さとりはそれ以上、何も言わなかった。

654: :2012/3/16(金) 00:56:20 ID:OV6VKvhVKQ


どこか遠くで鐘の音が聞こえる。ふと、そとに目をやれば、薄い藍色が広がっていた。

さとりも暁も全く気が付かなかったが、部屋の中も薄暗くなっている。知らぬ間にかなり時間は過ぎて行っていたようだ。

「もうこんな時間ですか」

さとりも思わず声を漏らした。それに適当な返事をし、暁はぼんやりと空を見つめていた。

なぜだか、ひどく頭が疲れている。泣きすぎた次の日のように、頭がずっしりと重たく感じられた。

「私もそろそろお暇しませんとね」

さとりの言葉に、緩慢な動作で暁が目を戻す。こちらをじっと見つめたままの彼は、にっこりと暁に微笑みかけた。

「あの」

「はい、なんでしょうか」

「1つだけ、訊いてもいいですか?」

655: :2012/3/16(金) 00:58:56 ID:RGhT0WXoMQ

「えぇ、1つと言わず幾らでも」

その優しげな口調に甘え、暁は頷く。

しかし、訊くことは1つしかなかった。それは最初の方であっさりと流されてしまい、だがずっと気になっていたこと。若干不安もあるが、意を決し、口を開いた。

「聡依殿の憑き妖は、本当にあっしでいいんでしょうか」

一瞬、さとりはキョトンとした顔で暁を見つめた。その間に、暁の不安は膨れ上がる。

やっぱりダメなのか、と怯えに身を震わせていると、不意にさとりが声をこぼして笑い始めた。

予想外の反応に、暁は眉をひそめて彼を怪訝そうに窺う。

「いやいや、すみません。驚いてしまいまして……、ね」

驚いたのはこちらの方なのだが。しかし、莞爾と笑う彼に文句を言うこともできない。暁は間の抜けた声で返事をするだけで精一杯だった。

656: :2012/3/16(金) 00:59:14 ID:OV6VKvhVKQ

満足するまで笑ったさとりは、緩んだ口元を引き締めると、改めて暁と向き合う。暁もその真面目な雰囲気に、緩んだ気が引き締まるのを感じた。

「憑き妖にとって、大切なことは1つです」

さとりはとても穏やかに笑みを浮かべて言った。

「結び人がその妖を嫌いでないこと。そして、妖が結び人を嫌っていないこと」

その声はとても優しく響く。激しく揺れていた心が、不意に凪ぐのを感じた。

「ただ、それだけです」

657: :2012/3/16(金) 00:59:38 ID:OV6VKvhVKQ
今日はこの辺で
ノシノシ
658: :2012/3/16(金) 23:02:14 ID:GnN7FW4ixc
今日もとんとんと投下していきますねー
659: :2012/3/16(金) 23:04:16 ID:TMbkzyCM06

「まだ終わらないのか」

背の向こう側から、文句が聞こえてきた。

愚痴のような言葉を吐いたことを後悔しているのだろうか。聊か不機嫌に響く声に、聡依は苦笑いをこぼす。


山の主、というやつは想像しているよりもずっと自分勝手な生き物かも知れない。人といい勝負だな、と思いながら、後ろにちらりと目をやる。

「うん、もうちょっと。ごめんね、不器用で」

「全くだ」

嫌味のつもりで言った言葉をそのままの意味で解釈されたらしい。ますます顔に広がる苦い笑みに、聡依はため息を付け加えた。


660: :2012/3/16(金) 23:05:03 ID:GnN7FW4ixc

「それにしてもお前はうるさい男だな。男たるもの、寡黙な方がいい」

「それって偏見だよ。寡黙だとね、こう、取っ付き難いところがあるでしょ?」

「それこそ偏見だ」

1を聞いて10を喋る男は信用できなあ。そんなことを少女は偉そうに言った。

それにしても、よく喋るものだ。お喋りだと自他共に認める聡依ですらも、彼女のお喋りには敵わないかもしれない。他人のことを言えるのだか、彼は肩をすくめる。

「しん、としているのが苦手なんだよね」

「また、なぜ」

「なぜって言われてもなぁ」

飾りに集中しているふりをしながら、聡依は胸の内側を振り返る。あまり見ない領域に放り込まれたその理由を摘まみ上げ、そしてやっぱりその場に放った。わざわざ口に出したいと思うほど、綺麗なものではなかった。

661: :2012/3/16(金) 23:05:43 ID:TMbkzyCM06

「たぶん、あんたが人のことをずるいと思うのと似たようなものだよ」

「曖昧すぎてさっぱり分からん」

「随分と弱い頭だね」

若干鬱陶しそうに返し、聡依はあからさまなため息を吐いた。それに少女がムッとしたのが、背中を通して伝わる。

「つまりあれか。思い出したくもない何か、ということか。沈黙如きに」

「そちらこそ、山の主さまの癖して人なんかに」

何故だか互いに痛いところをつつき合っているような状態になってしまった。腹を立てながらも、険悪な雰囲気に途方に暮れる。

揃いも揃って意地を張ることだけは得意な所為か、そのまま二人はしばらく口を開かなかった。

「黙っているとさ、他人の声が聞こえるようで怖いんだよ」

「は?」

不意に口を開いた聡依に、少女は怪訝な声を出す。それを少しだけ笑い、彼は少女に構うことなく言葉を続けた。

662: :2012/3/16(金) 23:06:35 ID:TMbkzyCM06

「こんなの笑っちゃうくらい、下らない妄想だって分かってるんだけどさ。他の人は皆、どこか離れた場所から私を見ていて、そして笑われているような気分になる」

「どこか離れた場所?」

首を傾げる気配に、聡依は困ったような声で唸る。どうすればいいか、と暫し悩んだ後、首を掻きながらこう言った。

「檻と言う感じがぴったりくるかな。私は檻に入っていて、周りに人がいる。自分だけが隔離されている。そんな感じ?」

「そんな経験でもあるのか」

聡依は肩をすくめて見せる。答える気はないようで、それ以上何も言わなかった。


少女はぼんやりと宙を眺めながら、聊か胸に広がる苦味を味わう。聞くんじゃなかった、という後悔と、もう少し聞きたい、という好奇心が肩を並べて座り込んでいた。

「もう少しで終わるよ」

長くなった紙の端を、聡依が振って見せた。少女はそうか、てぼんやりとした声で返事をする。上の空の彼女に、ムッとしながらも、聡依は再び細工を解く作業に戻った。

「私がこれを解いたら、また独りぼっち?」

不意にそんなことを問うてみた。あまり深い意味はない。ただ何となく、この山に一人なら、ぞっとするほど寂しいのだろうと思っただけだった。

その向こうの彼女は、そんな聡依を嘲笑う。


663: :2012/3/16(金) 23:07:16 ID:GnN7FW4ixc

「あぁ、そうだよ」

彼の言葉を馬鹿にしきった調子で、少女は答えた。それに聊か眉をしかめながらも、ぐっと黙り込む。

今更何を? 冷たい声は、人である聡依にそんなことを言っているように聞こえた。あくまでも、人である彼に。

「一人だって何も困ることはない。僕はただ、ここから出られなくて退屈していただけだ。猫だって要らない。一人で結構。むしろありがたいくらいだ」

意地で何とか保っているのだろうか。答える声が、言葉に反してどことなく震えているような気がした。

聡依は目を伏せ、自分の手に集中する。もう少しで、本当に解け終わってしまう。そんなところまで来ていた。

「嫌じゃないの?」

また、鼻で笑われる。しかし、背を合わせている聡依にはわかった。少女の背中が微かに震えていることが。

堪えなくてもいいのに。そう思いながらも、それを口に出すことに躊躇われた。私だって、いつかはいなくなってしまう。それなのに、一人にしないなんて言えるか? 言えるものか。口が裂けたって、言えやしない。

ギリギリと首を絞められているような気分だった。この少女はとても優しかった。とても好感をもてる態度ではなかったが、その言葉や行動には、眠たくなってしまうような優しさがたっぷりと含まれていた。


664: :2012/3/16(金) 23:08:06 ID:TMbkzyCM06

だからこそ、どうしたらいいのかわからない。あれだけずるいと言っていた彼女に、安易に約束などできない。

だけど、このままにしておけるほど、聡依の心は都合良くできてはいなかった。

「これが私の役目だからな。ちっとも悲しくない、辛くもない。ただ、甘受するのみだ」

甘んじて受け止める。それはまるで自身に言い聞かせているようだった。

聡依は言葉を探すのを諦め、そう、とつまらない返事をする。誰にでも言えるようなことだ、思わず自分の拙さを笑った。

「もう終わるのか?」

「うん、もう終わるよ」

むしろ、これで終わり。そう呟きながら、最後の結び目を解く。意外とあっけなく解けたそれを、聡依は掲げて見せた。

「上出来でしょう?」

誤魔化すように笑った彼に、少女も笑う。上出来、と彼女が答えた瞬間、その場空気が一変した。


何か溜められていたものが一掃されたかのように、急によく冷え、澄んだ空気が入り込んでくる。

それに驚いていると、不意に背の支えがなくなった。バランスを崩しかけた聡依は、何とか片手を地面に付き、体を支える。

文句を言おうと振り返ると、そこにいるのは『少女』ではなかった。

665: :2012/3/16(金) 23:08:49 ID:GnN7FW4ixc

「なっ……」

声がどこかに逃げ出してしまったらしい。目を丸くし、口をパクパクとさせている彼に、彼女は声を上げて笑ってみせた。

「ぼうっとして。みっともない」

声はそのままなのが、余計に気持ち悪い。顔を歪めたまま、聡依は笑われたお返しとばかりに、舌打ちを漏らす。

「妙に歳のいった声だとは思っていたんだよ」

「失礼な」

どう見ても20代であろう女が、そこに立っていた。纏う着物は薄い萌黄色。あぁ、山に似合うな、と色に見とれてしまう。

「さて、少年」

「少年だなんて。若く見えるってことかな? ありがたいよ」

「抜かせ」

呆れた顔と冷たい言葉が返ってきた。その反応は辛いなぁ、と聡依は苦笑いを浮かべる。

「気を取り直して、だ。第16代、緑青の結び人。青木、聡依だったな?」

「あれ、知ってたの」

きょとん、と呆けた顔をする聡依に更に重ねられる嫌み。

「お前は僕が誰かも知らずに、あんなにベラベラと喋っていたのか。呆れるな」

「嫌みな年増は嫌われるだけだよ。女の子、だから許されてたんだって」

彼女が般若の形相で腕を振り上げた。まったく、他人を怒らせることには長けている男だ。

666: :2012/3/16(金) 23:09:51 ID:TMbkzyCM06

一瞬、本気で殴られると思った聡依は、さっと片手で頭を庇い、目を瞑る。

しかし、しらばくしてやって来たのは想像とは違う感触だった。

「あれ、意外」

「意外、か。山の主は心が広いんだ」

「ふうん」

目を開けた聡依は、自分の頭を柔らかに撫でるその手を眺めた。彼女は優しく聡依を撫でながら、目を伏せて呟く。

「まぁ、助かった。こんなことを言うと馬鹿にされそうだがな、お前がいなかったら面倒なことになっていただろう。感謝している」

「まっ、私もあんたがいなかったらあそこで死んでいただろうし。その返はお互い様ということで」

にやっと笑った聡依に、彼女も愉快げな笑みを浮かべる。そして軽く頭を叩き、気を取り直したかのように背筋を伸ばす。

「さて、青木聡依殿。約束を果たそうか」

「約束?」

身に覚えのない聡依は首をかしげるばかりである。彼女は口の端を楽しそうに吊り上げ、そして彼を存分に罵倒した。

「このへちま頭が」

「は? へちま……? えっ、あっ、中身がスカスカって、ちょっ……!」

その意味に気がついた聡依が言い返す前に、ぎゅっと柔らかに抱き締められる。一度、息が詰まるほど背中が痛んだが、それも気がつけば無くなっていた。


ただ、驚くばかりの彼は不意に自分の瞼が耐えられないほど重たくなってきたことに気がつく。

それに抵抗しようとした時にはもう遅かった。何かに引かれるように、その意識を暗い世界にと沈めていった。


667: :2012/3/16(金) 23:11:18 ID:TMbkzyCM06
今日はこの辺で終わりです

(´ω`)ノシノシ
668: :2012/3/17(土) 22:55:43 ID:IE9FPZTe0o
今日もさくっと投下していきますねー
669: :2012/3/17(土) 22:58:07 ID:IE9FPZTe0o

太助が夕食を、と呼びに来ないのをいいことに、悟りと暁はしばらく雑談で時間を潰していた。

さとりの話し方が上手いのだろうか。どんな些細な話でも聞いている内に引き込まれてしまう。

中でもさとりと初代の話は凄まじく、彼の主がどんな人であったかが、身に染みてくるようだった。


「なんだか、恐ろしい人ですね……」

しみじみと呟く暁に、さとりは笑う。声をあげ、存分に笑い終えると、ゆっくりと首を振った。

「いやいや、単なる意地っ張りの見栄っ張りだったんですよ。あの頃は、そうですね。結び人ていうのも認知されていませんでした。だから、彼もただの胡散臭い奴にならないよう、必死だったのですよ」

「なるほど」

670: :2012/3/17(土) 22:59:44 ID:LIH9xLQmeE

それにしてもまぁ、凄い人だったんだなと感心する。
想像することしかできないが、最初の緑青の結び人だ。その地位を確立させるのに、相当な苦労をしただろうと思うと、さとりのように笑うことはできない。


部屋の中は和やかな雰囲気に包まれていた。二人はまたも時間を忘れ、下らないあれこれを話しだす。

今度は暁が聡依の話をし、さとりを笑わせていたりもした。


と、不意に襖が開き、太助が現れた。ようやく夕食か、とそろそろ空腹が痛くなっていた暁がホッと息を吐くと、怪訝な顔の太助が目に入る。


「どうかしたんですか?」

声をかけると、彼はやや眉を寄せ、軽く頷いた。ちらりとさとりの方にも目をやったが、今は気にしないことにしたらしい。

「聡依を知らないか? 屋敷のどこにもいないんだ」
「聡依殿が? 清次殿のところでは……?」

太助が首を横に振る。彼もそう考え、家鳴りを迎えにやったのだが、来ていなかったという。

暁は慌てて立ち上がり、太助のもとに駆け寄った。

「散歩に出た……、にしては長いですよね」

671: :2012/3/17(土) 23:00:47 ID:IE9FPZTe0o

聡依がこの部屋を出たとき、外はまだ明るかった。昼八つ(午後2時)を回った頃だっただろうか。

暁はわかっていながらも、外を確認する。日は、とうに暮れていた。

「一体どこに……」

太助の顔に不安が映る。それを眺めている内に、暁の胸にも嫌な予感が広がってきた。

なぜ、あの時声をかけておかなかったのか。なぜこんな時間まで、聡依を放っておいたのか。

様々な不安を、首を振って打ち消し、彼は太助に向かって告げる。

「ともかく探しに行きます。聡依殿が行きそうなところを適当に当たって見ますね」

「おっ、おう。あっ、でも行き違いになるかもしれんぞ」

今にも駆け出しそうな暁を、太助は慌てて止めた。やや鬱陶しそうな顔で助けを見た暁は、少し唸って考えると、早口で答える。

「聡依殿が戻ってきたら適当に教えてください。ほら、ろくろ首殿でも連れてきて、首を伸ばしてもらうとか。何でもいいんで」

暁が考えた方法を聞き、悟りが無遠慮に吹き出す。太助と暁は同時にそちらに目をやったが、特に反応しなかった。

こういうところは、聡依の普段の行動のお陰で慣れているのかもしれない。


672: :2012/3/17(土) 23:01:45 ID:IE9FPZTe0o

「お前なぁ……。まぁ、わかったよ。何とかして教える」

「頼みます」

軽く頷いて見せた暁は、急いで庭に飛び降り、門にと向かった。

その姿を見送る太助は、彼の機敏さに呆気に取られたままである。

「なんか、随分しゃきっとしてきたなぁ」

何気なく呟いた彼の言葉は、まだ頬を緩めたままのさとりに届いたらしい。

「それはいい」

にっこりと無邪気な笑みと共に、言葉が返ってきた。一瞬、きょとんとした太助は、庭からさとりに目を移し、誰? と呟く。

「どうも、さとりと申します」

「はぁ……、どうも」

今一つ状況の掴めない太助は、不思議そうな顔で首を捻った。


673: :2012/3/17(土) 23:03:42 ID:LIH9xLQmeE


よく知った声が聞こえた気がして、ゆっくりと目を開ける。目に飛び込んできたのは、随分と古い切り株。それに、見覚えがあった。優しい思い出も。


「おい、おいってば」

まだぼんやりとしている聡依の肩を、誰かが叩いている。うるさいな、と顔をしかめ、そちらを向くと、これまたよく知った顔がこちらを見ていた。

「清次さん、何をしてるの?」

「何してる、じゃないよバカ。こんな道端で寝て。布団で寝なさい、布団で」

「失礼な。私は寝てなんかいないよ」

「ねーてまーしたー」

そんな下らないやり取りをし、二人は互いに睨み合う。

先に折れたのは清次の方だった。彼は軽くため息を吐き、曲げていた膝を伸ばす。

674: :2012/3/17(土) 23:04:36 ID:IE9FPZTe0o

「ほら、帰るぞ。今日はお前んとこで夕飯いただくからな。直介さんのことも聞きたいし」

「えぇー、面倒くさいなぁ」

中々起き上がらない聡依に、清次が手を差し出す。それを掴み、起き上がろうとした聡依は、背中の痛みに顔をしかめた。


先ほどより大分良くはなっているが、まだ鈍く痛む。それを感じると同時に、あの山の主のことを思い出した。

「どうした?」

途中で止まった聡依を心配したのだろう。清次が顔を覗き込んでくる。とっさにその視線を避け、聡依は何でもないと首を振った。


もう会えない。そんな気がした。むしろ、もう会わないと。人はもうこりごりだ、そんな彼女の呟きを聞いた気がした。

一瞬でも忘れていたことが苦い。もちろん、胸に抱える苦さは、それだけが原因ではないのだが。聡依は強く、唇を噛んだ。

「なんだ、体が痛くて歩けないのか」

「え? いや、そういう訳じゃ……、え?」

言い訳を重ねようとした聡依に、清次が黙って背を向けた。そのまましゃがみこみ、ほらほらと腕を後ろに向ける。どうやら背負ってくれるらしい。

聡依は少し躊躇するように視線を泳がせ、そして軽くため息を吐いた。まるで、仕方ないとでも言っているかのように。

675: :2012/3/17(土) 23:08:51 ID:IE9FPZTe0o

「落としたら承知しませんからねー」

「乗る奴が何を」

「大体、清次さんってそんな力あるの?」

「お前みたいな大福くらいしか重さのない奴、造作もない」

照れ隠しのついでに憎まれ口を叩きあい、聡依を背負って歩き出す清次。

その背の暖かさは、聡依が細工を解いているときにずっと支えていてくれた、あの温もりを思い出させた。今更だが、重かったのでは、と不安になる。

「月が冷たそうだなぁ」

ポツリ、と清次が呟いた。釣られて月を見れば、白くつるりとした満月が浮かんでいる。

「触ってもいないのに、何でわかるのさ」

「バーカ、見た目だよ、見た目」

下らない言葉を聞き流し、聡依は浅く息をはく。まるで夢を見ているように、胡乱な時だったな、と思い返した。


676: :2012/3/17(土) 23:09:52 ID:IE9FPZTe0o

随分と静かな場所にいた。一人で寂しそうで、それでいて強がっていた。もうこりごりだ、と笑った顔は、子供でも分かるくらい、泣き出しそうだった。

全部見過ごしてきてしまったことを、今更後悔する。でも、それを指摘しても恐らく悔いていた。逆に傷つけていたかもしれない。

どうして、何もできなかったのだろう。心に溜まる苦い苦い気持ちに、涙が溢れそうだった。

熱くなった目元を乱暴に擦り、むしゃくしゃした気分のまま、目の前の背中に頭突きした。完全に八つ当たりである。

「何すんだよ」

不機嫌な声に、鼻を鳴らして答える。これで怒らないのが、清次の凄いところだ。

「眠いから寝る」

「お好きにどうぞ。屋敷に着いたら、容赦なく起こすからな」

それに返事をすることなく、聡依は勝手に目を閉じた。揺れる心地が、また眠気を誘う。

まるで不貞寝をしているような気にもなったが、実際それと大差がないので気にしないことにした。

677: :2012/3/17(土) 23:12:50 ID:IE9FPZTe0o

夢と現とをうろうろし始めたとき、不意に体を揺すられ、目を開ける。聡依が文句を言う前に、清次が残念な状況を告げた。

「おい、なんか怒ってるぞ。お前のとこの猫」

「え? ……あぁ」

肩越しに前を覗くと、こちらに向かって走ってくる影。どう見ても暁だ。それが清次の言う通り、毛を逆立てて怒っているようにしか見えないのが、とても残念である。

「どーすんの?」

「どうもしないよ。それより、清次さん」

「ん? なんだよ」

ゆっくりと、清次から降りながら、聡依はわざとらしいため息をはく。

「ちょっとはうちの猫のこと、オカシイとか思わないわけ?」

清次は肩をすくめて笑った。

「飼い主が飼い主だからなぁ」

聡依はムッと口を尖らせたが、それに言い返そうとはしなかった。


678: :2012/3/17(土) 23:13:38 ID:LIH9xLQmeE
今日はここまでです。
そして明日でラスト!
ではでは
ノシノシ
679: :2012/3/19(月) 00:37:59 ID:m8aDDB7I/U
今日もとんとんと投下していきますねー(´ω`)
680: :2012/3/19(月) 00:39:28 ID:m8aDDB7I/U


聡依たちの前に立った暁は、まず、息を整えようと深呼吸した。それからまた、大きく息を吸い、

「あっ、ネコ、あのさ」

「こんな時間まで、一体っ、どこでっ、何をっ、してたんですかぁぁああっ!」

言い訳をしようてする聡依を無視し、ひとまず怒鳴り付けた。うんざりとした顔の聡依に、平然としている清次。

「ほら、やっぱり怒ってる」

「それ、さっきも聞いたって」

二人をぎろりと睨み付け、暁はまず、清次に詰め寄った。

あれ? という顔で、清次は暁を見下ろす。そんな彼の足に、暁は容赦なく鋭い爪を立てた。

「いっ……!」

声にならない悲鳴が上がる。聡依は気の遠くなるような思いでそれを眺め、遠くの山の方へ、視線を逃がした。見ているだけで痛いようだ。

681: :2012/3/19(月) 00:40:26 ID:uKAdSKfV2o

「聡依殿を連れて、あんまりふらふらしないでください、ねっ!」

「いっ、いや、俺は……」

「言い訳は無用っ!」

「えっ、あっうわっあっ!」

無慈悲、だな。聡依は暁に聞こえないようにそうっと呟き、軽いため息を吐いた。苦痛の声を上げる清次に同情し、一歩、彼らから遠ざかる。清次を助けようという思いにならないのが、実に彼らしいところだ。

もちろん、暁もそんなことなど承知の上である。

「聡依殿?」

いつになく低い声でそう呼び掛けると、うん? と、いつもの返事が。それに思わず毒気が抜ける。

怒鳴る気も怒りも失せ、暁は腕を下ろした。俯き加減で、聡依の元に向かう。

「本当に心配したんですよ。何かあったんじゃないかって。胃の腑が縮み上がりましたよ、もうっ」

「よかったじゃないか。食費が浮く」

何処までもいつも通りな聡依に、暁は軽くため息を吐いた。爪を出す気にもなれず、ただ弱い猫パンチをその足に当てる。


682: :2012/3/19(月) 00:41:18 ID:uKAdSKfV2o

「本当に心配したんですから。いなくなったらどうしようって。見つからなかったら、どうしようって……」

知らないうちに涙がこぼれていた。怒りで隠れていたらしい、不安が溢れてきたかのように。そのままギュッと聡依の足に抱きつき、存分にその裾を濡らす。

「なんなんだ、この差は」

足を押さえたままの清次が、愕然と呟いた。聡依はちょっと困った顔で首をかしげ、

「ご飯あげているか、あげていないかの差」

と、茶化す。清次は眉を寄せ、俺もあげたぞ、と不満そうに呟いた。それを笑いながら、冗談だってと聡依は答える。

「全く、散々だな。今日はお前んとこで、一升は米を食ってやる」

ぶつぶつと文句を言いながら、清次が歩き出した。聡依は無理だということを知っているからなのか、楽しそうに笑って眺めている。

「あ、そうだ。清次さん、歩くの面倒だから、また背負ってよ」

「ふざけんなっ! お前んとこの猫の所為で、こっちは足が痛いんだよっ!」

すぐさま不機嫌な声が飛んできた。聡依は声を殺して笑い、自分の屋敷の方に歩いていく背中を見送った。
683: :2012/3/19(月) 00:42:59 ID:uKAdSKfV2o

「さてそろそろ……。帰ろうよ、暁」

暁は片手で涙を拭い、小さく頷いた。暁は聡依の足から離れ、一度だけ、腹立たしげに猫パンチを食らわせる。もちろん、爪の引っ込み、丸まったその手が、聡依を傷つけることはなかった。


聡依は小さく笑ってから、ゆっくりと歩き出す。先ほどのような苦い感情はなかった。

もちろん、山の主である彼女のことを忘れたわけではない。しかし、それを考えてグズグズ後悔をし続ける気は、もう無かった。そんなことをするくらいなら、明日からそこら中の山を歩き回り、彼女を探しだすほうがいい。

いつの間にか、そんなことを考えられるようになっていた。


少し遠くなった背中を見て、暁は駆け寄ろうと足を動かし、もう一度立ち止まる。ゆっくりと歩いていくその動きは、どこか痛いのだろうか。少し、ぎこちない。

聞いてみようか、そう考えてすぐにやめた。少しだけ、自信が足りなかった。

684: :2012/3/19(月) 00:45:11 ID:uKAdSKfV2o


「聡依殿っ」

背中に向かって声をかければ、聡依がこちらを向く。
うん? と、抜けた声でいつもの返事が戻ってくる。暁は少しだけ迷い、それから言葉を紡いだ。

「あっしは、嫌がられたってやめませんからねっ! ずっていますからっ?絶対にいなくなったりしませんからねっ!」

どこかで聞き覚えのある言葉に、暁は首をかしげる。いつか、どこかで言ったような気がした。

聡依にも覚えがあったのだろうか。少し離れた先で、なぜか腹を抱えて笑っている。

それにムッとしつつも、敢えて黙っていた。怒るのはいつでも出来る。暁はそれより、返事が聞きたかった。


685: :2012/3/19(月) 00:45:40 ID:m8aDDB7I/U


ひとしきり笑ったあと、ようやく満足したらしい。聡依はふっと息を吐いて、肩の力を抜いた。暁はただ、彼の言葉を待つ。

「言われなくても」

笑った名残のある優しい口調で、そんな答えが返ってきた。にやりと添えられた意地悪な笑みに、暁は腹が立つよりも笑ってしまう。

おいで、と差し出された腕に、暁は駆け出した。今度は微塵も迷うことなどなく。



「さっき、何で笑ったんですかぁあああっ!」

「え? いやだって、えっ? あっ、ちょっまっ」

今度は容赦なく、爪を立てた手を土産に。

686: :2012/3/19(月) 00:50:36 ID:m8aDDB7I/U


広く栄える城下町のすぐ近くに、とんと平凡な町がある。

小さなその町は、地図に載っていたとしても、すぐに忘れられてしまうような、ありふれた所だった。特に名産もない。


長閑さだけが取り柄のその町はずれに、時に置いてかれてしまったかのような、古びた屋敷が一つ。

ただ広いだけのそこでは、他人とは少しばかり違う日常が繰り広げられていた。


それはその他のものと違わず、いつかきっと終わってしまうであろう日常。


しかし、当人たちにとっては確かにある、そして他のありふれたそれと何一つ違わぬ、楽しいものであった。

おわり
687: :2012/3/19(月) 00:57:41 ID:uKAdSKfV2o
改めまして、こんばんは。

ようやく、完結しました。なんだか、ちょっと信じがたい。

色々思うことも有りますが、言うことは1つだけです。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。もう本当に感謝以外の言葉が見つかりません。

長々と何か言うのは苦手なので、この辺で黙りますが、今までありがとうございました!

ではでは、またいつか。
ノシノシ
688: 名無しさん@読者の声:2012/3/19(月) 10:23:26 ID:cjmz5touQo
譲さん乙!
689: 名無しさん@読者の声:2012/3/19(月) 16:58:25 ID:67CEghovMM
毎日楽しみに読ませてもらってました!
お疲れさまでした(´ω`*)
690: 名無しさん@読者の声:2012/3/19(月) 17:19:40 ID:i7etF7UDUg
乙です!
もう終わっちゃったのかと思うと
なんか寂しいです(・ω・`)
691: 名無しさん@読者の声:2012/3/19(月) 19:45:53 ID:I0w3NG1wEs
譲さん本当に乙でした!!

終わっちゃったのかぁ…
なんか寂しくなります

またいつか譲さんの作品が読めることを祈ってます!!
692: :2012/3/20(火) 01:05:56 ID:CcOIKZTUWA


このSSを支えてくださった、すべての読者の皆様へ。
693: :2012/3/20(火) 01:06:50 ID:CcOIKZTUWA

 春になると、必ず思い出す光景がある。

「聡依殿?」

 不思議そうな声が聞こえ、初めて自分がぼうっとしていたことに気が付いた。慌てて取り繕うような笑みを浮かべ、そちらに顔を向ければ、きょとんと暁が見上げている。何でもない、と下手くそな言葉を呟き、それからまた、そこに目をやった。

 そこには、少し古い切り株があった。薄く雪の積もったそれには、聡依にしかわからない暖かさがある。

 目を細め、じっと切り株を見つめた。まだいる? 問いかければ、答えが返ってくるかのように、静かに心の中で呟く。

 それは忘れるには少し新しすぎるもので、思い出すには少し守りすぎている記憶だった。


 それは今と同じくらいの時期の事だった。

 ふわりと北風が東風に姿を変え、優しくもくすぐったい春の香りを運び始める。最近暖かくなったなぁ、などと呑気なことを言っているうちに、地面の雪が消え、その代りに土が顔を出し始めた。

 そんな季節の変わり目のある日。いつものように清次の貸本屋にと足を向け、その帰り道のことだった。

 ふと、見つけた知らない道に引かれ、そちらの方にと歩みを進めていく。人通りが少ないのだろう。ほとんど片されていない道には、雪がまだ残っていた。

「失敗だったかなぁ」

 すっかり草履を濡らし、うんざり顔で呟く。どうやらこの道は日の辺りも良くないらしく、雪がほとんど解けていない。少し解けているところも、夜の寒さに凍っており、呑気な顔で歩く道とは少し違うようだった。

「ここだけまだ冬みたいだ」

 隣の山を見上げたり、古い家々の屋根に積もる雪を眺めたりしていると、なんだか寒々としてきた。夕方になり、単に気温が下がっているだけなのかもしれないが、聡依にはこの周りの景色の所為にも思える。いつもの着流しに綿入れ半纏という軽装だったため、彼にはこの寒さが答えるらしい。両手を擦りながら、寒さに身を屈めるようにして歩いていた。

 そんなとき、ふと目に留まったのは淡い萌黄色だった。

「あれ?」

 痛いほどに白い雪に埋もれるように、それは小さな芽を出していた。目を凝らし、すれを確認すると、少しだけ近づく。山肌からやや倒れるようにして生えているその木の枝につく、ほんの淡い緑。

「あぁ、春なんだなぁ」

思わず頬を緩ませながら呟き、聡依は枝にと手を伸ばした。その冷たい雪を少しでも払ってやろうと思ったのだ。素手で触れる雪は凛と冷たく、それにまだまだ冬を感じる。雪を綺麗に地面に落とし、聡依は満足げに頷いた。

「これでよろしい」

694: :2012/3/20(火) 01:08:01 ID:CcOIKZTUWA

早く春になれよ、などと無茶なことを付けたし、彼はまた家の方にと体の向きを変えた。赤くなってしまった手を擦り、息を吹きかける。指が取れそうだ、と冗談めかして笑う。

「お兄さん」

 消えそうな声が聞こえた気がした。

 一瞬、足を止め、振り返る。そこには何もいなく、気のせいかと苦く笑ったりもした。再び聡依が歩き出そうと踵を返すと、

「お兄さん。こちらですよ」

また、声が聡依を呼ぶ。

 やや腹を立てつつ、声の方を向くと、先ほどの枝が目に入った。お前が呼んだ? まさかね、と笑うと、隣に淡い人影を見つける。揺れるその体をたどり、顔を上げれば、にっこりとこちらを見つめて微笑む、美しい女の姿があった。

「あれ?」

絶対に先ほどまではいなかった姿だ。しかも、彼女は今にも消えてしまいそうなほど、朧げな輪郭をしていた。

「驚かせてしまいましたか?」

悪戯っ子のような笑みを浮かべるその人に、聡依は首をひねる。全くいつ現れたのかが分からない。まさか、本当にこの木じゃないよな、と一人で笑っていると、彼女はその手を隣の枝にと伸ばした。

「雪を、払ってくださって」

「え?」

「ありがとうございます。お蔭でもう冷たい思いはしなくて済みます」

「はっ、はぁ……」

枝から聡依にと目を移し、彼女は再び柔らかい笑みを浮かべた。その彼女の持つ美しさや柔らかさ、そして儚さにどこか覚えを感じる。知り合いだったろうか、と首を捻っていると、彼女は聡依の手に手を重ねた。

「でも、お兄さんの手が冷たくなってしまいましたね」

柔らかな表情で、少しだけ物憂げに彼女は聡依の手を撫でる。触れた先から、絹に包まれたかのようにふんわりと温まる自分の手に、聡依は驚くばかりだった。

「私はいいのです。お兄さん、随分と薄着なようだから、お体には気を付けて」

優しさをたっぷりと含んだその言葉と笑みに、見知った色が重なった。それを見ると同時に、思わず声が漏れる。


695: :2012/3/20(火) 01:09:14 ID:CcOIKZTUWA
「もしかして、あなたは」

彼女は微笑むだけで答えない。

「桜、の木?」

彼女は楽しそうに瞳を輝かせ、そしてその綺麗な唇を動かし、聡依に囁きかける。

「えぇ、正しくは桜の花、ですが」

彼女が動くたびに感じるその淡さを含んだ甘い香りに、花というのはぴったりだった。なるほどなぁ、と感心するように呟いた聡依を笑い、それから優しげな表情を浮かべる。

「さて、お兄さん。もうじき日が暮れますし、これからどんどん寒くなります。明日はまた暖かいかもしれませんが、夜はまだまだ寒いです。なるべく早く、おうちに帰ってください。そんな薄着で外を出歩くもんじゃありませんよ」

暖かさと同時に何とも言えないむず痒さを感じ、聡依は誤魔化す様に頬を掻いた。少し桜から離れ、両手を気取って広げ、おどけて見せる。

「でも、この格子柄、いいでしょう?」

桜はくすっと声を漏らして笑い、小さく何度か頷く。ハッと目を奪われるような、上品な仕草だった。

「えぇ、その臙脂色がとてもよくお似合いで」

「それは喜んでいいこと?」

首を傾げた聡依を、桜はますます可笑しそうに笑う。袂で口元を隠し、目元を丸めて笑うその姿は、聡依が今まで見てきた中で一番美しい姿だった。


 それから何度か、聡依は暇ができるたびにその桜の木の元に通った。もちろん、毎日が休日のような男である。ほぼ毎日、飽きることなく彼女に会いに行っていたことになる。

「桜、なんだか最近、姿がはっきりしてきていない?」

 豆大福を食べながら、ある日聡依はそんなことを尋ねた。ほとんど無くなった雪を集め、雪うさぎなどを作って遊んでいた桜は、きょとんと彼を見つめる。

「そうですか?」

「うん、なんかこう、前は幽霊みたいだった」

今も大差ないけど、と言うと、桜は怒るでもなく可笑しそうに笑った。彼女は本当に笑い上戸な人であった。


696: :2012/3/20(火) 01:10:19 ID:CcOIKZTUWA
「えぇ、そう言えばいつだか私たちの姿は桜の花に関係していると聞いたことがあります」

「花に?」

彼女は雪うさぎの目にする小石を選びながら、軽く頷く。ふうん、と声を漏らした聡依に、楽しそうに寄り添う桜。彼女は歌うように囁いた。

「だから、花が満開に近づけば近づくほど、私たちの姿はより鮮明になるそうです。逆に、花が散ってしまえば、この姿消えてしまう」

「消える?」

眉を上げ、彼女を見つめる。桜は聡依の頬につく白い大福の粉を指で拭い、笑って見せた。

「えぇ。消えてしまいます。そのはずです。毎年同じことを繰り返しているはずなのに、自分の姿というのは分かりませんね」

楽しそうに笑う彼女の手が離れていく。聡依はその腕をつかみ、にこりともせずに桜に問うた。

「消えるって、いなくなっちゃうってこと?」

桜は笑みを浮かべたまま、やんわりと彼の手を外した。そしてその手を握りなおし、丁寧に指の腹で手の甲を撫でる。

「姿が見えなくなるだけです。また、少しずつ見え辛くなって、そして姿が見えなくなるだけ。ここにこの木がある限り、私はここにいますよ」

「ここにこの木がある限り?」

桜は小さく頷き、聡依の手に頬を寄せた。まだ硬い表情をしたままの聡依が、ぼんやりとした顔でそれを眺めている。彼女は小さな声で、何度か同じ言葉を繰り返す。

「たとえ見えなくとも、私はここにいるのです」

それは、他人より少しものが多く見える聡依にとっては、理解しがたい言葉だった。


 また別の日の事。すっかり春が芽吹き、桜の木もその花を少しずつ咲かせていたころだ。聡依はこれまたうぐいす餅などを食べながら、その日も桜の隣に座っていた。

「そろそろお花見の季節ですね」

 
697: :2012/3/20(火) 01:10:49 ID:CcOIKZTUWA
そんなことを切り出したのは彼女の方だった。すっかり雪も消え、どこを歩いていても桜の花が目に入る。そんな時期になったのだから、彼女の言葉は正しいものだった。しかし、この道ではそれは開かれないものかも知れない。

「桜は花見が好きなの?」

 普段そう言う催しごとには参加しない聡依が彼女に尋ねる。この道には桜は彼女の木、一本でしかしない。ここで行われる花見などそうそうないのだろうが……、花見など遠巻きにしか見たことのない聡依にはわからなかったらしい。しかしその不躾な問いにも、彼女はさらりと笑みを浮かべる。

「えぇ。好きですよ。昔はここにもたくさん桜の木があったのです。その時、近所の人がお花見をしてくださいました。みなさん、とても楽しそうでした」

「でも、みんな桜なんか見てないよ。よくわかんないけど、ご飯とかお酒飲んで騒いでるだけに見える」

拗ねるようなその口調に、桜はまた優しげな笑みを浮かべる。彼女は懐かしそうに古い家々の屋根を眺めながら、ぽつりと言葉を漏らした。

「それでも、楽しいのです。私は人が好きですから。だから、人が楽しそうにご飯を食べたりお酒を飲んだりしているのを見るだけで、とても楽しいのです。とても幸せなのです」

「人が好き?」

言葉を繰り返した聡依に、彼女はしっかりと頷いた。そして何度か、自分で噛みしめるように頷く。

「えぇ、とても。とても好きです。何よりも好きです」

聡依は何となく言葉を見つけることが出来ず、ただ、うん、と子供の様に素直な返事を返した。桜もただ、いつものように儚げな笑みを返すだけだった。

698: :2012/3/20(火) 01:11:32 ID:CcOIKZTUWA

 桜の花は満開を終え、春風に揺らされ、少しずつその身を散らし始めた。久しぶりに桜の元を訪れた聡依は、彼女のまた淡くなった姿を見て目を細める。

「あら、お兄さん」

 彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべるだけだった。聡依も特にそのことに触れることはなく、彼女の隣に腰を下ろす。そして、懐から菓子を取り出した。

「今日はよもぎ餅ですか」

春ですね、と笑みを載せた声に、春だねぇと勤めて呑気な声を返す。遠慮もすることなくそれに齧り付き、やや黙ってその味に惚れ惚れとしていた。

「随分久しぶりですね」

それに応えず、ちらりと目をやれば、桜はただ笑って彼を見つめ返すだけ。聡依は掴めない彼女の感情から目を逸らし、再びよもぎ餅を口に運ぶ。桜はそんな彼に構うことなく、言葉を紡ぎ続けた。

「この前、どこかのお兄さんたちがここでお花見をしてくださいました。とても楽しそうで、見ていてとても楽しかったです」

声の出せない彼は、よかったね、と心の中で答える。口の中に一杯に広がる春の味を租借しながら、聡依は桜の柔らかな声に耳を傾けた。

「ですが、待っていた人は来ませんでした。風邪でも引いたのではないかと、心配していたのですが」

もう一度そちらに目をやれば、今度はやや怒った顔が聡依を見つめていた。誤魔化す様に笑みを浮かべ、口に残ったよもぎ餅を嚥下する。

「お花見、楽しかった?」

「えぇ、とても。お兄さんはされなかったんですか?」

意地悪な質問に、少しだけ視線をうろつかせ、黙って頷く。苦手なんだ、と言葉を付け加え、また口に餅を詰めようと手を動かした。


699: :2012/3/20(火) 01:12:37 ID:CcOIKZTUWA

「お兄さん」

細い手が聡依の手首をしっかりと掴み、その目が彼の動きを縫い止めた。驚いたまま、何度か目を瞬き、桜を見つめ返す。

ふと、怒っていた顔が柔らかに緩み、彼女のもう片方の手が動いた。

「小豆が」

「え?」

「小豆が付いていますよ」

「あっ、あぁ」

聡依が自分の口元を拭う前に、彼女の指がその小豆を攫う。その動きを目で追っていた聡依は、小さな声で呟いた。

「お花見、行かなくてごめん」

えぇ、と桜は頷く。それはとても小さな声で。

「風邪、引いてたわけじゃないよ」

「それはよかった」

ねぇ、と小さな声が風に紛れ、桜に届く。いつの間にか俯いてしまった聡依の頭を、彼女はできる限り優しく、そっと撫でた。

「もうすぐ、いなくなっちゃう?」

小さな小さなその掠れた声に、桜は首を振った。いなくならないよ、と。彼女は何度でも繰り返す。

「いなくなるんじゃありません。見えなくなるだけです」

掴んだ手首を離し、その手を掴む。小刻みに震える手は、驚くほどに冷たいものだった。桜は、その緊張を何とか解そうと、もう一つの手で彼の手を包むように握りしめた。

「見えなくたって、私はいますよ。ずっとずっと、ここにいますから」

小さく頷いた彼の顔は見えない。それでも桜には、聡依がどんな顔をしているのかが見えるようだった。だから、余計悲しさが積もる。言っていることは分からないかもしれない。それでも、何度も彼女は繰り返した。

700: :2012/3/20(火) 01:13:12 ID:CcOIKZTUWA

「大丈夫、大丈夫。何年経っても、私はここにいますよ。夏が来て、秋が来て、冬が来て。そしてまた春が来たら、その時に会いましょう?」

聡依の頭が頷くように揺れた。その体を抱きしめてしまいたい衝動に駆られるが、そうすればまた彼にも自分にも、寂しさを載せてしまうことになる。だから、その手に黙って頬を寄せた。

「お兄さん、ありがとう。あなたが私を見つけてくれたおかげで、私は今までで一番楽しい春を過ごせました」

聡依は何度か、深く頭を振った。それから、たっぷりと時間をかけて顔を上げ、桜を見つめ、笑って見せた。

「綺麗な桜をありがとう」

そんな言葉に、桜は顔を綻ばせた。そして一度だけ、その気持ちを飲み込むかのように、深く息を吸う。
彼女は歯を見せて笑うと、優しい言葉を彼に返した。

「それは、何よりです」

701: :2012/3/20(火) 01:13:55 ID:CcOIKZTUWA


「聡依殿?」

 不思議そうな声に引かれ、再びこの春にと意識を戻す。もう一度暁を見つめれば、きょとんとした顔は置いてかれたという不服が見える拗ねたものにと、すっかりと姿を変えていた。それを、わざと笑う。

「ぼーっとしてっ。もうっ、なんですか?」

「いや、なんでもないよ」

 何でもなくない、と頬を膨らませる暁に構わず、聡依は黙ってその切り株を指差した。暁は一瞬、動きに釣られるように切り株を見つめたが、すぐに訝しげな顔を聡依の方に戻す。

「なんですか?」

「綺麗な桜だなと思って」

「え? 桜?」

 切り株に近づき、花を寄せて見れば微かに春の香りがするような気がした。桜の木、と言われても納得できるような気もするが、その姿を想像することはできない。

「これ、桜の木なんですか?」

振り返って問うてみたが、答えはなかった。聡依は呑気に、大きく伸びなどをし、軽くあくびを漏らす。

「暁」

「はい?」

名を呼ばれ、何度か目を瞬いた。そんな彼の間抜け顔を、聡依はまたも笑う。

「だから、なんで笑うんですかって、もうっ」

怒る暁など気にも留めず、聡依はまた切り株を見つめて柔らかに笑みを浮かべた。そして、呟く。

「春だねぇ」

意味が全く分からなかった。不服なまま、言葉の意図を見つけようと頭を働かせる暁の鼻先を、柔らかな東風が通り抜ける。その時拾った甘さを含んだ香りと優しさに、暁もまた頬を緩めた。

「本当、春ですねぇ」

余計なことなどその場に放り捨て、顔を上げて空を眺めてみる。
薄く白んだ青空はまだ少しだけ、冬のそれだったが、微かに春の面影を抱いていた。

702: :2012/3/20(火) 01:20:11 ID:CcOIKZTUWA
>>688
乙ありがとうございます!

>>689
楽しみだなんて、うれしいです。乙、ありがとうございます!

>>690
乙ありがとうございます!
そう言ってくださると、本当にうれしいです。

>>691
乙ありがとうございます!
寂しいとは、うれしい限りです。
また見かけたときは、読んでやってください。


調子に乗ってラスト、番外編投下してみました。
保管庫依頼しようと思ったら、パソコンさんが空気を読んでネットをつなげてくれたのでw
かなり無理やり詰めてしまったので、かなり読みづらいと思います。最後の最後まで、申し訳ないです。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございましたっ!

皆様に素敵な春が、訪れますことを祈って。

ではでは(*・ω・)ノシノシ


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停止しますた。ニヤリ・・・( ̄ー ̄)
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sage:


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うpろだ
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